表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/31

15話 過去の記憶


 燃える匂いがした。


 何度も、何度も見る夢。

 ――もう何年も、忘れられない夢。


 鼻の奥に残る、焦げた木と土の匂い。

 赤く染まる夜。

 叫び声。


 ――逃げろ。


 誰かの声。


 でも、足が動かない。


 低く、しなやかな影が視界を横切る。


 豹のような――

 光の獣。


 それが走るたび、闇が裂ける。


 次の瞬間。


「……もう、大丈夫」


 その声に包まれて――


 ユウリは、はっと目を覚ました。


「……また、か」


 天井を見つめながら、小さく呟く。


 あの夜の夢は、今も消えない。


 始まりの記憶だった。


 ◇


 当時、ユウリは七歳だった。


 山と森に囲まれた、辺境の小さな村。


 何もない。

 でも、穏やかな場所。


「ユウリ、センリ、起きなさーい」

 朝を告げる母の声。


「いただきます」「ごちそうさまでした」

 3人で朝食を済ませる。


 母は、戸口で一度だけ立ち止まった。


 胸の前で手を重ね、

 小さく目を閉じる。


「……今日も、お借りします」


 誰にともなく、そう呟く。


 山に。

 森に。

 水に。


 この村では、

 それが当たり前だった。


 父はすでに狩に出発したようだ。


 ユウリは、父と母、それから2歳年下の弟センリの4人で暮らしていた。


 村の外れの草原。


「待てー!センリ!」


「やだー!つかまらないー!」


 センリは、手に木の棒を持って走り回っている。


「それ、剣のつもりかよ」


「そうだよ!ぼく、ゆうしゃ!」


「じゃあ俺は?」


「まほうつかい!」


「微妙だな……」


 文句を言いながらも、ユウリは追いかける。


 二人で転んで、草まみれになって、笑った。


 何でもない時間。


 当たり前の、毎日。


 ユウリたちの村は、山と森に囲まれた小さな集落だった。


 人口は百人ほど。


 農業、狩猟、簡単な魔導具加工。


 どれも派手ではないが、自給自足で生きている。


 そして――


 ここでは、日常に戦いが溶け込んでいた。

 

「そこ、姿勢が甘い!」


「腰を落とせ!」


 広場では、大人たちが若者に槍の稽古をつけている。


 弓の音。

 魔術の詠唱。

 結界術の練習。


 日常の風景だ。


 広場の端には、

 昨日倒した魔獣の骨が並べられていた。


 白木の板。

 小さな花。

 酒を一滴。


 子供でも分かる形で、

 弔われている。


「……ちゃんと、返すんだよ」


 祖母が、そう言っていたのを思い出す。


 もらった命は、

 山へ返す。


 それが、この村のやり方だった。


「兄ちゃん、みて!」


 センリが、小さな弓を構える。


「当たるかな?」


「……ちゃんと狙えよ」


 ――ひゅん。


 矢は、的の端に刺さった。


「当たった!」


「すげぇじゃん」


 頭をくしゃっと撫でる。


「ユウリも、午後は訓練来いよ」


 通りがかった青年が声をかける。


「はーい」


「最近サボりすぎだぞー?」


「……あそびたいんだもん」


 苦笑する。


 この村では、戦えることは「特別」じゃない。


 生きるための、当たり前。


 守るための、当たり前。


 だからこそ――


 誰も、この平和が壊れるなんて、

 まだ、思っていなかった。


 ◇


 それは、夕方のことだった。


 訓練を終えた大人たちが、汗を拭いながら広場に集まっている。


「今日は暑かったな……」

「熊型の魔獣、また山に戻ったらしいぞ」


「はは、あれもしつこいよな」


 いつも通りの会話。


 いつも通りの夕方。


 ユウリは、センリと並んで木陰に座り、干し肉をかじっていた。


「ねえ兄ちゃん」


「ん?」


「今日さ、森、ちょっと静かじゃない?」


「……そうか?」


 耳を澄ます。


 確かに、鳥の声が少ない気もする。


 でも――


「気のせいだろ」

「暑いから、みんな休んでるんだよ」


「ふーん……」


 センリは納得していない顔だったが、それ以上は言わなかった。


 その時。


 見張り台から、短い笛の音が鳴った。


 ――ピィ。


 一回。


「お、どうしたー?」

「何かいたのか?」


 誰かが気軽に言う。


 少しして、見張りの男が降りてきた。


「森の奥で、群れっぽい動きがある」


「また魔獣か?」


「多分な」


 ため息交じりの声。


「まったく、忙しいな」

「飯の前に片付けるか」


 笑いながら、槍を取る者もいる。


 誰も、深刻には受け取っていない。


 いつものことだから。


「子供は、念のため家に戻しとけー」


「はいはい」


 軽い調子。


 母が手を振る。


「ユウリ、センリ、戻ってきなさい」


「はーい」


 センリの手を引いて歩き出す。


 母は、ユウリの肩に手を置いた。


「……帰ったら、また祈ろうね」


「え?」


「今日も、生きてるって」


 その意味を、

 ユウリはまだ知らなかった。


 後ろを見ると、大人たちはもう配置についていた。


 慣れた動き。

 迷いのない足取り。


 ――この村は、強い。


 何度も、何度も、

 魔獣を退けてきた。


 だからこそ。


 誰も思っていなかった。


 今日の“それ”が、

 いつもと違うなんて。

 

 ◇


 最初の悲鳴は、森の方角から聞こえた。


「来たぞー!!」


 見張り台の男の叫びが、夕焼けを切り裂く。


 次の瞬間。


 ――ヒュゥッ。


 空を裂く音。


 火の矢が、柵に突き刺さった。


 炎が走る。


「火矢だ!!」


「消せ!!急げ!!」


 ざわめきが広がる。


 森の奥から、影が溢れ出す。


 ずんぐりとした体格。

 粗末な鎧。

 武器を構えた魔獣。


 ――オーク。


 隊列を組み、統率された群れ。


「……多すぎる……」


 百体以上。


 いや、それ以上。


 村長の声が響く。


「迎撃準備!!」


「弓隊、配置!」


「魔術班、後方支援!」


「結界、展開!」


 瞬時に陣形が整う。


 それは、長年積み上げてきた習熟の証だった。


 前線に立つ大人たち。


 男も、女も。


 この村に鎧などの防具は無い。


 代わりに、露出した肌には――


 幾何学模様の刺青。


 腕に。

 背に。

 胸に。


 淡く、魔力を帯びて光っている。


 それは、生まれた時から刻まれる、

 “守る者”の証だった。


「……行くぞ」


 父が、低く呟いた。


 右腕に刻まれた紋様が、淡く輝く。


 隣には、母も立っていた。


 短槍を握り、

 迷いのない目で前を見ている。


「放て!!」


 矢の雨。


 火球。


 氷槍。


 魔術が炸裂する。


 先頭のオークが倒れる。


「いいぞ!」


「数を減らせ!」


 一瞬、希望が灯る。


 だが――


 止まらない。


 倒れても、

 踏み越えて、

 押し寄せてくる。


 盾兵が前へ。

 弓兵が後方へ。


 ――戦術。


「統率されてる……!」


 第二波。


 火矢が降り注ぐ。


 屋根が燃える。

 倉庫が燃える。

 家が燃える。


「子供を避難させろ!」


「地下倉庫へ!!」


 叫びが交錯する。


 ユウリは、母の背中を見ていた。


 戦場に向かう背中。


 迷いのない背中。


 ――逃げない。


 誰一人、逃げなかった。


 ――ドン!!


 衝撃。


 防柵が砕けた。


「突破された!!」


 丸太を担いだオークが突進する。


 ――ドゴォン!!


 木片が飛ぶ。


 煙が舞う。


 そこから――


 黒い奔流が流れ込んだ。


「侵入された!!」


「迎え撃て!!」

「うおおおおおお!!」


 剣が鳴る。

 槍が裂く。

 血が飛ぶ。


 女も、男も。


 歯を食いしばり、

 最後まで立ち続ける。


 炎と煙の中。


 平和だった村は、

 一瞬で戦場に変わった。


 ユウリは、呆然と立ち尽くしていた。


 胸の奥が、冷たくなる。


 分かってしまった。


 ――これは、

 大人たちでも、勝てない。


 初めて、

 そう思ってしまった。


 それでも。


 大人たちは、退かなかった。


 誰一人。


 ◇


 炎と怒号が、背後で渦巻いていた。


「ユウリ!こっち!!」


 母の声。


 裏山への細道。


 子供たちが次々と走らされる。


「センリ、離れるな!」


「う、うん!」


 手を引く。


 必死で。


 枝に引っかかり、

 転び、

 それでも走る。


 ――ガサッ。


 背後。


 草が揺れた。


「……っ」


 嫌な気配。


 低い唸り声。


 振り向いた瞬間――


 いた。


 牙。

 斧。

 赤い目。


 オーク。


「……来てる……!」


 センリが震える。


「兄ちゃん……」


「大丈夫」


 震える声で。


「俺が――守る」


 一歩、前に出る。


 棒切れ一本。


 武器にもならない。


 でも。


 退かなかった。


 オークが、斧を振り上げる。


 視界の隅で光輝くものが見えた――


 その瞬間。


 黒い影が、駆け抜けた。


 低く。

 速く。

 しなやかで。


 獣の形。


 豹のような青白い光を放つ獣。


 それが通った場所だけ、

 空気が裂ける。


 重たい夜が、

 一瞬だけ消えた。


 ――ズンッ!!


 衝撃。


 

 オークが吹き飛ぶ。


「……え……?」


 次いで、フードの男が躍り出る。


 短剣が閃く。

 視線を奪う。


 その瞬間――


 背後から、

 青白い光が襲いかかる。


 速い。


 合図もない。

 言葉もない。


 なのに――

 最初から決まっていたみたいだった。


 男と獣が、

 一つの意思で動いている。


 ……四体。五体。


 あっという間に、

 オークが倒れていく。


 足音。


 ゆっくり。


 近づいてくる。


 影の中から、

 人の輪郭が浮かぶ。


 フードの男。


 顔は、よく見えない。


 ただ――


 声だけが、はっきりしていた。


「……もう大丈夫」


 その言葉で。


 張りつめていたものが、

 音を立てて崩れた。


 膝が落ちる。


 視界が揺れる。


 あたたかい腕に、

 包まれて――


 音が、遠ざかる。

 光が、にじむ。


 世界が、ほどけていく。


 ――そこで、意識が途切れた。


 ◇


 目を覚ました時。


 空は、もう白み始めていた。


「……あ……」


 体が、重い。


 頭が、ぼんやりする。


「ユウリ!」


 母の声。


 駆け寄ってくる。


「よかった……目を覚まして……」


 父も、すぐ後ろにいた。


 二人とも――無事だった。


 それだけで、

 胸がいっぱいになる。


「……村は……?」


 恐る恐る、聞いた。


 父は、少しだけ視線を伏せる。


「……見た方が早い」


 手を引かれる。


 村へ戻る。


 そこにあったのは――


 瓦礫。


 焼け焦げた家屋。

 崩れた柵。

 黒く染まった地面。


 昨日までの風景は、

 どこにもなかった。


「……」


 言葉が、出ない。


 倒れた家の前で、

 泣き崩れる人。


 毛布に包まれた――

 動かない影。


 数は、多くない。


 でも。


 確かに、

 失われた命があった。


「……勝ったんだよな……?」


 誰かが呟く。


「……ああ」

「追い払った」


「でも……」


 続きを、誰も言えなかった。


 ユウリは、

 拳を握りしめた。


 ――守れなかった。


 守ったつもりで、

 何も守れていなかった。


 ◇


 夕方。


 応急処置と後片付けが一段落した頃。


 村外れで、

 一人の男が荷をまとめていた。


 フードの旅人。


 あの夜の――


「……あの」


 気づけば、

 ユウリは声をかけていた。


「……助けてくれて……ありがとう」


 男は、少しだけ振り返る。


 顔は、まだ影の中だ。


「……シオンだ」


 短く名乗る。


「礼はいらない」

「偶然、通りかかっただけの旅人だ」


 淡々と。


 本当に、

 それだけのことのように。


「……でも……」


 言葉に、詰まる。


「……俺……何も……できなくて……」


 視線が落ちる。


 棒切れ。

 小さな手。


 無力だった自分。


 シオンは、

 しばらく黙っていた。


 やがて――


「……十分だ」


「逃げずに立った」

「それだけで、大したもんだ」


「……え?」


「大人でも」

「できない奴は多い」


 淡々とした声。


 でも、

 どこか本気だった。


 ユウリは、

 思い切って聞いた。


「……どうしたら……」

「あなたみたいに……なれますか?」


 シオンは、

 一瞬だけ目を細めた。


「……なりたいのか?」


「……なりたいです」


 即答だった。


「……守れるように……なりたい」


 沈黙。


 風が、吹く。


 草が揺れる。


 やがて――


「……簡単じゃない」


「痛いし」

「苦しいし」

「失うこともある」


「……それでも?」


「……それでも」


 シオンは、

 ふっと小さく息を吐いた。


「……なら」


「目を逸らすな」

「弱い自分からも」

「世界からも」


「逃げなければ――道は見える」


 それだけ言うと、

 背を向けた。


「……また、会える?」


 思わず叫ぶ。


 シオンは、

 振り返らないまま答えた。


「……生きていればな」


 そして。


 森の中へ、

 溶けるように消えた。


 ◇


 その夜。


 ユウリは、

 眠れなかった。


 焼けた家。

 倒れた人。

 豹の光。


 全部が、

 頭から離れない。


 布団の中で、

 拳を握る。


「……強くなる……」


 違う。


 ただの強さじゃない。


「……守れるように……」


 命を。

 魂を。

 奪わずに。


 歪ませずに。


「……絶対に……」


 七歳の少年は、

 その夜――


 “正しい力”を、

 求め始めた。

 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ