第15話 洗礼
身体が勝手に動こうとした。
無意識の反射、あるいは本能。
先程まで感じていた既視感の正体を確かめようと、私の意識より先に身体が動き出す。
だが。
視界の先、眼前に突きつけられていたのは──フォークだった。
……は?
状況が理解できない。
刃先が私の喉元、ほんの数センチの距離で止まっている。
握っているのは、いつの間にか私に馬乗りになっているあの少女。
さっきまで確かにリアが持っていたはずの、リンゴ用のフォークだ。
???「こんな止め方で悪いな」
少女が、悪びれもせずそう言った。
???「だが、いま俺たちが接触するのはまずいからな。…それはお前も身をもって知ってるだろ?綾愛」
名前を呼ばれた。
初対面のはずの、顔にモヤのかかった少女に。
ようやく、遅れて状況が頭に追いついてくる。
──接触したら、まずい。
それは、あの夜のことを言っているのか。
コンビニで、この少女に触れた瞬間に襲われたあの激痛のことを。
少女はくるりとフォークを回し、刃先を自分の方へと戻すと、ゆったりとした動きで私から離れる。
そのままリアへとフォークを返した。
リアは無言でそれを受け取る。
その表情には、状況が飲み込めていないという困惑がありありと浮かんでいた。
私と同じだ。
少女が、仕切り直すように私の正面に立つ。
その瞬間。
ここでようやく、私は気づいてしまった。
灰色の夢。
あの日のコンビニでの出来事。
そして、初めて能力を使わされたあの夜、頭の中に響いた声。
それら全部が、今、一本の線で繋がった。
綾愛「貴方は……一体、何なんですか?」
誰、とは聞けなかった。
いや、聞けるはずがなかった。
この存在を前にして、「誰」という問いはあまりにも的外れだ。
もはやこれが生物なのかどうかすら、私には判断がつかない。
曖昧で、不明瞭で。
それでいて、圧倒的な格と存在感だけが、否応なく伝わってくる。
少女は、少し口角を上げた。
クウガ「…俺の名前は…クウガ。
お前らが言う所の、"神"だ」
リア「神……」
横でリアが、ポツリとそう呟くのが聞こえた。
その声は、今まで聞いたことのないくらい掠れていた。
──神。
その一言が、部屋の空気を一段階、重くしたように感じた。
クウガ「俺はお前ら二人……いや、正確には、
お前らが持つ「例外」に用があってきた」
例外。
それ以外に、私に関わる理由なんてあるはずもない。
クウガ「俺は神なだけあって強い。
全世界の歴史を辿ろうが、俺より強いやつはいないほどにな」
少女は、少年のような口調でそう語る。
その言い草に、傲慢さも気負いもない。
ただの事実を並べるような、あまりにも平坦な声音だった。
クウガ「だからこそ俺は──俺と対等に戦える"強者"を求めている」
理解が追いつかない。
いや、言葉としては分かる。
理屈としてもわかる。
強いやつと戦いたいというそういうキャラなのだろう。
だがその言葉には何処か違和感があった。
クウガ「そこでお前らを見つけた。
『例外』という力は──そもそもが世界の理から外れている固有能力の中でも、
さらにズレている異質な能力だ」
クウガと名乗った少女は、続ける。
クウガ「だが、戦いたいと思っても……お前ら二人は、あまりにも弱すぎた」
その言葉に、悔しさよりも先に、ただただ違和感だけが募っていく。
クウガ「だから、強くするために色々仕組んだ」
綾愛「……仕組んだ……っ!?まさか…」
クウガ「夢での干渉。
コンビニでの干渉。
お前ら二人の出会い。
能力者二人との戦闘。
琥珀を使った修行」
一つ、また一つと、少女は指折り数えるように語っていく。
クウガ「これら全部、俺が仕組んだことだ」
頭が真っ白になる。
出会いも。
戦いも。
修行も。
全部、この少女の掌の上だった、と。
クウガ「……だが1つ。サタンとかいう奴の介入は、想定外だった。
琥珀の庇護下の者が傷ついたのは、俺の落ち度だ。
そこは、俺も動く」
その言葉が脳に留まる
朱音さんの……あの言葉が、背中が何度も何度も頭の中で反響し、今でもフラッシュバックする。
クウガ「──だが」
クウガの声のトーンが変わる。
クウガ「綾愛とリア、お前ら二人には別のことを優先してもらう」
「……え?」
どっちが発したのか分からないほどに抜けた声だった。
クウガ「期間は来年の四月。
ちょうど、一年だ」
一年。
その単語の意味を、私はすぐには咀嚼できなかった。
クウガ「一年後、俺は──文字通り、全世界を消滅させる」
「────」
息が止まった。
クウガ「それを止めたければ、強くなれ。
俺と対等に戦えるだけの力を、その時までに手に入れろ」
あまりにも、あまりにも簡潔に。
まるで天気の話でもするかのように、この少女は世界の終わりを告げた。
クウガ「そして──」
クウガの視線が、部屋の隅に立つ琥珀さんへと向く。
クウガ「流れでわかるとは思うが、
琥珀には事前に説明済みだ。分からないことは琥珀に聞いてくれ」
琥珀「……っ」
琥珀さんが、気まずそうに視線を逸らした。
その反応だけで悪い夢を見ていたような感覚から、全部本当のことなのだと…
現実を叩きつけられたように感じた。
当然、理解なんて追いつかない。
綾愛「琥珀さん……」
縋るように、私は声を出す。
綾愛「琥珀さんは…強いんですよね?
だったら……どうにか……」
言い終えるより先に、琥珀さんは苦しそうに目を伏せた。
綾愛「……申し訳ありませんが…
私では、勝てません」
綾愛「そんな……」
琥珀「それに…あの人には……返しきれないほどの恩があります…あの人と敵対するのは……」
琥珀さんの声は、いつもの冷静さを保とうとしながらも、
明らかに震えていた。
琥珀「悪いとは、思っています。
ですが……できる限りのサポートはします。
それしか、今の私には言えません」
──サポート。
その言葉が、やけに空虚に響いた。
腹の底から、何かがせり上がってくるのを感じる。
怒り、だろうか。
いや、それだけじゃない。
リアに出会えて。
やっと、居場所ができたと思って。
なのにそれら全てがあの神の掌の上で、
前座でしかなくて、嫌な思いばかりさせられて。
朱音さんを傷つけられて。
そして今度は──
一年後に世界を壊すから、止めたければ強くなれ、だと。
ふざけるな。
綾愛「ふざけ、るな……」
声に出していた。
自分でも分かるくらい、震えていた。
身体の痛みなんて、もうどうでもよかった。
このまま飛び出して、目の前の"神"とやらに掴みかかってしまいそうな、
そんな衝動だけが渦を巻いていた。
その時。
パンッ。
乾いた音が、頬に響いた。
「……っ」
リアだった。
冷静になってください。
今ここで、怒りに任せてもどうにもなりません。
そう言おうとしているのだろう。
けれど、その言葉は出てこず、ただ真っ直ぐに私を見つめているだけだった。
止められた手は下ろす。
だけど、納得なんて欠片もできていなかった。
──そのとき、ふと、視界の端に映ったリアの手が、目に入った。
震えていた。
怒りなのか。
恐怖なのか。
それとも、その両方なのか。
私には、分からなかった。
クウガ「今日ここで俺が出来ることは終わった
あとは任せたぞ琥珀」
クウガはそう言って、
まるで最初から何もいなかったかのように、
音もなく消えた。
残されたのは、私と、リアと、琥珀さんの三人。
琥珀さんは、しばらく気まずそうに黙り込んだあと、
ようやく口を開いた。
琥珀「……とりあえず、今日は解散にしましょう」
その声は、いつもより少しだけ力なく聞こえた。
琥珀「今後の予定は、また明日お話しします。
……綾愛さんは、しばらく家に帰れないと思います」
綾愛「……」
琥珀「明日には、身体も動かせるようになると思いますので……
本格的に始める前に一度、ご挨拶に行かれることをお勧めします」
それだけ言うと、琥珀さんは私達と目を合わせないまま、
逃げるように部屋を出ていった。
部屋に、二人だけが残された。
綾愛「……ごめん」
私は、それだけ言った。
怒りに任せて、あんな風に取り乱してしまったことを。
リアは、少しだけ首を振った。
リア「……彼女は、おそらく本当に神です。
それも……私達とは、文字通り世界が違うレベルの」
いつもの軽やかな口調ではなかった。
リア「その神が、ああ言った以上……
おそらく、全部本当のことです」
琥珀「……うん」
リア「私たちが……なんとか、しなきゃ……私が……」
珍しく、リアの言葉が途切れる。
弱気な声だった。
これまで、どんな絶望的な状況でも軽口を叩いてきたリアが。
初めて見せた、弱さだった。
何も言えなかった。
私が持ってしまっている、この力。
その大きさに比べて──私はあまりにも小さくて、
世界のことを、何も知らなすぎる。
事の重大さに、リアだけを打ちひしがれさせてしまっている。
それが分かっているのに、何も言葉が出てこない。
リアが、ゆっくりと立ち上がる。
リア「……とりあえず、今日はもう寝ます。
……明日は、綾愛のご家族に挨拶しに行きましょうか」
綾愛「……うん」
リア「それじゃあ……
おやすみなさい」
そう言って、リアは部屋を出ていった。
その背中は、いつもと違って──
いつも通りの体つきのはずなのに、
それ以上に、ずっと小さく見えた。
その背中に、私は何も声をかけることができなかった。
横の棚に置かれたリンゴは、
リアが持ってきたときから、一つも減っていない。
時計は、23時を指していた。
何も出てこない無力感と、倦怠感だけに包まれて。
眠気なんて欠片もないまま、
私はベッドに倒れ込んだ。




