第八話 「無」の編集者、その矜持
荒れ狂う海上で、アルス閣下の放つ黄金の光が帝国の黒い魔力を押し返している。
だが、私――サバスの役割は、この眩い舞台の上にはありません。
「……不作法な観客が多すぎますな。閣下の晴れ舞台に、塵ひとつ通さぬのが執事の務め」
私は『エターナル・リライト号』の影に溶け込み、そこから直接、帝国の先遣艦隊の深部へと「転移」しました。
私の固有スキル『虚無の編集』。
この力は、物理的な破壊ではありません。対象がそこに存在する「事実」を、世界の設計図から一時的に、あるいは永久に削除する。
眼前に並ぶのは、帝国の誇る魔導狙撃兵たち。彼らが閣下の眉間を狙って「消去の弾丸」を放とうとした瞬間、私はその背後に音もなく立ちました。
「おっと、失礼。……その引き金を引くという『未来』は、今、削除させていただきました」
私が指先を鳴らすと、兵士たちが手にしていた魔導銃が、煙も残さず「無」に帰しました。
彼らが驚愕で目を見開く暇も与えません。私は手袋をはめた掌を空にかざしました。
「『虚無の編集・一括消去』」
私の周囲十メートル。
そこにいた帝国兵たちの「意識」だけを、私は世界の記録から切り取りました。
外傷はありません。ただ、彼らの魂という名のデータが白紙に戻っただけのこと。糸の切れた人形のように崩れ落ちる彼らを一瞥もせず、私はさらに奥へと進みます。
【因縁の再会:消去の同族】
戦艦の最奥。そこに、私と同じ「虚無」の気配を纏った男が立っていました。
帝国の『消去室』の長。……そして、かつて私が一族の記憶を修復した際に知った、私を帝国に売った張本人。
「……久しぶりだな、サバス。いや、欠番。……貴様のような『出来損ない』が、まだ存在を保っていたとは」
「……欠番、ですか。それは心外ですな。……今の私は、アルス伯爵閣下の執事。掃除の精度は、貴殿のそれとは比較になりませんよ」
男が放った黒い「虚無の波動」が、私を飲み込もうと襲いかかります。
それは触れるものすべてを消し去る、絶対の終焉。
しかし、私はその波動の中を、平然と歩みを進めました。
閣下が私のスキルに施してくれた「修復済みの因果律」。
「……閣下に教わりました。……『消去』とは、ただのゼロではない。……それは、新しい『真実』を書き込むための余白なのだと」
私は男の喉元に、白手袋の指先を突き立てました。
『虚無の編集・真実の上書き(オーバーライト)』。
男のスキルそのものを、私は「無」へと書き換えました。
「消去の力」を失い、ただの老人へと戻った男が、絶望の中で崩れ落ちます。
「……さて。鼠一匹、処理完了です」
私は返り血一つない服の皺を整え、再び影の中へと消えました。
主であるアルス閣下が進むべき道に、ゴミ一つ残さない。
それが、忘れられし一族の末裔であり、アッシュランドの執事である私の、譲れぬ美学なのです。




