第33話:王都の総力と、想定外のカウントダウン
僕たちが新居の庭で「空の綻び」を目撃した翌朝。
王都はいつも通りの朝を迎えていたように見えたが、ギルドや騎士団の詰め所周辺だけは、ひどくピリついた空気に包まれていた。
早朝の王都中央ギルド。二階にある『王都防衛・合同作戦室』の重い扉の奥には、王都の防衛を司る騎士団の幹部、魔術師団の隊長クラス、そしてギルドの重役たちがずらりと円卓を囲んでいた。
その末席に呼ばれた僕とルナは、昨日見た光景を彼らに報告していた。
「――ですから、ルナの神眼が確かに捉えたんです。王都を覆う高位結界の魔力術式が、外側から未知の力によって『溶かされ、崩壊し始めている』と。昨日僕たちがガルド大峡谷で遭遇した『魔法威力を減衰させる装甲を持った変異亜種』。もしアレと同等、あるいはそれ以上の特異な力を持った魔獣の『大群』が結界の外に押し寄せているとすれば、この大気中の魔力濃度の異常低下も説明がつきます」
僕が言い終えると、作戦室に重苦しい沈黙が落ちた。
以前の僕たちなら「底辺の小童が何を言うか」と一蹴されていただろう。だが、Aランクに昇格し、実際に昨日、魔術師団のエリート小隊が苦戦した亜種を無傷で粉砕したという『実績』がある今の僕たちの言葉を、彼らは決して無視しなかった。
「……アッシュ殿の言う通りかもしれん」
腕を組み、険しい表情で口を開いたのは、歴戦の傷跡を顔に刻んだ壮年の騎士――王都第一騎士団の副団長、グレンだった。
「国境沿いの砦や、近隣の鉱山街からの定期連絡が、昨晩からパタリと途絶えている。加えて、森の魔獣たちが何かに怯えるように王都周辺から姿を消した。……アッシュ殿のパーティーが警告してくれた『大規模なスタンピード』が結界の外まで迫っているという見立ては、極めて現実的だ」
グレン副団長の言葉に、円卓の空気が一段と張り詰める。
魔術師団の総隊長も、忌々しそうに舌打ちをしながらも頷いた。
「チッ……認めたくはないが、結界の出力低下は我々の観測班も捉えている。だが、相手が魔法の威力を散らす亜種の群れとなれば、我々魔術師団の広範囲殲滅魔法は著しく効率が落ちるぞ」
「だからこそ、物理防衛線を構築するのです」
グレン副団長が円卓の地図に駒を置いた。
「結界の魔力低下が最も著しいのは南門の上空。敵の本隊は南から来ると見て間違いないでしょう。ギルドマスター、街の冒険者たちを総動員して市民を北の区画へ避難誘導。我々騎士団は南門に全戦力を集結させ、物理的な大盾の壁を構築します。魔術師団はその後方から、単体火力を極限まで高めた一点突破の魔法で、強固な個体を確実に仕留めてください」
「……結界が完全に崩壊するまでの猶予は?」
「観測班の報告と、私自身の経験を総合すると……」
グレン副団長は冷酷な事実を告げた。
「どんなに長く見積もっても、明日の明け方。十二時間は持ち堪えるはずです。ですが、それまでに迎撃の準備を完了させなければ、王都は魔獣の海に沈みます」
「十二時間か。ギリギリだが、やるしかないな。……アッシュ殿」
グレン副団長が、僕たちを真っ直ぐに見据えた。
「貴殿らのパーティーは、昨日あの厄介な亜種を正面から粉砕してみせた。この防衛戦において、貴殿らの『極大の物理火力』と『絶対の盾』は、我々にとって最大のジョーカーとなる。……力を、貸してもらえるか?」
王都のトップクラスの実力者たちが、僕たちに頭を下げる。
かつて「役立たず」と嘲笑われていた僕たちが、今、この街の防衛の要として頼られているのだ。
「……もちろんです。僕たちの居場所は、僕たち自身で守ります」
僕が力強く頷くと、作戦室の大人たちは一斉に立ち上がり、それぞれの部署へと嵐のように散っていった。王都の誇る有能なプロフェッショナルたちが、持てるすべての力を結集して巨大な厄災に立ち向かうための、完璧な防衛準備が始まったのだ。
* * *
作戦会議を終えた僕は、ルナとアイリスを伴ってスラム街のシドの工房へと駆け込んだ。
「アッシュ! 話は聞いたぞ、街中が大騒ぎじゃないか! 本当にスタンピードが来るのか!?」
工房の扉を開けるなり、油まみれのエプロン姿のシドが目を血走らせて飛びついてきた。彼はすでに王都の異変を察知し、作業台の上に大量の金属パーツを広げていた。
「ああ。明日の明け方までに、結界が割れて敵がなだれ込んでくる。シド、君の技術をフル稼働させてくれ。一発でも多く、一秒でも早く次弾を装填するための予備の排気シリンダーと、冷却材……そして、アイリスの大盾を限界まで固定するための特殊なアンカーを作ってほしい」
「あははっ! 任せておけ! 僕の『対爆・零式』を装備した君と、この僕が裏方に回って、防衛戦に負けるはずがない! 夜通しで最高にイカれた兵器を組み上げてやる!!」
狂喜乱舞するシドの言葉通り、僕たちも急ピッチで準備を進めた。
アイリスは盾の留め具をシドの特殊合金で補強し、ルナは神眼の疲労を和らげるための高価な目薬と魔力補給用の結晶を大量に買い込んだ。
僕はアイリスに頼み込んでシールドバッシュを数十発受け、物理的な『運動エネルギー』のタンクをはち切れんばかりに満タンにした。もちろん、魔力石からの魔力チャージも完了している。
王都全体が、生き物のように熱を帯びていた。
騎士団の鎧が鳴る音、魔術師たちが魔力触媒を運び込む声、市民たちが避難する荷車の音。有能な指揮官たちのもと、誰もが絶望することなく「明日の明け方の決戦」に向けて完璧な陣形を組み上げつつあった。
僕の計算でも、この布陣なら、どんな大群が来ようと王都の城壁で被害を食い止めることができるはずだった。
――だが。
『厄災』というものは常に、人間の小賢しい想定や計算など、理不尽な暴力で容易く踏みにじっていくものなのだ。
運命の、昼下がり。
その時、王都の空は、雲一つない見事な秋晴れだった。
準備の進捗を確認するため、南門の城壁の上に立っていた僕たちの耳に、ふいに「ピキッ」という微かな音が届いた。
「…………え?」
隣で平原の彼方を睨みつけていたルナが、ふらりとよろめいた。
彼女は両手で顔を覆い、悲鳴のような声を上げた。
「ルナ!? どうした!」
「ダメ……嘘、早すぎる……! 結界が……見えない『何か』に、一気に喰い破られてる……!!」
「なんだって!?」
明日の明け方まで持つはずの結界。それが、なぜ今!?
僕が空を見上げた次の瞬間だった。
王都の空を何百年も覆い続けてきた透明な絶対防衛結界。その表面に、巨大な亀裂が走った。
ピキッ、ピキピキピキピキッ……!!
それはまるで、見えない巨大な怪物が、ガラスのドームを外側から強引に踏み砕いたかのような、暴力的な音だった。
『ガシャアァァァァァァァァァァァァァァッッッ!!!!』
耳をつんざくような轟音と共に、空が砕け散った。
結界を構成していた膨大な魔力が、行き場を失ってキラキラと光の粒子となって王都に降り注ぐ。それは皮肉なほど美しく、そして、王都の時間が強制的に『決戦』へと早められた絶望の合図だった。
「な、なんだ!? 結界が割れたぞ!?」
「馬鹿な、明日の朝まで持つはずじゃなかったのか!?」
南門で陣地を構築中だった騎士団や魔術師たちが、突然の事態にパニックに陥り空を見上げる。まだ兵器の配備も、市民の避難も完全には終わっていない。最悪のタイミングだ。
だが、本当の絶望は空から降ってくるわけではなかった。
「……見ろ。地平線が、真っ黒だ」
僕が城壁から南の平原を指差す。
遥か遠く、地平線の彼方から、大地を黒く染め上げるほどの『波』が押し寄せてきていた。
それは、甲鉄重殻獣の亜種をはじめとする、あらゆる凶悪な魔獣の大群――『大厄災』だった。数千、いや数万という暴力の塊が、土煙を上げて王都へと殺到してくる。
なぜ計算が狂った? 何が結界の崩壊をここまで早めた?
――その答えは、群れの「中心」にいた。
「アッシュ……! あの群れの真ん中……信じられないくらい巨大な『力の渦』がある……! あの渦が、周囲の魔獣を凶暴化させて、結界を溶かす力を何十倍にも増幅させてたんだ……!!」
ルナが震える指で、黒い波の中心を指差した。
僕の目には土煙に紛れてはっきりと見えないが、そこには間違いなく、この大スタンピードを統率する『規格外の化物』が存在している。そいつの持つ理不尽な力が、僕たちの完璧な防衛計画を、たった数時間で紙屑に変えたのだ。
『うろたえるな!! 総員、直ちに戦闘態勢!! 盾を並べろ!!』
パニックに陥りかける兵士たちの中、グレン副団長が抜刀して激を飛ばした。
彼の悲壮なまでの叫びに呼応し、準備途中の騎士団が急ごしらえの盾の壁を作り、魔術師たちが震える手で杖を構える。彼らは有能だ。だが、心の準備も陣形も整っていない状態でのこの不意打ちは、あまりにも致命的だった。
地響きが、一歩、また一歩と王都に近づいてくる。
魔術師たちの放った牽制の魔法は、亜種たちの放つ魔力減衰のオーラに阻まれ、致命傷を与えることなく虚しく散っていく。
「……行くぞ、二人とも」
僕は乾いた唇を舐め、誰よりも早く城壁の階段を駆け下りた。
有能な大人たちの想定すらも凌駕した、本当の理不尽。
それをぶち壊すことができるのは、いつだって『常識外れの異端』だけだ。
「私たちの居場所は、絶対に壊させません!!」
「アッシュの背中は、私が全力で守るからね!!」
アイリスが巨大な重盾を構え、まだ陣形が整いきっていない最前線の平原へと力強く躍り出た。
ルナの神眼が激しく輝き、数万の敵群の中から、最も脅威となるベクトルの『最適解』を視認する。
右腕の漆黒のガントレット――『対爆・零式』が、僕の体温を吸って微かに熱を帯びている。
タンクの中の運動エネルギーは満タン。魔力のコーティングも完璧だ。
「さあ、来い化け物ども。まとめて粉砕してやる」
土煙が眼前に迫る。
王都の命運を懸けた、絶望的な防衛戦が、今、幕を開けた。




