File① 返品不可の同行者
朝。
まだ夜の冷気が石畳に沈んでいる、王都街道の入口。
カイは壁にもたれ、組んだ腕の隙間に顔を埋めるようにして、欠伸を噛み殺していた。
「……遅ぇな。あの理屈の塊。計算ずくの行動はどうしたんだよ」
風が一陣、乾いた音を立てて街道を吹き抜ける。
背後に気配を感じて振り向いたカイは、その瞬間、目を見開いて硬直した。
視界に入ってきたのは――。
完璧にプレスされたアエリスの黒い研究員制服。
首元で鈍く光る金の装飾。
そして、これから戦場にでも赴くのかと言わんばかりの、無駄に高い威圧感を放つ男。
マリユスだった。
「待たせたな。出発の準備は完了した」
「……いや待て待て待て待て。ストップ。脳が処理を拒否してんだけど」
カイは二度見、三度見、ついでに自分の頬を抓って現実を疑った。
「お前、アエリス辞めたんじゃなかったのか? 退職届、クリスに叩きつけてきたんだろ?」
「そうだ。受理されたことも確認済みだ」
「じゃあ何でその制服着てんだよ!?」
一拍の間。
マリユスは、自らの服装を点検するように見下ろしてから、事も無げに言った。
「これしか持っていない」
真顔だった。
一点の曇りもない、純度百パーセントの理詰めの顔だった。
カイは天を仰ぎ、そのまま頭を抱えた。
「はぁああああああーーー!? お前、給料全部何に突っ込んでたんだよ!!」
「機材と、研究資料だ。衣服に割くリソースは、この一着で最適化されていた」
「目立ちすぎんだろ!! 国のシンボル背負って歩いてんのは、背中に標的描いてるのと同じなんだぞ!? 追っ手が来たらどうすんだよ!」
「合理的だ。アエリスの支給品は最高級の素材を使用している。丈夫で機能的、耐火性も高く、収納ポケットの数も計算し尽くされている」
「合理の方向が致命的に間違えてる!! 社会的抹殺を回避しろ!!」
マリユスは軽く袖を払い、凛とした佇まいで一歩踏み出す。
無駄に様になっているのが、余計に腹立たしい。
「問題ない。今の私はただの無職だ。誰も私を追っていない」
「追われる前に職質されるわ! マジでやめろ。わけわからん理屈より一般常識を重視しろ!」
カイは額を押さえてうずくまった。
「ダメだ、こいつはそのうち捕まる。いや、横にいる俺が共犯で捕まる。……未来が見える。最悪の未来だ」
そして、すっと立ち上がると、マリユスの襟首を掴んで強引に引きずった。
「行くぞ」
「どこにだ。北西の方角へ進むべきだが」
「服屋だ!! お前のその『賢すぎる見た目』を今すぐデグレードさせる!」
数分後。
街の片隅にある服屋。
カイは棚から適当な布の塊を引っ掴み、マリユスの胸元に叩きつけた。
「ほら! これ! どこにでもいる、ちょっとうだつの上がらない旅人っぽいやつ!」
「却下だ」
「はやっ!? コンマ一秒で断るなよ!」
「布の質が粗い。肌との摩擦係数が高く、長時間の歩行においてエネルギー効率を著しく低下させる。あと、色が非効率だ」
「何に対しての効率なんだよ!! 背景との同化率か!?」
次。
「じゃあこれ! シンプルで動きやすい、標準的な冒険者スタイル!」
「却下だ。ポケットが少なすぎる。予備の試薬と記録端末の収納場所が確保できない」
「お前、どんだけ荷物持ち歩く気だよ! 旅は軽量化が鉄則だっての!」
さらに次。
「これならどうだ。目立たない、軽い、そして圧倒的に安い!」
マリユスは指先で布を摘まみ、不快そうに目を細めた。
「安いというのは、品質の低さを数値化した指標に過ぎない。強度が不足している。私の生存確率を低価格で妥協させる気か」
「いや今回はそれでいいんだよ!! 汚して捨てるくらいで丁度いいんだって!」
カイは頭を抱え、店内の柱に額を打ち付けた。
「なんで俺がこんなに苦労してんだ……。親にすら服選んだことねぇのに……」
ふと、マリユスが自ら一つの棚へ歩み寄った。
地味な深い紺色の外套と、丈夫そうな革のパンツ。
落ち着いた色合いだが、仕立てはしっかりしている。
「これはどうだ。繊維の密度、染色技術、そして機動性。私の美学と計算に、最低限抵触しない」
カイは目を細めて、その組み合わせを見た。
「……お前が選ぶと、急に“正解っぽい”のなんなんだよ。腹立つな」
「合理的判断の積み重ねだ。当然の結果と言える」
「くっそ、その自信満々なツラ、いつか絶対泥水に突っ込んでやる……!」
試着。
カーテンが勢いよく開く。
そこには――。
“異様に顔面の整った、神秘的な雰囲気の漂う旅人マリユス”がいた。
店内に居合わせた客や店主の動きが、一瞬、完全に止まる。
カイは無言で顔を覆い、膝から崩れ落ちた。
「……なんでだよ。ふざけんなよ」
「何がだ。関節の可動域も確保されている。合格点だ」
「なんで普通に似合うんだよ……! もっとこう、ダサくなって『俺の方がマシだな』って思わせろよ!」
「当然だ。人体比率と布のドレープ、光の反射によるシルエットの最適解を選択した」
「説明がいちいちムカつくんだよ、お前は!!」
カイはふと思いつき、邪悪な笑みを浮かべた。
「……じゃあ逆に、俺の服着てみろよ。お前が一番嫌いそうな、ラフなやつ」
ニヤリと笑って取り出したのは、あちこちに補強パッチが当たり、使い込まれてクタクタになった戦闘寄りのジャケット。
マリユスはそれを受け取り、指先だけで、まるで汚物を扱うようにじっと見つめた。
そして。
「却下だ」
「着てもいねぇだろ! 袖くらい通せ!」
「思想が合わない」
「服に思想とか持ち込むなよ! 布だぞ、ただの!」
「私の美学に反する。……この服からは、生存への執着こそ感じるが、美しき調和の意志を感じない」
「出たよ、美学!!」
カイは叫んだ。
「いいか!? 旅ってのはな! 泥にまみれて、多少ダサくても、みっともなくても、生き延びるのが一番大事なんだよ! 綺麗事じゃ腹は膨らまねぇんだ!」
マリユスは静かに、黄金色の瞳をカイに向けた。
「……美しくない生存に、意味はない。私は、私の選んだ形のまま、彼女が望んだ『マリユス』として完成していたい」
一瞬の静寂。
冗談を言っている雰囲気ではなかった。
店主すら、その気迫に息を呑んでいる。
カイはゆっくりと顔を上げ、鼻を鳴らした。
「……ああ、そうかよ。頑固な理屈屋だぜ」
そして、ニヤッと笑う。
「じゃあその美学、野宿で凍えながら震えてる時も守ってみろよ。俺は横でぬくぬくと寝てやるからな」
「問題ない。低体温症に陥らないための熱量計算は、既に済ませてある」
「なんの計算だよ!!」
服の問題が、どうにか片付いた――ように見えた、その時だった。
カイはふと、マリユスの腰回りを見て眉をひそめた。
「……なあ、お前」
「なんだ」
「武器は?」
「武器?」
マリユスは、まるで初めて聞く概念のように首を傾げた。
カイの嫌な予感が、静かに膨らんでいく。
「お前、何か武器使えんのか?」
「普段使用していた魔道具ならある」
「お、あるのか。何だよ」
マリユスは懐から、鈍い金色の懐中時計を取り出した。
細密な術式が刻まれたそれは、たしかにただの時計ではない。見る者が見れば、相当な魔道具だと分かる代物だった。
「位相計測と演算補助を兼ねた魔道具だ。魔力の流れ、空間の歪み、術式の揺らぎを測定できる」
「で、殴れるのか?」
「殴るものではない」
「斬れるのか?」
「斬るものでもない」
「投げたら戻ってくるのか?」
「投げるものではない」
「じゃあ武器じゃねぇだろ!!」
カイの声が、店内に響いた。
「お前な、旅に出るんだぞ!? 街道には盗賊も魔物も出るんだぞ!? いざって時に時計見て『今、死にます』って計測してどうすんだよ!」
「死の直前に得られる観測データには価値がある」
「お前の人生観、旅に向いてなさすぎるんだよ!!」
カイは額を押さえながら、服屋の隅に置かれていた旅用品の棚へ向かった。
「仕方ねぇ。何か買え。短剣でも、護身用の杖でも、せめてナイフでもいい」
「不要だ」
「不要じゃない! 俺が必要なんだよ! お前を守る俺の胃袋のために!」
カイは棚から短剣を一本取り出し、マリユスに差し出した。
「これ。軽いし、扱いやすい。護身用には十分だろ」
マリユスは受け取る前に、じっと刃を見つめた。
「却下だ」
「またかよ!!」
「刃物は日常的な手入れが必要だ。研磨、油分管理、錆への対策。旅の荷物としては維持コストが高い」
「命より維持コストを優先すんな!」
カイが完全に疲れ切った顔になった、その時。
マリユスが、ふと文具の並ぶ小さな棚に視線を止めた。
「……あれならいい」
「は?」
マリユスが指さした先にあったのは、一本のペンだった。
黒い軸に、控えめな金の装飾が入った、細身のペン。
「いやいやいやいや。待て待て待て。俺は今、武器の話をしてんだぞ?」
「分かっている」
「分かってないだろ。どう見ても筆記具だろうが」
「記録は武器だ」
マリユスは真顔で言った。
「観測し、分析し、記述する。現象を正確に言語化できれば、状況の支配権はこちらに移る」
「敵が待ってくれる前提で話すな!」
「また、先端部の角度が良い。急所を突けば、理論上は護身にも使える」
「理論上で人を安心させようとするな!」
「加えて軽量、維持コストも低く、携帯性に優れている。服の内ポケットにも収まる。私の美学にも抵触しない」
「美学の審査だけは通るのかよ……」
カイは頭を抱えた。
だが、もう言い争う気力もなかった。
「……分かった。買え。もうそれでいい。せめて何も持ってないよりはマシだ」
「賢明な判断だ」
「お前に言われると腹立つな……!」
こうして、マリユスの旅装備は決定した。
自分で選んだ、やたら完成度の高い「正解」の旅服。
位相計測用の懐中時計。
そして、なぜか武器扱いになった一本のペン。
カイは会計を済ませながら、店主に小声で呟いた。
「……すみません。あいつ、返品できませんか」
店主は困ったように笑った。
「服ですか?」
「いや、本体です」
店を出る二人。
カイは首を回して、街道の先を見据えた。
「……さて。行きますか」
「ああ。目的地への最短経路を算出する」
「お前と二人とか、絶対ロクなことにならねぇな」
「同意する」
「同意すんなよ!! そこは否定しろ!!」
昇り始めた朝日が、二人の背中を長く伸ばす。
ひとりは理屈で世界を測り、その美学を守るために。
ひとりは直感でそれを蹴飛ばし、友を前に進ませるために。
そして、その先にいるはずの誰かを探して。
奇妙で、不確定要素だらけの旅が、いま始まった。




