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【完結】この世界は64回で終わる  作者: あめのみなづき
第四部 最後の観測者
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第59周 起源の証明

開放された中枢の最奥は、眩い白に包まれていた。

そこは、情報の海ですらなかった。


光の粒子が、まるで呼吸するように明滅している。

純粋な無。

まだ何ものにも定義されていない、可能性だけが漂う空間。


その中心に、一本の巨大な光の柱があった。


円環の心臓部。

すべての履歴がそこから生まれ、そこへ還り、そして何度も選別されてきた場所だった。


「……ここが、すべての始まり」


ミーティアが呟く。


彼女がその柱へ触れようとした瞬間、マリユスの胸元に揺れていた位相鉤――ペンダントが、かつてないほど強烈な輝きを放った。


「同調、開始」


マリユスの声が、空間そのものと共鳴する。


次の瞬間、六人の視界が弾けた。

天文学的な量の全ログが、濁流となって意識の中へ流れ込んでくる。


それは、数千年前の、ある絶望の記録だった。


滅びゆく世界を前に、ひとりの観測者がいた。

名は、アステリオス。彼は世界を愛していた。

愛していたからこそ、滅びという確定した未来を拒絶し、時間を閉じた箱へ封じ込める円環を構築した。


だが、システムを完成させる間際、彼は気づいてしまった。

固定された世界に、本当の命は宿らない。


円環を維持するためには、人々の自由意志を削り、予測可能な記号へと変えなければならない。

祈りも、怒りも、愛も、選択も。

すべてを収束させ、圧縮し、安定した履歴へ押し込めなければならない。


それは、世界を救うことではない。

世界を、限りなく美しい標本へ変えることだった。



 ログが切り替わる。


アステリオスは、円環中枢の前に立っていた。


その瞳には、もう太陽のように輝いていた光はない。

研究者の冷徹さもない。


世界を救いたいという願いと、自分が選ぼうとしている方法への嫌悪だけが、同じ深さで沈んでいた。


彼が行ったのは、自身の脳内ネットワークを二つの周波数へ強制分離する作業だった。


一つは、世界の維持に最適化された管理者の核。

ファエトン・コア。


感情、衝動、不確定な記憶。

演算を乱すすべてのノイズを切り捨て、純粋な論理演算と世界維持の最適解だけを抽出した、デジタル・アーカイブ。


数千年の演算に耐えられるよう、個としての自我を殺し、システムの一部として最適化されたもの。

それが、のちにマリユスへと連なる観測核だった。


そして、もう一つ。


彼が最後まで捨てきれなかった、人間としての迷い。

自由への渇望。

後悔。

痛み。

そして、自ら作った円環を壊したいという反逆心。


アーロンパルス。


システムが予測不能として排斥した、アステリオスの情動そのもの。

円環の正解から零れ落ちた、自由意志の余白。


これを情報の「余白」として量子空間に放流し、

数千年の時を経て、物理的な肉体へと再構成(出力)されるようプログラムした。


だが、その二つの意志が同時期に存在し、出会う可能性は、限りなくゼロに近かった。

アステリオスは演算を走らせる。

総人口仮定、年数の仮定。ファエトン活動可能期間の仮定。

相互の精神同期成功率の仮定。1回の循環で終端に辿り着ける可能性。


空間に、冷たい文字列が浮かび上がる。



PREDICTED TERMINAL CONVERGENCE

CORE_OBSERVER : PHAETHON / MARIUS

FREE_WILL_ANOMALY : AARON_PULSE

EXPECTED CONTACT RATE : 0.0015%


TERMINAL REACHABILITY : NEAR ZERO

STATUS : NON-DETERMINISTIC



クリスティーナが、息を呑む。


「……ほぼ、ゼロじゃない」


その声は、震えていた。


マリユスは無言のまま、浮かび上がる数値を見つめている。

アーロンもまた、身体の奥が冷えていくのを感じていた。


自分とマリユスが出会うこと。

共に中枢へ辿り着くこと。

円環の終端条件を満たすこと。


それは、最初から約束された運命ではなかった。

むしろ、起こるはずのない奇跡に近かった。


場面は、次のログへ切り替わる。


若き日のセラフィウス。

そして、苦悩に歪むアステリオスの姿。


「……本当に、これしか道はないのか」


セラフィウスが、構築された円環を見上げ、呻くように問う。


「時間を閉じ込め、可能性を間引く。それは世界を救うことではなく、世界を標本に変えることではないのか、アステリオス」


アステリオスは、力なく笑った。


「分かっている」


その声は、ひどく乾いていた。


「分かっているから、私は私を二つに分ける。世界を維持するための核と、世界を壊すための余白に」


「そんなものが、本当に出会うと思っているのか」


セラフィウスは、怒りを抑えきれない声で言った。


「観測核と自由意志の残滓が、同じ終端へ到達する確率など……」


アステリオスの指先が、コンソールを滑る。

そこに表示された数値を見て、セラフィウスの表情が凍った。


TERMINAL CONVERGENCE RATE : 0.0015%


「……ゼロに等しい」


「だが、ゼロではない」


アステリオスが言った。

その一言に、セラフィウスの瞳が揺れる。


「君は、その数字に世界を賭けるのか」


「違う」


アステリオスは、セラフィウスを見る。


「私だけでは足りない」


沈黙。


セラフィウスは、その言葉の意味を悟った。


「……僕を使うつもりか」


「違う」


アステリオスは、苦しげに首を振る。


「頼むつもりだった」


セラフィウスは、何も言えなかった。


アステリオスは続ける。


「私は自分を二つのデータとして分離する。だから、最後まで世界を私個人として見届けることはできない。

ファエトン・コアは世界を維持し、アーロンパルスは世界を壊すために放たれる」


彼の声が、少しだけ震えた。


「だが、その二つが出会うためには、座標が必要だ。確率を拾い続ける、生きた目印が」


セラフィウスの顔色が、変わっていく。


「まさか」


「君の生体データを、円環の基底ログへ組み込みたい」


アステリオスは言った。


「記憶ではない。記録でもない。君という人間の、揺らぎそのものを」


「……それをすれば、僕はどうなる」


「円環は君を完全には初期化できなくなる」


アステリオスは、目を伏せた。


「君は何度も再構成される。記憶は欠け、人格は揺らぎ、同じ肉体ではいられない。それでも、核の部分だけが残り続ける。

アーロンパルスとファエトン・コアが同じ時代へ接近した瞬間を、君は拾い上げられるかもしれない」


「かもしれない、だと?」


セラフィウスの声が低くなる。


「それで、確率はどこまで上がる」


アステリオスは、答えなかった。

代わりに、コンソールへ数式を走らせる。


生体データを仮接続し、円環内の位相補正モデルを走らせる。

数値が、変化した。


EXTERNAL BIO-ANCHOR : SERAPHIUS

INTERFERENCE TYPE : PHASE MEMORY / ROYAL BLOODLINE / EMOTIONAL RESIDUE


CORRECTION APPLIED : +8%

TERMINAL CONVERGENCE RATE : 8.0015%


STATUS : POSSIBLE

REACHABILITY : LOW


セラフィウスは、その数値を見つめた。


「……64回繰り返されるなら、99.5%」


「ああ」


セラフィウスは、長く沈黙した。


その表情には怒りがあった。

恐怖もあった。

そして、理解してしまった者だけが抱く、逃げ場のない覚悟があった。


「君はいつもそうだ」


セラフィウスが呟く。


「正しいことを、最も残酷な形で提示する」


「断ってくれ」


アステリオスが言った。

それは命令ではなかった。懇願だった。


「君が断れば、この案は捨てる。私は別の方法を探す」


「嘘だな」


セラフィウスは、静かに言った。


「別の方法など、もう残っていない顔をしている」


アステリオスは、答えなかった。

セラフィウスは、ゆっくりと円環の中枢へ近づいた。


「なら、僕が決める」


「セラフィウス」


「君に使われるんじゃない」


セラフィウスは、アステリオスを振り返る。


その瞳には、涙が浮かんでいた。

だが、その奥には揺るがない意志があった。


「僕が、自分で選ぶ」


アステリオスの息が止まる。


「僕は観測者にはなれなかった。君のように感情を切り離すこともできない。世界を正しく見ることもできない」


セラフィウスは、自嘲するように笑った。


「だが、だからこそ、こぼれ落ちる可能性を覚えていられる。誰かを特別に思うことを、捨てられないままでいられる」


彼は、自らの手を中枢へかざした。


「君が作るのが完璧な牢獄なら、僕はその中に、ほんのわずかな傷を残す。いつか、自由意志がそこから入ってこられるように」


「やめろ、セラフィウス」


アステリオスが初めて取り乱した。


「これは呪いだ。君は、終われなくなる」


「それでも」


セラフィウスは答えた。


「誰も覚えていない可能性を、誰か一人くらい覚えていなければならない」


そして、彼は自らの生体データを、円環へ差し出した。


 血液情報。

 神経波形。

 記憶の残響。

 王家の系譜。

 感情の揺らぎ。

 そして、誰かを救いたいという執着。


それらが、円環の基底ログへ焼き付けられていく。



BIO-ANCHOR REGISTRATION : ACCEPTED

SUBJECT : SERAPHIUS

ROLE : PROBABILITY CORRECTION / TERMINAL GUIDE / PHASE MEMORY CARRIER


TERMINAL CONVERGENCE RATE : 8.0015%

TATUS : POSSIBLE

REACHABILITY : LOW

NOTE : FREE WILL VARIABLE PRESERVED


アステリオスが、呆然とセラフィウスを見る。


「なぜだ」


「君だけに背負わせるのが、腹立たしいからだ」


セラフィウスは、いつものように口の悪い笑みを浮かべようとした。

けれど、うまく笑えなかった。


「それに、僕は君を正しいとは思っていない。だから見届ける。君が間違えたことも、その間違いの中に残した希望も」


アステリオスの瞳が、揺れる。


「すまない」


「謝るな」


セラフィウスは低く言った。


「謝れば、僕が許さなければならなくなる」


その言葉に、アステリオスは何も返せなかった。


そして、アステリオスは最後のコマンドへ手を伸ばす。

セラフィウスは、もう止めなかった。


ただ、見届けた。

アステリオスが、人間としての自分へ別れを告げる瞬間を。


「さらばだ、私」


アステリオスが呟く。


「さらばだ、人間としての私よ」


最後のアクション・コマンドが実行される。

画面には、アステリオスの脳波が二つの異なる波形に分かたれていくグラフが表示された。


一つは、限りなく平坦で強固な直線。

ファエトン・コア。


一つは、激しく上下に揺れ、やがて画面から消えていく散布図。

アーロンパルス。


その二つの波形のあいだに、かすかに第三の線が走った。

セラフィウスの生体アンカー。


二つが完全に離れ切らないように。

けれど、決して固定もしないように。

ほんのわずかな揺らぎを保ち続ける、細い、細い補助線。


その線は、あまりにも頼りなかった。


だが、消えなかった。



そこで、ログは途絶えた。

白い中枢に、現在の六人が戻ってくる。


「……そんな」


クリスティーナが、震える声でログを読み解いた。


「アーロン。あなたがアステリオスに似ているのは……当然だったのよ」


アーロンは、立ち尽くしていた。

流れてくる情報の断片が、自分の本質を形作っていく。


アステリオスが円環を構築する際、いつか円環を破壊するための刃として、自ら切り離し、システムの外側へ放り出したもの。


彼自身の魂の欠片。


自由への渇望。

後悔。

そして、円環を壊したいという祈り。


それこそが、観測者でありながらどこにも固定されない余白――アーロンの正体だった。


「僕は……彼の一部だったのか」


アーロンが、自らの手を見つめる。


アステリオスが捨てた弱さ。

同時に、最後まで捨てきれなかった希望。


円環という巨大な虚構を内側から食い破るために用意された、唯一の方法。


 「……違う」


アーロンはふと顔を上げた。その声は小さかった。

だが、確かにそう言った。


「僕は、彼の一部だったかもしれない。でも、それだけじゃない」


アーロンは、マリユスを見る。

次に、ミーティア、カイ、クリスティーナ、セラフィウスを見る。


「ここまで選んできたのは、僕だ」


静かな言葉だった。


「彼が用意した確率を、僕たちが歩いてきた。だから、僕は彼の残骸じゃない」


アーロンは、自分の胸に手を当てる。


「彼が残した可能性を、僕が選んでここまで来たんだ」


カイは、そのあまりにも遠大で、自分勝手で、残酷なほどに純粋な願いに、言葉を失っていた。


「……ふざけんな」


低い声だった。


「そんな何千年も前から、全部決まってたってのかよ。俺たちの出会いも、親父の苦しみも……!」


「いいえ、カイ」


セラフィウスが、アーロンの隣に立つ。

力強く首を振った。


「アステリオスが用意したのは、あくまで確率です」


彼は、過去の自分が差し出した生体データの記録を見つめる。

カイは、父を見る。

セラフィウスは続けた。


「私は、その確率を上げるために、自分を円環へ組み込みました。生体データとして。記録媒体として。位相の目印として」


「親父……」


セラフィウスの声は、静かだった。


「私ができたのは、運命を決めることではありません。道を一本、消えないように残すことだけでした」


彼は、カイを見た。


「それを選び取り、ここまで歩いてきたのは、私たちの自由意志です」


セラフィウスは、少しだけ微笑んだ。


「円環が、最も恐れ、最も欲したものです」


カイは、何も言えなかった。


怒りは残っている。

痛みもある。


けれど、その奥に、別の感情が生まれ始めていた。


父は、ただ呪われたのではない。

自分で選んだのだ。


終われない役割を。

いつか来るかもしれない自由のために。


ミーティアが、セラフィウスを見つめた。


「あなたも、選んでいたのね」


セラフィウスは、困ったように笑った。


「ええ。愚かな選択でした」


「でも、優しい選択だった」


ミーティアの声は、静かだった。


「私は、そう思う」


セラフィウスの表情が、ほんのわずかに崩れた。

長すぎる時間の果てに、ようやく誰かがその選択を、呪いだけではないものとして呼んだ。


アーロンは、自分を捨てた男の最期の絶望の表情を、胸の奥に焼き付けた。


「……アステリオス」


彼は、白い光の奥へ呟く。


「君の願い通り、僕は壊しに来たよ」


その声には、怒りもあった。

けれど、憐れみもあった。


「でも、君の道具としてじゃない」


アーロンは、まっすぐ前を見る。


「君の友人として。そして、君が最後に残した最高のバグとして。僕自身の意思で、壊しに来た」


マリユスの背後に、アステリオスの残影が重なる。


アーロンは、その様子を見つめた。


マリユスと、アーロン。


一人は、円環を維持し続けた盾。

一人は、円環を壊すために放たれた剣。


一人の男から分かたれた二つの意志が、数千年の時を超え、今ここで再び巡り会った。


「……皮肉だな」


アーロンが、自嘲気味に笑う。


「自分を終わらせるために、自分自身を生み出すなんて。アステリオスは、よっぽどこの世界を愛していたんだな」


「彼は、待っていたのです」


セラフィウスが、背後で静かに言った。


「自らが作り上げた完璧な牢獄を、一振りの自由が壊しに来る日を。……それが、今なのです」


中枢の光が、より一層激しく脈動し始める。


すべてのログは統合された。

謎は、氷解した。

だが、それは同時に、取り返しのつかない代価を支払う儀式の始まりでもあった。


マリユスは、アーロンへ向かって静かに手を差し伸べた。


「……行こう」


その声は、以前よりも深かった。


すべてを知ってしまった者の重み。

それでも、今ここにいる自分として選ぼうとする者の意志。


「私であり、私ではない、もう一人の起源」


マリユスは、アーロンを見つめる。


「円環を終わらせ、時間を人々の手に取り戻すために」


アーロンは、その手を見つめた。


守るために削られたもの。

壊すために残されたもの。


その二つが今、同じ選択へ手を伸ばしている。


アーロンは、力強くその手を握り返した。

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