第十三話 狂気の檻、一閃の覚醒
視界が、赤黒いノイズに塗り潰されている。
私、レトヴィス伯爵の意識は、底なしの泥沼に沈み込んでいた。
(……動け。……腕を、剣を……上げろ……)
思考を巡らせるたび、頭蓋に埋め込まれたゼノス帝国の魔導核が、火炎のごとき熱を発して脳を焼く。私の肉体はもはや、私の意志ではなく、海の向こうの「支配者」が操る冷徹な命令コードに従っていた。
一歩踏み出すたび、全身の骨が軋み、黒い液体金属が皮膚を食い破る。
目の前には、かつて「無能」と切り捨て、存在すら忘却しようとした三男――アルス。
そして、レトヴィスの武を継ぐはずだった次男――エドワード。
『……排除……シロ……。エラーデータ……ヲ……消去……セヨ……』
脳内に響く無機質な声。
私は、自分の意志とは無関係に、愛剣であったはずの漆黒の大剣を振り下ろした。
触れるものすべてを「無」に帰す、帝国の呪い。
それを、エドワードが銀色の閃光となって受け止める。
「……父上! 正気に戻ってください!」
エドワードの叫びが、遠い霧の向こうから聞こえる。
その剣筋は、私が教えた型を遥かに超え、慈愛と決意に満ちていた。
(……いいぞ、エドワード。……それでいい。……その剣で、この化け物を、斬り裂け……)
私は心の奥底で、必死に叫んでいた。
だが、魔導核の侵食は無情だった。私の右腕は、息子を殺すために更なる出力を上げ、空間そのものをひび割れさせる「虚無の嵐」を放つ。
【修復の光:剥がれ落ちる呪縛】
その時だった。
戦場の中心に立つアルスが、黄金の宝剣『ソル・レイス』を静かに掲げた。
彼の瞳が、私を射抜く。それは憎しみではなく、すべてを見通す「修復師」の眼差しだった。
「……父上。……貴方の『歴史』、僕が今、あるべき姿に綴じ直す(リライト)!」
瞬間、私の視界を埋め尽くしていた赤黒いノイズが、圧倒的な「純白の輝き」に飲み込まれた。
熱い。だが、それは脳を焼く熱さではなく、凍りついていた魂を溶かす温もりだった。
アルスの放つ黄金の光が、私の体にまとわりついていた帝国の黒いプログラムを、一枚、また一枚と剥ぎ取っていく。
消去されていた記憶が、奔流となって戻ってきた。
初めて剣を持った時の高揚。
騎士伯家の娘であった妻・マイとの、不器用な出会い。
そして――生まれたばかりのアルスの、あの小さな手の温もり。
(……ああ。……私は、なんて、愚かなことを……)
魔導核が砕け散り、私の肉体を支配していた糸がぷつりと切れた。
漆黒の大剣が手から滑り落ち、私はその場に膝をついた。
【最期の邂逅:一人の父として】
霧が晴れた。
そこには、一国の英雄でもなく、帝国の兵器でもない、ただの老いた男がいた。
「……アルス……エドワード……」
駆け寄る息子たちの顔が、霞んで見える。
私は、震える手を伸ばした。血に汚れ、罪にまみれた手だが、最期に一度だけ、彼らに触れたかった。
「……すま、なかった……な。……私は、最強の剣を求めて……最強の『愛』を……捨ててしまった……」
隣で力なく横たわるカイルの、安らかな寝顔が見える。アルスは、あいつの狂気さえも「修復」してくれたのだ。
「……アルス。お前は……ゴミなどでは、なかった。……この、壊れた親の魂まで……拾い上げ、直して……くれたのだから……」
意識が遠のいていく。
だが、その心は、これまでの数十年の人生の中で、今が一番、晴れやかだった。
黄金の光に包まれながら、レトヴィス伯爵は、一人の「父」として、その波乱に満ちた生涯の頁を、静かに閉じた。




