第18話「弟は姉を信じたい」③
花森翠
居間のテーブルに座り、母と対面する。翔ちゃんと話していた時のような雰囲気の悪さは感じない。ただただ無表情のいつもの母親がそこにはいた。
「翠、あんたは本気で漫画家になれると思っているのか?」
始めに口を開いたのは、母からだった。私は、自信を持って答える。
「なれる」
「簡単に言うが、何度も言っている通りあんたにいくら自信があろうと、その道は辛く険しいものになるぞ。これは、私が今まで漫画家を見てきて思った素直な感想だ。その上でもう一度聞くから正直に答えろ。本気でなれると思っているのか?」
「……」
私は一度黙るが、少し間を置いて話し始める。
「不安はあるよ。絵の上手さは自信があるけど、お母さんの言う通り、話作りは得意じゃない。大学卒業までの半年で、漫画家になれるかどうかは、正直分からない」
自信を持って答えるべきだったのだろうが、『正直に』と念を押されたため、自分の中にある不安の要素も全て口に出す。母の求めている答えとは違うだろうが、嘘はつきたくなかった。
「だけど、私は夢を諦めない。たとえ在学中に無理だったとしても、就職してからも描き続ける。夢破れた時に無職でいるつもりもないから、就職もする。私は、何に関しても後悔はしたくない。きっかけを得たこのチャンスを逃すなんていう後悔だって、したくない!」
私は、馬鹿にされるかもしれないけど、モデルのことを話し始める。
「変に思うかもしれないけど、私は翔ちゃんに出会って、姉と弟の気持ちを知ったの。その気持ちを漫画に反映して、いい作品を作る。だから、私は向こうで漫画が描きたい! まだ、翔ちゃんと離れたくない!」
私の瞳から、再び涙がこぼれ始める。泣いてはいけないと思っていたが、堪えきれなくなってしまう。
「だから、お願いします。私に向こうで生活させてください!」
私は、座ったまま懇願した。テーブルに手をつき、頭を下げ続ける。ぐっと目を瞑り、許しが出るまで下げ続ける。
しばらく沈黙が続いたが、母は口を開く。
「悪かったわ、翠」
「……え?」
許し、もしくは否定の言葉が返ってくると思っていた私は、母の予想外の言葉に驚きを隠せなかった。ここに来て、謝罪なんて。
「あんたは昔から正直な奴だったよ。私は、あの少年に言われるまでそれに気づけなかった。夢うんぬんはともかくとして、娘の言うことは信じるべきだった」
私は、何を言っていいのか分からない。母からの謝罪の言葉なんて、全然聞いたことなかったものだから。
「ただ、就活に関しては甘くする気はないから。就活を終えるまで漫画は描かないこと。それが条件よ」
「条件? 条件って……」
「えぇ、向こうでの生活を許可するわ」
「!」
私は、嬉し涙でいっぱいになる。良かった。本当に良かった。これで、またみんなに会える……。
「ありがとう、お母さん……」
「それと、私はあんたが大学を卒業したら一切金は出さない。あんたが漫画家の夢を目指すのは勝手だけど、費用の援助を受けられると思わないことね。もしも食いっぱぐれるようなことになっても、あんたの自己責任よ」
「うん! もちろんだよ」
私は、母に笑顔を向けた。母は、何だか複雑そうな表情をしている。
「翠、あんたは父親の死因を知っているかしら」
母は、突然話を切り替え、そんなことを尋ねる。
「お父さん? 確か、交通事故って聞いてるけど……」
「交通事故に違いはないけど、元をたどれば、原因は過労よ」
「過労……」
「あんたの父親はね、努力の才能があって、将来を嘱望されていた。それこそ、絵を描くのにたくさんの時間を費やして、年々注目されるようになってきたそうよ」
「そう……だったんだ」
私は、父の多くを知らない。父の絵が好きで、真似していたこと、小さい頃にたくさん遊んでもらっていたことくらいしか覚えていない。まさか、父がそんなに努力家だったなんて、知らなかった。
「ある日、頑張りすぎた父親は車に乗っている最中に意識を失い、そのまま交通事故につながった」
「……」
私は、母が言わんとしていることがなんとなく分かってしまったが、最後まで話を聞いた。
「翠、私はね、正直あんたが漫画家になるのを快く思っていないわ」
それは、ここ数日で何度も言われた言葉だ。だが、私の中に反発する気はもうない。
「あんたに自分を追い込みすぎて欲しくないのよ……」
母親は、漫画編集者。漫画家のことならなんでも知っている。作品が目に留まる喜びも、評価されない辛さも、全部……。
「だから、もしも疲れた時には、いつでも連絡してきなさい。美味しいご飯を作って待っているから……」
私は、数年ぶりに母親の笑った顔を見た。私はその笑顔に母親の温もりを感じた。この人は、やっぱり私の母親だ。どれだけ厳しくても、どれだけ無表情でも、私を一番に思っている。私は、そう感じた。
「ありがとう! お母さん!」
私も母の笑顔に応えるように、満開の笑顔を返した。
「で? あの子とはどういう関係?」
それまでの重苦しい雰囲気とは一変して、母は急にそんなことを尋ねてきた。方向性が変わりすぎるにも程がある。
「な、何急に!? だから、弟のモデルだって言ってたでしょ?」
「そうなのね。てっきり、随分と歳の離れた恋人だと思ってたわ」
「こ、恋人なんかじゃ……」
「ちなみに、あんたの父親は、私の五つ年下だ」
「え?」
「だから、いいと思うわよ。私は気にしないわ」
「え!? ちょっ! だから~……」
無表情ながらもどこかいたずらしているような表情を見せる母親。かなり上機嫌のようだ。勝手に話を進めてくる。
「話は終わり。さ、早く部屋にいる弟くんを呼びに行ってあげなさい。待たせちゃっているからね。それに、今日大学側に戻るんなら、終電なくなる前に行かないとダメよ」
母はそう言って椅子から立ち上がると、仕事着を着替えに自室に向かう。よく考えたら、仕事終わりで疲れていたはずなのにずっと話を聞いていてくれたんだよね。
私は、翔ちゃんを迎えに階段を上がる。部屋の扉を開けると、あぐらをかいて貧乏ゆすりをしながらソワソワした様子の翔ちゃんがいた。
「ミド姉! どうでしたか?」
話し合いの結果が気になるようで、すぐに立ち上がり尋ねる。
「うん! 許してもらえたよ!」
「良かった! 本当に良かったです、ミド姉!」
翔ちゃんは、結果を聞いてすごく喜んでくれる。私も、その顔を見れて嬉しさがこみ上げる。こんなに自分のことを思ってくれている人がいるなんて、最高に幸せだよ。
本当に、全部翔ちゃんのおかげだ。私一人じゃ絶対に解決できなかった。実家まで来てくれて、必死に母親を説得してくれた。らしくない態度を見せてもね。
本当に嬉しかった。翔ちゃんが私のことを信じてくれているって言ったとき、私は心の底から嬉しかった。普段は恥ずかしがっているのに、「弟だ」って宣言してくれた時が、嬉しかった。
「これも全部、翔ちゃんのおかげだね! 本当にありがとう!」
私は翔ちゃんに感謝の気持ちを述べる。
「いえ、弟ですから!」
翔ちゃんのステキな笑顔を見て、私はいつも以上に心臓が跳ね上がった。今回のことで、翔ちゃんに対する弟愛がより深まったみたいだ。翔ちゃんの顔がいつものように可愛らしく、そして、いつも以上に格好良く見えた。やっぱり翔ちゃんは頼りになる素敵な弟だね。
けど、なんだかいつもよりも動悸が早い気がするわね。心臓だって、まだドキドキ言ってるし、目線を合わせていると顔が熱くなる。
そっか、私、またブラコンが進行しちゃったのかな? こんなこと、朱里ちゃんに言ったらまた翔ちゃんが怒られちゃいそうね。あはは。
「そうだ、翔ちゃん。帰るんだったら、早く行かないと終電なくなっちゃうよ! 待たせていたところ悪いけど、すぐにおうちを出よう!」
「あ、それもそうですね! 僕は準備できているんで、行きましょう!」
私たちは急いで階段を駆け下り、玄関で靴を履いて、扉を開ける。出る前に、私は母に一言挨拶する。
「お母さん! 私、行ってくるね!」
自室から母が出てきた。その顔は、無表情ながらも和らいでいる。
「就活、頑張りなさい」
「うん! 頑張るよ!」
私は自信を持ってそう答える。
「それと翠、就活が終わったら、今度はゆっくりうちに泊まっていきなさい」
「うん! 終わったら、帰ってくるね! それじゃあ、行ってきます!」
「弟くん」
駆け出そうとする私たちを、母はもう一度呼び止めた。今度は翔ちゃんに用があるらしい。
「翠のこと、これからもよろしくね」
「はい! 任せてください!」
そう言って、暗い田舎道を走り始めた。
*
駅が近づいて、時間的に余裕もあるので、走るのをやめて歩くことにした私たちは、息を切らしながら歩く。私はトートバッグを持っているが、翔ちゃんに至っては手ぶらだ。
「翔ちゃん、何も持ってきていないのね」
「えぇ、突然の出発だったもので、家に帰るのも惜しかったですし。けど、持ってこなくて正解でした。走りやすさが段違いです」
「家に着いたとき、すごく息を切らせていたものね。ふ~ん。そっかそっか~。そんなにお姉ちゃんのこと心配だったか~」
私はちょっとからかうように口調を変えて翔ちゃんに言う。
「そりゃ心配でしたよ!」
翔ちゃんはちょっと強めにそう言った。途端私は、自分でからかうように質問したにも関わらず、言葉に窮してしまった。
「朝起きたら書置きしか残っていないですし、言いくるめられてそのまま実家暮らしになるんじゃないかとずっと心配してたんですから」
「そ、そんなに心配だった?」
「だから、そう言ってるじゃないですか?」
ぶっきらぼうにそう言う翔ちゃんの姿に、私はいつもとは違う何かを感じていた。さっきまで走っていたせいなのか、私の頬は熱っぽいし、心臓の鼓動もいつもよりドキドキしている。さっき部屋で感じた感覚と一緒だ。
「そ、そうなんだ……。ふーんそっかそっかー。お姉ちゃん冥利に尽きるね!」
なんとか自然な感じで受け答えするが、いつもの私らしくない答えになった気がする。何だろうこれ。翔ちゃんに抱きつきたいけど、いつもと同じようなスキンシップを取りたくないみたいなこの感じ。これがブラコンの新境地なのかな?
「それじゃあ、そんな心配してくれた翔ちゃんには、……」
いつもの弟愛に溢れた私の調子に戻り、目を閉じて翔ちゃんにそう言った。そして、弟へ、いつものスキンシップに比べて、より姉の愛情を伝えることができる方法を実行すべく、油断していた翔ちゃんに近づいて、
私の唇を軽く、翔ちゃんの頬に当てた。
柄にもない行動だったから、すごい恥ずかしいが、これはお礼。お姉ちゃんを助けてくれた弟への、私ができる最大の愛情表現だ。
「え!? え!? ミド姉!? 今のって!!」
翔ちゃんは、手で頬を触ったり離したりしていて、顔も真っ赤だ。ふふっ、可愛い。
私は、クスッと笑って、慌てる様子の翔ちゃんに対して、
「お姉ちゃんからのご褒美だよ!」
満開の笑顔でそう言ったのだった。
どうやら、私にはまだ理解しきれていない姉弟感情があったようだ。今までの弟愛とは違う何か。私にはまだこの感情に名前を付けることはできない。だけど、今まで以上に素敵なモノであることに違いはないよね。
だって、今まで以上に翔ちゃんが愛おしいんだもの!
今回、あとがき長めです! 本当に長いです! ご容赦ください!
第18話を読んでいただき、ありがとうございました! これにて、長かった花森家騒動回は終了です。いやー長かったですね! 今までで一番力を入れて執筆しました。皆さんには、楽しんでいただけたでしょうか?
この話は、書くのに非常に迷うところがありました。翠の心に新たな気持ちが入り込んだからです。「読者は、こんな展開を望んでいないんじゃないのか?」とか「リミッターの外れた翠を思う存分書けなくなるんじゃないか?」とか思ったりすることもあったんです。
けど、書きました。やっぱ、私がこういう展開を書きたいな~と思ったんで書きました! 実際、執筆を終了して全く後悔はありません! 満足しています!
めったにない翔平の主人公らしさや、就活による家の問題など、書けて満足です! 就活問題は、かなり前の話からそれとなく前兆やら設定を書かなければいけなかったので、フラグ管理が大変でしたけど……。そして家へ自己談判に行った翔平! カッコよかった! 全力で主人公させました! みなさんにも、素敵な翔平のイメージが浮かんでいれば幸いです!
あと、第16話~第18話は緋陽里の出番が結構ありましたね。久しぶりですね! 第9.5話ぶりでしょうか?(笑)今回は重要ポジションを勤めていただいて、ありがとう! またそのうち、よろしく!
もうちょっと出したほうがいいかな……?
さて、第9話のあとがきでも似たようなことを書いたと思うんですけど、私はライトノベルを意識して書いているんです。ライトノベルが大好きでして、それを真似て文字数や展開もそれなりに調整しながら書いています。それで、今回のこの話で、ちょうど「私的ラノベ第2巻」が終了になります。パチパチ!! こだわりとして、第2巻目の終わりには絶対この話を書きたい! と思っていたんです。葛藤はありましたけどね。なんにせよ、総計約250,000字といったところでしょうか? たくさん書いたなぁ……。気づけば、いつの間にか50部超えていますしね。話数的には18話ですけど。
こんなにたくさん書けたのは、何よりも読者の方々の応援があったからではないかと、心底思っています! やっぱり、読んでくれる人がいるってだけで、嬉しいんですよね! また、メッセージくれたり、レビューくれたり、感想くれたり、ツイッターではリツイートなどの宣伝をしてくれたり、本当に多くの方々に支えられて、続けてこられました! ありがとうございます! ツイッター上で絡んでくれた人もありがとうございます! 話するの、すごい楽しいですよ!
こんな書き方すると、もう作品が完結した、みたいに思えてしまいますけど、これからも「俺と彼女の関係は設定上の姉弟なはず・・・」は続きます! 「私的ラノベ三巻目」でも今まで通りの雰囲気を出し、なおかつ本編を進めていきたいと思っています! 実は展開自体はある程度先まで考えていたりします。大雑把には、ですけど。どうやってその話につなげようか悩むのは、これからです……。変わらず応援してくれると嬉しいです! SSの「設定姉弟しょーと!」もどうぞよろしくお願いします!
では、長くなってしまいましたがこの辺で。 第19話の前に第18.5話とちょっとした番外編を用意してます! 番外編は、新しい小説の短編として出す予定ですので、是非読んでください! 内容はこの作品の番外編です! それではまた!




