17-2
「つぐみちゃん! 卒業おめでとう!」
三月、無事卒業式を終えたあたしは、糸ちゃんに会うため、電車を乗り継いであの街に向かった。
しとしとと、あたたかい雨が降る日だった。
駅前まで迎えに来てくれた糸ちゃんは、傘をさしてあたしを待っていてくれた。
ベリーショートの髪に細身のジーンズ、真っ青な傘があいかわらずカッコいい。
「つぐみちゃん、背伸びたんじゃない?」
「そうかな」
「そうだよ。髪も伸びて、大人っぽくなったね」
照れくさくなって、あたしは肩の下まで伸びた髪を指先でいじる。
「糸ちゃんは……変わってないね」
あたしが言うと、糸ちゃんはおどけた調子で笑う。
「でしょう? あいかわらず美しいって言って?」
糸ちゃんは今もあのマンションでたったひとり、ガラス細工を作っているのだという。
「あ、それ、わたしがあげたやつだね。懐かしい」
傘の中、あたしの胸に光っているガラスのペンダントを見て糸ちゃんが言った。
「うん。これはあたしの宝物。また糸ちゃんとペンダント作りしたいなぁ……」
様々な色の、キラキラしたガラスの欠片。
溶けて固まって、新しい色に生まれ変わる。
その色を作り出すのが、わくわくしてとても楽しかった。
糸ちゃんは嬉しそうに笑ってから、あたしの顔を覗き込む。
「つぐみちゃん、ギターも弾けるようになったんだってね? すごいじゃない。お母さんから聞いたよ」
「え、ああ……弾けるっていうか、音を出せるようになったくらい。誰か教えてくれる人がいればいいんだけど」
「響くんは?」
糸ちゃんの口から出たその名前に、心が揺れる。
「響くんとは連絡とってないの?」
あたしは少し考えてから、こくんとうなずいた。
「どうして?」
糸ちゃんに聞かれて、あたしはぼそっと答える。
「実は……ここに来る前に連絡しようと思ったんだけど……怖くなっちゃって……」
響のことは、いつだって忘れたことはなかった。
必死にギターを覚えたのも、あの曲を完成させたのも、もっと上手く歌えるように練習を重ねたのも、全部響に聴いてもらいたいから。
でもいざ響に連絡しようと思うと、指が震えて無理だった。怖かったんだ。
東京の街で暮らしている響は、こんなあたしのことをまだ覚えているだろうか。
あたしたちは別れた時、何かをちゃんと約束したわけではない。
あたしのことなんか、もう忘れてしまったかもしれない。
もしそうだったら……あたしはこの歌を、どこに届ければいいのかわからなくなってしまう。
「もう、本当にじれったいんだから、あなたたちは」
糸ちゃんが意味ありげにくすっと笑う。
「わたしね、響くんに会ったよ」
「え……」
驚いて顔を上げたら、あたしを見ている糸ちゃんと目が合った。
「一か月くらい前だったかなぁ……響くんがここで歌っているところ見かけたの。わたし、あの夜のこと思い出しちゃって、懐かしくて歌い終わった響くんに声をかけちゃったのよね」
胸の動きが、ドキドキと速くなった。
「響くん、友だちとバンド組んで、あのライブハウスで練習したり、ライブしたりしてるんだって。度胸つけるためにたまにここに来て、ひとりで歌ってるって言ってたよ?」
「そう……なんだ」
響には一緒にバンドを組むような友だちができたんだ。
ライブしてるなんてすごい。
そして何よりも、響がまだ音楽を続けてくれていたことにホッとした。
『レイジみたいになりたかったんだよ、俺は』
なれるよ。響ならきっとなれる。
「平日の昼間はバイトして、夜は学校も行ってるんだって。響くんも頑張ってるみたい」
あたしは立ち止まる。
頑張っている響のことは嬉しく思う。
だけど響があたしから遠くに行ってしまったような気がして、少し寂しい。
黙り込んだあたしの肩を、糸ちゃんがぽんっと叩いた。
「何か食べに行こうか。お腹すいちゃった」
「うん。そうだね」
「つぐみちゃんの食べたいもの、食べに行こうよ」
糸ちゃんの声にあたしは少し考えて、「ラーメンが食べたい」と言った。
レイジと初めて会った日に行った、ラーメン屋さんに糸ちゃんと入った。
狭い店の中は今日もおじさんたちで混んでいて、あたしはちょっと肩をすくめて、糸ちゃんとカウンター席に座る。
「ここ来たことあるの?」
糸ちゃんに聞かれてあたしは答えた。
「うん。レイジと響と来たの」
「そっか」
糸ちゃんがふっと微笑んで、カウンターの中のお兄さんに「ラーメンふたつ」と注文する。
糸ちゃんはきっと、レイジのことを思い出している。
そしてあたしもレイジのことを思い出す。
ここでラーメンを食べたこと。
ふざけてあたしの肩を抱いてくれたこと。
初めてライブハウスで聴いた歌が衝撃的だったこと。
ギターを鳴らしてふたりで歌ったこと。
あたしに歌うことを勧めてくれたこと。
あたしの作ったペンダントを最後まで握っていてくれたこと。
レイジと過ごした日々はほんの少しだったのに、その時間はものすごく濃厚だった。
あたしはレイジとの思い出を、ひとつ残らず覚えている。
「レイジって変な人だったよね」
突然糸ちゃんが言うから、あたしは食べ始めたラーメンを吹き出しそうになってしまった。
「だってそうでしょう? 関わった時間はほんのちょっとだったのに、つぐみちゃんをこんなにも変えた」
糸ちゃんは箸を割りながら、いたずらっぽく笑う。
「それに響くんもね。あの子も変な子だよね」
その言葉に、あたしも自然と笑顔になった。
「あたしを変えてくれたのは、糸ちゃんもそうだよ」
「じゃあわたしも、変な女ってことかぁ」
糸ちゃんがそう言っておかしそうに笑う。
あたしも笑ってラーメンをすすった。
『麺すするの上手いなぁって思って』
響に言われた言葉を思い出し、また少し笑って、そして思う。
レイジと響と三人で、またラーメンを食べたいなぁ……。
だけどその願いは、決して叶わない。
亡くなってしまった人が二度と戻ってこないことを、あたしはもう知っている。
『お兄ちゃん、なに聴いてるの?』
幼かったあたしはお兄ちゃんに問いかけた。
『これ? レイジって人の歌だよ。すっごくカッコいいんだ』
『あたしにも聴かせて!』
『小学生にはまだ早いよ』
そう言いながらもお兄ちゃんは、あたしにイヤホンを片方貸してくれた。
お兄ちゃんの白いイヤホンから流れてくる声。初めて聴いたレイジの歌。
あの日のお兄ちゃんの優しい表情。あたたかかった手。
その手でお兄ちゃんは、大切な命を奪ってしまった。
亡くなってしまった人は、もう二度と戻ってこない。
「つぐみちゃん? どうかした?」
箸が止まってしまったあたしの顔を、糸ちゃんが心配そうに見ている。
「ううん。なんでもない」
あたしは首を横に振り、またラーメンを食べる。
立ち止まって振り返って、そして前を見てまた歩く。
それを繰り返しながら、少しずつあたしは進んでいくのだ。




