第二話 再会の先に――3
人通りのある街の中心部を抜け、安宿へと辿り着く。空を見上げると、すでに日はかなり高くなっていた。ちょうど、昼時だろう。光貴はそこまで考えて、ふと自分の腹をさすった。
「なんか、お腹すいた」
彼の心のうちを代弁するような声が隣から聞こえる。光貴が振り返ると、晴香がぐるぐる鳴るお腹を押さえてうめいていた。
「何か買ってくればよかったねー……。失敗したなあ」
「驚いたり混乱したりで、それどころじゃなかったからな」
顔をしかめる晴香の横で、光貴は苦笑する。ただ市を楽しみにいっただけのつもりがとんでもないことになったな、と改めて思い、背後を見た。視線の先で、母の美雪が楽しそうに笑っている。
「……なんすか」
「いや。二人のこんなやり取りを見るのも、久し振りだなあって思って」
嬉しそうな声が返る。光貴はなんと言っていいか分からなくて、曖昧に肩をすくめた。
その直後、光貴の前方から声が響いた。
「あー! おまえら、ここにいたのか!」
光貴にとってはすっかり馴染んだ明るく若い声。四人の中で一番前を歩いていた兄妹は、揃って声の方に顔を向ける。
前から、ラッセルとメリエルが走ってきていた。彼は二人の注目が集まったことに気付くと、激しく手を振る。
「ちょうどよかった! おまえらと合流しようと思って市に行ったんだが、どこにもいなくてびっくりしたんだよ」
「あー、ごめん」
市に出かけていた三人は、微妙な顔で謝る。どうやらラッセルたちにいらぬ心配と苦労をかけたらしい。
そう考えてから、光貴は思った。
ラッセルとメリエルが外に出ているということは、留守番組はノエルとリリスだ。どちらも妙な組み合わせである。――どうしてこうなった、という疑問を抱かずにはいられなかった。だが、ラッセルたちはそんな疑問には気付かなかったようだ。
「まあいいや。ついでに昼飯買ったから、部屋に戻ってみんなで食おうぜ」
赤毛の青年が明るく言い、その横で『慈悲姫』が呆れたように目を細める。だが、そうして一行を見渡した二人は、違和感を覚えたのか、目を瞬いた。
「――あり? 一人、増えてる……」
目を点にしたまま言ったのはラッセルだ。メリエルもわずかに身を乗り出す。
そして彼女は、真っ先に『増えた一人』の正体に気付いた。
「……っ!? み、美雪様!?」
「あら、メリエルじゃない。久し振りー。様づけいらないって言ってるのに、相変わらずねえ」
美雪は言って、のん気に手を振る。ひとまず、状況の説明などといったものは横に置いて、久々の再会を満喫しているようだった。その切り替えの早さに、光貴も晴香も呆れた目を向けていた。
一方、彼らと同じですんなり納得できていないラッセルたちは、顔を見合わせている。
「なんだメリエル。知り合い?」
「な、何をおっしゃっているんです!? あの方は、ジェラルドの奥様ですよ! あなたも顔を合わせたことくらいはおありでしょう!」
「へっ!?」
メリエルに叱責されたラッセルが、慌てて美雪を見る。見られた方は懐かしそうにしていた。
「お、君はベイカー家の坊っちゃん。大きくなったね」
「…………記憶にない、んですが」
「まあそうでしょうね。何度か廊下ですれ違った程度でロクに挨拶もしないうちに、私が王城に顔出さなくなったから」
はあ、と生返事をしたラッセル。その彼の表情が、ふいに凍りついた。鳶色の瞳が光貴たち兄妹と美雪の間を行き来している。
――さすがに、三人の関係を察したようだ。
やがてラッセルがぽつりと呟いた。
「というか、似てる」
彼の呟きが聞こえたのか、メリエルが「えっ?」と素っ頓狂な声を上げた。そこでようやく、今まで置いてきぼりにされていた兄妹が口を開いた。
「えーっと。言いたいことはいっぱいあるんだが」
「とりあえずこの人……私たちの母です」
二人の紹介に合わせて、美雪が愉快な笑顔を見せる。幸か不幸か、二人の子は前を向いていたのでそれに気付かなかった。
そして、紹介を聞いたラッセルとメリエルは、目をみはったまましばらく硬直した。
「――つまり。光貴さんと晴香さんは、ジェラルド様と美雪様の子どもだった、ということですか?」
昼下がりの宿屋の一室。疲れと呆れがにじんだ声が、沈黙の中に響いた。
実に簡単に事実をまとめてくれたのは、留守番組だったノエルである。驚きと、戸惑いと、呆れと疲れがないまぜになったような顔で、帰ってきた人々を見ていた。ちなみにリリスは話についていけていないようで、ぼうっとしたまま聞き役に徹している。
「つまりそういうことだな、うん」
何も言えなくなっている当事者たちに代わって、ラッセルがうなずいた。するとノエルは深々とため息をつく。
「やれやれ。知らない間にとんでもないことになってますね……。旅の間の休憩だったはずですが、全然休まりませんよ。主に精神の方が」
「気が休まらないのは俺たちの方だっつーの……」
言って、ノエルと同じため息をついたのは、光貴だ。
異国の地で母と再会しただけでも驚きなのに、続けてさらに衝撃的な事実を告げられたのだ。びっくりしすぎて頭がどうにかなりそうだった。
だが当の美雪といえば、穏やかな笑顔を浮かべたままである。雰囲気を明るくしようと思ってのことか、本当に動じていないのか、光貴には分からない。ただ彼女はその笑顔のまま言った。
「……とりあえずは、あなたたちの話から聞かせてもらっていい? 私が話をする前に、あなたたちがどこまで知ってるのかとか、どういう状況にあるのかとか、整理しておきたいから」
その言葉に一行は顔を見合わせ、少ししてうなずいた。自分たちの気持ちを落ち着けるためにも、何か話をした方がいいような気がしていたからだ。
「――つっても、どこから話すかね。『夜空の首飾り』のことか?」
呟いた後、ラッセルがぽつぽつと語りだす。
それからリリスとメリエルを除く一行は、事のいきさつを穏やかに語った。美雪は口を挟まないで聴いていたが、さすがに光貴の一件は驚きを隠せないようだった。
どれくらいの時間が経ったか。ふと、話し声が途切れる。時計の秒針だけがやかましいほどに鳴り響く中で、美雪がゆるく首を振った。
「なるほど。だいたい分かったわ」
そうしてうなずく彼女の顔は、どこか暗い。
光貴が首をかしげていると、母は彼に目を合わせてきた。
「光貴が守護天使、か。……ひょっとしたらジェラルドは、こうなることが分かっていたのかもしれない」
「えっ? それって」
「――さて、今度は私の番ね」
光貴がみなまで言う前に、美雪は被せるようにして言葉を口にする。自分の問いかけをさえぎられた光貴は、むっと顔をしかめつつも押し黙った。ここで問い詰めても、きっと母は答えない、と思ったからだった。
美雪は静かな瞳で一同を見回した。
「これからする話は、三十年近く前から始まる昔話。最初の方の出来事はたぶん、ここにいる誰も知らないことでしょうね」
彼女はそう前置きして、語り始めた。
歴史に埋もれた自らの過去を。
「私が陽国出身なのは、みんな知ってるわね?
私は、北原美雪は、元々その陽国の、貴族の末娘だった」
突然出てきた北原家の話に、晴香が目を瞬く。
「えっ、貴族って……」
「そ。北原家ってね、陽国ではそこそこ名のある貴族だったのよ。私はその家に生まれた。けど、ほどなくして問題だらけの厄介者扱いされたわ」
娘の言葉に答えた彼女は、ふっと口元に笑みを刻む。自嘲的な笑みだ。
「末子で女ってだけでも煙たがられていたけど、加えて私は魔力に敏感な体質だった。だからときどき、普通の人には分からないものを感じることがあった。周りからは不気味なものを見るような目を向けられたわ。
陽国では魔法はあまり浸透していないから、仕方のないことね」
語る美雪の瞳が、ラッセルの方へ向く。若き宮廷魔導師はその辺りの事情にも詳しいと見えて、気まずそうに顔を歪めた。その様子に何を思ったか、美雪はそっと顔を綻ばせる。
「そして、さらに悪いことに、私はいつまで経っても嫁ぎ先が見つからなかった。陽の貴族の娘は、五つになる頃にはもう、婚約者が決まっているものなんだけど……私は六歳を過ぎても決まらなかったのよ。ま、私の体質のせいでしょうね。
とうとう、父親の堪忍袋の緒が切れたわ。私は家を追い出された。わずかなお金と米だけ持たされて」
「え、ええっ!?」
複数の声が、裏返った悲鳴を上げる。話を聞いていた者たちの中で動じていないのは、リリスくらいのものだった。価値観も文化も当時とはかけ離れた世界に身を置いている若者の反応は、美雪にとってかなり新鮮だったらしく、彼女は少し楽しそうに目を細める。
「当時の陽じゃ珍しいことじゃなかったわよ?
……まあとにかく、そうして家を追われた私は、あてもなくさまよった。一応仕事を探したんだけど、女児に仕事をくれるようなところはなかったわ。やがて、お金も食料も底を尽きた。ちょうどその頃、私は一人の男と出会ったわ。
その人は、私の境遇に同情して手を差し伸べた。汚れた私の手を引いて、自分の家まで連れてった。そして食料と、寝床を与えた」
それを聞いていた晴香の顔が少し緩む。だが一方で、光貴はかすかな違和感を覚えた。その「男」のことを語る美雪の声が妙に冷たいと思ったのだ。
――違和感は、気のせいではなかった。
「そこまでなら良かったんだけどね。世の中そう甘くはないわ。私はその後、売られた」
凍りついた静寂が広がる。晴香とミーナがはっと両手で口を押さえた。光貴とノエルが息をのみ、ラッセルとメリエルがますます顔をしかめる。
そしてリリスは――暗く沈んだ目で、美雪の話に耳をかたむけていた。
「私に手を差し伸べてきた男は、ピエトロから来た悪徳商人だったのよ。しかも、人身売買を生業とする類の。陽国は当時から鎖国していたけど、悪い商売のために密航してくる人は後を断たなかったの。
それはともかく、私はピエトロに売られたわ。この当時ピエトロ王国といえば、地獄の代名詞のようなものだったから……さすがに自分の警戒心のなさを呪ったわね」
疑問を投げかけるような空気が流れる。特に、ピエトロ王国出身の若者たちから。美雪は苦い笑みを浮かべながら、続きを口にした。
「その頃のピエトロ王国は、『堕天使』っていうろくでもない魔導師に乗っ取られてたのよ。国民は普通に生活してるように見えたけど、やっぱり怯えてたわ。街も村も、荒れて、どこか暗かった」
身を乗り出して話を聞いていた光貴は、しかし眉を上げた。
「……『堕天使』?」
彼は美雪の言葉を反芻する。馴染みがないはずなのに、その言葉が出てくるだけで、うすら寒くなる気がしていた。息子の心境の変化に気付いたのだろう、美雪もわずかに眉を曇らせた。
「そ、『堕天使』。でも、彼らの話は後でするから流して。
って言っても、私が売られたのもその『堕天使』のところだったんだけど。で、私は奴らのところで過酷な労働を強いられた。食べ物は一日にパンひとかけらだけだったし、休憩もろくに与えてもらえなかった。夜の睡眠をきちんととらせてもらえてたのだけは救いだったかな」
淡々と語る美雪の目が過去をなぞる。
時計の秒針だけが今を刻む。
そして――
「働かされて数年が経った。私が、十三歳くらいの頃のことだったかな……ある日突然、私がいた『堕天使』の拠点で大規模な戦闘が起きた。そのときの私には何が起こったかさっぱりだったけど……私は戦乱に紛れて、一人の少年に連れ出されたの」
「それが、ジェラルド。後に『神聖王』となり――私の夫になる男だった」




