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充、そしてその他


 「で……話ってなあに?」


 助手席に乗り込むなりキラキラと輝く瞳を遠慮なく俺にぶつける彼女。……本当に伝えても良いのだろうか。伝えてしまっては、一緒にはいられなくなる。……いや、元々出会ってもいけなかったのだから、やっぱりそれで良いのだ。


 『……あ、あの! 実は、道に迷ってしまって!』


 必死さを帯びた彼女の声は、特筆するほど綺麗でもないのに、何故か俺の気を引いた。

 俺は気付いた。正面から顔を見ると、面影がバッチリ残っていた。初めは、気のせいだと思った。気のせいであって欲しかった。あの写真に写っていた人に出会うなんて。


 俺の父親は、夜勤の多い人だった。営業職だから、人付き合いに時間を持って行かれる……幼い頃は、馬鹿のひとつ覚えみたいに、意味の分からないまま、母が言った言葉を復唱するだけで満足だった。

 今は分かる。

 あの夜勤は、接待などではなかった、と。


 共働きの家に育った俺は、幼い頃から暇をもて余すことが多かった。友達は塾だの習い事だので遊べる日は限られていたし、兄弟もいないし。

 そして、暇なついでのように頬を掠める寂しさを紛らわす為に、俺は両親の部屋を漁り始めた。でも、出てきたのは、母親の化粧品、予備の布団類、そんなものばかりだった。


 刺激を求めた俺は、ついに、入ってはいけないと厳しく言い付けられていた父親の仕事部屋に入った。

 悪いことをしているというスリルと、何か面白いものがあるのではないかという期待……そのふたつが混ざりあい、気持ち悪いほどの高揚で胸が高鳴った。

 1つずつ丁寧に引き出しを開け、物色していく。


 なんだ、面白いものなんて何もないじゃないか。


 がっかりし、手持ちぶさたに手近にあった手帳を開く。古い手帳だ。数年前の年号が書いてある。


 何? これ。写真……? お父さんと、これは……お母さん? ううん、いくら若い頃の写真であってもこれはさすがに別人だ。お父さんの顔は今とほとんど変わらないし、そう昔に撮った写真じゃない。


 父に隠し子がいる。その発想に至ったのは、そう最近じゃない。あれ以来、父の部屋に忍び込んで写真を眺めることが日課になってしまった。ウチにいない間、父はこういう人たちと一緒にいるのか、なんて。


「ねぇ、話ってなによ~」


 拗ねたように頬を膨らます彼女。きっと、良い話が始まると思っているのだろう。


「……落ち着いて聞いてくれ」


 車を発進させる。

 どこに行くでもない、あてのないドライブだ。顔を見ながら話さなくて済む、俺の逃げ。


「どう……したの?」


「愛美。……俺とお前は、腹違いの兄妹だ」


◇◇◇


 ウソ。ウソよ。そんな。

 初めて、この人となら、って思ったのに。初めての大好きな人なのに。


「きょう、だい? 冗談でしょ?」


「本当だ。何なら、俺の父親に会ってみるか?」


「ウソよ! そんなこと、あるわけない!」


「信じないならそれでも良い。ただ、俺はもうお前とは会えない」


「どうして?!」


「……家で、妻が待ってる」


「結婚……してるの?」


 頭が真っ白になった。ううん、真っ白なんて綺麗な色じゃない。色のない世界。黒。灰色。……どれも違う。


「結婚してるのに……どうして」


「親父の手帳に、写真が挟んであったんだ。だから、お前のことはすぐに分かった。どうして優しくしたか、とかは聞かないでくれ」


「ただの興味だったの? 腹違いの妹がどんな人間なのか、それだけ?」


「待て」


「違うの?」


「…………」


 どうして黙るの? せめて、上手く言い訳してよ。バカじゃないの? 違わないと言っているようなもんじゃない。


 私は、既婚の男と、それも、きょうだいと本気で恋をしていた。そういうことでしょ? 馬鹿みたい。


「降りる」


「待て」


「どうして?」


「援助させてくれないか」


「はぁ?」


「話を聞いた限りじゃ、かなりきつい生活してるんだろ? 援助するから、マトモな職に就け。それくらいはやらせろ。彩香も許してくれるはずだ」


「さやか? 奥さんの名前?」


 山口彩香、旦那の浮気――まさかね。だって、腹違いでもきょうだいなら名字は同じはず。山口なんて名字、聞いたこともない。


「そうだ。ほら」


 携帯を開いて見せられたそれは、


「……っ」


 確実に、山口彩香と名乗っていたあの人だった。

 あの人は、知っていた? その上で、私に接触した?


「唐澤……充、」


「そうだ。お前も唐澤だろ?」


「……違う。お父さんとお母さん、離婚したから。今は中原」


「離婚? 結婚してたのか?」


「え? うん。だって、お父さんは浮気で……」


「違うだろ。ウチが本当だ。お前が隠し子。お前の母親、その辺何も教えてくれないのか?」


「ちょ、ちょっと待って」


 私は今まで、何を憎んで生きてきたのだろう。

 悪いのは、私? 私の存在こそが、あってはならないものだったの?


「死」


「え?」


「死ぬ。私」


「馬鹿言うな! そういうのはまっぴらだ。やめてくれ」


 ドアを開けようと手を掛ける。このまま落ちて死んでしまえば……。

 彼が慌てて私の腕を掴む。


「待て、」


「嫌よ! もう待たない」


 まさにドアの取っ手を引こうとしたその瞬間、――ドン、と、鈍い音がした。


「何?」


「……まさか」


 彼の顔が青白い。

 ……まさか。


「あり得ないよ。こんなに不運が重なるわけないじゃん」


「……あそこは、妻の昔からの友達の家なんだ。息子が1人。幸せそうな家庭だよ」


「じゃあさっきのは……」


 知子さんの、息子?


「そうかも知れない」


 勘弁してくれ。もううんざりだ。このまま生きていても、きっともう良いことなんてないのだ。……でも。


「逃げて。早く!」


 彼が車を猛スピードで走らせる。


◇◇◇


 逃げてしまった。俺は馬鹿だ。もう帰れない。どうしたら良い? ……元はと言えば、コイツのせいだ。


「お前……何がしたいの?」


「え?」


 やつれた表情の愛美は、ゆっくりとした動作で俺を見る。

 もう、県境に入ろうとしている。県の中心にいたはずなのに。日本って狭いな、と改めて思う。夜の山は暗いな、とも。


「お前、何の為に生きてんの?」


「……何が言いたいの?」


「お前が来てからろくなことがない。実は疫病神なんじゃねぇの?」


「……お兄ちゃんは、もう戻れないんでしょ?」


「お兄ちゃんとかやめろ。気持ち悪い。そもそも、俺が戻れなくなったのはお前のせいだ」


「ごめん。でも、お兄ちゃんは戻れないし、私も戻りたくない。だったら相乗りくらいは許されるんじゃない?」


「運転交代しろよ」


「免許持ってないもん」


「……援助してやったら、大学、行くか?」


「行かない。高校も行ってないし、今更だし。お兄ちゃんに援助なんかしてもらいたくもないしね」


「お兄ちゃんやめろ」


 違和感しかない。

 でも、確かに俺とコイツは、半分だけきょうだいなんだ。


「あ、電話」


「誰から?」


「知らない番号。出てみる」


 通話ボタンを押したらしい愛美は、神妙な顔で電話に出る。

 偉いな、と、心外だが思ってしまった。俺の携帯は、電源を切ってある。


「わ、私は悪くない……」


「愛美?」


「悪くないの! 結婚してるなんて知らなかったの! 子どもを怪我させちゃったなんて、私、」


「愛美!」


 相手は誰だ? 何を話している? まさか、もうバレたのか?


「許して、お願い。私は悪くないの」


 携帯電話を取り上げようとしたその瞬間、愛美の右手が素早くハンドルを掴んだ。


「愛美……?!」


「これで良いの。全部私が悪かった。これ以上生きてちゃ、迷惑が掛かっちゃう」


「電話は……」


「ごめん。最後の犠牲者になって」


「まな……」


 愛美の手によって車が急カーブを描き、


「ごめんね」


 ガードレールを突き破った車は、坂道を転がって行く。


「お前……!」


 これ以上ない最悪の事態。それなのに、最期の愛美の表情は、いつになく幸せそうだった。


◇◇◇


 「知子」


「おかえりなさい」


 夫の声に振り向くと、夫はいつもの柔らかな微笑みを湛えていました。携帯電話を閉じて、私も微笑み返します。


「帰ろうか」


「ええ」


 私は、私の任務を終えました。自分でも会心の出来だったと思います。


 立ち上がって夫の手を取って、歩き出します。病院から出ると、外気が少しひんやりとしていました。


「大役を任せて悪かったな」


「いいえ。私は私に出来ることをやったまでですから」


 それに、私と出会う前とは言え、あなたを弄んだ女を許す訳にはいきません。


 口に出さなくても伝わっているであろう言葉を頭の中で呟きつつ、空を見上げます。

 まぁ。なんて綺麗な星なんでしょう。


「愛してるよ」


「私もです」


 そっと微笑み合うと、心の底からスッとしました。とうとう、因縁の女をやっつけたのです。

 健太のことは残念ですが、目標を達成するためには犠牲は付き物です。

 まだ若いんだから、子どもなんかまた作れば良いのです。


「今日の晩御飯は何が良いかしら?」


「そうだな……久々に外食でもするか」


 外食……良い考えです。このまま帰ってご飯を作るのでは、食べられるのはかなり後になりそうです。


「大通りの角のパスタはどうですか?」


「ここから10分も歩けば着くな。よし、そこにしよう」


 愛美さん。私は幸せです。

 次にお会いするときには、あなたも幸せになっていることを願います。


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