第三十五話 残された物
「それにしても……ニムエ、ですか。懐かしい名を聞きました」
魔導院の内部に入り応接室に通され対面する様にソファに座った後に、エレシアが開口一番に告げた言葉だ。
彼女はどうやら魔女、ニムエについて知っているらしい口振りで少し遠くを見つめた。
「……知り合い、なのかしら?」
エレシアの愁いを帯びた瞳を見た小夜は少し間を置いて質問を始めた。
「知り合い……そうですね。ニムエとは私が魔導院生だった頃から同級生で、師が同じなのです。卒業してからも暫くは連絡を取り合っていましたが、何時からか疎遠になってしまい、昨日その名を久しく聞いた所ですね」
同門の師を慕い、切磋琢磨していたその姿を小夜は自然と自分と隼人に置き換えていた。
邪魔な感情を払拭する様に軽く頭を振ると小夜は質問を続けた。
「ニムエは、幻を見せる術を扱えるの?」
「ええ。おそらく、彼女は私の知る限り尤も幻術の扱いに長けた人物です……おそらく、貴女達に幻術を掛けたのは庭園。その前に『勇者』、更に城内の各所に仕掛けた。と考えられます」
「ちょっと待って。じゃあ、私達を呼びに来た隼人は既に偽物で、その時から私達はニムエの術中に居たって事?」
「そうなります。具体的な時間は判りませんが、少なくとも庭園に居た時でしょう」
庭園に居た時に幻術を掛けられたのならば、もしかしたらあの会話が聞かれていたのかもしれない事になる。
小夜がそんな風に考えついた時、押し黙っていたヴィンセントが口を開いた。
「あ。勇者サンが呼びにきた時、巫女サン。机に手を突いてたような」
そう言われ、思い出す。
隼人に肩を掴まれた時、視界の端で蒼ざめた表情で円卓に手を突いていた。
「《戦巫女》様なら、術にある程度の抵抗が出来たのでしょう。より強力な術を当てられたから、手を突いたと考えられます。幻術は精神に直接影響を与えますからね」
エリオールが持っている錫杖にはある程度の魔法を無効化する魔除けが施されている。
それにより、中途半端に幻術を無効にしてしまったが故に更に幻術を掛けられてしまった。
「なら、庭園で話してる時に、私達は幻術を掛けられた。だけど、巫女には利き目が薄かった。だから更に幻術を掛けたって事は、あの時の隼人はニムエ本人の可能性が高いわね」
「どうしてそうなるんだ?」
「理由は2つ。1つは隼人が出てきたその場で巫女に幻術が掛けられ、更にその隼人は私の肩を触った事。もう1つはエルフと会った時に、私とエルフは触れあった。そして、直前まで話していた隼人も含め、私達とエルフ以外は誰も喋っていない事」
小夜は要点を纏めた上で更にあの幻覚の状況を思い出す。
直感によって浮かび上がった2つの点と点を繋ぎ線と成り得る可能性、小夜と触れ合う事が出来た人物は2人ともニムエが姿を変えていたという事。
「一理はありますが……断言はできません。貴方達の目の前でラミア達を吸い込んだと言う球体や稲妻の形の剣も私は見た事も聞いた事もありませんし」
「やっぱり仮定止まり、か」
その言葉を最後に小夜達は魔導院を去った。
2人は言葉を交える事なくただ歩く。
手柄は合った。しかし、それは曖昧な物ばかりで、完全に停滞してしまったこの状況を打破出来る物はない。
依然として、ニムエの居場所は判らず、人々を取り込んだ球体の正体も判らないままただ歩く。
城門に差し掛かった辺りでヴィンセントか口を開いた。
「……これから、どうすんの?」
「判らない。どうしようも無いもの」
小夜は珍しく疲弊している様にも見える。
その疲弊が変わらない現状に対する焦燥感からなのか、それとも全く別の何かなのかはヴィンセントには判らない。
「そっか。そうだよねぇ」
激励すら出来ず、頷く事しか出来なかった。
† † †
覚束無い足取りの小夜を部屋まで送り届けたヴィンセントは通りすがったマアトに小夜の事を頼んだ後、『民の派』リッグの執務室にて呼び出しに応じていた。
「さて、聞かせてもらおうか?何故、『魔女』を庇う様なマネをした?」
「はっきり言うならば、情報がまわっていなかった事。来るとは聞いていましたが、詳しい容姿を知らなかった故に、信頼される為に魔女を助けました」
ヴィンセントがリッグから請けていた命令は小夜と信頼関係を築く事。
それを最優先にした行動の結果、シャンデリアを撃つ事だった。
「チッ!……次は無いと思え。ここより東にニムエの館がある。馬車は手配する。明日、出立しろ」
「了解」
† † †
一人、部屋に戻った小夜はベッドの縁に座り、憑き物が落ちたかの様にベッドに倒れ込んだ。
仰向けのまま、両手の甲で目元を覆い、震える唇をきつく噛んでいた。
目を瞑るだけで肌の色から毛先まで鮮明に思い出せる。
「……私の、ミスだ」
消え入りそうなか細い声で呟いた言葉は静寂に吸い込まれ、より一層独りを痛感されられる。
じわじわと視界の端が歪み出し、孤独に呑まれそうになった頃、倒れ込んだベッドの小夜のすぐ隣に座る者が居た。
『悲しい?寂しい?愛おしい?』
「…………」
『そう感じる程までにこの世界の住人は優しい?……でも、小夜は優しい。私は知ってるわ。貴女が最も尊ぶ物を』
現れた常世の煽る様な言葉に返す気力も湧かなかった。
代わりに、ほんの少しだけ安堵を感じる事が出来た。
幾ら、人に見えずとも確かにそこに存在し、小夜に言葉を投げ掛ける存在。
そんな風に思ってしまう程疲弊していたのだろうか。
しかし、言葉にせずにはいられなかった。
「姉さん……ありがとう」
『……私は何もしてないわよ?礼を言われる筋合いはこれっぽっちも無いわ』
僅かに見える手の隙間から、常世が心無し笑っているかの様に見える。どうやら満更でもないようだ。
辛く重くのし掛かっていた孤独感は消え、颯爽とした清涼感が胸にあった蟠りをぬぐい去る。
悲観している時間はない。立ち止まる事はあっても、引き返す事はなく、孤独感を感じる事はない。
1人ではないから。風か吹けば飛んでいきそうな程軽く、稀に姿を現さないが、必ずそこに居る。そんな存在が小夜の中にいる。
そんな風に思い至った時――不意にドアをノックされた。
「サヨさん。私です。入っても宜しいでしょうか?」
「ええ、大丈夫よ」
扉の向こう側にはマアトが居たらしい。
体を起こしながら二つ返事で了承すると、失礼します。と言いながらマアトは扉を開けた。
「おや……?どうやら、抱えていた問題は大分解決したようですね」
「そんな判りやすかったかしら……?」
「いえいえ、今朝方見掛けた頃とは見違えるほど雰囲気が変わってますよ」
結わえた口髭を触ったマアトは紐で吊るしたモノクルを光らせ、柔和な笑みを浮かべる。
ベッドに座る小夜の手を取り、その上から手を重ねた。
「……御身は一つに御座います。行くと言うならば止めませんが、何卒、無茶はせぬようお願い致します」
「覚えてる?私がこっちに来た日に話した事」
グランゼン城の庭園に迷い込み、マアトに案内された時に話していた事。
あの時から考えれば、今の小夜は善行を行っているのかもしれなかった。そう考えると善行とも言える事をこれからしでかそうとするのだからとんでもないブーメランが返ってきた事になる。
「ええ、勿論にございます。あの時の続きをしたいですとも」
小夜の手を持つマアトの手に力が込められた様な気がした。




