112 離月(りつき)、冬の合
朝の吐息が綿飴のように白く膨らみ始めた頃、大地はサクサクと歩んだ記憶を残し始めた。
小さな記憶の隙間からキラキラとはためく沢山の小さくな柱が、この国の玄冬を思い知らしめる。
この記憶も日が高くなれば、何も無かったように消え去ってしまう景観が、通学路を楽器の代わりにして跳ねていた子供の頃を思い出す。
ナーガの世代では、タールで敷き詰められて、変わり映えの無い日常だったのだろう。
寒い冷たいと言う割には、折節を肌で感じて楽しそうに思えた。
「あったかいね~」
「そうだね。温かいよ」
薄暑の頃には痺れる程冷たく感じた井戸水は、深まった冬ではまるで温水の様に感じられた。地下水の温度は季節通して然程変化しないおかげだろう。
汲み上げで直ぐ手水に使えるのは、朝の水汲み当番の特権なのだ。
手と顔を温かく洗えると、気持ち良く目覚められて、今日は良い事に出会えそうな、そんなワクワクした気持ちになれた。
「クレハもナーガも、冷える前に拭わなきゃ駄目だよ」
「分かってるよ。でももう少しこのままでいいだろ。まだ冷えてないから」
クレハとナーガは、掃除に使う小さな桶に張った井戸水に手を浸して暖を取っていた。なんとも用意の良い事だねぇ。もっとも、教えたのはクレハだけど。
「もう充分だよね。早く厨房へ運ぼうよ。待ってるよ、きっと」
「寒い朝は、ゆっくり体を動かした方が体に良いって教わったのに、リトって、何時もせっかちだよな」
「はいはい、せっかちですよ。いくら手が温かくなっても、夜の寒さが残る風から逃げたいから、僕は急ぎたいんです」
「そ、だね。そうだね。早くおうちに、はいろうよ~」
「分かったよ2人とも。それじゃいつも通りに、荷車を押していこうか」
「ほらほら、急いで。中休みまでに礼拝堂の掃除を終わらさないと駄目なのよ」
珍しく、アリアが朝食の片付けを急がせる。
「どうしたの? アリア」
「「どうしたの」じゃないわよ、リト。みんなはもう準備に出かけていったわよ。わたし達も早く準備しないと」
そういえば、ここ最近、みんなの様子が慌ただしかった。
「あれ、知らないの? 今は12月で、もうすぐ「冬の合」なのよ。新しい年のお祝いがあるの。え~と、本当に知らないの?」
ナーガの魔法のコソ練が落ち着いて、まぁ不安が無くなった訳ではないけど、魔力暴走が起きないように監視しなくても済む様になっていた。
正式に教わった訳ではないので、人前では魔法を使わない事を約束して、別行動をする事が多くなっていた。
ナーガはハン・セルの2人組と一緒に、暇を余して遊びに立ち寄る兵士と、組み手とか武闘の稽古をしていて、私達はといえば、図書館に隠って魔法に関する書籍を探していた。
そういう訳で、最近は必要の時以外は人と会う事が少なく、時勢に疎かった。
「そうだよ、リトとクレハ。お正月だよ、お正月。お祭りなんだってハン・セルが言ってた!」
「そうよ。大月と小月が縦に並ぶ「冬の合」はノイヤード(正月)のお祭りなの。今日から準備しないと間に合わないのよ」
前の世界では、初詣の習慣がなかったから、お正月って聞いてもピンと来ない。
正月は配達のアルバイトか、寝て過ごしていたし、お年玉と言っても母親から少し多くお小遣いを貰った程度だったからかも知れない。
子供の頃は、羨ましく凧を見上げて、遠くで羽子板の音が聞こえてきたのだが、今際の頃では全く見かけないし、聞こえなくなった。
元旦でも休まず店が開いていたからだろう。
年が暮れて年が明けるという事に疎くなってしまったのかも知れない。
「おまつり、ってな~に? じゅんび? なにするの」
「あらまぁ、もしかして、ナーガもリトも知らなかったりするの」
「俺知らない。お祭りってなにするんだ」
「ごめんなさい。僕も、分からない」
「もう、リトったら直ぐ謝るのね。そんなに気を落とさないで。3人とも初めてだから、仕方ないのかな? ノイヤード(正月)のお祭りはね、1人1つだけど、礼拝堂に来たみんなにパンを配るのよ。姫様からの施しを頂ける日なの」
アリアは私の頭を軽く撫でて言った。
異世界も、新年を「おめでとう」と迎えるのは現代社会と同じらしい。
これから、焼き上がったパンが届いたら礼拝堂で保管するので、その前に掃除を終わらさなくてはならいから、アリアは急いていた訳だ。
そういえば、みんな何処に行ったのだろうか? 朝食が済んで見かけなくなった。
「みんな見かけなくなったけど、何処に行ったの?」
「みんなは、そうねぇ。たしかハンスとガッセルの2人はモンク・ビリージェルと一緒に西の礼拝堂。何時も賑やかなアンブラとサフィールとコラルの3人は南の礼拝堂へ荷馬車へ向かったわよ」
「あと姉弟の2人は?」
「マリアベルとアルキメドは、何時もの『お手伝い』先のパン工房よ。泊まり込みでお手伝いの筈よ」
「あれ? 姉弟って何時もパン工房に行っていたの?」
「もしかして、本当に知らなかったの。呆れたわね。今まで一緒に生活してきたのに知らないなんて驚きだわ」
「ご、ごめんなさい」
「ほらほら、直ぐに謝なくて良いから、って言ってるでしょ。わたしこそごめんね、大きな声を出して。驚いただけで怒ってないから」
「ごめんなさい」
何度も謝る私に、アリアは言葉に困ってしまった様だった。
「仕方ないわね。パン工房へ『お手伝い』を始めたのはリトとクレハ、そしてナーガが来た頃からだから、あまり話す機会がなかったのかも知れないわね」
アリアはそう言うけど、今まで、新しい世界に浮かれて自分の事ばかり考えていて、仲間の事を見ていなかった事に反省した。今更かも知れないけど。
そうだ、今更だから、他のみんなも聞いてみよう
「シスター・レミアとテレサは何処に行ったの?」
「シスター・テレサは姫様の頃で、モンク・サジェスは東の礼拝堂。ノイヤード(正月)が終わるまで泊まり込みのはずよ。トキザミ様は事故が起きてないか街を廻ってると思うわよ」
「あれ? シスター・レミアは?」
と問い掛けるや否や、
「おーい。アリアと、居残りの3人。片付いたら早く手伝ってよね!」
アリアはそっと、声のする方へ指をさした。
普段はふんわりと優しいシスター・レミアは、余裕がないのか今日は少々荒々しい感じだった。
つまり、今日これからノイヤード(正月)が終わるまで、慌ただしく忙しいのだろう。と言う雰囲気を感じた。
「ナーガとクレハ。なんか凄く大変そうだけど大丈夫かな。無理しない程度に一緒にがんばろう」
「OK! 分かった!」
「うん。あたし、がんばる」
これからやってくる繁忙期という波を乗り越えられるように、気合いを入れ、覚悟を決めた。




