5話 入学式
その日は、朝から学院全体が妙に落ち着かなかった。
回廊には式典用の装飾が施され、普段は閉ざされている中庭の門も開放されている。
正門前には、王国旗と学院旗が並んで掲げられ、衛兵の数もいつもより多い。
――入学式。
それは、王立魔法学院において単なる通過儀礼ではない。
王国にとっての“未来の戦力”を内外に示す、公式行事でもあった。
降霊術学科の新入生たちは、指定された時間に合わせて大講堂へと集められていた。
ユウリは、列の中で静かに周囲を見渡す。
すでに顔見知りになった者もいれば、距離を保ったままの者もいる。
ガルドは落ち着きなく辺りを見回し、前列では例の優等生が背筋を伸ばして立っていた。
そして、少し離れた位置に――リナ。
彼女は今日も変わらず、どこか一歩引いた場所に立っている。
だが視線だけは、講堂の中央を正確に捉えていた。
(……昨日より、緊張してるな)
自分も人のことは言えない。
胸の奥に、説明のつかないざわつきがあった。
やがて、厳かな鐘の音が鳴り響く。
入学式が始まる合図だった。
大講堂は、想像していた以上に広かった。
高い天井。
歴代の学院長や功績者の名が刻まれた壁。
正面には、王国紋章と学院章が並んで掲げられている。
新入生たちは学科ごとに整列し、来賓席には貴族や王国関係者の姿があった。
その視線が、値踏みするように学生たちをなぞっていく。
壇上に立った学院長が、短く咳払いをする。
「――王立魔導学院への入学を許可された諸君、歓迎する」
形式的で、重みのある言葉。
王国の歴史。
学院の役割。
魔導師が担う責務。
どれも聞いたことのある内容だったが、こうして公の場で語られると、別の重さがあった。
「諸君は今日から、学ぶ者であると同時に、
王国に見られる存在となる」
その言葉に、講堂の空気がわずかに引き締まる。
降霊術学科の列に、視線が集まるのをユウリは感じた。
――危険な学科。
――だが、強力な学科。
期待と警戒が、ないまぜになった視線。
「続いて――」
学院長が言葉を継ぐ。
「本年度入学生に向け、
各学科の成果を示すためのデモンストレーションを行う」
ざわ、と小さなどよめき。
デモ。
それが用意されていることは事前に知らされていなかった。
「これより、演習場に移動する」
その宣言で、式典は一度区切られた。
学生たちは列を保ったまま、講堂を後にする。
外に出ると、澄んだ空気とともに、遠くから演習場の気配が伝わってきた。
――ただの入学式じゃない。
ユウリは、そう確信していた。
◇
王立魔法学院の入学式は、講堂では終わらなかった。
「これより、演習場にてデモンストレーションを行います」
そう告げられ、学生たちは演習場へと誘導される。
円形に整備された広大な場。外周には教員と来賓、中央には既に——巨大な人型ゴーレムが三体、無機質な視線を向けて立っていた。
相対するのは王国魔法師団の制服を身に纏った小隊。
圧倒的なスケールの差に、王国の兵士たちが小さく見えた。
突如、ゴーレムが前進を始めた。
ざわめきが走る。
「ご覧いただいておりますゴーレムは錬金術学科による最新技術が詰め込まれており――」
「ファイヤーアロー」「サンダーレイン」
鳴り響く轟音。
詠唱とともに放たれた炎と雷がゴーレムに降り注ぎ、演習場を囲う結界が僅かに揺れる。
「――魔法耐性を獲得。一般魔法での制圧は困難です。」
ゴーレムはほぼ無傷の状態で魔法行使の残滓と砂埃の中から現れた。
次いで魔法師団の数人が展開する結界と拘束が、その動きを完全に止める。
――見事な連携だった。
だが、それはあくまで“足止め”だった。
「最後に――王国が誇る降霊術の最高峰をお見せします」
場が静まり返る。
中央へ進み出たのは、一人の青年だった。
銀髪。
無駄のない立ち姿。
華美ではないが、どこか戦場を思わせる装い。
ヴァルトラント公爵家当主。
王国最強の降霊術師。
「アシュトレイ・ヴァルトラント」
名前が告げられた瞬間、空気が変わった。
⸻
アシュトレイは、演習場の中央で足を止める。
「アサルトアーマー展開」
短い言葉。
だが次の瞬間、地面に刻まれた魔法陣が複数同時に起動した。
一つ、二つ、三つ——
いや、五つ。
半透明の人型が、霊触媒を核に次々と形を取っていく。
5体それぞれが固有の武器を装備しており、5体で1つの生命体のような感覚。
同一の“空虚な顔”。
「……一度に五体?」
「それだけじゃない――
武装まで違う……役割分担か」
誰かが息を呑む。
アシュトレイは、わずかに眉を寄せた。
「——いつも言ってるだろ」
低く、誰に向けたとも知れない声。
「自我を出すんじゃない」
その言葉に呼応するように、五体のアバターの背後に——
熱が、揺らいだ。
炎などではない。
これが“魂”なのだ。
ユウリの胸の奥が、ひくりと震える。
(……確かに感じる)
見えないはずのものを、見ている感覚。
空虚な顔の奥。
規格化された装甲のさらに奥で、何かが押し込められている。
霊触媒が、悲鳴のように軋んだ。
「顕現せよ」
アシュトレイが、そう告げた瞬間。
5体の影が一瞬で消える。
刹那、強烈な輝きと共に5体の装甲兵が“顕現”した。
質量を伴う5体の装甲兵は、まるで一つの生命体であるかのように無駄のない動きで一斉に踏み込み――
滑らかに連携しながら突撃し、
まるで“決められた手順”をなぞるように、ゴーレムを粉砕した。
「――っみ、見事にゴーレムを制圧っ!」
圧倒的だった。
速く、正確で、感情は見えない。
微動だにせず静かに佇むその姿は、次の指示を待つ従順な番犬。
降霊術の完璧な“お手本”だった。
歓声が上がる。
教師たちは満足げに頷き、来賓席では拍手が起こった。
――理想的な降霊術。
王国が誇る、完成形。
けれど。
(……違う)
ユウリは、気づいてしまった。
あの“魂”は、
本来、こんな静かなものじゃない。
もっと——
抗い、主張する。語ろうとする。
なのに、あれは。
「……押し殺している」
思わず、呟いていた。
隣で、リナが小さく瞬きをする。
「……あなたも、そう見えた?」
淡い声。
ユウリは、視線を前に向けたまま、頷く。
演習場の中央で、アシュトレイはすでに術を解いていた。
霊触媒は沈黙し、魂の気配も消えている。
ただ一瞬だけ。
誰にも気づかれないほど短く、
アシュトレイが、胸元に手を当てた。
まるで——
中にいる何かを、宥めるように。
歓声と拍手が、少し遅れて演習場を満たした。
粉砕されたゴーレムの残骸は、既に魔法師団によって回収されつつある。
さっきまでそこにあった圧倒的な光景が、嘘だったかのように。
アシュトレイ・ヴァルトラントは、
何事もなかったように背を向け、演習場を後にした。
学生たちは興奮冷めやらぬまま、列を作って移動を始める。
「すげえ……」
「五体同時顕現だぞ」
「やっぱり降霊術が最強じゃん」
言葉は軽い。
憧れと安心が混じった声。
――“王国は強い”
――“正しい道を歩んでいる”
そう信じられる光景だった。
ユウリは、最後まで振り返っていた。
既に何も残っていない演習場の中央を。
(……消えた、よな)
霊触媒も、魂の気配も。
まるで最初から存在しなかったかのように。
「ユウリ」
隣で、リナが小さく声をかける。
「……すごかったね。降霊術」
感想としては、正しい。
ユウリは、少しだけ言葉を選んで答えた。
「……うん。
でも、思ってたより――静かだった」
リナは一瞬だけ考え、ほんのわずかに口元を緩める。
「それ、私も思った」
それ以上、言葉は続かなかった。
列はそのまま校舎へと戻っていく。
興奮は雑談に溶け、やがて日常の色を取り戻していった。
◇
一方、演習場の外周。
来賓席が解体され始める中、数名の関係者がその場に残っていた。
「……見事でしたな」
そう口にしたのは、魔法師団の高官だった。
「五体同時顕現。しかも完全な規格運用。
再現性も高い」
「ええ。制御精度も申し分ありません」
応じた青年は、まだ若かった。
王国魔法師団の制服。
実戦を想定した簡素な装備。
だが、その立ち姿には無駄がない。
演習場の中央を、冷静に見つめている。
「感想は?」
問われ、青年は少しだけ間を置いた。
「……理想的です」
即答だった。
「高位魂を用いながら、人格の露出がない。
あの出力で、あの安定性。
戦力としては、完成形に近い」
言葉は正確で、感情が混じらない。
「危険性は?」
「規格を守る限り、低いでしょう。
少なくとも、軍として運用する分には問題ありません」
“軍として”。
その言葉を、誰も訂正しなかった。
高官は満足げに頷く。
「君も、いずれはああなる」
青年は、その言葉に反応しなかった。
否定も、肯定もしない。
ただ一度だけ、視線を演習場の中央から外す。
――何も残っていない場所。
「……ひとつだけ」
低い声で、青年が言った。
「気になる点が?」
「いえ」
青年は、すぐに首を振る。
「個人的な感想です。
記録には残す必要はありません」
それ以上は語られなかった。
高官は深く追及せず、話題を切り替える。
「では、学院側への引き継ぎを進めよう。
君も、明日からは学生だ」
「了解しました」
青年は、簡潔に答えた。
去り際、もう一度だけ、演習場を振り返る。
あの時、確かに感じたはずの“熱”。
だが、それは評価基準には含まれない。
含めてはいけない。
(……規格化されている)
それが、この王国の強さだ。
青年は、そう結論づけ演習場をあとにした。
エルヴィン・アーチバルド
王国魔法師団が、
将来を見込んでこの学院に送り込んだ人材だった。




