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第一話  黎明



 皆月暁斗、主人公。

 十四歳、市立中学二年。

 九月十五日生まれ、A型。

 東京在中。父と二人暮らし。

 趣味・テレビゲーム。

 座右の銘・『終わりよければすべてよし』

 好きなもの・サッカー、ゲーム。

 嫌いなもの・勉強、にんじん。

 得意なもの・運動全般。

 理解不能なもの・父。




 理解不能なもの・父。




 皆月暁斗の父は三十代だ。それだけなら何もおかしいことはないだろう。だがそう言えるようになったのは今年に入ってからだ。皆月暁斗の父は今年、ようやく三十歳となった。

 はっきり言おう。おかしい。

 暁斗の若すぎる父はまだ二十代で十分通じる若さを見せている。そのため余計親子には見えない。

 暁斗は一度、年をごまかしているのではないかと考えた。しかし父は証拠品として自分の保険証・免許証さらには高校時代の学生証まで見せた。

「おまえは足し算もできないのか?」

 そう言って馬鹿にされたのはそう昔ではない。暁斗はもちろん足し算ができる。たとえ数学が苦手でも算数はできる。父の生年月日に三十を足せば今年になる。しかし足し算ができるなら引き算もできる。

 父の年齢から自分の年齢を引くと十六となる。つまり父が父となったのは高校生の時だ。さらに言えば母に自分を孕ませたのはそれよりも前だ。父に訊くと十五の時だと答えた。下手をすれば中学生の時だ。父もはっきりと覚えてないが、少なくとも高校に入学する前だと言っていた。

 日本で男性が結婚を許されているのは十八歳。父はそれよりも二年も早く一児の父となっていた。

 やはりおかしい。

 しかし暁斗の父・皆月朔夜はそんなことまったく気にせず、自分の道を進み続けている。世間体などお構いなしだ。

 暁斗も自分の出生についてはあまり深く訊いたことはない。語れる人間は少ないし、母はすでに亡くなっているからだ。

 幼い頃、暁斗は無知故、父になぜ自分には他の子供達のように母親がいないのかといたことがある。そして自分も母親が欲しいと言った。

 その頃の彼には「死」というものが理解できていなかった。だから父が「死んだ」と言っても納得できなかった。しまいには父のせいで母がいないのだとさえ言ってしまった。その時の父の顔は忘れられない。まるで囚人が改めて自分の罪を暴露されたような、そんな顔だった。

 以来、暁斗は父に母のことを訊かなかった。なぜ死んだのかも、いつ死んだのかも、詳しいことは何も知らされなかった。父もわざわざ話そうとしなかった。

 母の親戚とは母の死以来連絡をとっていないらしい。それでも不満はなかった。何も言ってこない顔も知らない親戚より、身近にいる父の方が重要だったからだ。

 だから母のことはほとんど知らない。





「親父、いつまで寝てるんだよ。もうとっくに日は昇ってるぞ」

 いつも通りの平日の朝。日本のほとんどの家庭がそうであるように、皆月家の一日もまたいつも通り始まる。

「うるせぇな。現役中学生とは違って忙しいんだよ。もう少し寝させろ馬鹿息子」

 寝癖だらけの頭をぼりぼりと掻き、あくびをかみしめつつ、よれよれのワイシャツを着た暁斗の父・皆月朔夜は姿を見せた。

 昨日着ていた服装のまま、眼をこすりつつ歩く姿はだらしないの一言だが、容姿はけっして悪くない。上の中から下といったところだ。身長は日本人の中では高めの百七十八センチ。染めたことのない黒髪は伸ばしっぱなしでろくに手入れもしていないくせに艶がある。睫毛は長いし、ほとんど外に出ないため肌は白い。手足のバランスも良く、運動もしていないくせに太っていない。

 見た目は悪くない。しかし性格は良くない。

「あー! またそのままで寝てたのか! ワイシャツにしわが付くだろ! 寝るならちゃんとパジャマに着替えて寝ろ!」

 主夫のようだ。

 家の家事は二人で当番制で行っているのだが、父は適当なところがある。それに対し暁斗は文句を言いながらも中途半端を許さない。同じ環境にいながらもまったく違う性格となった親子だった。

「面倒くせぇんだよ。夜遅くまで仕事をしていたお父様を労えよ」

「うるせぇ。さっさと着替えてさっさと食え」

 そう言って暁斗は自分の席に着いた。

 目の前には先程自分が作った朝食がほかほかと湯気をあげて並んでいる。

 今日の朝食は炊きたてのご飯、ヒラメの焼いたものに豆腐と油揚げの味噌汁、卵焼き、味付け海苔、ほうれん草のごま和え。どこからどう見ても完璧な日本人の朝食だ。

 父は着替えを終え、暁斗の向かいにある自分の席に座った。そして「いただきます」の挨拶もなしに箸を取り、白いご飯に箸をつけた。

 挨拶をしない理由は不信心者だからだというものだ。それでも暁斗は一般常識として少なくとも人前では挨拶をするよう言われていた。これは彼の父が息子に教えた数少ないことだ。自分が非常識だということに自覚はあるのか、息子には常識をなるべく守るように言ってきた。

 特に会話もないまま朝食を終える。一足先に食事を終えた暁斗は自分の食器を流し台に持って行き水を張ると、洗面所へ行き歯磨きをする。

 その間に父も食事を終え、流し台で食器を洗い始める。朝食後の家事は父の役割だ。

 身支度を終えると暁斗は学校へ出かける。玄関で靴のひもを結んでいる暁斗の後ろから父が声をかけた。

「暁斗、今日の晩飯は何がいい?」

「んー、肉が食いたい」

「俺は魚の方がいいんだけどな……」

「ダメ、豚か牛」

 もしくは鶏。そう言って暁斗は「いってきます」と言って外に飛び出していった。

 暁斗のいなくなった家は静かになり、名残として自転車が走り去る音がした。






 一人になった朔夜は大きくあくびを出すと、リビングでソファに寝そべり、今朝届いた新聞を読み始める。

 新聞には政治家の汚職事件が大きく取り上げられ、他には隣の区で起こったひき逃げ事件や未成年による傷害事件などが載っていた。いずれも朔夜の世界に直接関わりのない世界の出来事である。

 隣の家の家庭事情など別の国の話だし、自分の視界にすら入らない土地など異世界に等しい。朔夜にとっては自分の世界だけがすべてである。

 一通り新聞に目を通すと、新聞をテーブルの上に乗せ、仕事のために読めていなかった本を読み始める。

 活字中毒だと昔から言われてきたが、その通りなのだろう。昔と言ってもそれほど昔ではない。正確には昔もしたが、一時期はそれほど読んでいなかった。その頃にはそれよりも夢中になるものがあったからだ。

 本日三度目のあくびをした朔夜は本を読むことを諦め、再び寝ることにする。先程息子に注意されたので、今度はパジャマに着替える。そのまま昼まで寝るつもりだ。

 朔夜はふとリビングに掛けられているカレンダーを見た。今日は九月十日。もうすぐ息子の誕生日だ。そしてあの日も近づいている。

「……もう十四年か。早いな……」

 朔夜は自分の部屋の引き出しから一冊のノートを取り出した。マジックペンで書かれた教科名と自分の名前。お世辞にもきれいとは言えない字。今の自分の書く字とはまったく違う。それでも今と同じ特徴の残る青春時代の痕跡。

 ぼんやりとそのノートを見ながら、朔夜は誰かに話しかけるように呟いた。

「もう俺の方が年上になっちまいましたよ。ずるいよな、あんただけはずっと変わらないなんて」

 一緒に変わっていきたかった。一緒に年をとって、一緒に立ち止まって、一緒に進んで、一緒に死ねるとは言わないけど、一緒に生きたかった。

 あの頃描いていた夢想は所詮夢でしかなくて、現実という夢から覚めるのを待っている。

 もうどの現実にもあなたはいない。

 俺は一人、残酷で優しい過去の夢を見る。

 夢の中でもあなたには手が届かないとわかりながら、夢にしがみつこうとしている。こんな自分は弱いのだろう。弱くて、誰かの手がなければ立ち上がることもできない。暗闇の中で歩くこともできない。だけど手に触れるのが恐い。あなたのぬくもりを忘れてしまいそうで。

 成長しないはずの俺は変わっていく。あなたを残して。






 皆月暁斗の生活はいつも通り始まる。生活ペースの狂っている父親を起こし、朝食を食べ、身支度を調えて学校へ行く。父親との愛情溢れる会話などない。生活の一部となっている問答をするだけ。

 今の生活に不満をもつことはない。母親がいないことも気にしなくなった。父親は冷たいわけではないが愛情深いわけでもない。放任主義というやつだろう。しかし誕生日はどんなに仕事が忙しくても祝ってくれる。参観日にも来てくれるし相談すればきちんと答えてくれる。

 はっきりとした愛情はないが彼なりの愛情を注いでくれていることはわかっている。だからこれ以上を望んだりしない。不満もない。望みも不満もない冷めているようでどこか暖かい日常。

 これからも当たり前のようにこんな生活が続くのだと思っていた。これ以上大きく変わることはないと思っていた。

 だけど、ある日それは崩れた。砂の城が波に流され崩れるように。最初から赦されなかったのか。普通の幸せさえも罪人には、罪から生まれた者には。

 もう二度と戻らぬ日々よ、別れすら告げる暇もなく去るのか。

 それとも今までは幸せな夢だったのか。夢から覚めた咎人に残酷な現実が突きつけられる。

 残酷な朝が訪れる。




 朝の挨拶が行き交う校門。生徒も教師も一日の始まりを実感する。いつも通りの平日の朝。いつも通りの学校。そこから始まった。

 気づかないうちに、しかし確実に。



「おっはよう! 暁斗」

 元気すぎる挨拶をぶつけてきたのは友人その一。

「桃園、そんなでかい声を出さなくても聞こえてる」

 こんな会話も暁斗にとっては日常茶飯事。

「何言ってんだよ。朝の挨拶は元気が肝心だろ?」

 そんなもの聞いたこともない。

「皆月おはよう。そして馬鹿菌発生装置にも一応あいさつしておいてやる。おはよう、そしてさらばだ、今すぐ帰れ」

 その後ろから挨拶と言えるのかわからない挨拶をしている友人その2が現れる。

「何だよ馬鹿菌発生装置って、俺は機械か! だいたいおはようって言ってすぐにお別れかよ」

 馬鹿扱いは別にいいのか。というか認めているのか。

「いや、友人を物扱いなどしない。なぜなら僕は無機質に話しかけるような変人ではないからな」

 友人その二こと島村は毒舌だ。しかも容赦がない。このコントも、もはやこのクラスの名物となっている。

「お前朝から機嫌悪いな。どうしたんだよ?」

 言われてみれば眉間に皺が寄っているように見える。

 島村は平穏な朝には似合わない盛大なため息をわざとらしく吐いた。

「記憶力のない桃園との会話には疲れる。しかたない、そんな桃園のために貴重な時間を割いて説明してやろう。僕がこんなにも不機嫌なのは君が昨日の夜遅く女にふられたという愚痴を何時間も電話で話していたからだ。何度電話を切ってもかけ直してくるし、聞いているフリをして放っておこうと思えば返答を求めてきたり。やはりこの世に害をもたらすしか脳がない存在だな、今すぐそこの窓から飛び降りてくれ」

「待て、ここは三階だ。下手すりゃ死ぬぞ」

「死んでもらってかまわない。むしろ死ね」

「かまうって!」

 運が良ければ死なないかと暁斗は窓の下を見下ろした。ちょうどグラウンドを走っていた運動部が真下を通り過ぎていくところだ。しかし骨ぐらいは折りそうだ。

「だってよう、遂に見つけたと思った理想の相手が実は彼氏持ちだなんて。しかも顔が平凡な男には興味がないって言うんだぜ。ひどいだろ」

 恋愛至上主義の桃園はいつも女に振られる。そしてその愚痴を島村にして痛烈な毒舌を喰らう。よくあることだ。

「確かに外見を重視することは相手に失礼なことなのかもしれない。しかしここで彼女が内面を重視するような女性であっても君はふられるだろう。なぜなら君は馬鹿菌を吹きまくる馬鹿菌発生装置だからだ。ただの馬鹿なら本人だけで済むが、君の場合周囲にまで被害が及ぶ。やはり有害生物だな、これ以上被害を出さないうちに死ぬことをお勧めする、というか死ね」

「結局はそれか! というか死ね死ね言うな!」

 もはや涙目で言い返すが、島村には何の効果もない。

「言われたくなければさっさと死ねばいい。そうすればもう言ったりはしない」

「う~~」

 本当に泣きそうだ。

「お前なんて大嫌いだ~!」

 そう叫びながら桃園は教室から飛び出していった、扉から。

 その後ろ姿を見送りながら島村が言ったことは、

「出て行く場所を間違えている。出て行くのならこっちだ。それにもうチャイムが鳴るぞ」

だった。そう言って彼は窓を指さしていた。

 それからすぐにチャイムが鳴り、学校生活の一日の始まりを告げた。

 桃園が急いで帰ってきて、担任に言い分を聞いてもらえず遅刻扱いにされるのもよくあることだ。だから今日もそうなるだろう。

 いつも通りの朝の光景だ。ここまではいつも通り。変化はない。






 ガラリと音を立てて引き戸が開かれた。

 担任がいつも通りの顔で入ってくる。だが、いつもは入ってすぐに閉じられるはずの戸が閉じられなかった。いつもと違った。

 そして開け放たれたままの戸からもう一人の来訪者が姿を見せる。

 そこにいつもの日常はなかった。





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