第30話「岡村翔平は会いたくない」①
「お前、それ、ミドリさんのことを意識してるってことじゃねぇの?」
食堂のテーブルに座って水の入ったグラスを持ちながら、我が友人、町田大樹は顔色一つ変えることなく、そんな風に言った。
ミド姉との姉弟デートの翌日、俺は昼休みに大樹を誘って食堂で昼飯を食べていた。そこで昨日、ミド姉と何があったのかを説明し、その後の俺の悶々とした気分の正体の解決を図ろうと、こうして大樹に相談しているわけだ。
「やっぱり、そういうことなのかな~……」
昨日起こったこと……。すなわち、ミド姉からキスをされたことだ!
以前にも一度キスをされたことはあった。だが、今回のは前回と雰囲気が違う。やけに熱っぽい顔をして迫ってきたミド姉の顔は、ただの姉のように思えなかった。
それに加えて、先日のモモの告白と大樹からの助言が頭の中に浮かんで、俺はどうも恋愛に対して敏感になっているようだった。それが、ミド姉のことをより強く女性として意識する要因となっているように感じた。
「間違いないな。お前は、ミドリさんのことを好きになってるって」
「別に好きになったって決まったわけじゃないよ! それにミド姉のことだから、やっぱりブラコン方面でのスキンシップだったんじゃないかな? そうだったら、俺の勘違いってことになるよね」
俺は、ミド姉の行動が単なる姉のスキンシップではなさそうだと考えてはいつつも、それが単なる俺の勘違いなのではないかとも思っていた。今までのミド姉の行動に対して、俺は何度もドギマギされてきた。しかし、結果的にそれは彼女の性癖によるものであり、俺のことが異性として好きだというものではなかった。
「いや、今回の行動に関しては今までとはわけが違うと思う」
「なんでそんなにはっきりと言えるの?」
現に、今まではそういうことがなかったわけで……。今回に関しても例外ではない可能性は高い。これまでの統計的データが俺の頭を混乱させていた。
「それに関しては勘だけどな……。ミドリさんは、オレにとってもよく分からない存在だし……」
女心を他の人よりも察知しやすい大樹であっても、ミド姉のことは確信を持つのが難しいらしい。まぁ、何かとイレギュラーな人ではあるもんね。
「けど、その勘を裏付ける材料は、いくつかあったんだよな~」
「材料?」
「そうだな。例えばだけど、お前がプールでミドリさんを助けたとき。あの時のミドリさんの顔を見ていたけど、なんか『あれ?』って思うことがあったんだよ。いつものブラコン姉さんとはちょっと違うっていうか」
「そうだった?」
「まぁ、お前はそう言うだろうな……」
全然気にしていなかった。確かに助けた直後はやけに大人しくなっていた気がするけど、あれはナンパの相手をするのが疲れていただけだと思ったのだが。
「けどそれよりもまずは、モモのことをどうにかしないと……なんだよね……」
「それはそうだな」
今俺は、モモから受けた告白に関して、真剣に考えなければいけない立場にある。期限は一週間。すでに今日で三日目。あと、四日しかないというのに。
「うん。モモのことを考えている時期にこんな気持ちになるなんて。これが良くないことだっていうのは分かっているんだけど……」
先に告白してくれた人ではなく、その後に気になりだした人を考えてしまう。実際はそうではないのに、モモのことをないがしろにしている気になってしまい、そんな自分を罪悪感で好きになれない。
俺、今までは結構正直で、真面目に生きてきたつもりだったのに、そんなこともないのかな? 自分でそう思っていただけで、俺は案外不誠実なのかも……。
「そうか? オレは別にそうは思わねぇけど?」
「え?」
そんなオレの自己嫌悪を大樹は軽く否定した。てっきり、同意されるものだと思っていただけに、驚きの表情で応じた。
「いやまぁそりゃ、桜井のことだけを真剣に考えて返事ができたのなら、それが一番良かっただろうよ。けど、程度は人によって違うけど、人を好きになるってのはどうしようもなく突発的なものだとオレは思う。ましてや、お前にとってミドリさんはかなり近い距離にいた女性だからな。いつ意識してもおかしくない状況にはあったんだ」
確かに人を好きになるのって、突然だよな。モモだって、俺に一目惚れで好きになってくれたわけだし。もちろん、徐々に好きになっていくという人もいる。だけど、突然始まる恋も当然ある。そこに好きになる理由があろうとなかろうと、どちらにせよ、恋をするのは突然だという考えは、俺にも理解ができる。
「けど、これってある意味、モモに対する裏切りの行為みたいに感じてしまうんだよね」
「そう思うのも分からなくはないけどよ。けど、お前のそれは、不誠実でもなんでもねぇよ。そりゃ、すでに了承して、付き合っていたのなら話は別だぜ? けどお前は、まだ付き合ってないじゃねぇか」
「あ」
俺とモモは、まだ付き合っていない。むしろ、一度は俺から告白を断っている。俺とモモがすでに付き合っていたら、完全にモモへの裏切り行為になってしまうが、今回はそうではない。
「大事なのは残された時間できちんと考えることだ。どう決断するのかだ。お前がちゃんとした意志を持って選択すればいいんだよ。多分、ミドリさんも桜井も、その辺りのことが分からない人たちじゃあねぇと思うけど?」
約束の期限まで、幸いなことにあと四日ある。それまでにちゃんとした答えをモモに伝えればいいんだ。大切なのは、俺がこのあと、どうするか……か。
「そうだね。ありがとう大樹。やっぱ大樹に相談して良かったよ! 俺、ミド姉とモモのこと、ちゃんと考えてみるよ」
「あぁ。頑張れよ! モテ男!」
そう言って大樹はいつもの調子に戻ってからかってくる。そんな気を遣わせない大樹の態度を俺は心地よく感じた。やっぱ、相談できる友人っていいものだな。
大樹の存在に感謝しつつも、俺たちは昼飯を食べ進めた。
*
家に帰った俺は、自室のベッドで寝転がり、一人で考える。もちろん、モモとミド姉のことだ。
モモはあの時、勇気を出して俺に告白してくれた。こう言うと偉そうに聞こえてしまうけれど、それこそ、ずっとずっと告白したかったんだろう。半年ほど前から、想いを告げたくて仕方なかったんだ。そうやって、モモは言っていた。
俺自身、モモと一緒にいるのはすごく楽しい。趣味であるアニメや漫画の話があんなに弾むことなんて、そうそうない。ミド姉だってそれらが好きだから、話は弾むんだけど、モモとはそれ以上なんだよな。やっぱ、波長が合うってやつなんだろうか?
それにモモは、前にも頭を整理していて思ったことだけど、すごく女の子らしいんだよね。緊張しいなところとか照れ屋なところとかね。俺もそうなのだけど、なんだろうね、あの女の子がやると途端に可愛く見えるあれ? まぁ、ミド姉からしたら、俺も可愛いみたいだけどさ。
それに、それだけではなくて、ふんわりとした雰囲気もいいよな。奥ゆかしさとは違うけれど、おしとやかとでも言うのかな。常に一歩引いて全体を見ている感じがする。
他にも、勉強はできるし、教え方も上手い。しっかりしているところはしているし、本当に素敵な女性だと思う。
けれど、それはモモに限らないんだよな~。それは、ミド姉にも言えることで、モモにはモモの、ミド姉にはミド姉の良さがたくさんある。
何といっても前向きで、諦めない芯の強さを持っているミド姉。俺は、そんな彼女に惹かれていったんだよな。
それからは、設定上の姉弟なはずなのにブラコンになるという、とんでもない性癖を開花させてしまったけれど、それは彼女の愛情深さを如実に表しているとも言える。少しずれてはいるけれど、愛情を与えられて嬉しくない人はいない。俺だって、もちろん嬉しいよ。
それに、ミド姉とも話すのは楽しいんだよな~。いつも明るくて元気だし、時々とんでもないボケをかましてきたりするから会話に飽きが来ない。モモとは違った楽しさがある。
昨日のあの行動。大樹の勘や俺の考察からでは真相は分からないけれど、好意的なことは間違いない。それが、付き合ううんぬんではないかもしれないけれど、あんなに綺麗な人にこれだけ好かれて、意識するなという方が無理だ。現に、俺はミド姉を女性として見てしまい、今でも思い出すと少し動悸が速くなる。
「(う~ん。やっぱり二人とも素敵な女性なんだよな~……)」
それぞれにある良さを比べ、悩み続ける俺。けど、これは優柔不断というものではないはずだ。簡単に決めていいことじゃない。大事な決断なんだ。
そうは言っても、同じことばかり考え続けていると頭がショートしてしまいそうだ。
「気晴らしってわけではないけれど、勉強するか」
俺は、ベッドから起きて立ち上がり、勉強机に向かって椅子に座る。正面の本立てから、公務員の参考書を取り出して、前回の続きのページを開く。
参考書を買ってから、俺はノルマを決めて勉強していた。まだそんなに焦る時期でもないのだが、専門科目だけは、早々に仕上げておこうと思ったのだ。
理系技術系の公務員試験は、大きく分けて三つの試験がある。専門科目と教養科目、それに、論文記述だ。そのうちの専門科目の占める点数配分比率が高く、合否に直結する。教養科目は高校のセンター試験のようなものだから、一度はガッツリと勉強したような内容が出題される。もちろん、くせのある問題が多いので、対策をしていないと落ちるわけだが。しかし、専門科目は大学で学んだ専門知識を問われる。対策なしでは、最悪一点も採れないのだ。
だからこそ、苦手などの早期発見も兼ねて、まだ七ヶ月以上あるこの時期から勉強している。そのうち教養科目と論文記述、それに第二志望の役所も対策するとなると、早すぎるなんてことは決してないからだ。そこまでペースを上げても仕方ないので、こんなふうに、無理のない範囲で、ではあるけど。
こうして今のタイミングで公務員勉強をしていると、どうしてもミド姉を思い出す。俺が公務員を目指すきっかけになったのが、ミド姉だからだ。
最初に彼女に惹かれた日の、綺麗な夕陽と笑顔を思い出す。……眩しかった。
思えば、俺って結構はじめの方からミド姉を意識していたのかもしれないな……。いきなり告白みたいなこと言われて、その後、家にも連れて行かれるし……。初日から宿泊するし……。
ブラコンが強烈過ぎて気にならなかっただけなのだろうか、それとも憧れだったのだろうか。今でも、俺はミド姉に憧れを抱いている。それと恋心は別物だと思っていたけど、あながちそういうわけでもないのかな? やっぱり、確信は持てない。
「(俺は、モモよりミド姉と付き合いたいと思っているのかな?)」
動かしていたシャーペンを持つ手はいつの間にか止まり、考え事が再開される。結局この日、俺の中で明確な答えを出すことはできなかった。
*




