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第二話  東雲



 皆月朔夜、暁斗の父親。

 三十歳、小説家。

 十二月二十日生まれ、O型。

 東京在中、息子と二人暮らし。

 中学卒業、家族とは絶縁状態。

 趣味・読書。

 座右の銘・『我思う故に我有り』

 好きなジャンル・推理、ノンフィクション。

 嫌いなジャンル・恋愛。

既婚歴なし、受賞歴あり。



 既婚歴無し。



 元々両親との仲は良くなかった。

 人付き合いも悪く、不登校になりがちで家にこもりきりの息子に与える愛情など最初から持ち合わせていなかった。

 それは両親の責任でも朔夜本人の責任でもない。ただ、家族という関係でやっていくことはできなかったのだろう。ただその関係を間違えてしまっただけだ。それは誰の責任でもないだろう。生まれたときから間違っていたのだ。

 朔夜自身、それはよくわかっていた。だからその関係を修繕しようとはしなかったし、愛情を求めようともしなかった。

 不登校になった理由など語るほどの価値もないものだし、それまでの人生も誇れるようなものではない。ただ生きているだけの人生だった。

 それが変わったのはあの人に会ったから。

 それまで白黒だった世界に色が付いた。初めて生きていることに喜びを覚えた。未来を夢見た。

 何事にも適当だった自分があの人のことだけを考えた。自分だけを見て欲しくて、自分のことだけを考えて欲しくて、ずっと一緒にいたくて・・・。

 子供じみた独占欲。その時の俺は今以上に馬鹿だったから、愛情が時に人を傷つけるということすら知らなかった。

 たくさんぶつけて、傷つけて、最後には後悔だけが残った。

 想いは刃。恋は麻薬。得るものは何もない。






 その日、二年一組の教室はいつもと違う朝を迎える。

 担任に続いて入ってきた生徒。しかし誰も知らない生徒。

 教室中がざわめく中、担任は教壇から生徒達を見渡す。

「えー、今日は転校生を紹介する」

 そう言って黒板に名前を刻む。

「常磐蒼衣君。最近まで海外にいたそうだ。仲良くしろよ」

 教室中が好奇心に満ちている。

「常磐蒼衣です。よろしく」

 初めて聞くその声は十四歳の少年らしい、子供らしさの残る声。

 身長は少し大きめの百七十あるかないか。顔立ちはまだ幼さが残っているが、それなりに整っている。

 新たなクラスメイト達の好奇心に満ちた視線を受けながら、転校生は指示された席に着く。暁斗の後ろの席だ。教室の角。黒板からもドアからも一番遠い。人数の都合でその席は五ヶ月間、主を持たないまま放置されていた。そこがようやく生徒の所有物となる。

 暁斗は他のクラスメイト達と同じく新たな同級生に興味を持っていたが、後ろに座った彼の顔をしっかりと見ることもできないまま、担任は授業を始めてしまう。今日の一限目が担任の受け持つ教科だったことが不幸だった。

 しかたなく生徒達は学生としての義務を果たすべく教科書やノートを机の上に広げる。それは暁斗や転校生も変わらず、すぐ後ろでゴソゴソとする音を耳にしながら暁斗は落書きだらけの教科書とノートを取り出す。

 ちなみに桃園は運悪く一限目の授業すら遅刻扱いにされる。


 それが始まりの日の始まり。

 まだ誰もその始まりには気づかない






 新たなクラスメイトに皆が興奮する。好奇心強い者は声を掛け、世話好きは学校の案内などを申し出る。

 好奇心が強い者は暁斗の周りにもいる。暁斗の席からその明るく遠慮ない声を降らせる。

「はじめまして! 俺、桃園健二。趣味はデート。学校の女子生徒はほとんど把握してるから訊きたいことがあったらいつでも言ってくれ。こっちのは島村治。性格悪いからあんまり近づかない方がいいぜ」

 当人を前に勝手な紹介を行っている友人。しかしそんなことを言えば後がどうなるかまだわからないのは、学習能力がないということか、それとも今度こそ勝てるつもりなのか、どちらにしても勝てない勝負を挑むその姿はいっそのこと不憫だ。すでに悪魔はその隣で牙を尖らせているというのに。

「今こっちの呼ばわれした性格の悪い島村だ。紹介をしてくれた礼に俺も是非紹介させてほしい。これは生まれる先を間違えて人間に生まれてしまった世にも珍しい公害生物だ。感情が高ぶると身体から馬鹿菌を放出する。残念ながらこれを研究しようとする機関がないため、今現在も人間として学生生活を行っている」

「待て、そこまで言うか? ていうか俺は生まれたときから今現在もこの先も人間の予定だ」

「人間ではないとは言ってないだろう。人間の中にも突然変異というものがある。それにこの公害生物を研究し、無害化する研究をしようとする者はいない。それはこの馬鹿は人知を越えた存在だからだ」

「そんなところで人知を越えてもうれしくない! ていうか、俺は人間にも治せないほどの馬鹿だって言いたいのか!?」

「それは間違いだ。人間に治せる馬鹿などこの世にはない。僕が言いたいのは君がいかに人間の範疇を越えた馬鹿かということだ」

 それはもはや人間扱いされる方が哀しくないだろうか。

「それに」

 まだ言うつもりだ。

「馬鹿につける薬はないと言うしな」

「てっめぇぇぇぇぇぇ!!」

 自己紹介どころか転校生のことなど忘れて獣のように叫ぶ友人を、暁斗はやれやれとため息を吐きその視界から追い出した。

 暁斗は改めて転校生に向き合う。自分よりも数段整っていると思う顔は、いずれ見目美しくなることを予感させる。黒い髪は少年らしく短く切りそろえられている。そこには艶やかさがあり、つい触れてみたくなる。長い睫毛から覗く瞳には強さがあり、意志の強さを表している。

 そこまで観察して暁斗はふと気付いた。誰かに似ていると思った。誰かは思い出せないが、かなり身近な誰かだ。

 しかしその思考に埋もれてしまって目の前の転校生のことをすっかり忘れていることに気づいた。目の前の少年は考え事をしている暁斗の顔をじっと見ていた。人を前にして相手のことを忘れるとは、これでは桃園のことを笑えないなと反省しつつ、今度こそ目の前の人物に微笑みかける。

「初めまして、俺は皆月暁斗。前の席だから何かわからないことがあったらいつでも言ってくれな」

 それを聞いた彼の表情が、わずかに動いた。

「皆月……暁斗?」

「うん、そう。それがどうかしたか?」

 わずかな変化は社交的な微笑みによってかき消された。

「いや、知り合いに同じ名字がいるから・・・。ところで『アキト』ってどういう字書くんだ?」

 その言葉によって隠された心中の言葉に暁斗は気づかなかった。ただ社交的な奴なのだと思っただけだった。

「ああ、暁と北斗七星の斗で暁斗」

「変わった名前だね」

「ああ、親父の話じゃ暁の星って意味があるらしいけど」

 蒼衣の表情がまた揺らいだ。しかし暁斗は気づかない。

「それって明けの明星のこと?」

「? 何それ?」

「金星のことだよ。朝日が昇る頃に見えるんだ。逆に夕日が沈む頃の金星を宵の明星っていうらしい」

 初めて聞く説明に、暁斗は素直に感心する。

「へー、知らなかったな。まあ、どういうつもりで付けたかは知らねぇけどな」

「誰が付けたの?」

「さあ? たぶん親父かな。うち母親いねぇし」

「あ、ごめん」

「いいよ、気にしなくて。俺もまったく覚えてねぇから」

 それは真実だ。母親の思い出と名の付くものなど一つも残されていない。写真も、ビデオも、その姿を写した物は一切残っていない。だから暁斗は母親の姿を知らない。父親の話では自分自身、母親似だそうだ。しかし彼女の方がよっぽど美人だったといういらないおまけ付きの話だったが・・・。まあ、自分が父親似ではないことはよくわかっていたし、暁斗はそれほど気にしなかった。

「常磐の名前も変わってるな。普通『アオイ』って花の葵って字使うのにな」

「ああ、死んだ母親が付けたらしい。意味は知らないけど…」

「あ、ごめん」

 数十秒前に自分に対して言われた言葉を暁斗は繰り返す。

「いいよ、そっちも気にしなくて。僕を産んですぐに死んだらしいから」

 ほとんど同じ気遣いの言葉。しかしそこにはどこか寂しさが感じられた。

 普通母親がいなければさみしいものだなと暁斗は考えた。暁斗は子供の頃に母親のことを考えるのをやめた。正確には完全にやめたというよりも、母親がいないことを気にするのをやめた。記憶にない母親のことよりも、今一緒にいる友人や父親のことの方が暁斗にとっては重要だったからだ。それでも時折母親のいる家庭を羨ましいと思う。父親に不満があるわけではないが、自分にはないものを欲しがる気持ちは確かにあった。そんなこと父の前ではけっして言うはずもないことだが・・・。

 彼も寂しいのかもしれない。そう思うと失礼かもしれないが共感してしまう。

「じゃあさ、父親は? あと兄弟とかいる?」

 しかしその質問をしたことを暁斗は後悔する。

「兄弟はいるらしい。だけど僕の父親だっていう人はその兄弟連れてどこかへ行ってしまったらしい。今は母方の叔父と一緒に暮らしている」

 もしかして複雑なお家事情に首をつっこんでしまったのだろうか。暁斗は何と言って良いのかわからず、その場で固まってしまう。

 そんな暁斗に蒼衣は気にすることないと言う。

 陰気なところもなくそんな風に言われれば、暁斗もそれ以上考えはしない。暁斗の悪いところは相手の表面に集中してしまいその裏側にまで気が回らないことだ。

 だから蒼衣の心中など気付くはずもなかった。ここで彼が何かに気付いていれば、別の未来があったのかもしれない。しかしそうなりはしない。明けの明星はただ太陽と共に天へ姿を見せるだけだ。ただ、そうすることだけを疑問もなく続けるだけだ。

 だからこれが運命と名の付くものであるのなら、こうなることが運命なのだろう。いや、運命という大それた名前で表す必要はない。自然の法則というものだ。ただ生き物が生きるように、花が春に咲くように。何の疑問もない法則という歯車の中。




 ただ星は自分の空しか見ない。星が見えなくなる頃に広がる青空のことなど考えはしない。








 その日、帰宅した暁斗を迎えたのは玄関に並べられた一足の靴だった。立派な革靴は、どう見ても父の物ではない。かといって暁斗の物にしては女物だ。しかし見慣れたこの靴から、暁斗は自分のよく知る客人の到来を知った。

 リビングへ行けばそこには予想通りの人物の姿があった。

 リビングでテーブルを挟み向かい合いソファに座る二人の人間。一人は彼の父。そしてもう一人は上下を紺色のスーツで決め、スラックスに覆われた細長い両足を礼儀作法の手本のようにそろえ、その膝の上に形の良い手を重ねている女性。

 二人の目の前に置かれた珈琲はまだ温かい証拠の湯気を漂わせていた。

 声を掛けるまでもなく彼女は暁斗の帰還に気づいた。

「あら暁斗君、お帰りなさい」

「ただいま。麗子さんもいらっしゃい」

 優しく微笑み返す彼女は金村麗子。作家・皆月朔夜の担当編集者である。

 大人の女性という雰囲気の彼女は朔夜よりも年下であるが、その仕事ぶりや人格はしっかりしており、ずぼらなところがある朔夜を担当になってから数年間支えてきた。朔夜が社会人として生きられるのはこの人のおかげではないかと暁斗は思っている。

 ちなみに前の担当者は胃を壊して退職した。原因は子守を押しつけ、さらに締め切りをほとんど守らない朔夜にある。

 しかし金村が担当になってからは朔夜もあまり締め切りを破らなくなり、その頃には暁斗も学校に行くほど大きくなっていたので、彼女がその苦しみを味わうことはなかった。締め切りが破られなくなったのも、彼女の手腕によるものである。

「確かに原稿戴きました。それで先生、前に頼んだもう一つの方の進み具合はどうですか?」

 今朔夜は普段の分とさらにもう一つ、雑誌の別冊に載せる小説を書いていた。

「……まだ最初の方だけ」

 そう答える朔夜の視線は窓の向こうへと逃げていた。金村は微笑を絶やさず、あくまで優しそうな声で言った。

「先生、締め切りまで二週間もないのわかってますよね?」

「……うん」

「締め切りまでに書けますよね?」

「……たぶん無理」

 答える声はかなり小さい。それでもしっかりと彼女の耳には届いている。

「書けますよね?」

 顔はやはり笑ったままだ。しかしその笑顔の裏側に羅刹がいることを朔夜は知っている。

「……」

「書けますよね?」

 だんだんと声が強くなっている。

「いや、だから―――」

「書けますよね?」

「……書きます。書かせていただきます」

 ダラダラと冷や汗が朔夜の頬を伝っているのは見間違えではないだろう。ここで「できない」と答えれば生きて明日の日を拝めるかも怪しくなる。

 ようやく観念した様子の朔夜に満足した金村は、腰を上げ帰り支度を始める。自分の分の珈琲を一気に飲み干し、スーツについた皺を直す。

「それじゃあ先生、また様子を見に来ますから。お仕事がんばってください(訳/それまでに書いておけよ)」

「……はい」

「暁斗君、またね」

 そう言って静かな嵐は去っていった。

 嵐が去った後にはうなだれる朔夜と、そんな父を見下ろしている暁斗が残された。

「親父、夕食の支度はした?」

 ここで全く違う話題を出すのは暁斗なりの心遣いだ。

「……まだ」

「じゃあ今日は俺が代わってやるよ」

 これも暁斗なりの気遣いだ。

「サンキュ。俺は仕事してくるわ」

 そう言って自室に戻る父の暗い背中を暁斗は見送った。

 締め切り前に暁斗が家事を代わるのはよくあることなので、代わること自体に苦はない。

 台所にはすでに買われた材料が置かれていたので、暁斗は買い物袋から材料を出して並べた。今朝暁斗が出したリクエスト通り、そこには豚肉があった。

 暁斗は手慣れた手つきで一つ一つを調理していき、余ったものや今日使わない分は冷蔵庫にしまった。

 まだ夕食には早いので時間のかかるものだけ終わらせ、自分の部屋を掃除する。さらに洗面所のタオルを変え、観葉植物に水をやる。ちなみにこれは暁斗や朔夜が買ってきたものではなく、朔夜の友人が買ってきたものだ。その友人の話では、この家はあまりにも殺風景だから少しはマシになるだろうとのことだった。

 今はそれほどではないが、暁斗がまだ小さかった頃は実用主義である朔夜がまったく装飾品を飾らなかったため、絵どころか写真も置かれていなかった。まるでモデルハウスのようだった。昔はやってくる客もほとんどいなかったのでかまわなかったが、暁斗が小学校に入ると友人を連れてくることが多くなったので、何もしない父親に代わって持ってきた観葉植物や絵などを飾っていったのだ。

 朔夜は未だにそういったものに興味を持たないので、暁斗がそれらの管理をしている。 暁斗はまだ父親よりはそういったものに理解があった。自分の部屋には好きなサッカー選手のポスターや、小学校で作った工作などが飾られている。

 そういえば最近あの人に会っていないなと父の友人のことを思い出し、そして次に会ったら何から話そうかと考えながら暁斗は夕食までの時を過ごした。






 夕食に並んだのは暁斗のリクエストから豚のショウガ焼き、冷や奴、カボチャのスープ、シーフードサラダだ。サラダは朔夜の希望を幾分か譲渡したものだ――買ってきた材料の中に魚類が入っていた。

 今日は徹夜なのだろうなとどこか疲れ切った顔の父を見て暁斗は思った。金村が帰ってから今まで休まず仕事をしていたのだろう。これでは締め切り前日は生きているかもわからない。

「親父、そんなんで参観日は来れるのか?」

 暁斗の参観日は半月後だ。

「ん~、行けるようにする」

「無理して来なくてもいいよ。もう中学生なんだし来る保護者も少ないし」

 中学に入れば子供は大人になったつもりなのか、それとも大人らしいことをしたいのか、親に甘えなくなるし反抗もする。親からすれば一番かわいくない時期だろう。そういうわけで、中学の参観日は最初こそ文句を言わなくても、二度目三度目になれば子供の方が嫌がる。暁斗は嫌がるわけではないが、忙しいのに無理をして来てもらわなくても良いと遠慮するようにはなった。

「ガキが親の仕事を気にすんな。心配しなくて良い」

 朔夜はそう言って子供の遠慮を受け流す。

「あっそ。まあ無理すんなよ」

 そこで参観日についての会話は終わる。

「そういえばさ、今日転校生が来たんだ、うちのクラスに」

「ほお、男か? 女か?」

「男。俺よりでかくて何か行儀良い奴」

「お前と比べればたいていの奴は行儀良いと思うが?」

 他人のこと言えるのか、自分がそうなったのは誰の影響だと思ってるんだ。そう心中で叫ぶが決して口には出さない暁斗だった。この父親に口で勝てた試しはない。

 子どもはいずれ肉体的に親より強くなるが、精神面ではまだまだ勝ることはない。それは親が痴呆にでもかかるまでずっとだ。もっとも、この父親が痴呆にかかるなど想像も出来ないけど。

 ましてや暁斗はまだ十四歳の子どもだ。中学生を子どもと表現するのが適切かどうかは置いておくとして、自分の倍の時間生きている父親に精神面で勝つのはとうてい不可能である。もっともこの父親なら、たとえ年が一つしか変わらなくても勝てそうにないが。

「あ、そういえば」

 そこで暁斗は思い出した。

「ん? 何だ?」

「いや、たいしたことじゃないんだけど」

 常磐蒼衣に会ったとき誰かに似ていると思った。その時はそれが誰か考える暇はなかったが、今気づいた。

 彼は似ているのだ。今、目の前にいる父に。





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