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メンヘラカリスマ  作者: 伊阪証


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破滅

人は、誰かに見られていることで安心する。 それがどれほど曖昧なものであっても、言葉による保証がなくとも、ただ「視線が向けられている」という事実だけで、人は自分がここにいていいのだと判断できる。だが、それが失われたと感じた瞬間、その判断は脆くも崩れ去る。

メンヘラと称される状態の本質とは、その崩れやすさが極端に露出してしまった姿に他ならない。それは決して特別な異常ではない。誰もが心の奥底に抱えているはずの不安が、抑えられずに表へ出ているだけなのだ。相手が少し目を逸らしただけで、己の全存在を否定されたように感じる。その恐怖を言葉で処理できないとき、人は不器用な行動によって世界を繋ぎ止めようとする。

泣き叫び、物に当たり、あるいはわざと相手を困窮させる状況を作り出す。 深夜に呼び出し、帰れない場所に留める。そうして相手を試す。 自分のために動くか、優先するか、それとも見捨てるか。確かめる術がそれしかないから、何度でも確かめる。相手の行動は微細にまで追われ、記録として残るものはすべて確認されるだろう。

それは傍目には「監視」に映る。だが、その目的は相手の制圧ではない。ただ「自分を見ていない時間」が、この世界に存在していないかを確かめたいだけなのだ。ほんの少しでも、自分以外の何かに意識が向いたと感じた瞬間、それは耐え難い拒絶へと変貌する。だからこそ、その嫉妬には際限がない。

この行動の根にあるのは、純粋なまでの不安だ。自分がここにいていいのか。価値があるのか。愛されているのか。自分の中に絶対的な基準を持たないがゆえに、他人の視線という外部の評価にすべてを委ねるしかない。だからこそ「最優先であること」を過剰に求める。この矛盾が、不機嫌や沈黙、破壊といった態度となって表出し、結果として他人の自由を奪っていく。これは意図的な支配ではない。ただ、己の不安を埋めようともがいた結果として、他者の選択肢が削ぎ落とされていくだけの状態なのだ。

そして、この不安定な精神が描く軌跡は、その性質の組み合わせによって異なる形を成す。 「意識が内へ籠もるか、外へ出るか」、そして「自分を肯定できるか、否か」。 この二つの軸が交差する地点によって、現れる振る舞いは劇的に変化する。

内へ籠もりながら自己愛に囚われる者は、その不器用さゆえに周囲から「わがまま」だと疎まれるだろう。だが、意識を外へと向け、なおかつその己の衝動を露ほども疑わない者は、周囲を強烈に巻き込む力を持つ。自分を中心に据え、状況を思うままに動かしていくその力は、単なる自己中心を超え、他者を惹きつけ熱狂させる「カリスマ」としての輝きを放ち始めるのだ。

どちらも根底にあるのは、同じ空虚な不安だ。ただ、その処理の方向が違うに過ぎない。 その歪みが極端に固定されたとき、周囲との関係は確かに歪むだろう。しかし、その歪みは必ずしも「弱さ」としてだけ現れるわけではない。外へと向かうそのエネルギーが、圧倒的な意志として放たれたとき、それは人を、そして状況を動かす抗いがたい力へと昇華されるのである。

西に海を、東に峻険な山脈を戴くレオヴァルド王国。 この国は、大侵略の結果として生まれたのではない。侵略され得る地政学的宿命の中にあり続けたがゆえに、決して壊れぬよう、防衛と流通を同時に育て上げることで組み上がった国家である。

中央を貫く大河は豊かな平野を潤し、三圃制に近い輪作が黄金色の小麦と大麦を実らせる。北部の丘陵地帯は屈強な兵と軍馬を供給する牧畜の要所であり、南の沿岸部は交易と果樹、そして貴重な薬草をもたらす。王都に付随する港湾施設は、外海と内陸を結ぶ大動脈として機能し、税関と倉庫、そして巨大な船を修繕するドックが並ぶ。 鉄加工から毛織物、船材にいたるまで、この国には軍需と生活を支える確かな工業力が根付いている。ここは、ただの幻想に支えられた国ではない。食料と土地、そして兵站の積み重ねで生きている、地に足のついた王国であった。

この国において、王位継承の根幹は血縁の正統性にある。 だが、歴代の王子には厳格な軍役義務があり、常に消耗の危機に晒されてきた。一方で、医学と社会運用の歴史は、女王の方が政体の安定と寿命の面で有利であることを証明している。ゆえに、この国では正統なる血統の中でも、長女が次の王として選ばれることが、最も合理的で有力な選択と見なされてきた。

その制度と血脈の頂点に、彼女は立っていた。

既に示された通り、この国において王とは、ただ血を継ぐ者ではない。

地を維持し、人を束ね、選択を誤らないだけの強さを持つ者だ。

その条件に照らせば、結論は出ている。

現王位継承者、第一位。第一王女。

血統に不足はない。

正統は揺らがず、異論も挟まれない。

育成も順調であり、学問、統治、対人、そのいずれにおいても欠落は見られなかった。

求められるものは、すでに揃っている。

それを満たしているかどうかを問う段階は、とうに過ぎていた。

誰が見ても明らかだった。

次に冠を戴く者は、彼女以外に存在しない。

それは予測ではない。

前提だ。

ゆえにこの継承は順風満帆であり、

この国にとってもまた、これ以上なく整えられた、最高の船出となるはずだった。

第一王女。 彼女は、王としての血を備えている。血統は純潔であり、制度もまた彼女を支持している。何より、彼女には王としての天賦の才があった。冷徹な判断力、淀みない処理能力。そして、他者の瞳を射抜き、その判断を狂わせるほどに強い「視線の圧力」を持っていた。 彼女が怒れば、騎士たちは理屈を捨てて剣を振るい、彼女が悲しめば、臣下たちは己の生活を削ってでもその空隙を埋めようとする。魔法も奇跡も存在しないこの世界で、彼女の感情が放つ強い作用は、一人ひとりの人間を動かし、状況を支配する「力」そのものであった。

誰もが、彼女こそが完璧な王になると信じて疑わなかった。

だが、王弟である王子だけは、その完成された姿に潜む決定的な「ズレ」を凝視していた。 王子は、制度と兵站、規格と配置を重んじる、合理の徒である。だからこそ、姉の中に潜む「違和感」を、本能的に、あるいは論理的に察知していた。

彼女は、王としてあまりに優秀でありながら、この国の歴史と文化が育んできた王族としての「自然さ」を、どこか欠落させている。その感情の振れ幅、他者の視線に対する異常なまでの飢餓感は、この国の王として育った者としては、あまりに異質な、説明のつかない「ズレ」であった。

別人だと断ずる証拠はない。しかし、彼女が玉座に座ることは、この堅固な王国の機構に、全く別の「何か」を組み込むことに等しいのではないか。

彼女は王としての血を備えて尚、王としての血を通わせない。 彼女は違うのだ、中身が。

異論はなく、反対も成立しない。 動かす理由がない以上、その予定は動かない。 この強固な国家構造において、彼女の即位は、明日の日の出と同じほどに確実な既定路線であった。

……それでも、その前提は揺るぎないはずだった。 だからこそ、動かす「必要」はなかったのだ。

静寂と、死角の多い「夜」が選ばれる。 王城を出るための名目は、祈りでも視察でも、適当なものを並べれば事足りた。必要なのは、人の動きが減り、監視の視線が薄くなる時間帯だけ。

兵の配置は変えない。変えたように見せない。 いつも通りの人数。いつも通りの距離。 だが、目に見えない一点において、逃走の経路はすでに繋がっていた。

「印」は、正しかった。 王族の通行を許可する実務用の印章が、関所を開かせ、厩から馬を引き出させる。提示された権限に偽りがない以上、門番も衛兵も、誰一人として行く手を阻まない。 疑いを持たれぬまま、彼女を乗せた隊列は外へと出る。

途中で何かが起きたのだと、後に説明できるだけの形が整えられる。 それで十分だった。 事態に気付いた時には、すでに引き返す理由は消滅している。 護衛の陣は内側から崩され、隊列は割れる。 悲鳴が上がる隙も与えられないまま、周囲から人影だけが消えていく。

判断に、時間はかからない。 一人の影が、彼女へ近づく。 確認、あるいは報告――そんな偽りの理由を纏い、手が届く距離にまで潜り込む。

そのまま、彼女は落ちる。 音は出ない。 細い喉が抑え込まれ、息だけが止まる。 それでも、事態は終わらない。

残された者たちが動く。 王女を制圧するために、冷徹な力が振るわれる。 逃がさないためのその行動は、決して優しくはない。

そこで初めて、現象は形を成す。 これは、誘拐だと。

だが、それでも流れは止まらない。 偽りなき「印」が、夜道を通す。 正当な権限が、追っ手の道を塞ぐ。 組織的な連携が、追跡を致命的に遅らせる。

夜が明け、王都に残されたのは、残酷なまでに簡潔な結果だけだった。

第一王女、行方不明。 理由はなく、証拠もない。 ただ、消えた。

彼女は王としての血を備えて尚、王としての血を通わせない。 この国の、誰よりも。

ああ、なんということか、彼女は王としては完璧過ぎたのだ。

それが疎まれて当然ということも省みれない程に、完璧であったのだ。



王都は、騒がしくならないように騒がしくなる。 門は閉じられ、しかしすぐに開かれる。河は監視され、それでも船は通される。関所は検分を厳しくしながら、同時に物流の滞りを作らない。

第一王女、行方不明。 言葉はそれだけで足りた。理由は要らない。証明も要らない。必要なのは、国が動いているという形だけだった。

捜索は始まる。だが、進展はない。 見つからないのではない。見つかるべき「流れ」そのものが存在しないのだ。 提示された印は正しく、経路もまた正当な手続きに従っている。ゆえに、記録上は「途中で消えた」としか説明がつかない。それで、すべては終わるはずだった。

外に出ることはできない。出れば、誰かに見られる。見られれば、網の目に繋がる。 だから、彼女は動かない。場所を変えず、名を使わず、ただ存在だけを保つ。潜伏に、それ以上の策は要らなかった。

それでも、一人だけがそこに辿り着く。 探したのではない。その「消し方」を知っているだけだ。 完璧な流通の流れの中で、不自然に止まる点。通っているはずの印が、どこにも記録を残さない空白の箇所。 そこに、彼女はいた。

扉を押し開けた瞬間、間に合っていると判断した。 室内は荒らされているが、その崩れ方は浅い。長く続いた争いの跡ではない。床に一人、横向きに倒れている。近づく前から分かった。喉元に残る圧迫の痕――刃は使われていない。極めて近い間合いから、一息に落とされている。

奥に視線を移す。男たちに押さえつけられている。人数は多い。まだ終わっていない。

踏み込む。間合いに入る。 振り向く前の一人を切り落とし、次の一手の腕を払って体勢を崩す。残りの数人が距離を取る。追いはしない。ここで数を減らすことに、戦術的な意味はなかった。

腕を掴んで引き剥がす。軽い。力が入っていない。顔を上げさせる。 第一王女。意識は浅いが、生きている。

周囲に目を走らせる。足元に袋があった。中身をぶちまける。 関所の通行札、厩の貸与札、経路を記した紙。順に並べる必要はない。印面だけを見ればいい。すべて同じ系統の印が通っている。摩耗の仕方も揃っている。偽造ならどこかで必ず「外れる」はずだ。これは、正規の手続きとして通して使われている。

内側だ、と頭の中で結論が固まる。 自作自演では計算が合わない。人数も、手続きの流れも、余りに「通りすぎて」いる。王の命でもない。あの人は、このような汚い使い方はしない。

残る結論は、一つだけだ。王族の誰かが、自らの権限を私的に動かした。

声に出す必要はなかったが、短く言葉を落とす。 「内だ」 横で同じものを見ていた男が、一言だけ返す。 「触るな」

それで十分だった。 ここで声を上げれば、城が先に動く。城が動けば、真相は隠れない。今このまま姉を戻せば、次の機会はない。

拾ったものは元に戻す。余計な痕跡は残さない。 彼女を運び出す。誰も追わない。追えるはずがない。

見つけたが、戻さない。 それで、合意はできている。

「殺してしまった」 縋りつく指が、王子の外套を強く掴む。 彼女は泣き叫んでいた。助けられた安堵ではない。自分が奪った命への、あるいは完璧であったはずの自分を汚してしまったことへの、猛烈な自責。 「どうしよう、殺したの。私、殺しちゃった。怒ってる? 嫌いになった?」 王女の体には、凄惨な暴行の痕が残っている。衣服は裂け、肌は紫に腫れ上がっている。だが彼女は、自身の損壊には一顧だにしない。ただ、目の前の王子が自分をどう評価するか、その一点にのみ全意識を傾け、許しを請うように泣きつく。

王子はその姿に、剥き出しの異常性を認めた。 これほどの暴力を受けながら、なお「自分がしでかした事」を反省し、他者の視線を繋ぎ止めようともがく精神。彼女にとっての生存とは、呼吸することではなく、誰かの最優先であり続けることなのだ。 その負の熱量は、間違いなく人を動かす力になる。同時に、扱いを誤れば国を焼き尽くす毒にもなる。

今はまだ、城に戻すわけにはいかない。 「……いい。あれは死んで当然の男だ」 短く、彼女の不安を断ち切るように告げる。 今、この脆くも強烈な情緒をどう扱うべきか。判断を下すには、まだ材料が足りない。もう少し、この歪みがどこへ向かうのかを見届ける必要がある。

王子は、自らの軍役時代に深く関わりのあった場所を頼ることに決める。 王族の威光が通じず、宗教的な規律と死生観に支配された騎士団。 世俗の感情から切り離されたそこであれば、彼女を「一人の人間」として、あるいは「観察対象」として、安全に隔離できる。

それは救出ではない。 彼女という劇薬を、最適な環境で観察するための配置換えに過ぎない。

名は使わせない。 だが、その情緒が何を生むのか。 王子は、彼女を檻へと送り出した。

王子は見つけても、彼女を連れ戻さない。ただ、確認だけを行う。 ここにいるか。動く気はあるか。 それだけで終わる。

その後に、王子は別の話をする。 騎士団は王に従わない。彼らが従うのは宗教だ。だからこそ、彼は姉をそこに預ける。 「命令」として、以下の条件を渡す。

一、王女が騎士団を乗っ取る等の行為を見せた場合、騎士団各個人の判断で殺害しても良い。 一、王女がその名を用いて豪遊や贅沢を望んだ場合、即座に斬り殺せ。 一、病の治療は、最低限の薬にのみ制限する。 一、王女の存在が露呈しそうになった場合、殺害に先立ち逃亡を画策せよ。それが不可能であるならば、速やかに始末せよ。

王子は、活動のための最低限の金銭を支援する。それは食費や薬代のみならず、足のつかない工作費のためでもある。だが、これらに関する逐次の報告を怠った場合、王子は近衛を用いて騎士団そのものを解散させる。

条件はそれだけだ。 従わせるためではない。彼女を、王族というシステムから外させないための檻。 名は使わない。使わせない。 それでも、彼女が「王」として残るかどうか。 王子にとっては、それで十分だった。

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