第二話 命震わす風の国――4
「守護天使? この人が? え、というかこの人だれ?」
明らかに困惑している晴香の声は、それでも二人の会話を気遣っているのか小さかった。一方ノエルと、アレクと呼ばれた青年の会話は続く。
「ちょっと今、国が大変だからな」
「だったらなおさら! 城で仕事をしてくださいよ。ラッセルが城に行ってしまったじゃないですか!」
「えー、あいつも来たのか」
会話の調子だけ聞いていると、アレクはラッセルに近い雰囲気だが、彼よりもガラが悪く見えてその実すなおな印象も受ける。不思議な青年だ。
一方ノエルは苦々しい顔で、ひょうひょうと話題をかわすアレクをにらんでいた。それを見て何を思ったのか、ジブリオの青年はふと真面目な顔になる。
「これだって仕事だよ。国の安全をできる限り守るため、こうやって出歩いてるんだ。今だってここに俺がいなきゃ、あそこのガキはどうなっていたと思う?」
いきなり話題を変えられ、光貴はぎくりと身を固くした。そこで、光貴のところまで寄ってきていた晴香が動いた。
「そうだよお兄ちゃん。どうして一人でこんな所に」
「え、や、その……ちょっと晴香止まれ。脳が、脳が揺れる」
がくんがくんと揺さぶられながら、光貴は辛うじて抵抗を試みた。事実、先程の殴打の影響がまだ頭に出ているため気持ち悪い。乗り物酔いをひどくしたような感じだ。
そこでありがたくも助け舟を出したのが、アレクだった。
「まあ落ち着け、嬢ちゃん。そいつが自発的に動いたわけじゃない」
するとようやく、晴香の動きが止まった。ただし、手は光貴の肩をつかんだままである。
「どういうことですか? えと、アレクさん?」
「おう。一からきちんと説明すると結構ややこしいんだが……とりあえず得体のしれない奴らに誘拐されそうになった、というところだよな」
な? と問いかけるように緑の瞳が見つめてくる。光貴は大して何も考えず、首を縦に振った。ノエルが苦々しげな顔で頭をかく。珍しいしぐさだ。
「……まあ、そこはこちらの不注意なので強く言えませんが……誘拐って」
彼が決まり悪そうに言うと、アレクはようやく満足げに笑った。
「一目見たときは珍しい異国の人間をつけ狙う人買いの類かと思ったんだが、どうもそうじゃないみたいだな。多分、今の国家元首に刃向かおうとしている輩が、人質を使おうとしたんだろう」
饒舌な『生命王』の様子に光貴は目をみはる。
「そこまで分かるもんですか? 確かにあいつら、そんなことを言ってましたけど」
するとアレクはまた笑みを消し、今度は眉根を寄せた。
「今の国の状態を鑑みれば、嫌でもなあ」
明らかな皮肉である。やはりこのジブリオでは何かが起きている――確信した三人は、誰からともなく視線を交差させた。
が、ちょうどそのときアレクのすぐ後ろに別の人が立つ。光貴がその正体に気付いたときには、その人物は声を発していた。
「おうおう、やっぱりここにいたか。守護天使の魔力がふたつも一か所に集まってるから、おかしいと思ったんだよ」
アレクとノエルがそれぞれに振り返る。片方は大して驚きもしていないようだったが、もう片方の表情が妙に引きつっていた。ついでに発された声も引きつっていた。
「げ、ラッセル……」
アレクが言うと、仁王立ちしていたラッセルはいびつな印象の笑みを浮かべる。
「アレクぅ。出会いがしらに『げ』とはずいぶんなご挨拶だなあ」
明らかに苛立ちがこもった声だった。何があったのだろう。三人のうちの誰かがそれを聞く前に、アレクの額に自らの額をごりごりと押しつけたラッセルが答えを教えてくれていた。
「こんなところで何やってんだ、あぁ!? おかげでこちとら門前払い食らったぞ、どうしてくれる! 事前に許可までとって必死こいて来たんだぞ!」
「俺のせいかよ!」
「おまえ以外に誰がいる」
「違う、違う。あれは俺と女王以外の上層部のオヤジどもが勝手に決めたんだよ! 俺関係ない!」
いつの間にかケンカに近い口論に発展していた。妙に仲の良い姿を見て、場違いな質問をしたのは間違いなく光貴の妹だ。
「あの二人、知り合いだったのー?」
ノエルがはあ、と呆れたようにため息をついた。
「知り合いといえば知り合い、ですね。というより、守護天使全員、ラッセルや僕と一定のつながりを持っています。だけどあの二人は今代の五人の中では一番付き合いが長いので、その、あれです」
あれ、と言いながらノエルは額をこすりあわせている二人を指さした。改めてみるとあの二人、年齢はそんなに変わらないようだ。おかげで気を許しあった若者がじゃれているようにしか見えない。
だがそのうち、アレクが無理矢理話題を変えた。
「そういえば、さっき『守護天使の魔力がふたつも』どうとかと言ってたが、もしかして新しい『神聖王』がいるのか。どっちだ」
彼がそう言うと、ラッセルの激しいストレス発散がようやく終わった。大きく息を吐いてから、人差し指を兄妹の方に向ける。それから指を、まずは晴香の方に向けた。
「まったく……まあいい。最初に力らしきものが発現したのはあっちの、妹の方だが」
それからその指を横にずらし、光貴の方に向けた。
「『神聖王』本人は、あの兄貴の方だ」
「……ふうん」
アレクの目が見開かれる。それから、兄妹か、などと呟いてからじろりと光貴をにらんだ。やはりぎらりと光る眼は不良のようでもあり、同時に王者を思わせる視線でもあった。反射的に顔をそむけたくなったが、じっと、耐える。試されている、と一瞬で分かったから。
しばらくその沈黙が続く。二つの瞳はひたすらに、お互いを見つめていた。そして最初に目を逸らしたのはアレクだった。彼はひとつ鼻を鳴らすと、腕組みをした。
「未熟も未熟。加えて大甘。だが、伸び代はありそうだ」
小声で独語した彼は、やがて集った四人全員を順繰りに見て偉そうな態度でこう言った。
「いいだろう。そっちで何があったか聴いてやる。が、代わりにこちらの頼みも聞いてもらおう」
ラッセルとノエル、宮廷魔導師と『預言者』が、『生命王』の言葉に訝しげな顔をつくった。一方晴香はほっと胸をなでおろしている。
一方、光貴は先程聞こえてきた「評価」の意味をじっと考えていた。
アレク・フレッチャーを伴った四人はとりあえず、改まった自己紹介をしてから、腰を落ちつけられる場所を探していた。たくましいアレクのおかげか以前より人混みを気にせず歩ける。その途上でふと気になった光貴は彼の方を見る。
「あの」
「敬語は使うな。守護天使同士の立場は対等だ」
光の速さで返された。目を点にした少年は、なんとか言いなおす。
「……おまえの、アレク、っていうのは愛称か何かか?」
「ん?」
アレクが訝しげな表情をする。と、そばにいたノエルが控えめに手を挙げた。
「すみません。僕、二人に本名教えました」
「なるほど」
緑髪の少年の言葉に納得したのか、ジブリオを守護する青年はそう呟いてから光貴と晴香、二人に視線を向けた。
「アレクっていうのは略名だよ。ジブリオ北部から東部にかけての地域では、略名っていう本名を短くした名前を名乗る風習があって、俺もそれに倣ったんだ。ちなみになんか、昔の禍々しい魔法から身を守るっていう意味合いがあるらしい」
「じゃ、アレクサンダーっていうのが本名か」
「そう。でもそっちは正式かつ厳粛な場でしか使われない。普段からアレク・フレッチャーで通ってるしな」
なるほど、という晴香の嬉しそうな相槌。無邪気なその様子を見て、呆れ半分微笑ましさ半分といった感じで苦笑した光貴だったが、彼女の気持ちも分かるので何も言わないでおいた。
そうしてしばらく歩きまわっていたところで、唐突にアレクが身体の向きを変えた。足を止めないまま四人を振りかえる。
「近くに良い店がある。ちょっと混んでるだろうが、まあ五人が座るくらいの空席はあるだろ」
地元の言葉で言った彼は、すたすたと歩きだした。四人ともいささか慌ててそれを追う。
「しかし、一か月勉強して地元民の話聞くだけでここまで言葉が分かるようになるんだな。すげーな」
追いかけながらも、光貴は今のところきわめてどうでもいいことに感心していた。
たくましい青年に追いついたちょうどそのとき、彼は一分のためらいもなく木製の扉を開く。出迎えの決まり文句が元気よく飛んできた。快活な女性のものである。それを受けてアレクは軽く顎を動かすと、勝手知った様子で店内に入った。あとに続いた四人の中で、晴香が近くにいたラッセルに囁いている。
「ねえ……。あんなあっさりと入っちゃって大丈夫? アレクって守護天使なんでしょ?」
「問題ないさ。どこの国でもそうだが、守護天使は顔を公にさらすことはしないんだよ。ま、例外もなくはないが」
ラッセルはさらりと答えていたが、内容にどこか不吉な重みがある。ただそれを今気にしてもどうしようもないので、光貴も晴香も大人しくアレクについていった。
小さい窓のおかげで薄暗い店内には、昼時ということもあってか多くの人がいた。皆、それぞれに卓を囲み昼食を摂っているところらしい。無言で食べ続ける人がいれば、和やかに談笑する人がいる。一方で、大声で笑いながら話す人の姿も何人か見かけた。近くを通ると、つん、と鼻につく臭いがする。アルコールだ。昼間から飲んでるのかよ、と光貴は子供ながらに呆れたものである。
ややあって、店の奥まったところに空席を見つけた。幸いなことに五人分の席がある。皆それぞれに木の椅子を引いて座った。なんの加工もしていない木製椅子の座り心地は良いとはいえないが、腰を落ちつけられただけましである。
五人とも、大きなため息を吐きだした。
「なんだか……短い間にいろいろありましたね」
「ありすぎだ、馬鹿野郎。俺なんて衛兵と言い合ったせいで喉乾いた」
「それはあなたが悪いんじゃないですか」
ノエルが指摘すると、ラッセルはわざとらしく明後日の方向を向いて口笛を吹いた。向かいで様子を見ていたアレクが肩を落とす。
「相変わらずだな、こいつら」
「昔からこうなのか……」
「ずっとこうだ」
言ってから、アレクが唐突に顔を近づける。
「でも前は、立場が逆だったんだぜ。ノエルがずっと、ラッセルに言い負かされて言いくるめられてた。おかげで今じゃ、ずいぶんと饒舌かつ生意気になっちまったけどなあ」
喜々として言う先輩守護天使。後輩はなんと反応していいのか分からなくなった。
「アーレークー。純粋無垢な少年に余計なことを吹きこまないでくださいよー」
棒読みの台詞が向かい側から飛んできた。するとアレクは「おっとっと」とおどけながら光貴から顔を逸らす。ノエルを見ると、彼は仮面のようなうすら寒い笑顔を浮かべていた。
ぞっとしたので、何も言わないことにした。
先程おどけていたアレクの緑の目は、今やラッセルの方に向いている。切り替えの早さに呆れた。
「さて。そんじゃーまず、そちらさんの状況から聞いていくとしよう。なんでほとんど前兆なく『神聖王』再来の報が流れたか、も含めてな」
「……言っとくが、各地に報を流したのは緑君だぞ。俺はもう少し地盤固めてから知らせるつもりだった」
ラッセルの言葉に、ノエルとアレクが同時に目を瞬いた。彼は舌で唇を湿らせてからこれまでに起きたことをひたすらに語る。幸い、笑い声と話し声にのまれて、周りに聞こえるようなことはなかった。アレクはときどき、質問などを挟んできた。特に光貴の封印のくだりによく食いついていた。
途中運ばれてきた水を口に含みながら十分かけてあらかた語ったラッセルを見つめていたアレクは、やがてその視線を光貴の方に転じる。
「ふうん、そういうことか。人間の封印に『夜空の首飾り』強奪、加えてシオン帝国との本格的な対立……歴史ある王国が、物騒なことになってるじゃねーの」
「おまえ、他人事のように言うなよ。同盟五大国だって刃を突きつけられたことになるんだぞ。『謎の奴ら』が守護天使を狙っているんだからなおさら」
「ああそうだな。まったく勝手なことをしてくれた」
まるで淡々としているアレクをラッセルが咎めるも、この『生命王』は飄々としていた。それどころか仰々しい嘆息までしてみせる。赤い眉がつりあがった。
「ラッセルさんって敵が多いの?」
「言うな。頼むからそれ言うな」
妹の呟きを必死で諌める兄もいたが、幸か不幸か誰もそれには気づかなかったらしい。そのまま話は進んだ。
「しかし、二年間封印されてたガキが国のトップか。いささか酷じゃないのか?」
鋭い指摘にラッセルが口をへの字に曲げた。おそらくは彼もそう思っていたのだろう。というより、事の経緯を知った人々の大半はアレクと同じことを口にしていた。しかしこれにはノエルが反論する。
「なら、どうしろと言うんです? ピエトロ王国は今回、守護天使の空白期が長すぎた。これ以上のんびりしていれば、その穴を敵国に突かれてしまいますし、残る四人の守護天使たちの結束も揺らぐかもしれない」
アレクはしばし黙った。それから兄妹に、いきなり訊く。
「おい。光貴に晴香。おまえらの姓は『北原』でいいんだよな?」
「え?」
「ああ、そうだけど」
驚いた二人はしかし、おのおの肯定の言葉を返す。すると、急に彼の目つきが鋭くなった。小さな独白が少年の耳に届く。
「美雪さんの息子と娘、ってか? 俺はなんとも思わないが、それこそ結束が揺らぎそうだな」
光貴はその言葉に目をみはる。どういうことかと問いただしたかったが、他の人は彼の発言に気づいてはいなかったらしい。彼が問う前に話題が転換された。
「…………おまえが何考えてるか知らんが、こっちの事情はだいたい話したぞ。今度はおまえの頼みとやらを聞こうじゃないか」
「おお、そうだった」
緑の目を丸くしたアレクが手を叩く。それからひとつ、咳払いをした。
「まあ、だがその前に。おまえたち四人、町を見たならこの国で何が起きてるか、だいたい想像がつくだろ?」
ノエルがすぐさま答える。
「……信じたくありませんでしたけど、王家の分裂ですか?」
「ご名答」
晴香が目を見開いていた。光貴もなるほど、と思う。王族、争い、女王支持といった落書き。それからその女王に対抗しようとしている勢力の存在。これらがシンフィルにあふれているということは、つまりそういうことだろう。
アレクはテーブルを人差し指でリズミカルに叩いた。
「より正確に言うと、女王派と王弟派の対立だ。ちょっと長くなるが、いきさつを話すぞ。
――もともと現・女王体制は盤石じゃなかった。国民はそれほど不満を抱いてないみたいだったが、王家と議会が不安定だったんだな。というのも、即位して間がないってこともあるんだが、先王がバカやらかしたおかげで有能な臣の多くが城を去ったということが、大きな要因として働いていた」
「――うん。あのオヤジ、いつかは自滅すると思ったが本当にしたもんな」
ラッセルが容赦ない毒を投げ込む。そのようなことに詳しくない光貴と晴香は、ただ顔を見合わせた。
「で、だ。その揺らぎにつけこんだのが、先王の考え方に反発していた女王の弟なんだ。女王は先王の考え方を少なからず受け継いでいる。あの先王はやり方こそ最悪だったが考え方自体は悪くなかったから。でも、王弟にいきなり蜂起されて、王家も議会も動揺し、女王の体制が大きく揺らいだ」
先程から先王が酷い言われようだと光貴は思ったが、どうやら誰もそこに突っ込むつもりはないらしい。もちろんそれが話の腰を折ることになるのは分かっているので、光貴も何も言わなかった。
それにしても、ジブリオは予想を上回るほどの危機的状況のようだ。
「さらにたちの悪いことに、国民までそれに影響された。情熱的な弁を振るって立ち上がったその弟に賛同する国民が結構出てきたんだ。さっき光貴をさらおうとしてた連中もそのクチだろうな。でも、女王に賛同する人間がゼロになったわけではない」
「なるほど。女王陛下も取りたてて圧政をしいていたわけではありませんからね」
ノエルが言うと、アレクは首を縦に振った。
「で、結果、王家と国民それぞれが二つの派閥に分かれて争っている。さらに最近はどちらの味方もしない勢力も出てきてさらに混迷状態――」
淡々とここまで言ったアレクは、いきなり至上の笑みを浮かべて締めくくった。
「そんなわけで、ジブリオ王家は崩壊の危機に直面しているわけだ」
――今度こそ、四人とも反応に困った。




