第4話 役目を失った少女
アニータはネデリカと一緒に台所に立った。
使うのは、ネデリカが育てた魔法野菜だった。どれも形がそろっており、切り分けても断面にほとんど差がない。普通の野菜とは違い、育つ過程で品質が一定になるよう調整されているらしい。
「この野菜は、どうやって育てているの?」
アニータが尋ねると、ネデリカは野菜を洗いながら答えた。
「魔法で成長を管理しています。土の状態、水分、日当たり、必要な栄養。全部を調整しているんです」
「そんなことまでできるんだ」
「おじいさまが研究していたものです」
「すごいね。ネデリカもよくやるよ。私だったらサボっちゃう」
アニータが素直に感心すると、ネデリカは少しだけ首を傾げた。
「私は、そうするように作られただけですから」
アニータは包丁を動かす手を止めた。
「作られたって……?」
「私は人工生命です。おじいさまが作りました」
ネデリカは、特別なことでもないように言った。
「おじいさまが研究していた野菜を育て、世話をするために生まれました。だから、野菜を育てるのは得意なんです」
「そうなんだ……」
アニータは、何と答えればいいのか分からなかった。
ネデリカは人間と変わらない姿をしている。話し方も、表情も、アニータには普通の少女にしか見えなかった。それなのに、彼女は自分の存在を、作られたものだと当然のように受け入れている。
「じゃあ、料理もおじいさんのために?」
「はい。おじいさまが食べるものですから」
ネデリカは野菜を切りながら答えた。
「おじいさまは、妻のために野菜を研究していました。妻が亡くなったあとも、研究を続けていました。私は、その野菜を育てるために作られたんです」
「……ネデリカって、奥さんと同じ名前なんだよね」
「はい。おじいさまが、そう名づけました」
ネデリカの声に、特別な感情はなかった。
アニータは、彼女の横顔を見た。
亡くなった妻と同じ名前を持つ少女。妻のために作られた野菜を育て、妻のために研究された技術を受け継ぎ、老人の食事を用意する。彼女の生活は、すべて老人の過去とつながっていた。
それでも、ネデリカは不満を口にしなかった。
「それじゃあ、スープを作ろうか」
アニータは、余計なことを考えるのをやめた。
まず、野菜を食べやすい大きさに切る。獣人の家庭で作られるスープは、決まった材料さえ使えば完成するというものではない。肉のうまみを出すために先に煮込み、野菜を加える順番を調整し、最後に味を整える。
アニータは、ネデリカにその手順を説明した。
「野菜は、最初から全部入れない……」
「うん。柔らかくなりやすいものと、煮込んだほうがおいしいものがあるから。全部一緒に入れると、食感が悪くなっちゃうんだよ」
ネデリカは、鍋の中をのぞき込んだ。
スープが完成すると、ネデリカは器によそい、老人の寝室へ運んだ。
老人は、スープをひと口飲んだ。それから、もうひと口。ゆっくりと味わい、長い沈黙のあとで、目を伏せた。
「……そうか」
老人の頬を、涙が伝った。
「こういう味だったのか」
アニータは、ほっと息を吐いた。
「お口に合いましたか?」
「うまい。とても美味しい」
老人は、スプーンを握る手に力を込めた。
「もっと早く、獣人に聞けばよかった。自分のプライドなど、捨ててしまえばよかった」
アニータは黙っていた。
「だが、今さら何を考えても、あいつは戻らん。わしは結局、最後まで妻を喜ばせるスープを作れなかったのだ」
老人の声が震えた。
ネデリカは、彼の隣で立ち尽くしていた。
彼女は老人のために野菜を育て、食事を作り、身の回りの世話をしてきた。老人が喜んでくれることが、彼女にとって大切なことだったのだろう。だからこそ、老人が涙を流している理由を、どう受け止めればいいのか分からないようだった。
ノームは、黙って老人の話を聞いていた。
老人の後悔は、長い年月をかけて積み重なっていた。妻を喜ばせられなかったという思い。もっと何かできたはずだという悔い。自分のプライドを優先したせいで、妻のためにできることを逃してしまったという罪悪感。
それらは、妻が亡くなったあとも消えることなく、老人の心に残り続けていた。ノームは、老人を見つめた。何かを言う必要はなかった。老人の苦しみを理解していると伝える必要も、慰める必要もない。ノームにできることは、ただ1つだった。
その夜、ノームは老人と2人きりで話をした。
老人は、枕に頭を預けたまま、かすれた声で口を開いた。
「……実はな。わしは、さっき毒を飲んだ」
ノームは老人の顔を見た。
「さっき、ネデリカが持ってきたスープに入れてもらった。あの子には、わしが頼んだのだ。どうせもう長くは生きられん。病の苦しみに耐えるのも、限界だ」
老人は自分の胸元に手を当てた。呼吸は浅く、言葉を発するたびに喉がかすれていた。
「クスーシス正教会では、自ら命を絶つことは罪とされている。わしは、信仰を捨てるつもりはない。だが、死にたいと思ってしまった。苦しみから逃れたいと願ってしまった。……それだけでなく、あの子に毒を入れさせた。自分の望みを叶えるために、あの子まで罪に巻き込んだのだ」
老人は目を閉じた。
「わしは、あの子に長く生きてほしい。わしが死んだあとも、あの子には生きていてほしいのだ。だが、あの子はわしのために作られた。わしがいなくなれば、何を支えに生きればいいのかも分からんだろう」
ノームは、少し考えた。
自分の能力を説明することは、ほとんどない。話したところで信じてもらえないことのほうが多いし、信じてもらう必要もなかった。だが、この老人には話しておくべきだと思った。
「俺は《罪喰い》という能力を持っている。相手の罪を引き受けると、世界は俺を罪人として扱う。罪を犯した本人は、罪人ではなくなる」
老人は、しばらく黙っていた。
「……あんたは、いったい何者なのだ」
「俺にも分からない」
ノームは淡々と答えた。
「俺は、何千年も生きている。不老不死の呪いだ。死んでも必ず蘇る。……俺には、死ぬことさえ自由にはならない」
「そうか。つらい人生だな」
「……信じるのか」
話し終えたノームが尋ねると、老人は小さくうなずいた。
「ああ。信じるとも。疑ってどうする。わざわざこんな年寄りを騙すために、そんな話をするとも思えん。それに……、何千年も生きてきた人間の雰囲気をまとっている」
老人は、かすかに笑った。
「そうか」
「わしの罪を、背負ってくれるのだな」
「ああ」
ノームは、迷わず答えた。
「じいさんの罪は、俺が背負う」
老人は、深く息を吐いた。張りつめていたものがほどけたように、顔から力が抜けていく。
「ありがとう」
その声は、とても小さかった。
「できれば、あの子の罪も背負ってはくれないだろうか。わしの指示とは言え、毒を盛った」
「分かった」
「……ネデリカには、長く生きてほしい。わしのためだけに生きるのではなく、あの子自身のために生きてほしい。わしは、あの子を自分のそばに置きすぎた」
老人は、天井を見つめた。
「最後まで、勝手な願いばかりだな」
「そうだな」
ノームは否定しなかった。老人は小さく笑った。ノームも、それ以上は何も言わなかった。2人の間に、静かな時間が流れた。
翌朝、老人はベッドの上で亡くなっていた。
ノームとアニータが目を覚ましたときには、すでに息を引き取っていた。苦しんだ様子はなく、穏やかな顔をしていた。ネデリカは、老人のそばに座って老人の手を額に押し当てていた。
アニータは、そっとネデリカの背中に手を置いた。何を言えばいいのか分からなかった。慰めの言葉をかけても、老人が戻ってくるわけではない。
ノームは、少し離れた場所から2人を見ていた。
老人を埋葬するため、ノームたちは村の外れにある丘を選んだ。ネデリカが、ここがいいと言ったのだ。まだ老人が歩けるときに、一緒によくここに来たと言う。
ノームとアニータが土を掘り、ネデリカも手伝った。ネデリカは墓の前に膝をつき、持ってきた花をそっと置いた。
「私、これからどうすればいいのか、分かりません。おじいさまがいないのに、どうやって生きればいいのか……」
声がかすれた。
ノームは、墓の前に立つネデリカの隣に歩み寄った。
「ネデリカ」
彼女が顔を上げる。
「じいさんの罪は、俺が背負った。彼は天国へ行った。そこで妻と会えるはずだ。それと、お前のことを託された」
ネデリカは、墓に目を戻した。
「……そうですか」
その言葉と一緒に涙がこぼれた。
「おじいさまが、天国へ行けたのなら……よかったです」
彼女は、墓に額をつけて泣いた。
ノームの終わりの見えない旅は続く。いつか呪いが解けるのか、それとも永遠にこのままなのか。彼には分からない。それでも、行く先々で罪に苦しむ人間がいるのなら、きっとまた手を差し伸べるのだろう。
誰にも知られず、誰にも称えられず、世界から罪人と呼ばれながら。
ノームは今日も、生きている。




