第二話 再会の先に――2
街の音、人の声が遠く感じる。
光貴は呆然と立ち尽くして、その光景に目を奪われていた。後ろから走ってきていた少女が、自分の背中にぶつかったことにも気付かず。
彼の視線の先には、妹がいる。そして――母がいる。
二年も顔を見ていなかったけれど、すぐに彼女が母親だと分かった。
「母さん?」
今にも消えそうな声で光貴が呼ぶと、美雪は我に返ったかのように目を瞬いた。それから、信じられないとでもいうような顔で彼を見つめ返してくる。
「光貴? 本当に、光貴なの?」
母の声が問いかけてくる。少年は、深く考えもせず、首を縦に振った。すると、真正面にいる彼女の顔がゆがんだ。
「――この、バカ息子!!」
なんの前触れもなく叩きつけられる大声。
光貴も晴香もミーナも、飛び上がって驚いた。それだけでなく、周囲の人々も好奇の目を向けてきている。だが、美雪はそれには気づかずにずかずかと光貴の前までいくと、彼の両肩をしかとつかんだ。そして、彼の頭を前後にがくがくと揺さぶる。
「ちょ……母さん……揺するな!」
「二年も! なんの連絡もなしに! どこに消えてたのよあんたは、ほんとにもう!!」
「だああ!! 分かったからやめてくれ! なんでそんなとこだけ晴香とそっくりなんだよ!」
光貴は叫びながら、晴香と再会したときのことを思い出していた。同時に、厳密に言うともうそろそろ二年じゃなくて三年になるんだよな、などとどうでもいいことに思考を巡らせる。
そうしているうちに、母の揺さぶり攻撃は収まっていた。光貴はほっと息を吐いたが、同時に、相手の黒髪が肩にかかっていることに気付いて顔をこわばらせる。うつむいた母の肩が、震えていた。
光貴は何かを言おうと口を開きかける。が、それよりも早く、美雪が彼の体を抱きしめた。
「……私たちが、どれだけ心配したと……思ってるの………?」
嗚咽混じりの声が囁く。
咄嗟のことでわけが分からなくなっていた光貴はしかし、温かいものがじんわりと心に広がっていくのを感じた。少しして、とうとう堪え切れなくなり、顔を歪めて母にすがりつく。
「……ごめん、なさい」
口をついて出た言葉は、震えていた。それを聞いた美雪が、ちょっとだけ嬉しそうに「うん」と言う。光貴は、頬に熱いものが伝うのを感じていた。
少年が二年ぶりに流した涙は、静かに落ちていく。
やがて、美雪はそっと息子から離れた。まだ何か言いたそうな顔をしてはいるが、とりあえず涙の痕を拭って、晴れやかにうなずく。
「……それで結局、どこに行ってたの、光貴?」
率直に訊かれた光貴は、言葉に詰まった。隣の晴香も苦虫をかみつぶしたような顔で押し黙っている。
「ど、どこから話せばいいものか」
光貴は言いながら、二人の少女に助けを求める目を向けた。しかし、晴香はため息混じりに首を振るだけである。一方、状況についていけず目を丸くしているミーナは、光貴の後ろからこそっと呟いた。
「正直に言えばいいんじゃない? フィロスの神殿に封印されてましたって」
「いきなりか?」
光貴は半眼になって聞き返す。するとミーナは「とりあえずなんとかして話を始めなきゃいけないでしょ?」と言いながら、彼の背中から顔をのぞかせた。そして――目を見開いたまま硬直する。
「ん……ミーナ?」
様子がおかしいことに気付いた光貴は、ミーナの方を見た。しばらく固まっていた彼女はしかし、名前を呼ばれると、わなわなと震え出す。そして震えたまま、人差し指を美雪に向けた。
「あ、あーっ!! 美雪!?」
ミーナが叫ぶ。光貴と晴香は、驚いて顔を見合わせた。
一方、美雪の方はというと、信じられないものを見るかのような顔を少女に向けている。
「えっ、ミーナ? なんで二人と一緒にいるの?」
「訊きたいのはこっちだよ! だいたい、なんで行商人なんかやってるの?」
「なんでって……仕事よ仕事。私、本業商人なんだから」
「へー。どうりで守護天使会議にも顔出さなくなったと思ったー」
「ちょ、ちょっと待った!」
勝手に進行していく、美雪とミーナの会話。それに戸惑い、美雪の子である二人は、揃って制止の声を上げた。ミーナが、きょとんとした顔で振り向く。
「なあに? 光貴も晴香も、仲良く声揃えちゃって」
「いや、なあにじゃないよ!」
とぼけたようなミーナの反応に、晴香が焦って声を返す。さらに首をひねった彼女へ、光貴がつとめて冷静に尋ねた。
「ミーナ、母さんのこと知ってるのか?」
『豊穣姫』はあっさりと首を縦に振る。兄妹は、唖然としていた。
「知ってるよ。昔は、アルド・ゼーナ王宮にもよく顔出してたもん」
「お、王宮!?」
光貴と晴香は、またしても同時に叫んだ。声の大きさに驚いた周囲を行き交う人々の注目を浴びてしまい、二人は慌てて身振りで詫びを入れる羽目になる。
――そこでようやく、ミーナは違和感を覚えたらしい。訝しげな目を美雪に向けた。
「……美雪。さっき、二人ともあなたのことお母さんだって言ってたよね」
「…………ええ」
美雪は、呆然とした状態でうなずいた。その顔はわずかに青ざめている。
彼女の表情を見て何を思ったのか、ミーナの目は険悪に細められた。
「ってことは、当然『知ってる』んでしょ?」
少女の問いに、女はすぐには答えなかった。うつむいたあと、たっぷり間をあけて、ため息混じりにようやく口を開く。
「いいえ。二人は、何も知らない。私たち二人とも、何も教えなかったから」
美雪が答えたその瞬間。ミーナの表情から、あどけない少女の面影が消えた。鋭く冷徹な光を帯びた瞳が、旧い知己をひたと見据える。
「それは、ひどいよ」
ミーナの声は冷ややかだ。対する美雪はうなずいた。悲しそうな顔もせず。かといって反論もせず。ただ、「分かっていたこと」のように、肯定した。
静かなやり取りに兄妹が息をのむ。
「いったい、なんの話を」
「――光貴、晴香」
光貴がみなまで言う前に、美雪が二人の子の名を呼んだ。そして、今までに見たことのないような静かな視線が彼らを射抜く。
「あんたたちに、話しておかなきゃならないことがある」
怖いくらい真剣な声を聞き、二人は顔を見合わせた。
晴香が、おずおずと美雪に尋ねる。
「なんなの? その、話って……」
彼女は娘の問いかけに、ちょっと眉をひそめた。辺りをざっと見回してから二人に向き直る。
「ここじゃ人目につきすぎる。移動してから、話すわ」
そう言うと美雪はすぐ視線を逸らし、露店の片づけを始める。光貴と晴香は呆然と、ミーナは心なしか厳しい瞳で、その様子を見ていた。
ほどなくして片づけが終わると、四人は市の外、人気のない路地へやってきた。街の喧騒を遠くに聞くこの場所で、周りに誰もいないことを確かめると、美雪はおもむろに口を開く。
「話しておかなきゃならないこと……っていうのは、父さんのこと」
「父さん?」
思いもよらぬ言葉に、兄妹は揃って反問する。彼らの母親は沈痛な面持ちでうなずいた。
「そう。二人には、父さんのことを何も教えなかったでしょう?」
「……うん」
「実は『光貴が十五歳になったときに、すべてを打ち明けよう。それまでは黙っていよう』って、私たち二人で決めていたの」
光貴と晴香は目をみはった。ミーナも心なしか驚いている様子である。三者三様の表情を見て、美雪は苦笑した。
「色々とあって一年ずれちゃったけど……やっぱり、今が頃合いみたいだね」
独り言のように呟いた美雪はうつむく。しばらく、頭の中を整理するように深呼吸を繰り返した。やがて、顔を上げて三人を――正確には、光貴たち兄妹を見据えた。彼らと同じ黒茶の瞳に、覚悟の光が宿る。
そうして彼女は告げたのだ。――隠されていた、真実を。
「あんたたちの父さん、ジェラルド・ルチアーノは…………『神聖王』だった」
光貴にとって父は、優しく家族思いの「いいお父さん」だった。妹の晴香もそれは同様で、けれどその面影はかすかにしか覚えていない。
彼らは二人とも、そんな父が、家にいないことの方が多いのには気づいていた。ならば、自分たちの知らないところでいったい何をしているのか。もちろん疑問に思った。母の美雪に尋ねたこともあったのだ。けれど彼女は、いつも笑顔ではぐらかすばかりで……結局二人は、知らないままに生きてきた。
何故教えてくれないのか、と当然思った。
けれど今、二人は両親が今まで真実を明かさなかったその意味を知った。
「はっ?」
素っ頓狂な声がどちらの口から漏れたものなのか、少なくとも光貴には分からなかった。ただ、自分自身も頭が真っ白になっていたのは確かだ。
美雪の言葉がぐるぐると頭の中を回っている。何度もこだまする。消えてはよみがえる声を聞きながら、光貴が思い出していたのは――あの日、暗い部屋の中で見た、傷だらけの遺体だった。
「い、今……なんて……」
呆然とした晴香の声が聞こえる。光貴は立ちつくしたままそれを聞いていた。視界に映る美雪は、困ったような顔でかぶりを振っている。だが、すぐに気を取り直したように娘を見た。
「あんたたちの父さんは、『神聖王』、つまりピエトロ王国の守護天使だった」
静かな声で言葉は繰り返される。
唖然とした晴香が、みはったままの目を、光貴へと向けてきた。光貴もようやく状況がのみこめてきて、ゆっくりと妹を見つめ返す。
「…………父さんが? そんな、ことって」
「びっくり、どころの話じゃないな」
混乱しすぎているのか、しどろもどろになっている晴香の横で、光貴は深いため息をつく。ふと、ミーナが先程母に浴びせていた一言を思い出した。
それは、ひどいよ。彼女は確かにそう言った。
――本当にその通りだと思う。父の仕事すらも知らされないまま生きてきて、その父と知らぬ間に同じ立場になっていたなんて、滑稽どころの話ではない。けれど一方で、両親にはこうするしかなかったんだろう、と落ちついて考えている自分もいて、光貴にはそれが不思議だった。
「やっぱり。あんたたち二人とも、守護天使がらみで何かあったのね」
ふいに母がそう言って、光貴ははっと、彼女を見た。
「え、なんで? 俺たちまだ、何も話してないよな……」
「うん。けど光貴も晴香も、守護天使――『天使』が実在することに、まったく驚いてないでしょ」
「あっ」
思わぬところを突かれて、光貴は固まる。
「まあ、確かに。普通の人なら、『天使』ってほんとにいるの!? とかそういう反応するもんね」
彼のそばでやんわりと、ミーナが補足する。それから彼女は、意地悪に光る目を美雪へ向けた。
「けど、そのくらいのことなら、私が光貴たちと一緒にいるって時点で分かってたでしょ?」
「そりゃそうよ」
美雪は、半分は得意気に、半分は苦々しそうに言った。それから、困惑している光貴たちを横目で見て、またミーナに視線を戻す。
「ところで、他に仲間はいるの? さすがにあんたたちだけで旅してるとは思いたくないんだけど」
「もちろんいるよ。ていうか、私が加わったのはわりと最近」
「じゃあ……」
美雪が何かを言いかけて、光貴たちの方を見てくる。彼も、そしてミーナも、彼女が何を言いたいのかは分かった。ミーナが言葉の続きを引きとる。
「そうだね。私も、そこの二人も、かなり混乱してるし……一度、宿屋に戻って、腰を落ち着けて話を整理しようか」
特に反対する理由もないので、光貴はうなずいた。頭の中に広がった靄を吐き出すように、ゆっくり息を吐く。
そうして、奇妙な顔触れの四人は、それぞれの困惑を置き去りにして宿屋へと足を向けた。




