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第25話:零距離の咆哮

 漆黒の巨大な魔力球が、ミスリルの剣がもたらした物理的な破壊によってガラス細工のように砕け散る。

 王都を消し飛ばすはずだった最大の絶望は、無害な光の粒子となって夜の石畳へと降り注いだ。


『……ガ? ァ……ア……?』


 自身の命を燃やして生み出した最大火力が、一瞬にして掻き消された現実に、レオンは完全に硬直していた。

 自我を失っているはずの濁った赤黒い瞳に、明確な『恐怖』と『理解不能』の色が浮かんでいるのが見える。

 だが、極限の死合いにおいて、その数秒の硬直は致命的すぎる隙だ。


 光の粒子が舞い散る中。

 僕は両足に充填した運動エネルギーを爆発させ、石畳を蹴ってさらに加速した。

 強烈な推進力によって、僕の身体は文字通り一筋の砲弾と化し、無防備なレオンの懐へ一瞬で肉薄する。

 右手のひらの中には、ポーチから取り出した『最後の魔鉄』の塊が、僕の体温と魔力を吸って鈍く熱を帯びていた。


「アッシュ君ッ! 行けェェェェッ!!」

「撃ち抜け、アッシュ!!」


 背後から、アイリスとルナの祈るような、けれど絶対の信頼を込めた叫びが夜空に響く。

 あの時救ってくれたSランクの先輩は、ここにはいない。僕たち三人だけ。あの暗い迷宮の底で互いの背中を預け合った時から、僕たちを繋いできたのはこの声だけだった。

 その声が、限界を超えて悲鳴を上げている僕の肉体に、最後の一歩を踏み込ませる力をくれた。


『ア、ァァァァァァァァァッッ!!』


 死の淵に立たされた本能が激しく警鐘を鳴らしたのか。レオンが顔を醜く歪め、デタラメに両腕を天へと掲げた。

 彼の首に食い込んだ禍々しいアーティファクトが、不気味な脈動と共に膨張し、最後の悪あがきとばかりにレオンの残された生命力を根こそぎ搾り取る。

 直後、レオンの周囲の空間が歪み、無数の『ドス黒い魔力の槍』が空中に顕現した。

 その数、数十……いや、百を超えている。

 一撃一撃が高位の攻撃魔法に匹敵する漆黒の槍が、防御も照準もなく、ただ僕を、そして周囲のすべてを串刺しにするべく、全方位に向かって嵐のように放たれた。


 僕の視界の端で、ルナの万華鏡の瞳が激しく回転し、魔力の暴風が持つ『致命的な射線』を完全に予測する。


「アッシュ、真っ直ぐ突っ込まないで! 右の建物の壁面へ跳んで!!」

「了解ッ!」


 僕は右足に運動エネルギーを付与し、無理やり自身の軌道を捻じ曲げる。

 直後、僕がさっきまでいた空間を、数十本の漆黒の槍が轟音と共に通り抜け、背後の大通りをクレーターだらけに粉砕した。

 僕は右手の魔鉄を握りしめたまま、通りに面した三階建てのレンガ造りの建物の『壁面』へと着地した。少しの時間であればその速度を持って重力に抵抗することくらいはできる。壁面を蹴り出し、レオンへと向かって疾走した。


『シ、ネェェェッ!!』


 レオンが僕の動きに気づき、残るすべての魔力の槍を、壁面を走る僕へと一斉に差し向けた。

 逃げ場のない、壁一面を覆い尽くすほどの黒い雨。


「アイリス!アッシュの下へ! 仰角六十度、踏ん張れ!!」

「はいッ! ――絶対に、通しません!!」


 ルナの叫びと同時、地上を走っていたアイリスが大盾を天へ向けて構え、僕の走る壁面の下へと滑り込んだ。 再度無理やりベクトルを変換し、その大盾の影に隠れる。

 レオンから放たれた極太の魔力の槍の群れが、アイリスの盾に雨霰あめあられと降り注いだ。

 ――ガガガガガガガガガガッッ!!!

 金属が悲鳴を上げる凄まじい轟音が響き渡る。

 しかし、アイリスは一歩も引かない。ルナの指示通りの完璧な『六十度の傾斜』。突き刺さるはずの黒い槍は、分厚い大盾の表面を激しい火花を散らして滑り、次々と僕の頭上の夜空へとらされていく。

 アイリスの鉄壁と、ルナの神眼が作り出してくれた、安全地帯。僕はアイリス伝いで貯蔵したエネルギーを再度両足に充填して、再び虚空へと跳躍した。


『ヒ、ィィィ……ッ!?』


 僕の冷徹な眼差しと真っ向から視線がぶつかり、魔力を使い果たしたレオンの喉から、情けない悲鳴が漏れる。

 僕の身体は弾丸となって、ついにレオンの真正面、鼻先が触れ合うほどの【ゼロ距離】へと到達した。

 だが、アーティファクトもただでは壊されない。

 レオンの意思とは無関係に、呪具の防衛本能が働き、彼の首元を覆うように『極厚の魔力障壁』が何層にも重なって展開された。

 鋼鉄の壁すら生ぬるい、凄まじい魔力によって編み上げられた絶対防壁。


「ルナ!」

「障壁の厚さ、三十層! 首輪の正面、赤い宝石の真下! そこがすべての魔力回路の結節点コアだよ!!」


 ルナの的確な誘導。

 僕の目は、レオンの首に深く食い込み、ドクドクとおぞましい脈動を繰り返しているアーティファクトの弱点を完全に捉えていた。

 僕の右腕はすでに、弓の弦のように限界まで引き絞られている。

 だが、僕の貯蔵庫にある運動エネルギーでは、この三十層の絶対防壁をぶち抜いてアーティファクト本体を粉砕するには、きっと力が足りないと直感が告げていた。

 ならば、答えは一つしかない。


--ありったけを右腕に。

 全身の骨格と筋肉を保護していた分厚い『魔力コーティング』を、僕は一瞬にしてすべて解除した。

 身体を守るための絶対の命綱を捨て、貯蔵庫にある魔力と解除した余剰魔力すらもすべて、右腕へと注ぎ込む。魔鉄を撃ち込む右腕に全リソースを供給し保護する。

 そして、右手に握りこんだ魔鉄にありったけの運動エネルギーを注ぎ込んだ。

 ギチチチチチチチチッ……!!!

 限界を遥かに超えて圧縮された運動エネルギーが、魔鉄の内部で暴走を引き起こし、僕の右手のひらの皮膚を焼き焦がして血を噴き出させる。

 全力の魔力付与を施してなお、右腕の筋肉が断裂の悲鳴を上げ、骨がミシミシと軋み始める。


「終わりだ、レオン」


 僕は、極限の運動エネルギーを宿した右拳を、レオンの首に巻き付くアーティファクトの結節点へと、真っ直ぐに突き出した。

 拳の表面と、極厚の魔力障壁が激突する。

 距離、ゼロ。

 ギュルルルルルルッッ!!

 魔鉄から放たれる圧倒的な物理のエネルギーと、Sランク相当の魔力障壁が軋みを上げ、周囲の空間が火花と閃光で真っ白に染まる。

 一層、十層、二十層……!

 僕の右拳から皮膚が剥がれ落ち、血が蒸発していく。激痛で意識が飛びそうになるが、僕は決して拳を引かない。

 他人の力に縋り、自らの足で立つことをやめた過去の亡霊に、僕たちの『歩んできた軌跡の重さ』で負けるわけがない。

 そして、最後の一層をブチ破り、僕の拳と金属の首輪が完全に密着した。

「――『零距離(ゼロ距離)貫通杭パイルバンカー』ッッ!!!!」

 ズドゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォンッッッ!!!!!

 それは、音というよりは、世界そのものが破裂したかのような絶大なる物理の咆哮だった。

 僕の右拳と首輪が接触した極小の点から、莫大な運動エネルギーが指向性を持った一筋の『不可視のパイル』となって、アーティファクトの内部構造を容赦なくブチ抜いた。


 ピキッ……ガァンッ!!


 Sランク相当の魔力を生み出していたアーティファクトが、僕の叩き込んだ物理的な運動エネルギーに耐えきれず、完全に粉々に砕け散る。

 それと同時に、アーティファクトの破壊によって行き場を失った衝撃波がレオンの肉体を貫通し、彼の巨体を背後の大通りへと、まるでボロ布のように吹き飛ばした。

 バウンドしながら数十メートルも石畳を削り、やがて瓦礫の山に激突して、レオンの体はついに完全に沈黙した。


「はぁっ……、はぁっ……!」


 僕は推進力を使い果たし、荒い息を吐きながらその場に膝をついた。

 右腕は火傷と内出血で赤黒く腫れ上がり、皮膚は裂け、指先一つ動かすことすらできない。魔力コーティングを解いて全力を叩き込んだ代償で、全身の筋肉がズタズタに引き裂かれるような激痛に襲われている。

 だが、僕の心は、王都の澄み切った夜空のようにひどく静かだった。


「……アッシュ君!」

「アッシュ!!」


 背後から、大盾を放り出したアイリスと、涙目のルナが駆け寄ってくる。

 二人は僕のボロボロの身体を気遣うように、そっと両脇から支え起こしてくれた。その手の温かさが、僕が今、確かな現実ここに生きていることを教えてくれる。

「やったね、アッシュ。……全部、私たちだけでやり遂げたよ」

「はい……! 私たちの、完全勝利です!」

 泣き笑いのような表情を浮かべる二人に、僕は小さく頷き返し、瓦礫の山に倒れ伏しているレオンの方へと視線を向けた。

 アーティファクトが破壊されたことで、異常な魔力の暴走は完全に収まっていた。

 レオンは白目を剥いて気絶し、口からは泡を吹いている。見栄えだけが良かった純白のマントは泥と血で汚れ、豪奢な鎧はひしゃげて見る影もない。

 侯爵という後ろ盾を失い、禁断の呪具に手を出した挙句、王都の大通りを破壊した大罪人。彼の冒険者としての生命は、今日ここで完全に絶たれた。もう二度と、僕たちの前に立つことはないだろう。

 僕の心に、彼に対する怒りや憎しみはもう欠片も残っていなかった。

 あるのはただ、路傍の石を通り過ぎる時のような、絶対的な無関心だけだ。


「……さよならだ、レオン」


 僕は彼に向かって短く決別の言葉を紡ぎ、ゆっくりと夜空を見上げた。


「――そこまでだ! 全員動くな!!」


 不意に、大通りの奥からけたたましい足音と怒声が響いた。

 目だけを動かして見れば、武装した王都の警備隊が数十人がかりでこちらへ駆けつけてきているところだった。その先頭には、先ほど別れたばかりのシルヴィアさんが、血相を変えて走ってくるのが見えた。


「アッシュ君! ルナちゃん、アイリスちゃん! 無事!?」

「シルヴィアさん」


 息を切らして駆け寄ってきたシルヴィアさんは、僕たちの無事な姿を確認すると、安堵のあまりへなへなとその場に座り込みそうになった。


「よかった……ギルドに報告へ行った直後、とんでもない魔力反応がして。あの魔力の質……古代の呪具の暴走だよね。しかも、この大通りの惨状……まさか、君たちだけで……?」


 彼女の視線が、瓦礫の山で気絶しているレオンと、ボロボロになった大通りの惨状、そして僕の痛々しく裂けた右腕へと注がれる。

 事態のすべてを察したシルヴィアさんの瞳が、驚愕に見開かれた。


「呪具の暴走を、君たち三人だけで止めたっていうのか……。信じられない。いくら君たちがAランクに上がったばかりだとしても、そんな無茶苦茶なこと……」

「無茶なんかじゃありませんよ、シルヴィアさん」


 僕は、アイリスとルナに支えられながら、痛む体を起こして先輩に微笑みかけた。

「僕たちには、頼れる仲間と、絶対に壊れない信頼関係がありますから」

「ふふっ……本当に、君たちには驚かされてばかりだよ。私が先輩風を吹かせられるのも、今のうちだけかもしれないね」


 シルヴィアさんは呆れたように笑い、やがて誇らしげに目を細めて、僕たち三人の頭を順番に優しく撫でてくれた。

 闘技場の時と同じ、温かくて大きな手のひら。

 迷宮の底で、何も持たない『欠陥品』として捨てられたあの日。

 才能なんてなかった。誰かに期待されることもなかった。

 けれど、泥水をすすり、足掻き、互いの背中を預け合いながら、極限の計算と物理を研ぎ澄ませてきた。

 その果てに、僕たちは今、自分たちだけの力で過去の絶望を乗り越えた。

 全身の痛みも、血の匂いも、すべてが僕たちの生きた証だ。

 僕は痛む右腕をそっとかばいながら、ルナとアイリス、そして駆けつけてくれたシルヴィアさんと共に、王都の煌びやかな光の中へと歩き出した。

 僕たちの、最高に泥臭くて、最高に熱い冒険は、ここからまた新しく始まるのだ。

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