第二話 命震わす風の国――3
ラッセルが独り言を言いながら市街地をふらついているその頃、道が開けている場所の石段の上で、光貴は一人でぼんやりしていた。といっても、はぐれたとかそういう話ではない。現に、すぐ近くに二人の姿が確認できる。
実は、面白そうな店を見つけたと言った晴香とノエルが喜々として飛んでいったので、自分は離れているのである。もちろん誘われたが、あえてそれを断り、荷物番をしている次第だ。
「やっぱり応援したくなっちゃうよなあ」
決して長くはない同行の中、徐々に妹のノエルに対する態度が変化していっていたのには気づいていた。光貴には経験がないのでなんともいえないが、おそらく彼の予想は当たっている。
とにかく、せっかくこのような形になったのだ。色々あるが、とりあえず兄として見守ってやりたいとは思っている。
とはいえやることがないのは事実だ。荷物番として周囲の警戒を怠らないながらも、彼はぼうっと町を観察していた。
やはりジブリオ人の姿が多いが、エクティア人や他の地方の者も確認できる。そもそもジブリオは多民族国家だ。どんな人がいても、不思議とは思うまい。店の前では体格のいい男性が呼び込みをし、人混みを縫って灰金髪の小さな子供が走り回っている。犬が地面のにおいをかぎ回り、それを避けながら人々が行き交っていた。
「ふむ」
光貴はここであることに気づく。
彼のことを横目で見る人間が何人かいるのだ。おそらくノエルが言っていた「抜け目のない連中」か、それよりもっと質の悪い輩だろうと推測できる。町を見ていて分かったが、陽国人の姿はない。ゆえに、彼が珍しいのだろう。
「きっと珍しいから、さらって売ろうとか考えてる奴もいるんだろうなあ」
本当に小さな声で光貴は憶測を述べたが、その憶測はあながち間違いでもない。
――もし仮に、彼が『神聖王』であると知ったら慌てて目を逸らすに決まっているが、もちろんそんなわけがない。顔どころか、その存在さえ未だほとんど知られていないのだから。
ふん、と鼻を鳴らした少年はしかしそこで目を細めた。
「おや」
何かの気配を感じる。しかも複数。盗人の類か、別種の者かは分からない。ただ光貴は相手に気取られぬよう警戒を強めた。気配のする方へさりげなく目を向け、こっそりと構える。
が――唐突に、「彼ら」は動いた。
光貴は思わず息をのんだ。その動きが唐突すぎて、また速すぎて動揺し、少しだけ対応が遅れる。その少しが命取りであるにも関わらず。
何が狙われる、と咄嗟に確かめたが、いきなり強い力で引っ張られたため、その思考は中断された。石段からあっという間に引きずり降ろされ、それからしばらくまた地を引きずられたかと思うと、いきなり身体が持ち上げられた。
「あっ……」
声を張り上げようとしたがその前に大きな手で口をふさがれる。やけにごつごつしているので男のものだろうが、それ以前に思わず鼻と口を覆いたくなるような悪臭がした。
「黙ってろ!」
続けて野太い声がどこからか聞こえた。視界が低い位置で激しく揺れているせいで、声の主が特定できない。
まずい、と思った。だがそこで黙ったままでいる光貴ではない。大通りをすばやく横にそれたかと思うと、急に地面に薄暗い影が差した。妙な閉塞感とよどんだ空気。狭く人気のない路地だろう。
今だ――。
判断するやいなや、彼は全力で、できる限りしっかりと、男の手に噛みついた。本当は使いたくなかった手だが、そうは言っていられない。
「ぎゃっ!!」
これまた男のものと思われる悲鳴とともに、手がわずかに離れる。この隙を利用した少年は腕とわずかに動く身体を頼りに拘束をふりほどき、その後辛くも謎の誘拐犯からは離れた位置に着地した。
「う、うまくいった」
同時に状況が分かってくる。まずここは、光貴の予想した通り薄暗く人気のない路地の中。そして正面にいるのは男五人。いずれもしっかりと鍛えられており、眼光は鋭いというよりもぎらぎらした感じで、危険な臭いを漂わせる。髪の色、肌の色、目の色はさまざまだったが、シンフィル市民だろう。
「このガキ、よくも……」
まず、浅黒い肌の男が進み出る。片方の手をもう一方の手で押さえていることから、光貴を抱えていた張本人だろう。光貴は咄嗟に身がまえた。だが。
「待て」
集団のうち一人、妙に静かな目をした白髪交じりの黒髪に褐色の肌の男が制した。そして納得がいっていなさそうな彼を押しのけ、進み出てくる。それから静かな声音で言った。
「少年よ、頼みがある。……我々の人質となってはくれないか」
「なんだって?」
男のあんまりといえばあんまりな頼みに、光貴の顔が険しくなる。彼はしばらく黒髪男をじっと見たが、やがて構えを解かないまま答えた。
「そんなことを頼んで素直に聞き入れる奴がいると思うか? というか、思わないからあんたらは俺を強引にさらおうとしたんだろ」
「確かにその通りだ」
男は言うと、微笑した。
「だが君は、その発言から分かるように聡明なようだ。だから話せば分かってもらえる、と思ってね」
男の言いように、光貴は今度こそ舌打ちがしたくなるほどの苛立ちにさいなまれる。だが苛立ってもどうしようもないし、大の男五人から逃げるすべも自信もない。なので、とりあえずは黙って聞いてみる。
すると男が淡々と語り始めた。
「我々は今、女王に対抗しようと活動しているところでね。王の人柄から考えて、例え異国の者といえども人質としては有効だと思ったのだよ。もちろん大人しくしてもらえれば、そう時間の経たないうちに解放はするし身の安全も保障する」
聴いていくうちに、やっと合点がいった。彼らのこともそうだが、壁の落書きについてもだ。王族だの争いだのといった単語が出てくるわけが分かった。
「どうだ?」
男の問いかけに、光貴は笑んだ。
「――あんた方で勝手にやればいい。巻き添えはごめんだ」
ここぞとばかりに吐き捨てる。すると黒髪男は、小さく息を吐いた。
「そうか」
彼の声に合わせるようにして、傍らに控えていた先程の男と金髪の男二人が歩み出てくる。静かに歩んでいるように見えるが、実際はそうではない。
「何が何でも人質に取ろうってか? 嫌な奴ら――だっ!」
光貴は言い終わらないうちに地面を蹴った。本当は逃げる気でいたが、それが不可能だと分かると、今度は男たちの攻撃をかわす方向に転換する。
蹴りが飛んできたかと思えば、それを横に飛んで避け、続けて拳が振るわれれば、しゃがんで避ける。そして身を低くして走り、追撃を逃れた。
「くそ、ちょこまかと!」
悪態とともに蹴りが放たれる。今度は飛ぶことでかわした光貴は、空中での数秒の間に体勢を整え、とび蹴りを浅黒い肌の男の顔面にお見舞いした。
「ぐふっ」
うめき声とともに男が倒れる。それを見た金髪二人の間にも、動揺が広がる。だが黒髪男だけは静かに笑っていた。
「なかなかやるじゃないか。面白い」
そんな声が聞こえた気がしたが無視する。隙ができている間に金髪男の一人に拳を振りかざし、それがかわされるとすぐさま足技に転じた。これは華麗に決まり、偶然とはいえ鳩尾を直撃した。金髪男の一人がのけ反って倒れるのを確認した光貴は、すぐさま身をひるがえす。
今なら逃げ切れる。
そう思ってとにかく光のある方を目指し走った。いけると、思った。
だが次の瞬間。鈍い衝撃が背中を襲う。思わずつんのめった彼はどうにか体勢を立て直したが、すぐさま頭に同じ衝撃が来て、さすがに耐えきれず倒れた。
視界がひどくぶれて気持ち悪かったが、そんなことを気にしている場合ではない。
「すごいね、君は。ぜひ戦力として加わってほしいものだ」
黒髪男の声がする。位置から考えて先程の二発は彼がやったに違いない。しかし、だとすると速すぎる。光貴はぞっとした。
「くっ」
立ち上がろうとするも、頭がくらくらして思うようにいかない。それでもどうにか立ち上がった彼は、勢いよく地面を蹴り上げた。すると砂埃が激しく舞い上がる。二人の男のうめき声がそれに重なった。
次こそは、と思った光貴だが、動くことはかなわなかった。
「伏せろ、ガキ!!」
その場にいたはずの誰とも違う声がそう命じてきたからだ。だが光貴はもう異を唱えるいとまも惜しみ、地面に伏せた。
すると――突然、強い風が吹いて前髪を後ろにさらっていった。その風は段々強さと鋭さを増していく。寒々しい音で、嫌でも分かった。
少年が事態を訝っているうちに、男たちの激しい悲鳴が聞こえた。それから間髪入れず暴風の音が声に重なる。いや、暴風を通り越して竜巻のようだった。
十秒くらい暴れ狂った風の音は、やがて唐突に消えた。静寂の中、光貴は身体を起こしてみる。座りこんだ体勢のまま振り返ると、風にほんろうされたらしい男たちが地面でうめいている。
「いったいなにが起こったんだよ」
うんざりといった気分で呟いていると、靴音が聞こえた。
「おい、おっさんたち」
高圧的な声がそこに重なる。二度、三度、と靴音は続き、やがて止まった。
「俺様たちの土地で、異邦人相手に何を勝手なことしてくれてるんだ」
見上げると人物の顔が見える。ジブリオ人の特徴を色濃く受け継ぐ、光貴より年上の青年で、ぎらぎらと光る目は緑。態度といい口調といい、そして顔つきといい、不良のそれだった。服装はやはり布をしっかりまとっているが、手だけは出していた。
彼は男五人を見下ろすと、とどめといわんばかりに言い放つ。
「俺ぁ国民と旅人と観光客は大切にする主義なんでね。てめぇらみたいなのは、大っきらいだ」
「ひっ、ひい!」
五人は悲鳴を上げて飛び上がったかと思うと、「すいません!」「ごめんなさい!」とおのおの謝罪の言葉を口にして去っていく。いつの間にかそんな元気が戻っていたらしい。
路地の闇に消える男を見届けた光貴はしかし、正面を向くとすぐさま後ずさりした。不良のような件の男がこちらを見下ろしている。目は、やはりぎらぎらしていた。
「あ、あの」
思わず口走ると、ごつごつした手が伸びてくる。刹那の恐怖を感じた光貴が身を固くしていると、その手は優しく頭に置かれた。
「え?」
「あんなのに魔法も無しに一人で対処しようとは、なかなか無茶するな、おまえ」
いきなり穏やかに言われた。その顔はこれまでの態度が嘘のように優しくて、拍子抜けしてしまう。光貴が地面に座りこんだままぽかんとしていると彼は身をひるがえした。
「そういうことはほどほどにしておけ。寿命縮むぞ」
肩越しに振り返った彼は言って、そのまま立ち去ろうとした。が、数歩進んだと思うと、何か危ない物を見つけたかのようにその足を止める。
間もなく光貴にもその理由が分かった。人が駆けてきたのである。
「あ、お兄ちゃんいたー!!」
「は、晴香ぁ?」
聞こえてくる必死の叫び。光貴は唐突な妹の出現に目を丸くした。だが晴香は謎の青年の数歩手前で足を止め、背後に向かって呼びかける。
「ノエル君! お兄ちゃん、いた!」
遠くの方から、本当ですか、と聞こえてくる。
「ん? ノエル?」
次ぐ疑問の言葉は光貴のものではない。例の青年のものだ。
だがそれをそれとして、まぶしい表通りからノエルが駆けてきた。ここでようやく、光貴はいろいろなことを思い出す。荷物番が、というより彼がいきなり消えれば、探しもするだろう。
案の定、ノエルはすっかり慌てていた。光貴の名を呼び走ってくる。だが、青年とすれ違いそうになったところで急停止した。そして青年の方をおそるおそる振り返る。
「おまえ、ノエルか?」
先に言ったのは、腕組みして壁にもたれかかり、驚きの表情で事のなりゆきを見ていた青年の方だ。え、と光貴がつい漏らすと、ノエルが問いかえす。
「あなたは、アレク? アレクですよね?」
目を見開いて言ったノエルは次いで数歩後退し、気まずそうにしている青年アレクに、やや音量を上げて訊き直した。
「――なんで守護天使のあなたが、街中にいるんです!?」
え? という今度の声は、光貴と晴香が同時に放っていた。




