File② 大きなお荷物
街道の急なカーブを抜けた先。
血走った目でこちらを睨む三匹の野犬型魔物が、低く唸りながら立ちふさがっていた。
「おい、さっそくお出ましだぞ!」
カイは即座に腰の短剣を抜き、重心を下げる。
空気が、ピリリと実戦の緊張感に染まった。
「マリユス、お前は後ろで魔法の準備でも――」
言いかけたカイの言葉は、背後に感じた異様な気配によって遮られた。
風を切る音すらない。
ただ、自分の影が少しだけ分厚くなったような感覚。
「…………え?」
振り返ると、そこには誰もいない。
いや、正確には――カイの真後ろ。
物理的な死角に重なるような至近距離に、マリユスがピタリと張り付いていた。
カイの肩越しから、無機質な視線が魔物の骨格を冷徹に観察している。
「……お前、何してんだ」
「隠蔽だ」
マリユスは、一点の曇りもない真顔で即答した。
「おい!! 戦えよ! アエリスのエリート様だろ!? 鼻の先で魔法の一個や二個、パパッと発動させろ!」
「合理的判断だ」
マリユスは、カイの背中を分厚い盾にするようにして、淡々と分析を述べた。
「私は現在、耐摩耗性が不明な低価格の旅装を着用しており、防御力が著しく低下している。対して君は、前衛としての実戦経験を積み、装備も近接戦闘に特化している。つまり、私が被弾するリスクを最小限に抑えつつ、君というリソースを消費して敵を排除するのが、このパーティーにおける最短の解だ」
「なげーよ!! 御託はいいから! 魔法を使えっつってんだよ、魔法を!」
「詠唱には最低でも三秒の静止が必要だ。その間、君という『肉壁』が敵のヘイトを維持し、私の安全圏を確保し続けることが最適解であると判断した」
「誰が肉壁だ!!そもそも俺はデコイじゃねえ、アタッカーだ!」
そのとき、魔物の一匹が痺れを切らしたように跳躍した。
鋭い牙が、カイの喉元を狙う。
「チッ……!」
カイは悪態をつきながらも、背後の「高価な置物」を守るように鋭く踏み込み、短剣を一閃させた。
鋼の衝突音が響き、魔物が強引に弾き飛ばされる。
「いいぞ、カイ。今の踏み込み、大腿四頭筋の連動は理想的なベクトルだった。あとの二匹もその調子で頼む。君の背後には一点の隙もない」
「応援してんじゃねえよ! 手を貸せ! せめて火の一吹きくらい出せ!」
「分かった。支援しよう。非言語的な介入だ」
マリユスが懐から取り出したのは、カイに言われ服屋でしぶしぶ購入した「唯一のペン」だった。
それを魔法触媒にして強力な閃光でも放つのかと思いきや、彼はペン先を魔物へ向け、指揮者のように鋭く振った。
「よし。一匹目の個体の左前脚に裂傷を確認。毛並みの乱れから見て、残り二匹との連携に一・五秒のラグが発生する。報告は以上だ。そのまま斬れ」
「ただの観察日記じゃねーか!! 文字通り手出ししてねえよ!!」
カイの絶叫が、静かな街道に虚しく響き渡った。
そして、数分後。
最後の一匹を地面に叩き伏せ、カイは肩で息をしていた。
「はぁ……はぁ……死ぬかと思ったぞ……。お前がまったく動かないから、余計にな!」
足元には、動かなくなった魔物たち。
立ち昇る血の匂いと砂埃が、遅れて勝利の感触を運んでくる。
その背後で、マリユスはコートの裾についた一粒の埃を、指先で丁寧に払っていた。
「……カイ」
「なんだよ……今度はちゃんと『勝利の祝辞』でも述べてくれるんだろうな……」
「伝えていなかったが、一つ修正事項がある」
マリユスは、いつも通りの、感情を排した無機質な声で告げた。
「魔法が使えなくなった」
「……は?」
空気が、一瞬で凍りついた。
カイの顔から、すうっと血の気が引いていく。
「……嘘だろ? お前から理屈と魔法取ったら、ただの『態度のデカい無職』じゃねえか」
「嘘をついて何の得がある。現在は生活魔法すら発動できない状態だ。当然、肉弾戦の適性も皆無である」
「……おい」
カイの手から、短剣がカラン、と力なく滑り落ちた。
「……じゃあさっきの、『詠唱がどうこう』ってのは……安全圏の確保がどうこうって話は、何だったんだよ……」
「理論上の話だ」
マリユスは、悪びれる様子もなく言った。
「私が魔法を使える状態であれば、そうするのが最適解だった、という仮説を述べたに過ぎない」
「仮説で戦わせるな!!!! 現実を見ろよ!!!!」
カイの叫びが、再び街道に木霊した。
奇妙なコンビの旅路は、前途多難という言葉すら生温い状況で幕を開けた。




