6話 初日の授業
数日後――
降霊術学科の講義室は、
入学式の熱気が嘘のように整然としていた。
黒板の前に立つ男が、
教室全体を一度だけ見渡す。
派手さはない。
声も大きくない。
だが、立ち姿には無駄がなかった。
「……まずは、私からだな」
そう前置きして、男は名を告げる。
「セオドール・ハインツ」
淡々とした声音。
「王立魔導学院所属。
降霊術学科の実技担当兼、今年度のお前たちの担任だ」
一部の学生が、姿勢を正す。
「期待している、という言葉は使わない」
その一言で、空気がわずかに変わる。
「ここにいる以上、
一定の素養があることは前提だ」
黒板に指先で触れながら、続ける。
「私は、英雄を育てるつもりはない」
きっぱりと。
「王国にとって再現可能で、
制御できる降霊術師を育てる」
誰かが、小さく息を呑む。
「それが不満な者は、
今のうちに学科を変えろ」
言い切り。
だが、脅すような調子ではなかった。
事実を述べているだけの声音。
「質問は歓迎する。
感情論は歓迎しない」
「理解できなくても構わない。
だが、勝手な解釈は許可しない」
そこで一拍。
「――以上だ」
セオドールは、短く区切る。
「では、お前たちの番だ。
名前と、簡単な理由を言え」
「あー、立たなくてもいいからな」
その一言で、
張り詰めていた空気がわずかに緩んだ。
「順にいくぞ」
最前列の学生から、自己紹介が始まった。
「ラグナ・フェルクスです。
家が代々魔導師で……ま、強い魔法が使えそうだったんで」
軽い調子に、数人が小さく笑う。
「ガルド・ハインツ!
正直、よく分かってません!
でも、面白そうだったんで!」
はっきりした声に、今度は教室が少し和らいだ。
淡々と、名前と理由が続いていく。
「……エルヴィン・アーチバルド」
一瞬だけ、空気が変わる。
立ち上がった青年は、姿勢が異様に整っていた。
「王国魔法師団より派遣されています。
降霊術の体系的運用を学ぶために来ました」
それだけ。
余計な言葉はなく、
視線も揺れない。
(……派遣)
ユウリは、無意識にその言葉を反芻していた。
やがて、順番が近づく。
「ユウリ・——」
苗字を告げる前に、ほんの一瞬だけ迷う。
「……降霊術が、どういうものなのか知りたくて」
それ以上は言わなかった。
理由としては、曖昧だ。
だが、嘘ではない。
そして。
「リナ・ミツルギです」
淡い声。
「……降霊術が、
何を“降ろしているのか”を知りたくて」
その言葉に、何人かが首を傾げる。
だが、セオドールは何も言わなかった。
「……次」
名を呼ばれ、
後方の席から、ひょい、と軽い動作で立ち上がる女子がいた。
黒髪を高い位置でまとめ、
制服の着こなしもどこか雑。
「シャオ。シャオ・リン」
発音はやや訛りがある。
「理由?
んー……興味、かな」
一瞬、教室が静まる。
「降霊術ってさ」
そこで、シャオは少し首を傾げた。
「“危ない”って言われてる割に、
王国はめっちゃ使ってるでしょ?」
数人が、ぴくりと反応する。
「それって、たぶん――
面白いってことじゃん?」
悪びれない笑顔。
「だから来た。以上」
言い切って、さっと座る。
一拍。
誰かが苦笑し、
誰かが呆れたように息を吐く。
ガルドが小声で、
「正直すぎだろ……」
と呟いた。
だが、セオドールは注意もしない。
ただ一度だけ、
評価とも警戒ともつかない視線をシャオに向け、
すぐに黒板へ戻した。
「次」
それだけだった。
ユウリは、内心で思う。
(……どっちだろう)
(あまり深く考えている様には見えないんだよな)
シャオは、机に肘をつきながら前を見ている。
もう興味を失ったようにも、
すべて分かった上で黙っているようにも見えた。
「次――」
全員の自己紹介が終わると、
教室は再び静かになる。
セオドールは、そこで初めてチョークを手に取った。
「よし」
黒板に向き直る。
「では、本題に入ろう」
「入学式のデモは見ただろう」
その一言で、教室の空気が引き締まる。
「だが、あれは“結果”だ。
今日は、基礎から話す」
チョークが走る音。
降霊術とは、
人の魂ではなく“魂の残滓”を
霊触媒を介して顕現・運用する技術である。
淡々とした定義。
感情も、英雄譚もない。
「人格や意志は存在しない。
見えるとしても、それは錯覚だ」
誰かが小さく頷く。
あの日の光景が、
今の言葉で“正しく整理”されていく。
「過去、規格を守らなかったことで悲劇が起きた。
だから我々は、同じ過ちを繰り返さない」
黒板に書かれる、“正しい歴史”。
ユウリは、視線を落とした。
(……そう、なのか)
説明としては、筋が通っている。
王国が誇る完成形。
でも――
あの時、確かに感じたものだけが、
この教室のどこにも存在していなかった。
隣で、リナが小さく息を吸う。
そして、静かに手を挙げた。
「質問、いいですか」
リナの挙げた手は、教室の中でひどく目立った。
降霊術学科の学生は、まだ互いの様子を探っている段階だ。
まして初日の講義で質問をする者は少ない。
セオドールは一瞬だけ視線を向け、それから頷いた。
「どうぞ」
リナは立ち上がらない。
席に座ったまま、淡々と口を開いた。
「先ほどの定義では、
降霊術は“魂の残滓”を顕現する技術だと説明されました」
「そうだ」
「ですが、デモンストレーションで見たものは――
それだけでは説明できないように思えました」
教室が、静まる。
誰かが身じろぎする音。
ユウリは、視線を前に向けたまま耳を澄ませていた。
「具体的には?」
セオドールの声は穏やかだった。
「複数顕現の際、
顕現体同士の連携があまりにも自然でした」
言葉を選びながら、リナは続ける。
「事前に組まれた術式というより、
“判断”しているように見えた」
それは、ほとんど言ってはいけない領域だった。
数人の学生が、困惑したようにリナを見る。
だが、セオドールはすぐには否定しなかった。
「良いところに気づいたな」
そう言ってから、黒板に向き直る。
「だが、それは錯覚だ」
きっぱりと。
「高位の降霊術では、
規格アバターに組み込まれた戦術補助術式が自動的に作用する」
チョークが動く。
「結果として、
意思があるように見えるだけだ」
理屈は、明快だった。
あの日の光景を、無理なく説明できてしまう。
「魂そのものが判断しているわけではない。
それを認めてしまえば、降霊術は制御不能になる」
教室の空気が、少しだけ引き締まる。
「だから我々は、
魂を“人格”として扱わない」
セオドールは、そこで一度言葉を切った。
「――それが、この学科で学ぶ前提だ」
リナは何も言わなかった。
ただ、静かに頷く。
納得したようにも、
していないようにも見える仕草。
質問は、それで終わった。
講義はそのまま、
霊触媒の基礎構造と歴史的経緯へと進んでいく。
王国が語る、正しい過去。
規格化がもたらした安定と繁栄。
ユウリは、ノートを取りながら思っていた。
(……説明は、筋が通ってる)
なのに。
あの演習場で感じた“熱”だけが、
どの言葉にも当てはまらない。
授業が終わり、学生たちが立ち上がる。
「次回からは観測訓練に入る。
実技はまだだが、心構えはしておけ」
セオドールの声を背に、教室を出る。
廊下に出た瞬間、
リナがふっと息を吐いた。
「……やっぱり、ここでも同じなんだね」
独り言のような声。
ユウリは、少しだけ間を置いて答えた。
「説明は、全部“間違ってはいない”よな」
「うん。だから厄介」
リナは、窓の外を見る。
「正しい降霊術、かぁ…」
その言葉に、ユウリは返事をしなかった。
◇
授業が終わり、学生たちはそれぞれの放課後へと散っていく。
リナはシャオとラグナに誘われ、軽い足取りで特区の通りへ出た。
街は昼の喧騒が嘘のように落ち着いている。通り沿いのカフェの窓には、余裕を持った客たちの笑顔が映っていた。
リナは思わず足を止める。
「ここって、お金がないと入れないの?」
シャオが軽く笑う。
「そう。民間経営はね、お金が必要。でも、向こうは国営だから、カード端末さえあれば誰でも買えるよ!」
リナは目を見開く。
「国営? じゃあ、限度はあるけど自由に買えるってこと?」
ラグナが横から口を挟む。
「生活必需品や軽食なら問題なしだ。国は最低限の衣食住とインフラを提供するために労働を管理する」
少し胸を張り、誇らしげに言う。
「残りは個人の自由だ。あのお洒落な喫茶店も誰かの余った時間で成り立っているのさ」
一瞬、リナは何を言っているのかわからなかった。
「信じられない……それでよくここまで豊かな社会に」
シャオは両手を大きく振って抗議するように言った。
「えー、全部一括りにしてる方が信じられないよ!」
ラグナは少し微笑んだ。
「俺は、こういうシステムだからこそ、自由に挑戦できると思ってる。
降霊術を修めて、王国の役に立てる存在になる――それが俺の目標だ」
リナは通りの掲示板に貼られた演習会や魔導器の案内を眺める。
誰も強制されていないのに、街には自然な活気があった。
歩きながら、リナはふと思った。
「……確かに、王都とは言え、スラムも孤児もいない。街行く全ての人の表情に余裕がある」
最低限の労働義務はある――衣食住に関わるものや道路の補修、公共施設の管理など、1日数時間程度。
でも、その義務も生活に支障はなく、街の空気には自由の匂いが満ちていた。
「……自由すぎる」
リナの口から漏れた呟きには、驚きと困惑が混じっていた。
ラグナは空を見上げ、微かに拳を握った。
「この国の自由を使って、俺は強くなりたい――そのために、ここにいるんだ」
リナは小さく息を吐きながら、二人を見た。
(……王国の価値観、やっぱり違う。けど、確かに楽しそう……)
ふと、路地の奥に誰かの影が動く気配に気づく。
それはユウリだ。魔導端末を手に、浮遊ゴーレムの挙動を調整している。
遠くから眺めるリナには、彼の存在も自然に街の一部として映った。
◇
ユウリは、学園から少し離れた路地を歩いていた。
歩道には浮遊灯が等間隔に並び、足元を柔らかく照らしている。街灯は魔導技術で自動調光され、昼夜の境目すら曖昧だった。
行き交う市民は皆、表情に余裕があり、行動にも抑制がない。民間商店の窓口では、カード端末で簡単に買い物を済ませる光景があちこちで見られる。誰も列に並んでいない。
――王国の自由度は想像以上だ。だが、合理性だけでは動かない“余白”が確かに存在していた。
ユウリは、手元の魔導端末を軽く操作してみる。
近くの路地角に置かれた清掃用の浮遊ゴーレムが、指示通りにゆっくりと移動し、ほこりを掃き集める。
何も命じなくても、周囲の人の邪魔にならないように自律して動く。
――合理的に制御されながら、決して息苦しくはない。自由も確保されている。
しかし、ふと路地の奥に置かれた監視魔導器の小さな光点に気づく。
気配は明確ではないが、何かがこちらを見ているような――違和感が、胸の奥に残った。
(……見られている?)
誰が、何のために――具体は分からない。
ただ、街は今日も魔導技術に支えられながら、自由と合理性の間で穏やかに回っている。
ユウリは、端末越しにゴーレムの動きを一度止め、軽く回避動作を加えてみる。
柔軟に反応する姿に、王国の秩序と技術の余裕を感じながら、胸の奥に小さな疑問も芽生えた。
――自由と制御、どちらも過剰ではないこの街で、誰が、何を管理しているのだろうか。
その時、軽い足音とともに声がかかった。
「ユウリ、何してるの?」
振り返ると、ラグナとシャオが肩を並べて立っていた。
「魔導ゴーレムの挙動を調整してただけ」
ユウリは肩をすくめる。
シャオはにやりと笑い、端末を覗き込む。
「おお、ユウリも王都の生活を堪能しているねェ!」
ラグナは両手をポケットに突っ込み、少し得意げに言った。
「こういう柔軟さがあるから、俺はこの街が好きだ。余裕が出たら細部を凝る……いつかお金を貯めて一点物の魔道具の一つでも買ってみたいぜ」
ユウリは二人の笑顔を見ながら、微かに笑みを返す。
「なるほど……王都の日常も、悪くないな」
シャオは軽く肩を叩き、軽口をひとつ。
「じゃあ、この後はカフェでひと休みしよっか。もちろん、国営の方でね!」
四人は笑いながら路地を抜け、夜の特区を歩いていく。
灯りに照らされた街は、魔導技術と自由な空気に満ちていた。
今日の体験を胸に、少しだけ未来に思いを馳せながら――彼らは穏やかに、そして軽やかに、王都の夜に溶けていった。




