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竜輝士 ~Legend of Dragoon~  作者: 天川しずく
第2話 島に鳴り響く鐘の音
9/16

PART1. ミハイル・ザックバーランド【1】



AC二一一九年三月二六日

われわれ五五支所が請け負ったオツェアノ島における討伐任務の結果報告は下記の通りである。


⓵【正規任務に関して】

鬼人型(オーガタイプ)ゴブリン三体を討滅、竜命石(コアライト)三個を回収。

(交戦記録に関しては添付ファイルにある別紙資料と撮影記録を参照)


⓶【非正規任務に関して】

・鬼人型ゴブリン二四体を討滅※

巨人型(タイタンタイプ)フンバーバ一体を討滅※

※本件は突発的に生じた遭遇戦だったこと、さらに本所遊撃隊員が交戦中に生命の危険を感じた為、計二五個の竜命石は未回収のままとなっている。交戦地点を記した地図を提出するので、それを基に後日竜命石の回収を要請する。

(交戦記録に関しては添付ファイルにある別紙資料を参照。撮影記録は機材故障の為、提出できず。ご容赦されたし)


⓷【具申案として】

オツェアノ島には未だ多数の竜が生息しており、その脅威は看過すべからざるものである。よって、至急調査隊と遊撃隊を編成し、オツェアノ島に派遣することを提案する。

尚、派遣する隊員数は少なくとも一〇名以上、うち半数は熟達の遊撃隊員が必要だと思われる。


世界特別治安維持機構

特別指定生物対策部

第三課 五五支所 支所長

ミハイル・ザックバーランド



~~~~~~~~~~~~~



 ……まったく、毎度毎度のことながら、報告作業というものは面倒極まりないものだ。もちろん、色々な意味での〝証拠残し〟だということはわかってはいるが、本来電話一本で済むことを、わざわざ書類にして提出しなければならないのは、はっきり言って時間と労力の浪費であり、クソッタレな作業だ──俺は批判覚悟でそう決めつけている。


「──と、こんなもんか」


 報告書の最後に電子サインを書き入れると、視界左端からミイが不思議そうに顔を覗かせた。


『ねえ、ザック。②に撮影記録なしって書いているけど、ザックのもお姉ちゃんのもちゃんと撮れてるよ。送らなくていいの? 正規の報酬が貰えなくなるかもよ?』


「いいんだよ、送らなくて。送ったらレオのことバレちまうだろ? まあ、たしかに報酬の件に関しては少々もったいない気がするが仕方がない」


『じゃあ、このまま送っていいんだね?』


「ああ、頼む」


 オツエァノ島から無事に生還を果たした俺とユーイは、今後レオの身柄をどうするかで大まかなことを話し合った。その話し合いは一時間にも及び、扞格齟齬(かんそくそご)紆余曲折(うよきょくせつ)の末、暫くの間、五五支所(俺たち)でレオの身柄を預かることに決めた。


 これにはユーイの強い要望があり、結果として一般論を挙げた俺が折れることで決着がついた形だった。一般論とはもちろん、警察に事情を説明して捜索願を出すということである。だが、今回起こった一連の出来事に、()()()()()()()()()()で何かきな臭さを感じとったユーイは断固としてそれを拒否した。下手をすれば犯罪者の仲間入りだぞ、と少し脅迫めいた諭し方もしてみたが、ユーイはまったく聞く耳を持たず、責任は全て自分で取るとまで言い張る始末だった。


 子供(ガキ)のくせに随分な大言を吐くじゃあないか──とは思わなかった。こいつはやるといったらやる、そういう奴でそういう女だ。だから、俺はそこですっぱり諦めた。頑固モードに入ったユーイに、これ以上何を言っても無駄だということを俺は過去の経験で十分に理解していた。仕方ない……いや、仕方なくはないが、ここはユーイの好きにさせてやることにしよう。


──そんなわけで、報告書は一部改竄して提出することにしたのだった。


 八〇%の真実と一九%の虚偽、そして一%の罪悪感が入り混じった報告書を作成し終えた俺は、仮想キーボード(AIボード)を閉じて、正面のソファで静かに寝息を立てるレオの顔を見やった。


 思えばこいつも大した奴だ。あの場面で命の危険を顧みず、ユーイを助けに戻るなんて誰にでもできることじゃない。それに、レオに助けられたのはこの俺にも言えることだ。大切な仲間を救ってくれたことで、俺は後悔と自責の念に苛まされずに済んだのだから。おまけにウチの人事部長の御眼鏡に敵うとはな……なかなかどうして、有望な人材じゃあないか。


 柄にもない人間観察を始めてから一分と経たずに、着替えと傷の手当てを終えたユーイが両手一杯にカロリーバーを抱えながらリビングルームに戻ってきた。真っ白なパーカーシャツにクリーム色のホットパンツ──いつもの見慣れた出で立ちである。


「傷、大丈夫か?」


「うん、大丈夫。()()()()()から」


 ユーイはあっけらかんとして答えると、レオの対面のソファに腰かけ、早速その旺盛な食欲を満たし始めた。卓上にうず高く積まれたカロリーバーの山が平地と化すのに然程時間はかからず、空っぽだったゴミ箱はカロリーバーの包装紙の残骸ですぐに満杯となった。まあたしかに、俺たち竜騎士は常人の数倍のカロリーを必要とする燃費の悪い身体ではあるが……それにしたって……いくらなんでも食い過ぎだろう。


「おいおい、いくら腹が減っているとはいえ、そんな砂糖と油の塊をピーナッツみてえにパカパカ食って平気なのかよ。胃がもたれちまうぞ」


「こんなのお菓子と一緒じゃない。全然平気よ」


「お菓子? 一本二〇〇〇キロカロリーもある軍用カロリーバーがお菓子⁉」


「むぅ、なによ、感じ悪いわね。ザックの方こそ煙草ばっかり吸ってると胃が荒れちゃうよ。世の中禁煙ブームなんだから、それに乗っかって、少し喫煙を控えてみたらどう?」


「ブーム? くだらんね。誰かが意図的に扇動して、それに踊らされる愚かな現象のことじゃないか。なんだって俺がそんなものに付き合わなきゃいけないんだ」


「あらあら、ザックさん。あなたがどう思おうが良いものは流行り、悪いものは廃れる、それが世の常よ。つまり喫煙行為は──わかるでしょ?」


「おっと、喫煙者がこの世の絶対悪みたいな言い方は止めてもらいたいな。ったく、これだから嫌煙家ってやつはたちが悪いんだ。やっていることが魔女狩りと一緒だぜ。ちなみに差別や排斥って言葉知ってるか、ユーイ?」


「そっちこそなによ。人が何食べたっていいでしょうが。文句ばっかつけないでよ」


 俺たちの低俗で不毛な言い争いは、第三者が聞けば相当(かしま)しいものだったらしく、夢の国で安らかなひと時を過ごしていた少年は、小さな呻き声をあげて目を覚ました。


「う、んん……ここは?」


 レオは寝ぼけ眼で室内を見回してから、ほぼ予想通りの質問を口にした。それに対してユーイがほぼ予想通りの答えを返す。


「アメンボ号の──飛行機の中だよ」


「ひこうき……飛行機? ……ぼくはたしか……あ………ああ⁉」


 ユーイ曰く、記憶喪失者にとって、寝て起きるという当たり前の行為が、何よりも辛い日課になるのだそうだ。レオも夢の世界から現実世界に戻ってきたことで、自らの境遇と不幸を思い出してしまったのだろう。みるみる内にレオの顔が青ざめていった。


「大丈夫、落ち着いて。ねっ、大丈夫だから。ほら、お水飲む?」


 ユーイから手渡されたミネラルウォーターを一息に飲み乾したレオは深い溜息をついた。レオの溜息には沈黙と静寂の魔法が込められており、その効果範囲は室内どころかアメンボ号全体を包み込むほど強烈なものに感じた。


 ……大人として非常に情けないことだが、この重苦しい雰囲気に耐えかねた俺はユーイに目配せをした──頼む、何とかしてくれ、と。


 静かに頷いたユーイは咳払いをした後、いささか緊張した面持ちで言葉を発した。


「レオ…………そのね……あの……」


 普段雄弁なユーイでも、この時ばかりはさすがに言葉を詰まらせた。それもそのはずである。今から話そうとする内容は伝える側、伝えられる側双方にとって、この上もなく辛いものなのだ。それを思えば、ユーイの心中は察するに余りあるものがある。


 一度天井を見上げたユーイは、伝える言葉と己の気持ちを整理して、再びレオに向き直った。


「まず君の記憶喪失のことに関してなんだけれど、隠してもしょうがないから、本当のことを言うね。記憶喪失を引き起こす原因は様々あるけれど、おそらく君の場合は醒心力(パルス)を使い過ぎたことが一番の要因となっていると思う。言い換えれば脳を酷使し過ぎた代償。……〝醒心消耗性記憶障害(オーバーパルス)〟それが君の患っている記憶障害の病名」


「病名? 醒心消耗性記憶障害(オーバーパルス)?」


 レオは唾を飲み込んで要点となる言葉を復唱した。


「うん。あとでちゃんとした検査をして判断するけれど、まず間違いないと思う」


「それはただの記憶喪失とは違うんですか?」


 その質問にユーイは答えなかった。いや、ユーイには答える時間が必要だった──勇気と覚悟を準備する時間が必要だったのだ。だが、目の前にいる少年は、ユーイが意図せずして創りだした数秒の沈黙の中に、自身が求めるべき答えを見つけだしてしまった。


 そして、レオは震える声で核心に迫った。


「もしかして……死んじゃうってことですか?」


 なんて残酷な言葉だ。子供にこんな辛い言葉を口にさせるとは……この世に運命を司る絶対者が存在するのであれば、そいつは余程の無能者か、加虐趣味を持ったサド野郎であるに違いない。同じ年頃の娘を持つ俺としては、目に見えぬ刃で心臓を一刺しにされた気分だった。そして、本来それを告げる立場だったユーイは、きっと俺以上に胸が張り裂けるような想いだっただろう。


 沈黙と時間がなにも解決してくれないことを悟ったユーイは、決然とした表情でレオの質問に答える。


「その可能性は極めて高いわ。でも治療法が無いわけじゃないの。まだ確立されていないけれど、醒心消耗性記憶障害(オーバーパルス)を治す方法はたしかにある」


「それはどんな方法なんですか?」


竜核(コア)の破壊──つまりは竜退治よ。レオはなんとなくその仕組みに気付いているんじゃない? ゴブリンやフンバーバを斃した時、なにか過去の記憶が頭に思い浮かばなかった?」


「……い、いえ。特に何も……何も視えませんでしたけれど」


「そっか。でも、竜核を破壊しても必ず〝記憶の蘇り〟が発生するわけじゃないから、次に期待ね。まあ、詳しい話はあとで説明させてもらうけれど、それが醒心消耗性記憶障害(オーバーパルス)の最も有効的な治療法なの」


 一度そこで話を区切ったユーイは、最後の確認と了承を得るため、俺に視線を向けた。俺は無言のまま首を縦に振る。ユーイもそれに倣った。


「そこでレオに提案と相談。まず一つめ──いま私たちで、あなたの家族や知人を探している。でも少し時間がかかりそう。だからあなたの家族や知人が見つかるまで、私たちと一緒にいない? それともう一つ──竜騎士になってみるつもりはない?」


「……竜騎士?」


「ああ、ごめん。竜騎士は竜をやっつける仕事をする人のことよ。あの島で私たちがやったことって言えば、なんとなくわかるかな?」


「はい、なんとなくはわかります」


「竜騎士になって竜を倒していけば、きっとレオの記憶は元に戻るわ。それに私、こう見えて脳科学の分野に少し詳しいの。だからレオの力にもなってあげられると思うんだ──で、どうかな? 強制はできないけれど、私はそうして欲しいと思っている」


「……どうしてですか?」


「え?」


「どうしてそこまでしてくれるんですか? 出会ったばかりの奴に……ぼくみたいな得体の知れない奴に、どうしてそこまで……」


「それは……」


 誰にでも答え辛い質問はある。それが論理的に説明できないものだとしたら尚更だ。俺はここで初めて、返答に窮するユーイに助け舟を出した。


「理由もないのに助けられるのが心苦しいか? 理由ならある。ユーイがおまえを()()()だと認めたからだ。だから俺たちはおまえを助ける。それじゃ不満か? それに俺たちにもメリットはあるぞ。失礼な言い方だが、ユーイは研究対象であるおまえを身近で診断できるし、五五支所(ウチ)としては貴重な醒心武具(ドラゴンキラー)使いを確保できる。互いがウィンウィン、互いがハッピー、それでいいじゃないか?」


「ぼくが良い奴って……どうしてわかるんですか? ひょっとしたら、ぼくはとんでもなく悪い奴なのかも知れませんよ? ……だって、ぼくは……」


 人畜無害を絵に描いたような子供が、いきなり自分はとんでもない悪党かも知れないなどと語るものだから、俺は思わず吹き出しそうになった。


 悪党? 本物の悪党とはどんな奴のことを指すのか、ある特定の人物を挙げて長々と教えてやりたくなる。だが、話が脱線どころか別次元に転移してしまいそうだったのでやめることにした。


 俺は深呼吸によって、不謹慎と結合した笑いの微粒子を体外に放出させると、気を取り直して少し卑屈で頑迷な少年の説得に取りかかった。


「言っただろ。ユーイが認めたって。ユーイにはそういう力があるんだ。いまは何を言っているのかわからないと思うが、それで納得してくれ。それにあまり自分を卑下するもんじゃない、まだ若いのにこれから生き辛くなるぞ。それと小言ついでにもう一つ──」


 やれやれ、前途ある若者に誠心誠意を込めて助言をしているつもりだが、どうしても説教染みた言い方になってしまうな。やはりこれは歳を食ったせいなのだろうか──そう慨嘆しつつ、俺はソファから腰を上げてレオのもとまで歩み寄り、その小さな右手と強引に握手を交わす。そして、小言の続きを口にした。


「人の善意を素直に受け入れるのが礼儀ってもんだぜ」


 狡賢い大人の理屈だったかも知れない。だが、こうでも言わない限り、この甘え下手の子供を納得させることは難しかっただろうからな。


 予想通りと言えば失礼だが、握手を交わした小さな右手に力が籠り、レオの顔から混迷の色が消失していった。あとは本人の口から答えを聞くだけだったが……ここで予想外の出来事が発生。それは俺の右手に落ちた数粒の熱い水滴。俺は困惑しつつも、それの意味するところを理解した──暫くの間、声帯が使い物にならないであろうレオからの答えと受け取った。


「挨拶が遅くなった。俺はミハイル・ザックバーランド。ザックでいい。よろしくな、レオ。……ああ、そうだ。最後に一つだけ言っておきたいことがある。俺は普段から小生意気な連中にタメ口で話されているせいで、いつの間にか敬語ってやつを受け付けない体質になっちまってるんだ。だから敬語はなしにしてくれ。そして、それは他のメンバーに対してもだ。むず痒くて敵わんからな」


 いがらっぽい喉で声を掠れさせながら、レオが何やら呟いた。よく聞こえなかったが、たぶん「うん」とか「はい」とか「がんばる」とか「よろしく」とか、まあそんなことを口にしていたと思う。だが、最後に口にした「ありがとう」という言葉だけは、俺にもユーイにもはっきりと聞こえていた。

 


 なにはともあれ、これで五五支所に新たな仲間が加わった訳だが……改めて頭の中で羅列してみると、なかなか個性豊かな面子が揃ってきたものだ。


 ──温厚篤実、清廉潔白だけが取り柄の俺。

 ──たまに頭のネジが外れかける才色兼備のお嬢様。

 ──世界一キュートでハイスペックなスーパーロボット(自称)。

 ──数々の不名誉な異名を(たてまつ)り上げられる五五支所きっての超問題児。

 ──そして、謎多き記憶喪失の少年。


 竜騎士稼業が成り立たなくなったら、いっそのこと、このメンバーで劇団でも立ち上げてみるか。ひょっとしたら、五流の笑劇くらいは演じられるかも知れない。


 そんな埒もない妄想に駆られていると、不意にリビングルームと操縦室を繋ぐ自動ドアが極小の電動音とともに開いた。そこには、なぜか傲然と佇立するマイの姿があった。背中を反らしながら腕組みをして、明らかに威圧的な態度である。そんな自称世界一のスーパーロボットさまに、三者三様の温冷入り混じる視線が飛んだが、ユーイがいち早くその意に気付いてフォローを入れた。


「……ちょ、丁度良かった。いま呼ぼうとしていたところだったのよ」


 マイはユーイと俺を一瞥してから、不機嫌そうに鼻を鳴らした(鼻が無いのにいまどうやって鳴らした?)。


 ははぁ、なるほど。紹介が最後になったから、自分抜きで話しを進められたから、むくれているっていったところか。


「おい、マイ。そんなにヘソを曲げなくてもいいだろう? 俺だって自己紹介を済ませたのは遂さっきのことだし、レオのことに関しても話すタイミングがさっきをおいて他になかっただけだ。そもそもエネルギー補給が必要だと言って、急速充電ケーブルのある操縦室に引き籠ったのはおまえさんじゃないか。だからそんなに──」


「……」


 自己弁護も責任転換も聞きたくないといった風にマイはそっぽを向いた──無視である。

おやおや、AI(アイ)フォンの取り扱い説明書の表紙にでかでかと記載している〝全てはユーザー(あなた)のために (AI)をあなたに〟と掲げた金科玉条(きんかぎょくじょう)はどこにいってしまったことやら……ひょっとしたら〝全てはわたし(AI)のために わたしを愛せよ〟とでもコンセプトが変更されたのか? だとしたら、早急に携帯電話の契約プランを見直さなければならないな。


 この聞かん坊の憮然な態度を見咎め、怒りのあまりに白磁のような顔を紅潮させつつあるユーイ。さりとて可愛い弟(妹?)のためにと、彼女は涙ぐましくも、なんとか平静を装ってなだめすかす努力を試みるのだった。


「ゴホン! レオ、この子はマイって言ってね、私たちの仕事をサポートしてくれているロボットなの。ちょっと()()()()()()()()けれど……その……とってもいい子なのよ。ほら、マイ、レオに挨拶して」


「……──ッ‼」


 マイの長い耳が片方だけびくりと動いた。どうやらユーイの前言には、マイにとって聞き捨てならない形容詞が含まれていたらしい。マイは馬鹿にするな、と言わんばかりに背を向けた——やはり無視である。


 誰も傷つけることなく、この場を穏便に済まそうとした心優しい姉の気持ちは、妹(弟?)のつまらない意地と誇りによって無下にされてしまった。


 マイのこの態度にさすがのユーイもキレた。次の瞬間には雷鳴のような怒号が室内に響き渡っていた。


「ちょっと、マイ。いい加減にしなさいよ! なんなの、さっきから⁉」


「うるさい! うるさい! うるさい! お姉ちゃんはいつも口うるさい! 怒りん坊! 食いしん坊!」


「はぁ⁉ く、食いしん坊⁉ いまはそんなこと関係ないでしょうが! もう、あったまきた! 大体あんたはねぇ──」


 姉弟(妹? もうどっちでもいいか)喧嘩が始まってしまった。互いに言い争いになった原因すら忘れ、個人的な粗探しをしては延々と罵り合う始末……こうなると、もう収拾のつけようがない。下手に仲裁に割って入ろうものなら口撃対象が俺に向きかねん。ここは隠忍自重に徹しよう。触らぬ神に祟りなしというやつだ。


 ……しかしまったく、どうしてこうなった。急性偏頭痛の兆しを感じた俺は、思わず手を額に置いて嘆息する。


 ああ、無性に煙草が吸いたくなってきた。


「……ブッ!……フフ……ハハハ」


 そんな俺たちの茶番同然のやり取りを静観していたレオが唐突に噴き出した。俺たちと出会ってから初めて見せる、年相応の子供らしい笑顔と明るい声。そんな邪気のないレオの笑声にあてられて、毒気を抜かれたユーイとマイは互いの顔を見つめ合って一笑した後、不毛な舌戦に幕を引いた。


 良かった。こいつもこんな風に笑えるのだな。やはり子供はこうでなくては──陰鬱や自虐の精神とは無縁であるべきだ。常に前向きで明朗快活であるべきなのだ。と、俺は心からそう思い、心からそう願った。


 気が付けば、賑やかで愉しげな笑いの混声合唱が室内に響き渡っていた。もちろん、この混声合唱の低音域の部分(バスパート)は俺が担当していたことは言うまでもないことである。


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