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64話 雪原の向こうへ


「ユウリ……ユウリ起きて!」


 まだ寝ているユウリを揺すって起こす。


「んん……リナ?」


 まどろみの中、ユウリはようやく目を覚ました。


「おはよう。早くしないと列車に遅れちゃうよ」


 目を覚ますと、隣にはリナがいた。

 その幸せを噛み締める間もなく、ユウリはガバッと起き上がる。


「ごめんリナ!」


「まだ大丈夫だよ、私がいて良かったね」

 えへへと得意げに笑う。


 そもそもリナがいなければ、寝坊することもなかったのかもしれない。

 けれど、得意げに笑う彼女の顔を見ていると、文句を言う気にはなれなかった。

 

「ありがとうな、一緒に来てくれて」

 そう苦笑いで応える。


 ユウリはまだ寝ぼけた頭で昨夜の事を思い出した。

 

 隣のベッドにはリナがいて、

 それを意識した途端、妙に目が冴えてしまった。


 彼女の規則正しい寝息が聞こえていた。


(大胆というか度胸があるというか)


 目を閉じても寝返りを打っても、すぐ隣にリナがいると思うと落ち着かない。


 結局、なかなか寝つけないまま夜が更けていったのだった。


 ◇


 まだ薄暗い早朝の王都。


 朝焼けを背に、魔導列車が王都を離れていく。


 凍てつく空気の中、列車はスピードを上げて進む。


「あっ、また素通りした」


 過ぎ去っていく駅を窓越しに覗きながらリナが呟いた。


「全部止まってたら一日でノースヴェルグに着かないから」


 ユウリが答える。


 週末に出発したのは、このためだった。

 平日は各駅停車になるので、移動に時間がかかる。


「へぇ、詳しいね」


「王都に来る時、乗って来たからな」


 確かあの時は早朝ノースヴェルグを出発して、王都に着いたのは二日後の昼だった。

 途中の街で乗り継ぎがあったことも、今では懐かしい。


「……あの時は何も分かってなかったんだよ」


「ユウリも失敗するんだね」

「それにしても、こんなに早く移動しても一日かかるなんて、王国ってとても広いのね」


「リナは東方諸国からきたんだろ?東の方からだと結構距離があるけど、どうやって王都まで?」


「ほとんど船だったからなぁ、王国の港から王都までは確か半日くらいだったよ」


「船かなるほどな、リナの故郷は島国だっけ?」


「そうだよ、私の生まれた国は東方諸国の中でも南の方」

「だから雪なんてこの前初めて見たよ」


「そっか、俺は海を見たことが無い」


「全然違って面白いね」

 

 リナは窓の外を眺めながら、にこやかに目を細める。

 それからユウリに視線を戻した。

 

「今度は、ユウリがうちに来なよ」

「って言いたいところだけど……家出みたいに飛び出してきちゃったからな」


 リナは「あはは」と小さく笑った。

 けれど、その表情はどこか硬かった。


「一緒に行こう!……いつか、一緒に」


 事情は聞かない。

 そんな事とは関係なくリナの力になりたいと思ったから。

 

「ありがとう。ユウリがいてくれたら心強いかも」

 リナの表情が和らいだ。


 そうこうしているうちに、列車が速度を落とし一つ目の駅に到着する。


 乗り込む乗客の方が圧倒的に多い。


「みんなノースヴェルグに行くのかな?」


「そうかも知れないな」


 旅人風の青年、老夫婦、家族連れの若い夫婦……。

 

 老若男女を乗せて列車は次の目的地に向けて出発する。


 王都を離れて一刻ほど。

 車窓を流れる景色は、いつの間にか市街地から離れ、遠くに見えていた西の大山脈が随分と近くなっていた。


 ノースヴェルグまでの路線は直線では無い。

 王国北西部の主要都市を経由し、蛇行しながら北へと伸びている。俯瞰してみると、北の魔海を避けるように敷かれているようにも見えた。

 

 外の景色にも飽きてきた頃、リナは荷物の中から一冊の本を取り出した。


「なんだそれ?」


「移動中に読もうと思って」


 そう言って広げた本には『古事記』とある。


「前の文明の神話かな、遺跡から発掘される前文明の遺産なの。これは翻訳版」


「神話……前も王国の創世神話買ってたけど、そういうの好きなのか?」


「うん。なんか惹かれるんだよね」

「ユウリも読む?」


 リナは身を寄せて、ユウリが見やすいように本の位置を調節する。


「せっかくだから見てみるか」


 その物語には、世界の始まり――いや、それよりも前のことまで記されていた。

 

(聞き馴染みのない神様の名前が延々と……)

 

 これら一柱一柱、それぞれの魂がホノカのように存在するのだろうか。

 そんな事をぼんやりと考えながら読んでいたのだが、

 イザナギとイザナミが国を産むところに差し掛かった頃、ユウリは眠気でウトウトし始めていた。


 そして。


 リナの肩に、ユウリの頭がコクリと寄りかかった。


「おやすみ、ユウリ」


 そう小さい声で伝えると、続きを読み進めるリナ。


 島が生まれ、大地が整っていく。

 海や風を司る神々が生まれ、やがて多くの神々がその名を連ねた。

 そして、最後に生まれたのが火の神だった。


 その誕生によってイザナミは身を焼かれ、黄泉の国へと去っていく。


 妻を失ったイザナギが、嘆きと怒りに駆られ生まれたばかりの火の神を斬り殺してしまう。


(ええ……なんだか可哀想)


 リナは、火の神の名を指でなぞった。

 カグツチ。

 声には出さず、もう一度その名を目で追う。


 そして、火の神の血からもまた、新たな神々が生まれたという。

 カグツチを斬った剣に付着した血からは、剣や雷にまつわる神々が誕生したそうだ。


「神様がいっぱいね。まるで——」


 リナの故郷の島国=エリスでは、万物に神が宿ると教えられている。

 聞き馴染みのある神々の名前。神話の世界観も、どこか故郷の教えに似ていた。

 もしかすると、この神話を語り継いだ人々は、遠い昔にエリスへ渡った先住民だったのだろうか。


「お父さん、元気にしてるかな」


 ふと、そんなことを思った。

 

 厳しかった父。

 古くからの教えを大切にする家に生まれ、一人娘として大切に育てられた。


「ユウリの両親はどんな人なのかな」


 本を閉じる。


 肩にもたれるユウリに意識が向いた。


「目が覚めたら聞いてみよっと」


 そっと身体を支え、膝の上へと頭を移す。

 それでも、ユウリは目を覚まさなかった。


 魔導列車がガタンガタンと一定のリズムで心地よく揺れている。

 

 ◇


 お昼を少し過ぎた頃。

 大山脈の麓まできた列車が北東へ進路を変えてまもなく。


 見上げるほどの石壁が鉄道の左右に現れた。


 その間に列車がゆっくりと入っていく。


 窓の外を見上げる。


 左右にそびえる石壁は、どこまでも続いているようだった。

 その頭上を覆うように、石造りのアーチが架かっている。


「……すごい」


 リナが窓の外を見上げたまま呟いた。


 思わずまだ膝の上で眠るユウリを起こす。


「ううん……ここは?」


「なんかすごい場所に来たんだけど」


「……ああ」

 窓の外を見て、ユウリはすぐに状況を理解した。

「とりあえず降りるぞ」


「降りるの?」

 不安そうに尋ねる。


「大丈夫、一旦降りて乗り換えるんだ」


 周りを見渡すと、他の乗客も降りる準備をしていた。


「このまま乗ってたら王都に逆戻りだからな」


 やがて列車が止まり、乗客の流れに乗って列車を降りた。

 

「この石壁は、それぞれ別の街を囲んでいる外壁なんだ」

「って言っても、前にここで一泊しただけなんだけど」

 

 苦情混じりの笑顔で答え、詳しい訳じゃないと念を押す。

 

 そう言われて、リナは改めて周囲を見回した。

 

 確かに、線路の少し先には大きな門が見える。

 このトンネルのような空間は、魔導列車が悠々と収まるほどに広かった。

 壁際には露店が幾つも並んでいて、屋台の匂いが食欲を刺激する。


「乗り継ぎのために、出発までは時間があるはずだ」


 この街ゾンフルタグは、王都とノースヴェルグを結ぶ鉄道路線の中間地点にある。王国北西部に点在する鉱山都市群の中心地であり、列車の運行を管理する拠点でもあった。


 もともと一つの街だったが、都市の真ん中に鉄道を敷く際にこのような構造になった歴史がある。


 間も無くして、ノースヴェルグ方面から列車が入ってくるのが見えた。


 二人が乗ってきた列車と向かい合うように、一本の線路に停車する。

 ゾンフルタグでは、王都方面とノースヴェルグ方面から来た列車が、それぞれ折り返して運行している。

 ここよりも先に向かう乗客は、反対側の列車に乗り換え目的地へと向かうのだ。


「なるほどね!」

 リナは感心した様子で頷いた。


「街の中まで行く時間はないけれど、ここの露店くらいなら見て回れると思う」

 

 そう言って、ユウリは露店の並ぶ壁際へと歩き出した。

 リナもその隣に並び、珍しそうに屋台を眺めていく。


 食べ物を焼く香ばしい匂いが漂う中、威勢のいい声が二人を呼び止めた。

「おーい、兄ちゃん姉ちゃん乗り換えかい?」

「ゾンフルタグ名物、角(つの)無し兎の串焼きだ!」


 香ばしい匂いに、リナがぴたりと足を止めた。

「この辺りの兎って、ツノが無いの?」


「……角があるのが普通なのか?」

 

「えっ、違うの?」


「こいつは北の山地で獲れる特別な兎でな。肉が柔らかくて、臭みも少ないんだ」


 屋台の店主が、焼き網の向こうから豪快に笑った。


「角がない分、魔力の巡りが違うって話もあるが……まあ、俺は詳しい事は知らねえ!」


 串の上では、こんがりと焼けた肉から脂が滴っていた。表面に塗られた甘辛いタレが炭火に落ち、じゅう、と音を立てる。


「……おいしそう」

 リナのお腹が、小さく鳴った。


「それじゃあ、二本ください」

 

 ユウリが代金を払うと、店主は手際よく串を差し出した。


「熱いから気をつけな!」


「ありがとう!」


 リナは両手で串を受け取り、息を吹きかけてから一口かじった。


「……ん!」


 頬が、ぱっと緩む。


「おいしい!お肉がすごく柔らかい!」


「だろう?こいつを食わずに北へ行くなんて、もったいないからな!」


 店主が得意げに胸を張る。


 ユウリも串を口に運んだ。


 馴染みのある味付けだった。故郷で食べていた獣肉とは違うが、どこか懐かしい。


「この街はこういう屋台が多いんですか?」

 

「おう!鉱山で働く人も、列車を待つ人もいるからな。手早く食べられるものは人気なんだ」

「ここは色んなギルドの連中が軒を連ねているから、他にも覗いてみるといい」


 店主が答えると、リナは串を持ったまま、周囲の屋台を見回した。


「そっか。ここで暮らしてる人たちの食べ物なんだね」


 リナは次の屋台にも目を向けていた。

 

 列車の乗り換えまで、まだ時間はある。

 二人は出発の時間まで屋台を巡ることにした。


 ◇


 夕焼けに染まる大山脈西麓街道は、雪が薄く降り積もっていた。

 街道に沿って敷かれた線路は、その上だけ雪が溶けて露出している。

 

 街道を進む馬車を、魔導列車が雪を舞い上げながら追い越して行く。


 ゾンフルタグを出発してしばらく。

 二人は、外の景色を見たり、本を読んだりして静かに過ごした。

 途中の駅を通過するたび、ユウリは窓の外へ目を向けた。

 見慣れた北の景色が、少しずつ近づいている。


 やがて、線路は山の森へと続いていった。

 夕暮れの光が木々に遮られ、車窓が少しずつ暗くなっていく。

 この森を抜ければ、ノースヴェルグ辺境領だ。


「外、暗くなってきたね」

 リナは本を閉じる。


 仄暗くなった車内を、足元の誘導灯の明かりがぼんやりと照らしている。


「そうだな、この森を抜けたらあと一駅か二駅で終着だ」


「そっか、遠いな」

 

「終点のニンフェガルドに着く頃には、すっかり夜だな」


「ねえユウリ、一日中一緒にいるのは初めてだね」

「なんか嬉しいな、課外授業の後ユウリがいなくなって、もう戻ってこないかもって思ったら……」

「でもこうして戻ってこれて本当に良かった」


「ごめんな、心配かけて」


「ううん、ユウリが謝る事じゃないよ。それに……私達を守ってくれたんだし!」


 リナは少しだけ視線を落とした。

 それから、迷うように口を開く。

 

「ユウリは死ぬのが怖くないの?」


 考えたこともなかった問いに、ユウリはしばらく沈黙した。


「自分が死ぬのは——怖くないのかもしれないな」


 ふう、と息を吐く。


「……守りたいものを、守れない事の方が怖い」


 リナは、すぐには答えなかった。


「リナだって、命を賭けて俺を守ってくれた」


「あの時は夢中で、とにかくユウリを助けなきゃって……その……大切な人だから」


 口にした途端、リナは気恥ずかしそうに俯いた。


「……だから、ユウリにも生きていてほしいんだよ」


「……俺は……ごめん、すぐには答えられない……」


 ひとつ分かっていること

 守りたいものを、守れるように。

 もっと、強くならなければ。


 その時、列車がトンネルに入った。


 トンネルの中は、闇に包まれていた。

 魔導列車が放つ青白い光だけが、暗闇の中に浮かび上がる。

 光はトンネルの壁を照らし、反射した光が窓越しに車内へと差し込んでいた。


 ぼんやりと浮かび上がる二人の姿。

 その周囲を、青白い光が静かに流れていく。


「わあ、すごく綺麗」


「ああ、これはすごいな」


 列車の駆動音が増幅されて轟いていた。

 まるで異空間に迷い込んだみたいだ。


 二人はしばらくの間、幻想的な光景に、見惚れていた。


 ひときわ長いトンネルを抜けたとき、日はすっかり落ちていた。


 窓の外には、森に代わって広大な夜空が広がっていた。

 月明かりに照らされた大地は、一面の雪に覆われている。

 

 見渡す限りの白い世界。

 同じ王国内とは思えないほど、そこは別世界のようだった。


「すごいね、こんなに積もるんだ」

 

 降り積もった雪は、大人の腰の位置くらいの高さがあるように見える。

 線路の上だけ雪が溶け、その場所だけをくり抜いた道のようになっている。

 

「一度降ったら春まで溶けることは無いから」

「ここからがノースヴェルグ辺境領だ」


 領都ニンフェガルドまで、あと二時間。


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