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追放された王太子と公爵令嬢が冒険者になる話  作者: 埴輪庭
第二章

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第58話 理

 ◆


 翌日から街が動き始めた。


 坑口の封鎖は坑夫たちの仕事だ。煉瓦と粘土を運び込み、延伸部との接続部を二重に塞ぐ。重い煉瓦を荷車に積んで坑道の入口まで引きずっていく坑夫たちの列が、朝の薄い光の中に長く伸びている。


 冒険者は通気口の探索に回された。バーヴェラの一党と他の冒険者たちはマルディン周辺の山肌を踏み分けて通気口の位置を洗い出すのだ。シャールもその一団に加わった。


 そしてセフィラはといえば──。


 ・

 ・

 ・


「灰蝕毒と焦硫粉だけでは足りないと思いますの」


 精錬所の裏手に設けられた仮設の作業場で、セフィラは廃滓の山を前にしてそう言った。


 作業場にはボルナーが手配した坑夫が三人と、薬屋の主人が一人いる。灰蝕石の粉砕と焦硫粉の調合を担当する連中だ。石臼で灰蝕石を挽く音が乾いた空気に響き、硫黄の臭いが鼻を突くなかで、セフィラは嬉々として廃滓を選り分けている。


「足りねえってのは量の話かい?」


 薬屋の主人が眉を寄せた。五十過ぎの痩身の男で、指先が薬品で変色している。


「量ではございませんの。質の問題ですわ。灰蝕毒に焦硫粉を合わせれば侵食は速まる。これは確かです。けれどあの夜の虫を思い出してくださいまし。一番大きな個体は外殻が分厚くて甲皮の繋ぎ目がほとんどなかった。灰蝕毒の煙がたとえ奥まで届いたとしても、毒性が足りなければ大きな個体を仕留めそこないます」


「で、どうするってんだ」


「毒を足すのですわ。三番目の毒を」


 セフィラは廃滓の山の中から、青みがかった粉を摘み上げた。指先でこすると鈍い金属の光沢が見える。


「精錬の廃滓に蒼鉛粕が混じっていますわね。それと、あちらの灰色の粉は砒灰ではございませんか」


 薬屋の主人の顔色が変わった。


「嬢ちゃん、砒灰ってのは──」


「ええ、触れるだけで皮膚が爛れる猛毒ですわ。これを灰蝕毒と焦硫粉に少量加えて焚けば、煙に溶け込んで毒性がもう一段強くなりますの。蒼鉛粕は煙を重くしますから坑道の底を這って虫の巣穴の奥まで届く。灰蝕毒が甲殻を侵し、焦硫粉がその侵食を速め、砒灰が内側の肉を焼く。三つ合わされば、大きな個体でも──」


 セフィラは微笑んだ。翠色の瞳がきらきらと輝いている。


「より強い毒をより多く送り込めば、より多くの虫をやっつけられるでしょう?」


 坑夫たちが顔を見合わせた。薬屋の主人が顎を掻く。目の前の笑顔と言っていることの落差に、答えるべき言葉が見つからないのだろう。


「……嬢ちゃんよ。あんた本当に書で読んだだけかい、それ」


「ええ。とても面白い書でしたの。毒物の種類ごとに致死量と症状の一覧表がありまして、読み比べるのが楽しくて」


 にこりと笑うその顔に、毒を語る人間の暗さは微塵もない。ただ純粋な知的好奇心だけが翠色の瞳の底に光っている。それがかえって坑夫たちの背筋を粟立たせた。


「あんな可愛い顔しておっかねぇなあ……」


「いちばん怖えのはあの嬢ちゃんじゃねえか」


 低い声の応酬はセフィラの耳には入っていない。廃滓の山にしゃがみ込んで蒼鉛粕と砒灰の分量を指先で量り、灰蝕石と焦硫粉への添加比率を呟いている。


 ◆


 二日目。


 通気口は七つ見つかった。山の中腹から尾根にかけて散在しており、いずれも岩の隙間から湿った風が吹き出している。バーヴェラの一党が槍を突き立て、そこに目印の布を巻きつけて位置を記録し、シャールが地図に書き込んだ。


 夕刻、汗と泥にまみれて宿に戻ると、セフィラが作業場から帰ってきていた。指先が青黒く染まっている。髪に硫黄と金属の臭いがこびりついていて宿の主人が顔をしかめた。


「お風呂に入りたいですわ」


 セフィラが嘆息した。


「精錬所の排水路のそばに湯屋がある。今日は女の日だから空いてるよ。──嬢ちゃん、その手ぇちゃんと洗ってから飯食いなよ。砒灰触った手で飯食うってのは余り良くないからよ」


「ありがとうございます。……ただ、手を洗ってはみたのですが中々落ちませんの」


「落ちるまで洗いな。少し時間はかかるが全く落ちないってことはない」


「はい……」


「蒼鉛粕ってのは金気が肌の細かい皺に食い込むんだ。水で流したくらいじゃ色が薄くなるだけで芯が残る。灰汁でごしごし擦りゃ落ちるがね。まあ、毎日素手で握ってでもいなけりゃすぐどうこうってもんじゃねえよ」



 ◆


 三日目の朝。


 通気口の探索を終えたシャールは朝から手が空いた。坑口の封鎖も順調に進んでおり、冒険者の仕事は見張りと待機に移りつつある。


 宿の前の石段に腰掛けて水筒の水を飲んでいると、大きな影が落ちた。


「坊や。暇そうだね」


 バーヴェラだ。戦鎚は担いでいない。革の上着に麻の下衣という軽装で、髪を後ろで束ねている。傷だらけの面相だが朝の光の中では妙に生き生きして見える。


「少し聞きたいことがある」


「帝国の話か」


「ああ。あんた、ラスフェルから来たんだろう? あのあたりの連中は帝国に行く奴が多いからねえ」


 バーヴェラは石段の隣に腰を下ろした。シャールの倍はありそうな尻が石段の半分を占領する。


「帝国はね、こっちとは何もかもが違うよ」


 バーヴェラが空を見た。煙の向こうに青い空が薄く覗いている。


「まず広い。この辺の国が三つ四つ入るくらい広い。人も多いよ。だが国のほうがもっとでかいんだ。辺境の砦なんか半日歩いても誰にも会わねえ。一等路の都市は逆に人だらけでギルドの受付に並ぶだけで半日潰れる。なのにどこも人手が足りてない。極端な国さ」


「魔力の扱いも違うのか」


「違うね。帝国はどの属性でも魔力が強けりゃ尊敬される。火だって攻撃力があるから軍じゃ引っ張りだこさ。ただ今の皇帝が版図拡張に入れ込んでるんでね。城壁、道、橋、要塞──全部土の術師が造る。だから今は土の連中がいちばん羽振りがいい。皇帝のお気に入りってやつだ」


 シャールは黙って聞いている。


「あたしも元は帝国の軍人だったんだよ。西のほうの国境警備から入ってね。帝国は西方諸国としょっちゅう揉めてるから、腕っ節に自信がある奴には活躍の場がいくらでもあった。あたしは鎚一本で成り上がって、気がつけば部隊を預かる立場になっていた」


「立場もあっただろうに、なぜ帝国を出たんだ?」


 バーヴェラが笑った。歯を見せて、だが目は笑っていない。


「昔の知り合いに同じ質問をすれば、あたしが臆病風に吹かれたから、とでも言うだろうね」


「実際は?」


 バーヴェラの視線が遠くなり、「その通りさ」と答えた。


 シャールは意外な思いでバーヴェラを見つめる。シャールの目から見て、このバーヴェラという女は勇敢という言葉で評するにはやや言葉の勢いが足りないほどに見えたからだ。


「上の連中は数で勝つのが好きなんだ。弱い兵を前に並べて敵を引きつけさせて、その間に精鋭が横から叩く。理に叶ってるのは分かるんだよ。効率がいいのも分かる。だが前に並べる弱い兵ってのはあたしの部下なんだ。名前も顔も知ってる連中がさ」


 シャールの水筒にバーヴェラが手を伸ばした。断りもなく一口飲んで返す。


「異を唱えたら上と折り合いが悪くなってね。居づらくなった──まあ、ぶっちゃけると殴っちまったんだ上官を。まあだからって処刑とはならないけどね、でも罰則は与えられる。例えばより危険な戦場へ送られるとかね。だからそうなる前に、連れ出せる部下だけ連れて出たのさ」


 バーヴェラが肩をすくめた。


「出てから分かったけれど、あたしはこういう生き方のほうが性に合っているみたいなんだ」


 バーヴェラはそういって水筒を返し、石段の上で両手を後ろについて空を仰いだ。


 ふいにバーヴェラがシャールの手に目をとめた。膝の上に置かれた細い指をみてにやりと笑う。


「いい指してるじゃないか」


「……何がだ」


「指が長いって褒めてるのさ。何か楽器でもやるかい」


 バーヴェラがシャールの右手をひょいと取り上げて掌を広げた。自分の掌を重ねて比べている。シャールの手はバーヴェラより二回りは小さいが彼女が言うように指が長い。


「いい指だ。太くはないから鎚は向かないだろうが、剣はよく馴染むだろうね」


「……返してくれ」


 シャールが手を引き戻す。バーヴェラは気にした様子もない。


「で、坊やは帝国で何をするつもりなんだい」


「冒険者を続ける」


「ふうん。あんたならやっていけるだろうね。あの嬢ちゃんと二人なら尚更だ。──ところで聞いてもいいかい」


「何だ」


「あんた、何か変わった力を持ってないか」


 シャールの表情は動かなかった。


「……何の話だ」


「いや、この間の夜さ。あの長い虫が背中から来た時、あたしは振り向くのが精一杯だったんだよ。体がもう言うこと聞かなくてね。なのに腕が勝手に動いた」


 バーヴェラは自分の右腕を見つめた。拳を握り、開く。


「あたしは自分の体のことは分かってるつもりだ。十五年この体で戦ってきた。あの時、腕は動くはずがなかった。消耗しきっていたからね。それなのに動いた。自分の意思でもない。筋が勝手に跳ねたわけでもない。──なんて言えばいいのかね。引っ張られた、というのが近い」


 シャールは黙っている。


「まあ、気のせいかもしれないがね」


 バーヴェラがあっさりと引いた。シャールの顔を覗き込み──何かを読み取ろうとしたのか──ひとつ肩をすくめて立ち上がった。


「飯にしよう。腹が減った」


 それだけ言って、通りの方に歩いていく。シャールは石段に座ったまま煙の空を見ていた。


 ◆


 四日目。


 セフィラの実験は過熱していた。


 作業場の隅に試験用の小さな焚き口が設けられ、灰蝕石と焦硫粉の基本配合に蒼鉛粕と砒灰の添加量を変えながら毒煙の強さを比較している。配合の記録を羊皮紙に書きつけるセフィラの字は細かく整然としていて、坑夫たちはその几帳面さに舌を巻いている。


「こちらの配合のほうが虫の外殻への浸透が速いですわね。でも砒灰がすぐ揮散してしまう。蒼鉛粕をもう少し増やして煙を重くすれば──」


「嬢ちゃん、もう十分だと思うんだがね」


 薬屋の主人が半ば呆れた声で言った。


「十分ではありませんわ。蒼鉛粕の焼成温度を変えると煙に溶ける量が変わりますの。温度が高すぎると分解してしまうし低すぎると気化しない。ちょうどよい境目を見つけなければ」


「あのなあ。虫を殺すのに論文を書く必要はねえんだよ」


「論文ではございませんわ。ただ、せっかくこれだけの毒を使えるのですもの」


 ──せっかくこれだけの毒を。


 薬屋の主人は閉口する。


 五日目の夜。


 翌日の夜明けに焚き込みが始まる。


 宿の部屋でセフィラが最終的な配合の確認をしていた。羊皮紙を広げ、灰蝕石と焦硫粉の基本配合に加えて蒼鉛粕と砒灰の添加量を書き連ねたものだ。指先はまだ青黒いが、風呂に入った後なので金属の臭いは薄れている。


「結局、十一番の配合が最も効率がよさそうですわ」


「十八通りのうちの十一番か」


「ええ。灰蝕石と焦硫粉の基本配合に、蒼鉛粕を一割、砒灰を半割。灰蝕毒が甲殻を侵し、焦硫粉がその侵食を速め、砒灰が内側の肉を焼く。蒼鉛粕が煙を重くして坑道の底に沈める。焦硫粉が触媒として──」


「その前に」


 シャールがセフィラの右手を取り、指先に触れると──爪の際にこびりついた蒼鉛粕の青黒い染みを確かめるように親指の腹でゆっくりとなぞった。そこから手の甲へ──皮膚の筋をたどって指が這う。砒灰に荒れた肌のざらつきがシャールの指先に伝わり、セフィラの指がかすかに震えた。


「……何をしていらっしゃいますの」


「昔、君がフランシス・セラ・アンブルームの書について語っていたのを思い出した」


 セフィラが瞬いた。毒の配合を滔々と語っていた口元が引き結ばれ、翠色の瞳に別の光が灯る。


「アンブルーム……万粒論の」


「万物は粒から出来ている。火も水も土も風も、すべては目に見えない粒の並び方が異なるだけだと。四大属性とは無関係に世界の最も深い底には粒だけがある──そういう理屈だったな」


「ええ。王立学院では異端とされて久しい書ですわ。属性が世界の根幹であるという教理を否定してしまいますから」


 セフィラの声にわずかな熱が混じる。禁書であることへの警戒ではない。知のにおいを嗅ぎつけた時の、あの輝きだ。


「ですけれど異端だからといって誤りだとは限りませんわ。万粒論は属性の存在そのものを否定しているのではなく、属性よりも深い階層に粒がある、と述べているのです。属性とはいわば粒の振る舞いにつけた名にすぎない──と」


「その理論が真実ならば、と考えたんだ」


 シャールの指がセフィラの人差し指の第二関節で止まる。


 蒼鉛粕の染みが、薄れていた。


 指先から手の甲にかけてこびりついていた青黒い斑が、シャールの指が触れた箇所から順にふわりと浮き上がり、見えない風に攫われるようにして消えていく。石鹸でごしごしと擦っても落ちなかった金属の汚れが、肌の上からひとりでに剥がれる。


 セフィラは声を失った。自分の掌を返して甲を見つめ、もう一度ゆっくりと掌に戻す。五日間こびりついていた蒼鉛粕と砒灰の痕が一片も残っていない。荒れてはいるが、元の白い肌だ。


「……仮説が立ちますわね。粒が見えるのですか?」


「見えはしない。だが在ることは分かる」


 シャールはそれだけ言って手を放して、息をついた。ラスフェルの日雇い仕事で壁を大金槌で叩き壊しても平然としていたこの男が、額に汗を浮かべて疲弊した様子を見せている。


 シャールが行ったのは暗闇の中で手を打ち鳴らす行為に等しい。壁に跳ね返った反響だけを頼りに部屋の広さと形を知る──それと同じことを、この男はセフィラの指に付着した一粒一粒に対して行ったのだ。見えないものに意思を放ち、跳ね返った手応えだけでその在り処を掴み、引き剥がす。額に浮いた汗はその集中の代償に他ならない。


 セフィラは綺麗になった自分の手を見つめ、それからシャールの額の汗を見た。


 不意に、唐突過ぎる考えが脳裏を過る。


 ──確か、ウィルヘルム・ハルムートの戯曲に……


『愛深ければ憂いもまた深く、いささかのことにも心乱れるものなり。されど、かの些細なる憂いの積もるところにこそ、おのずから大いなる愛もまた育まれん』


 戯曲の一節である。


 セフィラは掌を握った。綺麗になった指先がどこか温かいのは、皮膚と皮膚の摩擦に依るものだろう。それが理である。しかし、この生来理を愛する気質に生まれたセフィラは、この時ばかりはその理を否定した。

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