表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/31

22話 小さな相棒


 ――闇。


 音が、ない。


 午後の演習場のはずなのに、

 風も、足音も、誰の気配もなかった。


「……?」


 ユウリは、ゆっくりと周囲を見回す。


 砂が、やけに白い。


 空気が、重い。


 胸の奥が――妙にざわつく。


「ピクル?」


 呼ぶ。


 返事が、遅れた。


「……ピ」


 いつもより、遠い。


 肩にいるはずの重みが、

 ほんのわずかに、軽い。


 ユウリの指先が止まる。


(……あれ)


 胸の奥が、嫌な音を立てた。


 視線を落とす。


 ピクルは、いる。


 いつも通りの、小さな身体。


 ――なのに。


 輪郭が、わずかに滲んでいた。


「……ピクル?」


 もう一度、呼ぶ。


 魔力を、そっと流す。


 いつも通りに。

 いつも通りのはずで。


 だが――


 返ってこない。


 同期の感触が、

 どこか、滑る。


(……ズレてる?)


 心臓が、どくりと鳴った。


 ピクルが、ふらりと揺れる。


「……ピ」


 小さな声。


 初めて聞く、弱い響き。


 ユウリの背筋に、

 冷たいものが走る。


「待て……」


 思わず、手を伸ばした。


 触れた、はずなのに。


 指先が――


 すり抜けた。


「……え」


 一瞬、思考が止まる。


 ピクルの体が、

 薄く、ほどける。


 光の粒が、零れ落ちる。


「ピ……」


 か細い声。


 遠い。


 遠ざかる。


「……待て!」


 魔力を、強く流す。


 掴もうとする。


 繋ぎ止めようとする。


 ――だが。


 術式が、噛み合わない。


 離れていく感覚。


 どんどん引き離されていく。


 届かない。


(なんで――)


 胸が、強く軋む。


 視界の端で、

 光が歪んだ。


 ピクルの輪郭が、

 大きく揺らぐ。


「ピ……」


 消える。


 その予感だけが、

 はっきりと分かった。


「――やめろ!!」


 叫んだ、その瞬間。


 世界が――


 弾けた。



「――っ!!」


 ユウリは、跳ね起きた。

 荒い呼吸。

 額に、嫌な汗。


 胸が、まだ早鐘を打っている。


「……は……」


 震える手で、肩に触れる。


 ――いる。


 温かい重み。


「すぴー」

 

 いつもの寝顔。


 ユウリは、しばらく動けなかった。


 やがて。


 そっと、撫でる。


「……なんだよ」


 かすれた声。


 自嘲気味の、苦笑。


「夢、か……」


 ピクルも目を覚ます。


「ピ」


 小さく鳴いて、

 ユウリの指に頬を寄せた。


 その温もりに。


 ユウリの胸の奥だけが――

 まだ、少しだけ軋んでいた。


 眠気は、もう残っていない。

 それなのに、胸のざわつきだけが消えなかった。


 今日は学院は休みだ。

 本来なら、寮でゆっくりしていてもいい。


 ……なのに。


 先ほどの夢が頭から離れない。

 遠く引き離される感覚。


 それに――


 昨日の実習の記憶が蘇る。


 自分に足りないもの。

 圧倒的火力不足。


 自覚してしまった以上、じっとしている方が落ち着かなかった。


「……行くか」


 誰に言うでもなく呟き、ユウリは腰を上げる。


 視線の先で、小さな相棒がぴくりと耳を動かした。


 こうして――

 予定外の魔海行きが、静かに決まった。


 ◇

 

 魔海浅層――雑木林エリア。


 湿った土と腐葉の匂い。

 低木と蔦が視界を遮り、ところどころに靄が薄く漂っている。


 遠くでは、いくつもの戦闘音が交錯していた。


 その中の一つ。


 ユウリは単独で――


 いや。


 小さな相棒と共に、魔影と対峙していた。

 

 敵は三匹、狼に似た姿。

 黒い毛並み。

 ところどころ、不自然に長く伸びた体毛。

 地面を擦るほどに垂れ下がっている。

 歪んだ影が、形を持ったような異様さ。


「……行くぞ」


「ピ」


 短い合図。


 ピクルが跳ねる。

 枝を蹴り、木陰を縫って走る。


 一匹が、即座に反応した。

 低く唸り、追撃に移る。


 囮。


 残る二匹が、同時に距離を詰めてくる。


 ――今だ。


 ユウリは踏み込んだ。


 落ち葉が跳ねる。

 湿った地面が、わずかに滑る。


 狙うのは、近い方。

 枝を砕きながら迫る二つの影。

 そのうちの一匹。


 爪と牙を掻い潜り懐へ――


 突き。

 鈍い感触。

 次の瞬間、黒い体が霧散した。


 (……来る!)

 視界の外の殺気が、ピクルとのリンク越しに流れ込んだ。


 ――背後から殺気。


 振り返る事なくワンステップで軽くかわす。


 ――ピクルとのリンク。


 微かな魔力の揺らぎ。

 風の乱れ。

 殺意の方向。

 視界の外の情報が、流れ込んでくる。

 

 奇襲に失敗した狼が切り返してこちらを向く。


 二匹目。


 正面。

 低く構え、間合いを詰めてくる。


 呼吸を整える。


(……まだ余裕はある)


 魔力の消費も、体力も。


 問題は――火力か。


「……足りない」


 一気に踏み込む。


 爪をかわし、すれ違いざま――斬る。


 前脚。

 深い。

 筋を断つ感触。

 着地と同時に、距離を取る。


 振り返らない。


 (……これで、いい)


 即断。

 意識を、もう一方へ。

 ピクルを追う影。


「ピィ!」


 甲高い鳴き声。


 小さな身体が、枝の間を縫って逃げる。


 狼は無駄に距離を走らされている。


 ――今なら、間に合う。


 ユウリは駆けた。

 呼吸を整えながら、接近。


 ピクルと視線が合う。


 ――合図。


 ふいに。

 ピクルが止まった。

 無防備に見える位置。


 狼が跳ぶ。


 殺意が、リンク越しに刺さる。


 瞬間。

 空間に、淡い光。


 ――物理障壁。


 激突。

 甲高い音を立て、即席のバリアが消失する。


 狼の体勢が崩れる。


 無防備な魔影の背後から短剣が閃く。


 ――終わり。


 黒い霧が、霧散した。


 残る一匹は、すでに満身創痍だった。

 引きずる脚。

 乱れた呼吸。


 数合も交わさず、沈んだ。


 静寂。


 風が葉を揺らす。


「……ふう……」


 息を吐く。

 腕が、じんわりと痺れる。

 ピクルが、肩に戻る。


「ピ」


「……助かった」


 小さく笑って、頭を撫でた。


「三体なら……余裕だな」


 口に出してみる。

 自分に言い聞かせるように。


 事実ではある。


 致命的なミスもなく、

 連携も噛み合っていた。

 危ない場面も、乗り切った。


 ――はずだ。


 ピクルも、満足そうに小さく鳴いた。


「ピ」


 ユウリは、その姿を見て、わずかに笑う。

 小さくて、頼りなくて。

 それでも、確かに自分を支えてくれる相棒。


 ――悪くない。


 悪くない、はずだ。


 だが。


 胸の奥に、言葉にならない違和感が残る。

 満足できない。

 この程度で、終わっていいのか。


 (……でも)


 視線が、自然と宙を彷徨う。

 

 思い返す。過去の記憶。

 

 あの日――

 

 故郷を襲った、魔獣の群れ。

 逃げ惑う人々。


 何もできなかった自分。


 そして。


 シオンの戦い方。

 迷いのない剣。

 圧倒的な存在感。


 入学式で見たアシュトレイの降霊術。

 空間そのものを支配するかのような力。


 大規模依頼で見たノエルの三体同時制御。

 戦場を掌で転がすような冷静さ。


 そして――


 首無しの片腕を、一太刀で葬ったリナのアバター。

 鮮烈すぎる光景。


 今も、脳裏に焼き付いて離れない。


 (圧倒的な火力……)


 喉の奥が、わずかに詰まる。


 同じ場所に立っているはずなのに。

 同じ訓練を受けているはずなのに。


 ――届いていない。


 まだ、全然。


 自分は、ここにいる。

 安全圏で、小さく勝っているだけだ。


 このままで。


 本当に、守れるのか。


 あの日の続きを、繰り返さずに済むのか。


 ――わからない。


 その時。


 ピクルの耳が、ぴくりと動いた。

 小さな身体が、緊張を帯びる。


「……来るか」


 ユウリは、短剣を握り直す。


「次は……三、いや四体か」


 まずは、今を生き残る。


「油断せず行こう」


 自分にも、言い聞かせるように。


「ピ」


 小さな返事。

 だが、確かな意思。


 ユウリは、一歩踏み出した。


 まだ足りない。

 まだ弱い。

 それでも――


 止まる気はなかった。


 次の戦いに、意識を向ける。


 ◇


 魔海の空気は、来た時よりもわずかに重く感じられた。


 収穫がなかったわけではない。

 無理もしていない。

 ――それでも、胸の奥に小さな空洞が残っている。


(……今日は、こんなものか)


 手応えがないわけじゃない。

 だが、満足とも違う。


 そろそろ戻るか――そう考え、踵を返しかけた、その時。


 ――ドンッ!!


 低く、重い衝撃音が近くから響いた。


「……?」


 反射的に視線を向ける。


 少し離れたところ、森の拓けた場所。

 視界の端で、淡い霊光が弾けた。


(……戦闘?)


 魔海では珍しくない光景だ。

 だが――


 ユウリの足は、無意識に止まっていた。


 木陰に身を寄せ、静かに様子を窺う。


 そこにいたのは、三人組の学院生だった。


 全員、紺のローブ。

 胸元のバッジは、明らかに上級生のもの。


 そして。


(……上手い)


 一目で分かる。


 無駄がない。


 前衛に立つ青年が、低く構えた瞬間――


「――アサルトアーマー、展開」


 王国規格のアバター。

 最大出力のアサルトアーマーが、一瞬で形を取る。


 とても安定している。


 次の瞬間。


 ――踏み込みが、速い。


 魔物の群れとの間合いを、一息で詰める。


(……っ)


 思わず、息を呑む。


 力任せではない。

 最短距離を、正確に選び取った動き。


 そこへ、横合いから淡い残光が走る。


「一匹貰った!」


 女性の声。


 細身の装甲が目にも止まらぬ速さで魔物の背後を取る。


 ――奇襲。


 背後からの一撃で魔物を霧にすると、一瞬でその場から離脱。


(連携……)


 理解できてしまう。


 何を狙っているのか。

 どこに余白があるのか。


 そして。


 どれだけ洗練されているのか。


 もう一人の青年が、一歩だけ位置をずらした。


「ガーディアンフレーム、戦線を維持。……援護入れる」


 低く落ち着いた声。


 展開されたガーディアンが、前衛の死角を埋める。


 同時に、短詠唱。


 ――魔弾が一閃。


 無駄のない追撃。


(……降霊術を使いながら、別の魔法……)


 思考が、やけに冷静だった。


 誰が主軸で、

 誰が調整役で、

 誰が余力を持っているのか。


 見れば分かる。


 分かって、しまう。


 アサルトアーマーが、最後の一撃を叩き込んだ。

 霊光が弾け、魔物の身体が霧散する。


 静寂。


 森の音だけが戻ってくる。


「――こんなところか」


 青年が、軽く肩を回した。

 その横顔が、わずかに見える。


(……あ)


 胸の奥が、小さく揺れた。


 見覚えがある。


 入学の日。

 学院で案内してくれた――


(……あの人か)


 名前は、結局聞けなかった。

 だが、妙に印象に残っている。


 青年は、仲間に何か軽く声をかけ、自然な動作で顕現を解除した。

 呼吸も、姿勢も、乱れていない。


(……三年)


 ふと、あの日の言葉がよぎる。


 ――三年もいれば、嫌でも。


 ユウリは、そっと視線を伏せた。


 悔しさは――ない。

 焦りも、ない。

 ただ。

 胸の奥に、静かな重みだけが残る。


(……まだ、遠い)


 今は、あの輪の中に入る理由も、実力もない。


 それだけは、はっきり分かる。


 ユウリは、もう一度だけ彼らの方を見てから、静かに踵を返した。

 気配を殺し、足音を立てず、その場を離れる。


 背後では、上級生たちの何気ない会話が、森の静けさに紛れて遠ざかっていった。

 

 ◇


 ハンターギルド王都北部支店。


 石造りの建物の中は、今日も騒がしかった。


 依頼帰りのハンターたちの笑い声。

 魔石の査定を巡る口論。

 併設された酒場から流れてくる喧騒。


 ユウリはカウンターの前で、小袋を差し出していた。


「――浅層産、品質良。換金は銀貨十二枚だ」


「……ありがとうございます」


 受け取った硬貨の重みを、指先で確かめる。


 悪くない成果だ。

 むしろ、順調と言っていい。


 それなのに。


「よう、ユウリ」


 背後から、聞き慣れた声。


 振り返ると、そこにいたのは――ラグナだった。


 短く切りそろえた髪。

 鍛えられた体躯。

 以前より、どこか大人びた雰囲気。


「ラグナ……?」


「久しぶりだな。狩り帰りか?」


「ああ。そっちは?」


「俺も同じだよ」


 そう言って顎で示す先には、数人の男女。


 革鎧に、年季の入った武器。

 明らかに学院生とは違う空気をまとっていた。


「……え?」


「驚くよな」


 ラグナは少し照れくさそうに頭をかく。


「あの大規模依頼の後さ。

 ちょっと名前が知られるようになって」

「誘われること、増えたんだ」

「まだ固定じゃないけどな」


 その言葉に、ユウリは一瞬だけ言葉を失う。


(もう……そこまで行ってるのか)


「紹介するよ」


 ラグナが一歩前に出る。


「こいつが、学院の同期のユウリだ」

「例の依頼で、一緒に戦ったやつだよ」


 がっしりした体格の男が、にやりと笑った。


「おお、君がユウリ君か」


「あの時は助かったよ。

 傷も、もうすっかりだ」


 腕を軽く叩いて見せる。


「それにしても、学生であの動きは大したもんだ」


「将来有望だな」


 口々にかけられる評価。


 褒め言葉。

 期待。

 善意。


 なのに。


 胸の奥が、少しだけ重くなる。


「……いえ」


 ユウリは曖昧に笑った。


「まだまだですよ」


 本心だった。


 ラグナは、そんなユウリを横目で見てから言う。


「なあ、ユウリ」

「また今度、一緒に行こうぜ」

「俺たち、今度は中層寄りの依頼も受け始めててさ」

「リナも誘ってさ」


 軽い口調。


 でも、その中には確かな自信があった。


「……中層、か」


 ユウリは、小さく呟く。


「大丈夫だって」


 ラグナは笑う。


「お前なら、余裕だろ」


 その言葉が――


 なぜか、素直に嬉しくならなかった。


「……考えとく」


「おう。待ってる」


 ラグナはそう言って、仲間の元へ戻っていく。


 楽しげな声が、すぐに混ざっていった。


 ユウリは、その背中を見送りながら――


(……俺は)

 

(ちゃんと、前に進めてるのか?)

 

 手の中の銀貨を、ぎゅっと握りしめた。


 ◇


 王都・北部大通り。


 夕方。


 露店と人通りで賑わう通りを、ユウリは一人歩いていた。

 ギルドでの換金を終え、学院へ戻る途中だった。


 夕焼けに染まる石畳。

 買い食いする学生。

 談笑する冒険者。

 平和な光景。


 ……だったはずなのに。


「――ん?」


 視界の端に、異物があった。


 妙に派手な布。

 紺と金。

 

 見覚えのない紋章。

 

 梟――と、本。

 魔法陣。

 全部盛り。


 しかも。


 でかい。


 通りの真ん中に、特設テントが張られていた。


 布には大きく文字。


【† 真理探究フェス開催中 †】

【あなたも“知る側”になりませんか?】

【限定グッズ配布中!】


「……なんだあれ」


 胡散臭い。


 とても胡散臭い。


 しかも――

 人が、集まっている。

 結構。


「はいはいー!そこの君ー!」

「そうそう、君だよ君!」

「ちょっとだけ話聞いてかない?」


 ローブ姿の男女が、満面の笑みで勧誘している。


 テンション高すぎる。


「大丈夫大丈夫!怪しくないから!」

「宗教じゃないよ!?研究団体だよ!?」

「たぶん!」


「たぶんって何だよ……」


 思わず小声で突っ込む。

 関わらない方がいい。

 絶対。


 そう思って、通り過ぎようとした――


「――あっ」


 目が合った。


 ローブの女性と。


「見たね!?」

「見ましたね今!?」

「興味ありますよね!?」

 

「え、いや……」


「大丈夫!三分だけ!」

「三分で世界変わるから!」


 両脇を固められた。

 逃げ道、なし。


「ちょっ――」


「さあこちらへ!」

「Welcome真理沼!」


 半ば強引に、テントの中へ。


「……なんだこれ」


 異様に整然。


 棚には――


 ・分厚い書籍

 ・魔導水晶

 ・設計図

 ・装備パーツ


 どれも。


 普通に高級品。


「え?」


 困惑するユウリ。


「はいこれ!」


 手渡されたのは――


 マグカップ。


 梟マーク入り。


「新作グッズです♡」

「耐熱!耐衝撃!魔力感知機能つき!」

「普段使いに最適!」


「……え、普通にすごくない?」


 つい本音が漏れる。


「でしょ!?」

 

「でしょでしょ!?」


 即食いつく二人。


「我々!アルマリア教団と申します!」

「知と真理を愛する者の集い!」

「通称“(ふくろう)”!」


「……きょうだん?」


「かわいいでしょ!」


 かわいいか?


「で!今日は特別に!」

「無料体験版資料をプレゼント!」


 分厚い冊子を渡される。


 表紙:


【魂循環理論・初級編】


「……は?」


 一瞬、思考が止まる。


「え?」

「これ……」

「かなり専門書じゃ……」


「安心して!」

「小学生でも読めるよ!」


「※才能ある子限定だけど!」


 安心できない。


 ぱら、とめくる。


 ――異様にレベルが高い。


 魔力理論。

 魂構造仮説。

 古代文献引用。


(……学院の参考書より難しくないか?)


 背筋が、ぞくっとした。


「……これ、誰が書いたんですか?」


 何気なく聞く。

 

 すると。

 

 一瞬。

 

 空気が変わった。


 ほんの一瞬だけ。


「……企業秘密です♡」


 さっきまで騒がしかった女性が、笑顔のまま答えた。

 でも。

 目が、笑っていない。


 ぞっとする。


「まあまあ!」

「深く考えない考えない!」

「興味あったらまた来てね!」


 すぐに元のテンションに戻る。


 違和感だけが残る。


「……とりあえず、もらっていいんですか?」


「もちろん!」

「読んでくれたらもう仲間!」

「沼へようこそ!」


「いや、入らないけど……」


 ――そこからが長かった。


 魂の構造。

 魔力の循環。

 世界の真理。


 二人の話は止まらなかった。


(三分って言ったよな……)


 気づけば、思っていたよりずっと時間が経っていた。


 ◇


 テントを出た後。

 外はもうすっかり夜だった。


 夜風に当たりながら、ユウリは冊子を見る。


 表紙の梟。


 なぜか――


 少しだけ、見覚えがある気がした。


 (……気のせいか)


 そう思いながら。


 ローブの中に隠れていたピクルを外に出す。


「もう、怖くないよ」


「ピピ」


 そう言うと、定位置の肩の上に丸く収まった。


 ◇


 夜。


 学院・寮。

 ユウリの部屋。


 机の上には、昼にもらった冊子。


 【魂循環理論・初級編】


 表紙の梟が、静かにこちらを見ている。


「……ほんと、なんなんだよ」


 ベッドに腰を下ろし、溜息をつく。


 今日の戦い。

 ラグナとの会話。

 教団の連中。


 全部が、頭の中で混ざっていた。


 ――俺、強くなれてるのか?


 魔海では戦えた。


 でも、圧倒はできなかった。


 ピクルは優秀だ。

 間違いなく。


 でも――


「……足りない」


 ぽつりと呟く。


 机に手を伸ばし、冊子を開く。

 適当にめくる。

 そこには――


【高位魂との適合率と人格侵食の相関】


 文字。


「……え?」


 手が止まる。


 見覚えのある単語。


 王国式降霊術。

 人格露出。

 規格運用。


 ピクルの存在が、脳裏をよぎる。


(……偶然、か?)


 ページをめくる。


【古式降霊術の構造について】


「……古式降霊術?」


 心臓が、少し早くなる。

 

 聞いたことのない単語。


 なのに。


 ここには――ある。


 薄く笑う。


「……やっぱり、変だろ」


 冊子を閉じる。

 窓の外。

 王都の灯り。

 

 その向こうに。


 故郷がある。


 燃えた村。

 守られるだけの立場。


 拳を、握る。


「……俺は」


 小さく、息を吐く。


「……強くなる」


 誰に聞かせるでもなく。


 そう誓って、灯りを落とした。

 



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ