最終話 黄昏
その機会は意外にも早く訪れた。
次の日、朔夜は初めて夕夏の墓を参った。
彼女の親族からも断られ、自分自身どんな顔をすればいいのかわからなくて行けなかったのだ。
こうしてここに来られただけでもたいした成長ぷりだ。朔夜は自分を褒めてやる。
花屋で適当に花を買い、墓地までやって来た。場所だけは前から知っていた。教えて貰えなかった朔夜に秀がこっそり調べて教えてくれたのだ。さすが親友。いざというとき頼りになる男だ。
墓の前にいるのが彼だとすぐにわかった。何せ昔の自分によく似ているのだから。
少年は最初から来るのを予想していたかのように落ち着いていた。
朔夜を見てペコリと頭を下げる。
「先日はどうも」
「ああ」
朔夜も応える。
「あの時は自己紹介もせずにすみませんでした。常盤蒼衣といいます。詳細は言わなくてもわかるとおもいますが」
「さあな、他人を通じての紹介なんてあやふやなものだ」
彼がいるのは墓の前だ。おそらくその墓が彼女の墓なのだろう。
「先に花添えていいか?」
「どうぞ」
どうも、と礼を言って墓の前に立つ。墓石には『常盤夕夏の墓』と書かれていた。先祖代々の墓とは違い、ここは彼女一人の個室らしい。贅沢なことだ。
既に墓には花が添えられていたので、朔夜は持ってきた花を墓の前に置く。
「なあ、線香持ってるか? 忘れてきたんだ」
「はい、どうぞ」
どうも、また礼を言って受け取った線香に火をつける。何で、マッチは持ってきて線香を忘れるのか。親友がここにいればそう言ってきそうだ。
そういえばさっきから礼しか言ってない気がする。
線香を立て、しばらく拝んでみたが何も感じられない。幽霊とかいうものがいるのなら出てきてくれないかと少し期待してみたのだが。やはりファンタジーには期待できないな。
朔夜は立ち上がるがまだしばらく墓の前にいた。
「少し話いいか?」
「はい。僕もそのつもりで来ましたから」
「へぇ? 俺が来ること知ってたのか?」
確かそれを決めたのは昨日のはずだが。
「いえ、来てくれるかなと期待してただけです。一日目で会えたのだから運が良かった」
「なるほど、なら俺もかなり運が良いのかな」
どうだ秀。親の勘も捨てたものじゃないだろ。
しかしこの蒼衣という子供。暁斗とは対照的だ。礼儀正しいとは聞いていたが、どうにもやりにくい。子供はもっと活発な方がやりやすいのだが。
どう話を進めたらいいのか、悩むところだ。こういったタイプは何を考えているかわかりづらい。
朔夜がうーんと悩んでいると、幸いにも相手から話しかけてくれた。
「僕も訊きたいことがあるんですけど、訊いてもいいですか?」
「ん? ああ良いぞ。そちらから先にどうぞ」
「では遠慮なく」
蒼衣は一度咳払いをする。
「あなたは僕達の母親が僕達を産んだ理由を知ってますか?」
これはまた直球だ。しかし恨み言でもなくそこに行き着くとは、なかなかよく出来た子ではないだろうか。
「聞いてますか?」
「ん、ああ聞いてるよ」
ついうれしくなってしまい、話を忘れてしまっていた。馬鹿な子供ほど可愛いと言うが、賢い子も可愛いじゃないか。
親バカ臭いが、これも親の自覚としておこう。
「理由についてだが俺も直接本人から聞いたわけじゃないから、推測の範囲になるがいいか?」
「はい、お願いします」
蒼衣の眼は真剣だった。おそらく彼は長い間その疑問を抱えてきたのだろう。その答えを心待ちにしていたのだろう。
この子なら何を言っても大丈夫そうだな。そう朔夜は確信した。
「先生はまあ俺を恨んでただろうな。だから俺と寝たのは決して愛情からでも慰めが欲しかったわけでもなかっただろう」
その意味ではあの人は実は弱くなかったのかもしれない。少なくとも強かに行動できるくらには。
「俺に呪いをかけるって言ってた」
「呪いですか?」
「そう。俺はあの時のことだけだと思ってたが、暁斗を渡されて彼女の本当の企みを知ったよ」
彼女は呪いを形にした。決して忘れないように。
「消えない傷を残すためにお前たちを産んだ。まあそれが俺の結論だ」
「理解しづらいですね」
「まあ気持ちはわかる。女の恨みってのは怖いのよ」
自分の死すら利用する。復讐として子供を利用する。その意味ではあの兄弟の方法は同じなのだろう。
「彼女は女であっても母ではなかったからな。俺は父になれたけど彼女は母になれなかった。それが彼女と俺の違いだよ」
暁斗を渡されたときにそれは気付いていた。だが腕の中で泣く赤ん坊に生を感じた。もう一度この子のために、今度は父として生きてみよう、そう思ったのだ。
「死んだのも俺に見せつけるためだろう。本当に嫌な人だな」
「母を恨んだりしなかったんですか? あなたの罪云々よりも、それぐらいの権利はあなたにもあったと思いますが」
「ああ、ないな」
「どうして?」
「惚れた弱みってやつだよ」
朔夜は笑っていた。ただ清々しく、何も重荷などないかのように。
「とは言っても今も彼女を愛しているかは微妙な所なんだ。変に固定されたから今更変えられないんだよな」
「他に好きな人できなかったんですか?」
「んー、初恋が強烈すぎたからな。なかなかうまくいかないのよ」
朔夜はうーんと背伸びをする。今日は晴天。雨も雪も降らない。青空が広がっている。
「好きだったことは覚えてるのに冷めてしまったというのかな。どんな人間も時間が経てば変わってしまうんだよ」
あれだけのことがなければただの失恋で終わっていただろう。きっと本来ならその程度の恋だったのだ。
「本当に俺はあの人のことをそんなに好きだったのか。そう疑ったことさえあったよ」
「それで答えは?」
「わからん。自分のことが意外と一番わからないことなんだよ」
お前も恋をすればわかるさ。
「訊きたいことはそれだけか?」
「いえ、もう一つ」
「何だ?」
「僕の名前の意味、知ってますか?」
これはまた意外な質問だ。
「母さんが付けた名前なんですけど誰も知らなくて。あなたなら知ってるかなと思って」
「んー、まあ想像はつくな」
「何ですか?」
「あれ」
そう言って朔夜は空を指さした。そこには雲一つない青空が広がっている。
「えっと、意味がわからないんですが」
「昔先生が言ってたんだよ。空が色を変えるのは服を着替えているからだって」
何かの童話だったのかもしれない。授業の合間の休憩時間、色が変わっていく空を見て彼女はそう言ったのだ。
「空はたくさん服を持ってるの。青い服もオレンジ色の服も黒い服も。その時によって服を変えているの」
「じゃあ雲が出てるときは?」
「それは雲の模様がある服を着てるのよ」
またロマンチックというか、幼稚な話だ。
「あんたの名前って空にちなんでるんでしょ? 私もそうよ。夏の夕日が綺麗な日に生まれたから夕夏」
「じゃああんたが子供を産んだら空の名前を付けたらいいだろ」
「あら、それナイスアイデア。だったらあんたもそうしなさいよ。約束だからね」
それでまず一番に私に教えてね。
一番にという約束は果たせなかったが、空にちなんだ名前を付けるという約束は果たした。まさかあの人がその約束を果たすとは思わなかったが。
「青空は青い服を着ているようだから、蒼い衣で蒼衣。そんなところだろ」
良い名前だな。
もしかしたら先生は俺が思っていたほど恨んでなかったのかもしれない。わざわざ一人分の名前だけ付けたところからも、要の思惑とは別に彼女の思惑でもあったのかもしれない。最初から一人は残すつもりだった。
「恨んでくれた方が簡単だったのに。あんた本当に嫌な人だな」
本当に恨んでいたのなら、そんな良い名前付けないだろ。
「何か言いましたか?」
「いや、何にも。それよりその敬語何とかならないか。堅苦しくて仕方がないんだ」
「え? あ、つい。だけどどう言ったら良いのかわからなくて」
「そんな他人行儀にしなくていいんだよ。親子だろ? もっと気軽に行けよ」
「え? ええと。と、とう…」
父さんと呼びたいのだろう。しかし慌てているのかうまく言えないようだ。何だ、可愛いところあるじゃないか。やっぱり子供っていいな。
「あー今慌てなくてもいい。これから先、時間はたっぷりあるんだから」
そう、これは始まりでしかない。
まだ片付いてない問題だってある。だけど、今の自分たちなら問題ないと思えるのだ。
「親父、遅いなー」
「どこかで道草でも食ってるんだろう。先に食べてしまうか」
暁斗と一緒に昼食の準備をしている東城。親友の行動パターンはお見通しらしい。
その時、玄関の扉が勢いよく開かれた。
「皆月先生! いつになったら原稿貰えるんですか! もう締め切りはとっくに過ぎてるんですよ!」
朔夜の担当編集者・金森麗子だった。
「あ」
そういえば仕事のこと、すっかり忘れてたな。
「暁斗君、先生はどこ? ケータイにかけてもまったく返事がないのよ!」
「あーええとー」
親父、まさか逃げたのか。
「あ、そういえば」
「? どうしました?」
「いや、こっちの話」
「?」
実は朔夜自身、忘れてたりした。
「ま、いいや」
こんなに天気が良いんだし、たまにはこういう日も。
これにて完結です。最後まで読んでいただきありがとうございました。最初の設定からずいぶんと変わってしまいましたが、大筋は変わってないつもりです。この作品は最初朔夜の死で終わるはずだったのですが、いつの間にかこのようになっていました。今はこれで良かったと思っています。初めて完結させた長編なので、感動と共にこれからの自信にもなりました。良ければ他の作品でお会いしましょう。