第32話「桜井桃果は勇気づけたい」③
桜井桃果
町田くんから翔平くんについての事情を聞いた日の夜、わたしは意を決して翔平くんに連絡をとりました。フラれた相手に何と言ってメッセージを送ったものかと悩みましたが、とりあえず、『明日、会って話せないかな?』とだけ送っておきます。未練がましい女と思われても構いません!
翔平くんがわたしの返事を断ったのは、元カノとのことが尾を引いていて、自信を失っているからです。そうは言いますけど、そもそも確固たる自信を持ってお付き合いを始める人なんて、いるのでしょうか? 中にはいるのかもしれませんが、ほとんどの人が期待と不安の入り混じった状態でお付き合いを始めるのではないでしょうか? わたしだって、翔平くんとならうまくやっていけるだろうなとは思っていながらも、不安だってゼロではないです。
その元カノさんとだって、翔平くんが特別悪いからそんな結果になったわけではないはずです。だから、翔平くんが自信を失う必要なんてないんだと伝えたい!
一時間待っても二時間待っても、連絡は返ってきません。やはり、気まずいですよね……。今更なんの話をするんだって感じですし……。やっぱり町田くんから言ってもらった方がいいんじゃないでしょうか? けど、町田くんはすでにそういう話をしているんでしょうし……。
ですからやはりこれは、翔平くんのことが好きで告白までしたわたしにしかできない務めなんだと思います。こうなったら、電話でも構いません! 無理にでもアポを取り付けてやりま……、
ブーブー
そう意気込んでいるところで、メッセージが着信しました。相手はもちろん、翔平くんです。
『分かった。昼休みでいい?』
*
次の日の昼休み、わたしは図書館の前で待ちます。食堂にしようと思ったのですが、翔平くんは次の時間、中間試験があるらしいので、あまり時間がないようです。なので、各自で昼食を買って、図書館の飲食可能なリフレッシュルームで食べることになりました。
「モモ、お待たせ」
翔平くんが来ました。一見すると普通の態度ではありますが、笑顔というわけではありません。真顔です。まぁそりゃ、いつものように笑って挨拶とはいきませんよね。先日、わたしのことをフッたばかりなのですから。
「ううん。わたしも今来たところだから。それより、このあと中間試験があるんでしょ? 早く図書館に入っちゃおうよ」
「うん」
よそよそしくそうやりとりをして、図書館に入ります。
丸テーブルに設置された椅子を正面に向け合いながら、わたしたちはお互いに買ってきた昼食を取り出し、無言で食べ始めます。
……うーん。なんでしょう……、どう話を切り出したものか分かりませんね。いつものように世間話から始めればいいんでしょうか? 「今日はいい天気だね!」とか? いや、馬鹿ですかわたしは! これじゃあ何のためにわざわざ呼び出したのか分からないじゃないですか!
「モモ。それで、話ってのは?」
翔平くんもわたしが話し出せないのを感じ取ったのか、そうやって話のきっかけを作り出してくれました。感謝です。
「うん、翔平くん。町田くんから聞いたんだけどさ、……その……、元カノさんに会ったって……」
「うん、会ったよ」
翔平くんは、言葉を詰まらせることなくそう返答しました。大方、昨日の時点で呼び出した理由の検討がついていたのでしょう。
「それで、聞いたの。翔平くんがその元カノさんとどうなったか。翔平くんが今、どんなことを思っているのか……」
「そっか。ごめんね、モモ。気を遣わせて。あと、告白を断ったことも、本当に……。女々しいったらないよね? こんないつまでも昔のことを引きずってるなんてさ……。幻滅したでしょ?」
「そんなことは……」
誰だって、トラウマの一つや二つくらいあるものです。それを乗り越えられる人は確かに強い人ですけど、誰にだって弱点はあるものです。それに、
「わたしは、好きな人が女々しいからってだけで、嫌いになったりなんてしないよ……」
「そっか、ありがとう」
翔平くんは変わらず元気のなさそうな声でそう言います。
「やっぱり、翔平くんのあの時の返事は、その元カノさんとのことが原因なんだね?」
「……」
「けどさ、わたしは思うんだけど、翔平くんがそこまで気にしすぎることでもないと思うんだよ。翔平くんは自信をなくしているみたいだけど、町田くんの話を聞くと、翔平くんが悪いわけじゃないって思うの!」
こう言ってはあれですけど、その元カノさんがちょっと特殊だったというか。むしろ翔平くんはすごく頑張ったと思う。十分すぎるほどのカレシの務めを果たしていたと思う。
けど、翔平くんはそう思ってはいないようです。
「それは分かっているよ。恋愛に誰が悪いも何もない。碧が離れていったのだって、恋愛の自然な形なんだ。碧が悪いわけでもない。けど、俺がもっと碧を満足させていれば、俺を第一に考えられるくらいちゃんとした男だったら、別れずには済んだんだよ」
自分を傷つけるようにそう話す翔平くん。嫌だ……。こんな翔平くんは見たくない!
「翔平くん、そんな卑屈にならないで! 翔平くんは十分に魅力を持っている男の人だと思うよ! 元カノさんとは、価値観が合わなかったっていうだけだよ……。その出来事だけで、翔平くんの心が縛られるなんて、悲しすぎるよ!」
たった一度の出来事。これで翔平くんの数年間、もしかするとこのままずっとが左右されるだなんて、そんなことあっていいわけない! わたしはここが公共の場だということを忘れて、少し大きめに声を出します。
翔平くんは相変わらずの声のトーンで、わたしに返答します。
「こんなことを言うのは嫌味かもしれないけど、俺と碧の交際は本当にうまくいっていたんだ。それこそ、これから先もずっと続くような気すらした。けど、そんな状況は一瞬で崩れた。たったひとつの要素で」
持っていたサンドイッチを眺めながら、思い出すようにそう語る翔平くん。わたしは翔平くんの言葉を遮らずに話を聞きます。
「碧は言っていた。『俺のことしか考えられない』『ずっと俺といる』って。けど、そうはならなかった。俺は、元カレには勝てなかったんだ。ずっと勝てたと思っていたのに、カノジョが一度会っただけで俺と別れると言い出すほどに、俺はどうしようもなく負けていたんだよ」
悔しそうな表情は見せず、ただただ悲しそうにサンドイッチを見つめています。こうして見ると、翔平くんがひどく弱々しく見えます。いかにも、自分に自信の持てない人という雰囲気を醸し出してしまっています。そして翔平くんは、その様子をそのまま言葉にします。
「だから俺は恋愛に自信がない。だれかと付き合っても、カノジョは他の誰かに目移りするかもしれない。元カレがいない人でも、俺より魅力的な男はそこら中にたくさんいる。そうなったら、今までうまくいっていたとしても、突然別れは訪れるんだ」
自己の体験談であるだけに、リアルな印象を与える言葉。重苦しく、どう声をかければいいかすら分かりません。だけど、全員が元カノさんのような人というわけではありません! わたしだって……!
「そんなことないよ。わたしは、翔平くんのことが好きだから、そんなことにならないよ。これまでの中で、男の人に惚れたのは翔平くんが初めてなんだから……」
「モモがそんなことしないだろうというのは、俺だってそう思っているんだ。けどさ、分からないよ? 俺はあの時、碧ももう、そうはならないって心から信じていたんだよ。本当に……」
「それは……、そうかもしれないけど……」
「どんなにそうならないと思ってはいても、恋愛に自信のない俺の中では、その可能性が非常に高いもののように思えてしまうんだ……。ごめん、モモ。こんな暗い話をして。いい気分なわけ、ないよね……」
「…………」
一度は反論を繰り出したわたしでしたが、もう一度反論することはできませんでした。ずっと一緒にいられる確証なんてない、変わらない恋心を持ち続けられる保証がないという考えにわたし自身、不安を感じてしまいました。
わたしたちはお互い、何も言わずにその場で下を向きます。翔平くんは、手に持っていた残りのサンドイッチを口に入れてたいらげると、
「ごめん、もう行くよ。中間試験の勉強があるんだ。心配してくれてありがとうね、モモ」
そう言って部屋から出て行ってしまいました。
結局、わたしが翔平くんにしてあげられたことは、何もなかった……。勢いだけで何とかできると思っていましたけど、翔平くんの心を浄化することはできませんでした。
何て言えば、上手くいったのでしょうか? どうすれば、翔平くんの考えを改めることができたんでしょうか? わたしには分かりません……。これは、わたしが誰かと付き合ったことがないからなのでしょうか? もっと恋愛経験豊富であれば、説得力のある言葉を出すことができたんでしょうか?
正解など聞こえてくるわけありませんが、わたしは自問自答を繰り返します。何となく、翔平くんの気持ちが分かります。こうして好きな人の心を変えることができなかったということによる、自信の喪失。翔平くんが味わっているのは、まさにこういうことなんですよね? わたしが今感じているものよりも、もっと大きな喪失感を翔平くんは感じているんですよね?
翔平くんは、いつまでこんな思いをし続けるの? それを考えると、一層悲しくなってくる。やっぱりもっと、翔平くんに主張し続けなきゃいけない! 後ろばかり見るんじゃなくて、前も見ないとって!
持っていたスティックパンを食べ終えて、わたしも図書館を出ます。今日はこれからアルバイトです。家には帰らず直接喫茶店に向かうため、大学の中心地であるアーケードに向かって歩きます。
「あ! 桃ちゃん!」
アーケード下にある就活サポートセンターの設置された建物から、見知った女性がわたしに声をかけます。友人であり、恋のライバル、花森翠ちゃんです。
とても久しぶりに会う気がします。隣に住んでいるのに、ライバル宣言をしてからは滅多にマンションで会うことはなくなりましたからね。彼女は、就活終了の連絡を事務に提出していなかったので、その報告に行っていたようです。
「桃ちゃん、ちょうど良かったよ! 今から連絡しようと思っていたところだったの!」
「……? どうかしたの、ミドちゃん?」
「さっき、緋陽里から聞いたことなんだけど……、その……」
ミドちゃんは言いにくそうに言葉を詰まらせます。その仕草だけで、わたしはこれから何を聞かれるのかが分かってしまいます。
「まず、翔ちゃんに告白したって、……本当なの?」
断られた方の確認をしてくるかと思いきや、根本的な部分を聞いてくるミドちゃん。そうでした。そもそもミドちゃんはわたしが翔平くんに告白したことを知らないのですよね。
「うん、断られちゃったけどね……」
「そ、そうなんだ……」
何とも複雑そうな顔をするミドちゃん。友人でもあり恋のライバルでもあるのですから、仕方ないですね。
「緋陽里さんから聞いていなかったの?」
「うん。緋陽里に聞いたのは、桃ちゃんが翔ちゃんに想いを伝えたってこと」
緋陽里さんなりの配慮でしょうか? やはりできた方ですね。
「それと……、翔ちゃんの様子がおかしいかもしれないってこと。実際に、翔ちゃんに連絡してみたんだけど、返信が来ないの!」
心配そうな表情で取り出したスマホを見るミドちゃん。ロックを解除して、メッセージをチェックしているみたいですが、やはり返信は来ていないようです。
「ミドちゃん、返信が来ていないのは、今翔平くんが中間試験を受けているからだよ。さっきまでわたし、翔平くんと一緒にいたの」
「けど、それだけじゃないの! 私、昨日翔ちゃんに少しだけ会ったんだけど、どことなく元気がないように見えたし……。やっぱり何かあったのかな? もしかして、桃ちゃんの告白を断って罪悪感があるとかなのかな?」
「……ミドちゃん、実はね、」
わたしは町田くんや翔平くんから聞いた元カノさんとの出来事を話すかどうか、迷いました。けど、ミドちゃんも翔平くんを心配している気持ちは一緒なので、事情を一から説明することにしました。
ミドちゃんは目を丸くしながらわたしの話を黙って聞きます。元カノがいたこと、それが原因で自信を失っていること、そして、わたしの告白を断った原因がその自信のなさによるものだということ。その全てがミドちゃんにとっては驚きの連続だったことでしょう。
「そう……。それで翔ちゃんは……」
「うん。今日、翔平くんを何とか元気づけようとしたんだけど、失敗しちゃった」
わたしの言葉では、翔平くんを元気づけることができませんでした。力が及ばなかったばっかりに。
それに、正直なところ、翔平くんの気持ちも分からなくないのです。わたしと付き合って、もしもわたしが別の人を好きになったら、その時、翔平くんはまた深い傷を負う。今はそんなことないと思っていても、どうなるか分からない。恋愛経験の少ないわたしには、その先のことなど到底予測できません。
だから、翔平くんの考えに同情してしまったのです。反論が一瞬できなくなってしまったのです。これじゃあ、何しに行ったか分からないですね……。がむしゃらにでも、もっとわたしの気持ちを伝えられていれば良かったのかもしれませんね。
「ねぇ、桃ちゃん。桃ちゃんは、本当にこれでいいの?」
暗い表情でわたしを見ます。わたしに対して? 何がいいのでしょう?
「これでいいって、告白のこと?」
「そうよ! そんな理由で伝えた想いが拒否されるなんて、間違っているよ! 過去に捕われているってだけで、ずっと好きだった気持ちが拒絶されるなんて、そんなの……、本当の返事とは言えないよ……」
ミドちゃんは、翔平くんの心配もすると同時に、ライバルであるわたしのことも心配してくれます。優しいですね。ライバルにそんな顔ができるなんて、敵ながら尊敬してしまいます。
「うん、悔しい。わたしも悔しいよ。けど、わたしじゃ翔平くんの意識を変えることはできなかった。今のままじゃ、何度わたしが告白したって、同じだと思う……」
「そっか……。それなら、」
するとミドちゃんは、目つきを変えてわたしにこう言いました。
「翔ちゃんの自信のなさを取り除けばいいのよね?」
「……え?」
開いた右手で自分の胸を叩いて、これまでよりも大きめの声で言います。大学のアーケード下に響く、多くの学生の声に負けないくらい、自信たっぷりにミドちゃんはそう宣言しました。
「なら、翔ちゃんのお姉ちゃんであるわたしが、翔ちゃんを前向きにしてみせるわ! 必ず、桃ちゃんにきちんと向き合って返事をさせてみせる!」
ライバルのわたしに塩を送るような、姉による弟を元気づける宣言を!
第32話を読んでいただきまして、ありがとうございます。今回は、久々に桃果が登場です。第28話①以降出ていないので、7部ぶりくらいになるのでしょうか? しかし、作中時間は一週間くらいしか経っていないという。この頃、時間が経つのが遅いですね(^^;)
翔平を元気づけようとする桃果。正直、現在の翔平を書くのは、あまり楽しいものではありません。辛い過去に影響されて、とことんネガティブになってしまっているので、書いているこっちまで気分が沈んでしまいます。コメディはコメディでうまい掛け合いを考えるのが大変ですが、書いていて楽しいのはやっぱりコメディ部分ですね。
ラブ要素のある部分もニヤニヤしながら書いたりできます。第27話の手を繋ごうとする桃果だったり、第10話の図書館勉強会デートの桃果を書いていた時は恋愛の初々しさで見守りたくなる気分になりました。
みなさんは、どのような場面を描くのが好きとか、あるんでしょうか?
さて最後に、姉として翔平を鼓舞しようと意気込む翠。ライバルである桃果に塩を送る形にはなりますが、実に翠らしい発想だなと思ってしまいました。恋物語はどう進んでいくのか? 第33話に続きます。