プロローグ
燃える匂いがした。
最初は、それだけだった。
鼻の奥に残る、木と土が焦げたような匂い。
それが何を意味するのか、考えるより先に、足が竦んでいた。
夜だった。
空は暗く、星は見えない。
赤い光が、あちこちで揺れている。
叫び声。
大人の声。子供の声。
混ざり合って、何を言っているのか分からない。
――逃げろ。
誰かがそう言った気がした。
でも、体が動かなかった。
視界の端を、黒い影が駆け抜けた。
速い。
低く、しなやかで、獣の形をしている。
その影が通った場所だけ、空気が変わる。
重苦しかった夜が、一瞬だけ裂けるような感覚。
次の瞬間、遠くで何かが倒れる音がした。
見えない。
ただ、分かる。
――あれは、味方だ。
胸の奥が、少しだけ緩んだ。
しばらくして、その気配はふっと消えた。
まるで、最初から存在しなかったみたいに。
代わりに、静けさが落ちてくる。
赤い光も、叫び声も、遠ざかっていく。
自分だけが、その場に取り残されたみたいだった。
足音がする。
ゆっくり。
こちらに向かってくる。
怖いはずなのに、不思議と逃げたいとは思わなかった。
影の中から、人の輪郭が現れる。
顔はよく見えない。
背が高いのか低いのかも、分からない。
ただ、その声だけは、はっきり聞こえた。
「……もう大丈夫」
その一言で、張りつめていたものが、音を立てて崩れた。
力が抜ける。
膝が落ちる。
あたたかい何かに包まれる感覚がして――
そこで、目が覚めた。




