58 気持ちだけ
マイが顔を上げて「ラーラ」と声を掛ける。
「あたしはお父ちゃんと結婚した時、処女じゃなかったの」
ラーラはマイに向けて目を見開いた後、そのままの目でガロンの顔を見上げる。バルは視線を下げた。
「お父ちゃん、知ってたの?」
「薄々な」
「え?結構分からないもんなの?」
「馬に乗ってると膜が破れるんだってお母ちゃんが言ってたからな。まあお母ちゃんの昔の恋人の噂も耳に入ってたし、俺はお母ちゃんと結婚出来るんならどっちでも良かった。俺だってお母ちゃんが初めてじゃなかったのもあるけどな」
「ずっと黙ってないで、気付いてたんなら言ってよ。一大決心して告白したのに、なによ」
「ああ、悪かった。今度は気を付ける」
マイはラーラの髪にまた顔を埋めると、「今度ってなによ」と呟いた。
「でもお母ちゃん。結婚式で神様に誓わなかったの?生涯お父ちゃん一人だって」
「誓ったし、誓ってからはお父ちゃんだけよ。ガロン、これは本当だからね?」
「信じてるよ。わざわざ言うな」
「まあ、行商に付いてってたガロンは、どうだか分かんないけどね」
「俺だって神様に誓ったろう?誓ってからはマイだけだ」
「そう?なら良いけど」
中年二人が疲れた口調で言っているから、照れている様には聞こえなかった。
「ラーラ。あたしもお父ちゃんと同じで、ラーラのどこが悪いのか分かんないの。ラーラと違ってあたしは自分で選んで体を許したけれど、あたしはラーラより罪が重いって事?」
「そうじゃないよ。あたしの話と全然違うじゃない」
「ラーラ。あたしはダメだわ。ラーラが何を言ってるのか、全然分かんない」
「俺もダメだ。ラーラが何をしたいのか、全く分からん」
「結婚に反対すれば良いの?」
「それはそうなんだけど」
「俺とお母ちゃんが反対したところで、皆さんが結婚させるってんなら、どうしようもないぞ?」
「そうよね。何しろバル様自身が結婚したいのですよね?」
マイは体を起こして、バルに尋ねた。
「ああ。私はラーラさんとの結婚を望んでいる」
「それでバル様は、ラーラと結婚出来るって思ってるんですよね?」
「ラーラさんが肯いてくれれば」
「それだけじゃなくて、結婚自体が可能だって思っていますか?」
「もちろん。コードナ家は賛成してくれた。ソウサ家も半分以上の人は賛成してくれているし、反対の人も仕方ないと許してくれている。いずれは全員に納得して貰えるだろう。私が収入の当てさえ付ければ、残るのはラーラに結婚を受け入れて貰うだけだ」
「収入の当ては?」
「騎士になる予定だったが、ワールさんに雇って貰うかも知れない」
「ダメだってば」
ラーラも体を起こす。
「騎士になってよ。バルの夢なんでしょ?」
「ラーラと一緒に暮らすのに、騎士になる必要があればなるよ。今の俺の夢はラーラとの一生だ」
ガロンも体を起こし、ブランケットをラーラの肩に掛け直した。
「なんだ。もう、ラーラの気持ちだけじゃないか」
「だけって、それが一番大事でしょう?でもラーラは結婚したくないのね?」
「・・・うん。バル様の傍にいたくない」
「そうなの」
マイはラーラの肩のブランケットを整えながら言った。
「ミリはね、ラーラがバル様と結婚するって思ってたのよ」
「え?お姉ちゃんが?いつ?」
「いつっていつもだけど、ラーラがバル様と交際を始める事になった日に、きっとラーラはバル様と結婚するって言ってたわ」
「え?なんで?」
「さあ?バル様とラーラを見れば分かるって言ってたけど、なんでかは分からないわね。最初はみんな信じなかったのよ。お二人の交際の経緯と目的が使用人には説明されてたからね。けど、ミリが毎日お二人の様子を話して聞かせていたらいつの間にか、使用人全員が信じる様になってたわ」
「え?みんなに聞かせてたの?毎日?」
「ええ。スランガさんの息子のパサンドさんとの縁談も、納得出来ないって言ってたし」
「なんで?」
「ミリがパサンドさんを嫌ってたのはあるけど」
「え?ホント?」
「ええ。パサンドさんがラーラを見る目が気持ち悪いから、正直あたしも好きじゃないわ」
「そうだったっけ?」
「ラーラは全然興味なかったものね。パサンドさんに限らず誰が相手でも、ラーラはバル様と結婚するのが一番幸せになるって、ミリは断言してたわね」
「それはバル様が貴族だからって事?」
「学院には王子様も通ってるんでしょう?でも王子様よりバル様だって言ってたから、権力がどうとかじゃないんだと思うわよ?」
「あたしは王子様を見た事ないから、ミリも見てないと思うけど」
「バル様や王子様の事じゃないんでしょうね。バル様の事を全然知らないのにラーラがバル様と結婚するなんて言ったんだから、ミリはラーラの事を見てそう言ったのよ」
「あたし?」
マイは少しだけ表情を和らげて肯いた。
「それだからラーラが結婚しても付いていける様にって、ミリは貴族家の侍女になる気になっていたわ」
「え?どうやって?」
「さあ?取り敢えず侍女になる為の勉強は始めていたし、どこかの貴族様に養女にして頂いて侍女になるって言ってはいたけどね。コードナ侯爵家の侍女や侍従の方には相談していたみたいよ」
「全然知らなかった」
「ラーラが自覚してなかったからじゃない?」
「自覚?」
「ええ。だからミリはまわりにラーラが自覚するまで騒ぐなってしつこく言ってたし、本人もラーラには気付かない振りをしてたと思うわよ」
「え?」
「キロもラーラに付いて行く積もりで、貴族家の護衛になる為の方法をコードナ侯爵家の護衛の人に相談していたし」
「お兄ちゃんも?」
「ええ。ラーラを守ってやるって約束したからしょうがないんだ、なんて言い訳しながらね」
「お兄ちゃんも私がバル様と結婚するって思ってたの?」
「そうよ。ミリの話に肯いたり、こんな事もあったって付け足したりもしてたわ」
「もしかしてお兄ちゃんもお姉ちゃんも、私がバル様と結婚したら喜んだ?」
「そうね。二人ともかなり喜んだと思うわ」
「・・・そう」
そう言うとラーラは俯いて目を閉じた。目頭から涙が零れる。
マイはラーラの頭を撫で、ガロンはラーラの背中を摩った。
ラーラは鼻を啜って顔を上げると、上擦った声を出す。
「あたし、お兄ちゃんに非道い事してた。もう一個罪を重ねてたわ」
ラーラはバルの前で、切り札を切る決心を付けた。




