第一話 日常という名の間奏曲――4
「ジブリオか。アレクがいる国だな」
地図を見たラッセルは言った。知らない名前が出てきたが、それがおそらく守護天使のものだろうと、晴香はあたりをつける。
「最初の話し合いの相手としては、申し分ないでしょう」
ノエルはそう言ってから慣れた様子で大きな地図を丸めると、それを右の脇に抱え込んだ。緑の目が、晴香と光貴の方を向く。
「ところで、お二人とも。どうして僕たちがシオンとヴィスターテの同盟と、警告文を結びつけたか分かります?」
「……ヴィスターテとピエトロはもめちゃいるが、貿易に関して非常に重要な結びつきを持っている。今の状態でシオンに同盟を組まれると、最悪の場合その貿易に影響が出て、経済的打撃を受ける、といったところか?」
光貴が呟くように言った。二年という空隙を感じさせないほどすらすらと答えが出てくる。ノエルとラッセルもそれぞれに微笑んでいた。
「うん、良い答えです」
ノエルはそう言ってから脇に抱えていた地図を床に置いた。それからテーブルの前まで戻ってくる。目つきが、変わっていた。
「でも、実はそれだけじゃないんですよ。せっかくなので、お教えしておきましょう」
ラッセルがおもいっきり顔をしかめた。何か言いたげだったが、結局口を閉じる。ノエルはそんな彼を無視して続けた。
「先の一件を思い出してみてください。そのうえで問います。あの二人組が属しているシオン帝国が欲してやまないもの、それはなんだと思いますか」
いきなり問いかけられても正直難しかった。だが、レラジェとシルヴィアのやりとりから一つの結論をはじき出した晴香は、控えめに開口する。
「えーと、『神聖王』の力?」
「四十点。正確に言えば、守護天使の強い力でしょうね。……これで五十点」
セネット教官の答え方はいつになく容赦がなかった。詰まった晴香はそのまま沈黙しそうになる。が、ここで隣の兄が息をのんだことに気付いた。
「お兄ちゃん?」
呼びかけると彼は、晴香に答えはせず、代わりにノエルの問いの答えを口にした。
「……大義名分、か」
ノエルの顔が険しくなった。
「二人合わせて、百点です」
「どういうこと」
言いかけた晴香の言葉がぷつりと途切れた。
守護天使の力を欲する帝国。同時に彼らは大義名分を欲しているという。ならそれは、なんのためのものか。そこまで考えて気づいてしまった。
晴香はほぼ反射的に光貴の方を見た。今まで見たことがないくらい、緊迫した表情だ。
「……陛下がおまえらを旅に出そうと考えたのは、そのこともあるんだろうな」
ラッセルの言葉は、肺腑にずしりとくるようだった。
城勤めの二人と話を終えた兄妹は、その足で帰路についた。ただ、間違いなく往路より復路の方が、足取りが重い。
「なんか、また大変なことになりそうだね」
晴香はついつい呟いた。光貴からの返事はない。気になって隣を見てみると、彼はじっと前を見据えて何か考えているようだった。目が鋭い光を放っている。
お兄ちゃん、と呼びかけたくなったが、晴香はそれを心の中にとどめた。
「あれ? 二人とも。城への顔見せは終わり?」
唐突に、そんな声が前から飛びこんでくる。晴香が顔を上げると見慣れた姿がそこにあった。
「ライル」
「どうしたの、兄ちゃん。神妙な顔しちゃってさ」
肩を竦める幼馴染の問いかけに、晴香と光貴は、顔を前に向けたまま視線を交差させた。あくまでも一般市民のライルにこのことを告げるかどうか迷ったせいだ。ただやはりというか、この情報好き人間の勘は鋭かった。
「なに、二人して。また任務でも言い渡されたの?」
嘘が下手な晴香が顔を引きつらせる。すると光貴が横でため息をついた。どうにもこれは妹への呆れが多分に含まれている気がして、その妹は肩をすぼめた。そんなことをしている横で光貴は勝手に話を進める。
「まあ、な。たいしたことない話だが」
「そんなこと言っちゃって、本当は大掛かりなんでしょ? 良ければ聞かせてよ」
幼馴染が獲物を狙う鷹のように見えた。目の輝きは無邪気な子供のようだったが、伝わってくる熱意は刃のごとく。彼の一側面を垣間見たおかげか、ついに光貴が不快そうに目を細める。
「おまえはなんでいっつもそーなんだよ。たまにはこの俺のふまじめさを見習え馬鹿野郎」
「そう言う兄ちゃんは結構まじめな方だと、俺は思うよ」
あっけらかんと返すライル。もはや兄妹二人ともの逃げ場はないようだった。確か『夜空の首飾り』の件もこんな感じだったなと晴香は思う。一方光貴は眉をひそめて「食えない奴だな」などと呟いていた。そしていきなりの爆弾発言。
「分かった、話す。ただしほかの誰にも口外すんなよ?」
「ちょ……お兄ちゃん!?」
驚きのあまり、一気に目と脳がさえわたった。慌てて晴香が呼びかけるも、もはや光貴も苦々しい顔で頭をかくのみである。他方、実は腹黒いライルはにこりと笑っていた。
「だいじょーぶ! 俺、そういうの慣れてるから!」
それは笑顔で言うことじゃないと思ったが、口には出せない。晴香としては最上級の苦笑を返すほかにできることなどなかった。
自宅へ帰るその道すがら、晴香と光貴はかわるがわる城で聞いたことを話す。思いのほか時間がかかり、すべて話し終える頃には玄関の前だった。話を聞いた後のライルの顔は何故か緩んでいた。
「へえ。そりゃ、結構大変なことになってるね」
実は兄妹二人とも、最後に辿り着いたひとつの「答え」については何も言及しなかったのである。それを聞いた幼馴染の反応が目に見えていたので。
「じゃあ、今後は大国の動向も注視しておかないとね」
無邪気な笑顔に向けて晴香は呆れた視線を向ける。
「あの……あんまり危ないことはしないでよ」
先の一件も、晴香が何も言わなかったから良かったものの、一歩間違えれば大事になっていたかもしれないのだ。そう思うと、友としては気が気ではない。しかしライルはにんまりと笑って反論してきた。
「それを晴香に言われたくはないなー」
「ぐっ!! なんか、生意気!」
顔を引きつらせて抵抗しつつも、何も言い返せないのが悲しいところである。
こんなやり取りをしていると、隣から笑い声が聞こえてきた。光貴だ。彼はしばらく口を両手で覆って押し殺した笑いを漏らしていたが、やがてこらえきれないというふうに吹き出した。
「ぶ、ははっ! 相変わらずだなあ、おまえら」
しばらく二人してきょとんとしていたが、ライルが一足早く我に返る。
「そりゃーね。二年経ったからといって、俺らに関しては何が変わるってわけでもないよ。晴香のアホさ加減もしかり」
さりげなく失礼なことを言われた。さらに、それを聞いて光貴がまた失笑する。目を点にした晴香は次の瞬間、人目もはばからず叫んでいた。
「ちょっ……何言ってんの、ライル! お兄ちゃんも笑いすぎ!」
実情の深刻さとは裏腹に、今度の旅立ちは明るいものになりそうである。
――こんなやり取りの後、晴香と光貴は二人で市場に繰り出した。取りたてて特別な用事があるわけではない。強いて言うならば、昼食と夕食の買い物をしに来ただけである。
クリスタで月に一度の頻度で開かれるこの市場は、朝市の主婦の喧騒とはまた違ったにぎわいを見せる。いくつもの露店が軒を連ね、人々の呼び声がぶつかり合う。更にその中を値切り交渉の声や子供たちの笑い声、泣き声、そして女たちの談笑が混ざり合っていった。
当然人の往来は激しい。そんな中、市場の喧騒など慣れたものである一市民の晴香と光貴は特に動ずることもなく歩いていた。それでも何気なく目をやってみると、さまざまな「色」が見える。肌の色しかり、目の色しかり、服の色しかりだ。クリスタに限らず大国の市場でいえることだが、世界各地からさまざまな人が押し寄せてきている証左といえた。
そんな市場の様子を、光貴が興味深げに見まわしている。
「いやあ、相変わらずにぎやかだなあ。というか、人増えてないか?」
「そうかな。私はしょっちゅう来てるから、逆に分からないかも」
長らく離れていたから気づくこともある。晴香は心の内に、そう記しておいた。光貴は「うーん」とうめいたあと、ズボンのポケットから小さな紙を取り出した。
「で、何買うんだったっけ。肉と魚と、キャベツとニンジン……」
小声でメモを読み上げながらお目当ての露店を探す光貴に倣い、晴香も辺りを見回した。それから、「あ、あそこで野菜売ってる!」と人の頭の向こうにのぞく野菜売りの露店を指さしながら叫ぶ。
ちょうど、この瞬間に。晴香のすぐ横を、淡い金髪をなびかせる一人の女が通り過ぎていった。あまりにも感情の乏しい目と、真っ白な服、それと彼女の周囲を舞う「風」はどう考えてもこの人混みの中では異質だが、誰もそれに気づかない。
「…………ん?」
その女が通り過ぎていってから、晴香はその方角を振りかえった。淡い金髪が人混みの中に消えていくのが見えた。怖いくらい、はっきりと。
「おい、どうした?」
兄に声をかけられて、はっとそちらを向く。それからかみしめるように呟いた。
「なんか今、すごく不思議なにおいがした」
「は?」
間抜けな声を無視して晴香はもう一度振り返る。だがその先に、淡い金髪はもう、見えていなかった。
市場の雑踏を抜けだしてから、女は唐突に振り返った。さらさらの髪が、動作に合わせて舞う。
もう、先程見かけた兄妹らしき少年少女の姿を確認することはできなかった。だが、「気配」だけは感じ取ることができる。それはあるひとつの事柄を確実に証明していた。
「ということは、『彼』が噂の……」
続きを言おうとして、ふと、自分の頬が緩んでいるのを感じた女は、小さな声で笑った。
「面白い」
呟いてから、さっと顔を上げる。瞳には殺傷力さえありそうな鋭い光が宿っていた。
「どれだけ我らの利益になるか、観察させてもらおう。――あいつに知られれば、烈火のごとく怒られそうだがな」
女はまるで宣戦布告のように言うと、颯爽と立ち去っていく。
後に残ったのは、わずかな風と柑橘類を思わせる不思議な香りだけだった。




