14-2
クリスマス間近なこの季節、日が暮れるのはとても早い。
糸ちゃんにレイジのことを話している間に、街は夕焼け色に染まり、その色もすぐに薄れようとしていた。
もうすぐレイジと約束した五時になる。
あたしの歌声がどこまで届くかわからない。
だけど誰かひとりでも立ち止まって聴いてくれたらいい。
誰かの胸に何かが伝わったらいい。
そしてレイジのところまで届いて欲しい。
あたしのこの想いが。
あたりが薄暗くなり、街に灯りがともった。
ビルに掛かった大時計の針が五時を指す。
「よしっ、じゃあ楽しんで歌っておいで。わたしはあっちからこっそり見てるから」
あたしたちの気持ちをわかってくれた糸ちゃんが、そう言って離れていく。
「つぐみ。いける?」
ギターを抱えた響が聞いた。
「うん。いける」
手足はガタガタ震えているし、周りを歩く人たちの足音がやけに大きく響くけれど。
「つぐみの歌声、あいつらに聴かせてやろう」
響があたしにそう言った。
あたしはうなずいて胸元のペンダントをぎゅっと握る。
『大丈夫だよ』
レイジの声が聞こえた気がした。
『ひとりでやるんじゃない。俺たちもついてるから』
レイジも響もあたしと一緒にいる。
あたしはもうひとりじゃない。
あたしと目を合わせた響が、ギターを鳴らした。
闇に包まれ始めた街の中、街頭の灯りの下にギターの音色が響く。
一曲目は、イントロを聴くだけで心が動かされるレイジの歌だ。
アルバムに入っていた、お兄ちゃんが好きだった曲。
激しいロック調の歌がアレンジされて、女の子のあたしが歌っても違和感がなく、でもカッコいいところはカッコいいまま残っている。
あたしは耳を澄まして響の奏でるギターを聴く。
あたたかくて繊細な音色が耳に心地よく響いてくる。
イヤホンから流れてくるこの歌を、おびえながら聴いていた自分を思い出す。
あの頃は、もう死んでもいいと思っていた。
こんな自分なんか、いなくなってもいいと思っていた。
だけど今は違う。
あたしは生きたい。まだ生きてやりたいことがある。
目を閉じて、息をすうっと吸い込む。
吐き出したものは声になる。
響のギターにのせたら歌になる。
あたしたちの歌になる。
歌いながら目を開けたら、胸の前で手を組んで、祈るようにこっちを見ている糸ちゃんの姿が見えた。
あんなに心配そうな顔をしちゃって……それを見たらなんだかふっと肩の力が抜けた。
『誰も聴いてくれなくてもいいじゃないか。俺たちが楽しければ』
そうだね、レイジ。音楽って、音を楽しむものなんだから。
口を大きく開けて、のびやかに歌った。
気持ちいい。やっぱり歌うって気持ちがいい。
あたしはもう、口をつぐんでいる鳥じゃない。
さえずりながら羽ばたいて、きっと空へだって飛んでいける。
サビはレイジとハモるはずだった。だけど今日、レイジはいない。
響がギターをかき鳴らす。あたしの声に重なってきたのは響の声だ。
ふたりの声が響き合って、新しい音が生まれる。
歌いながら背中がぞくぞくした。
身体がすごく熱くなって、鳥肌が立つ。
胸の奥の感情が抑えきれなくなる。
あたし興奮してるんだ。すごく、興奮している。
響と目が合う。
きっと響も感じている。
あたしと同じことを感じている。
気づけば一曲歌い終わっていた。
目の前に数人の人が立ち止まっている。
大人の男の人、若いカップル、それから塾のリュックサックを背負った小学校高学年くらいの女の子。
途端に恥ずかしさがこみあげてきて、頭の中が真っ白になった。
どうしたらいいのかわからず、とりあえず頭を下げる。
「あ、ありがとうございました!」
するとパチパチと小さな拍手が聞こえてきた。
信じられない。あたしたちに送られてきた拍手だ。
隣にいる響を見た。
動揺しているあたしと違って、響はやけに落ち着いている。
何も言わずにあたしに小さく笑いかけ、胸のペンダントをぎゅっと握った。
「あ……」
あたしも真似して自分の胸のペンダントを握りしめる。
響と同じ、青くて透明なガラスのペンダントだ。
目を閉じ、響と一緒に見上げた青い空を思い浮かべる。
深く深呼吸をして息を整え、再び瞳を開くと、あたしを見ている響と目が合った。
響が目で合図する。あたしはこくんと強くうなずく。
ギターの音色が聴こえてきた。二曲目はオリジナルのバラードだ。
拍手をくれた数人の人たちは、立ち去ろうとせず聴いてくれている。
街の雑音の中、響の奏でる音がしっとりと響く。
耳を澄ましてその音をすくい上げ、そこにあたしの声を重ね合わせる。
つらくて、苦しくて、悲しくて、寂しくて……ガラスの中で身体を丸め、ふさぎ込んでいたあの頃。
目を閉じ、口を閉じ、心を閉じ、このまま死んだように生きていくのだと思っていた。
そんなあたしを覆っていた薄っぺらなガラスを、壊してくれたのは響だった。
偶然聴いた響の歌が、あたしの目を耳を口を、開かせてくれたのだ。
隣から響の声が聴こえた。
あの夜と同じ、甘くて優しい歌声。
レイジと似ていて、ちょっと違う。
その声があたしの声と重なり合い、響き合う。
届くかな。届けばいいな。
あたしと響の歌が、レイジに、糸ちゃんに、お父さんとお母さんに、そしてどこかにいるお兄ちゃんに――届けばいいな。
響のギターが最後のフレーズを奏でる。
あたしはビルとビルの隙間の夜空を見上げる。
青い空へ羽ばたいた鳥はどこまで飛んでいったのだろう。
あたしの知らない遠い場所でも、美しい声で歌っていて欲しい。
心地よい余韻に浸りながら、あたしはそんなことを考えていた。




