1・繰り返す死
2話で完結します。
よろしくお願いします。
その日は昼間から、うす墨色の曇り空だった。このまま降らないでと祈った声は、どうやら空には届かなかったようだ。
芝居が終わる頃から降り出した雨は、地面に叩きつける音と、土と水の混ざった匂いが、夜の街をひどく汚していた。
「ひどい雨ね。送ってくださらない?」
しなだれかかるように、女は男に声をかけた。彼は私の婚約者なのだが。
「可愛い人だね。いいよ。送ってあげる」
「まあ、嬉しい」
女は当然のように男の腕に自分の腕を絡ませた。かなり大きめな胸を男の腕に押し当てることも忘れずに。
「きみは大胆だね」
「ひどい人ね。あなたにだけよ、こうしているのは」
これが初対面の訳がない。2人が以前からの仲なのは、一目瞭然だった。クスクス笑いながら、彼らは私を置いて、さっさと出口のほうへと歩いて行く。
「お待ちください」
思わず声をかければ、男は面倒だと言いたげな顔で私を睨みつける。
「自分で帰れよ。わかるだろう、それくらい」
「まあ、意地悪なお方。私も捨てられないようにしないと」
「君を捨てる訳ないだろう。こんなに魅力的なんだから。誰かと違って」
男は女の肩を抱いて顔を寄せ合い、見せつけるように軽いキスをする。
私が泣くとでも思うのだろうか。そんなこと。
だが、彼らからしたら、良い出来栄えの表情だったのだろう。2人で笑って、
「見たあ?あの顔」
「ああ、笑える」
と、クスクス笑いながら、雨の中、寄り添うように馬車乗り場の方へと行ってしまった。
我慢したのだが、まだ貴婦人の微笑みは出来そうにない。
「もう慣れたと思っていたけど、まだまだ未熟なのね…」
別に彼のことなんて、愛していない。
ただ、彼は政略結婚の相手で、我が子爵家より格上の伯爵家だというだけだ。当家の資産目当てであるのは明白なくせに、私に対していつも尊大な態度で接してくる。
明日、礼儀作法の先生にお聞きしようかしら。目の前で他の女と仲良くする未来の夫に対して、どんな顔をすれば正しいのか。先生、答えてくださるかしら。
次々と馬車が入口に到着して、身分の高い者から乗って去って行く。この劇場から雨に濡れずに馬車に乗るには、入口の雨除けの屋根のあるところからしか、出入り出来ない。高位貴族達は皆、順番を待っていた。
だが、私は今日、婚約者の家の馬車でここまで来たから、帰りの馬車がない。平民のような乗り合い馬車など論外である。
したがって、家に連絡を入れなくてはならなかった。
「もし。当家に馬車の手配の連絡をお願いしたいのですが」
劇場の担当者に金を渡せば、待機していた者が、当家へ走って連絡してくれるという。
「少しお時間を頂戴いたしますので、どうぞこちらでお待ちください」
玄関近くの待合室に案内され、向かった直後、外でドンと大きな音が響いた。振り向くと、開け放たれた玄関ホールから、馬車を繋いだままの馬が突進してくるところだった。
「きゃあ!」
「うわっ!」
多くの悲鳴と共に、馬の嘶く声も聞こえる。
だが、私は驚きのあまり動くことが出来なかった。そのまま馬は馬車ごとロビーを通り抜け、私目指して突進してきた。
ゴンっ。
大きな音がして、自分が吹き飛んだ。なんだか、全てがゆっくり動いているように見える。あまりの衝撃に声も出なかった。
だが、時間は無常にも動き出し、私は床に叩きつけられた。
呼吸ができなかった。ただ、息を吐こうと口を大きく開ける。聞こえるのは誰かの叫び声、泣き声。大丈夫か、早く、なんてこと。いろいろ聞こえるけど、1番良く聞こえるのは、はあはあと、乱れた呼吸音だけだ。ああ、これは、私の口から出ている音なのか。
何故か痛みはない。
次第に音も聞こえなくなってきた。
首を動かして周りを見たかったけど、動かない。見えるのは、美しい女神様が描かれた天井画だけだった。それも、黒くなって消えた。
やがて、呼吸音も、消えた。
*****
「少しお時間を頂戴いたしますので、どうぞこちらでお待ちください」
どこかで聞いたことがあるセリフだと思った。先ほど観た舞台だったかしら。
そう思った途端、外でドンと、大きな音が響いた。
振り向くと、開け放たれた玄関ホールから馬車を繋いだままの馬が突進してくるところだった。
あら、これ見たわ。
そう思った途端に、私は宙を舞っていた。
これも先ほど経験したわ。
そして私は、再び死んだ。
**
もう、何度経験したのだろうか。
私は待合室に向かう途中で、馬車に跳ねられ死ぬ。
そもそも普通は劇場内に馬車は入ってこないでしょ?とか思うけど、その後死ぬ。
これはなんという現象だったかしら。過去を繰り返す・・ああ、考えているうちにまた死んでしまった。
これを繰り返すうちに、なんとなくパターンが見えてきた。
待合室に招かれ移動するまでに”約15秒”かかっているのがわかった。その前に移動すればいい。38回くらい繰り返してようやく思いついたわ。
「今度こそ」
そう思って、劇場の担当者から声をかけられる前に走り出す。
「少しお時間を…お、お嬢様?」
「ごめん、逃げるわ!」
走り出したら、靴の踵が高すぎて、転んだ。馬車がそのまま突っ込んできて、馬に踏まれて、死んだ。
**
「死因が変わってもダメね」
次は速攻で靴を脱いで走った。馬車が来る方向とは反対に行けばいいのだと、そちらに向かったが、なぜか透明な壁に阻まれた。
「どうして、そっちに行けないのよ!」
はい、馬車到着。
**
とりあえず靴を脱いで逃げる戦法を、16回くらい繰り返した。その結果、どちらに向かっても、透明な壁に行く手を阻まれることが判明した。
「それならどうすればいいの?」
とにかく情報が足りないのではと思いついたのは、それから15回ほど死んだ後だった。観察が必要かと周りを見回す。
広いロビー、壁際には椅子が数脚。その横の小さなテーブルの上には、テーブルクロスと花瓶。更に横には、槍を持った甲冑が飾ってあった。
そして、案内人以外にも、人がいた。
私の前方、斜め前を若い男性が1人で歩いていた。
そんな彼と、ふいと目が合った。彼は大きく目を見開き、浅く息を吐いていた。キョロキョロとあたりを見回し、何かを探しているように見えた。
もしかして。
そう思った時、彼も同様だったのか、声をかけてきた。
「ま、まさか君も繰り返している?」
「あなたも?」
またまた、馬車到着。
**
「ねえ、何度死んでも繰り返しているの!」
「僕もだよ!」
「逃げても透明な壁があって逃げられないの!」
「そうなんだよ。逃げ場がないんだ!あ」
ほい、馬車到着。
**
「何か方法はないかしら」
「とにかく時間がないんだ」
「15秒くらいしかないのよ。どうにかしないと。あ」
馬車到着〜。
**
お互い困っているんだ、どうしよう、逃げられない、大変だ、という趣旨を説明するだけで、私達はさらに12回ほど死んだ。
その間周りも見ていたが、どうやら死に戻る記憶を持って右往左往しているのは、私達だけのようだ。
他の人は私達がいきなり叫んだり走ったり透明な壁にぶつかって転げ回ったりするのを、呆然と見ているだけだ。そして、私達が馬車に跳ねられ死んでいくのも。
死に戻ると体は元に戻っているから痛みはないが、心は痛くてたまらない。どうすれば、ここから逃げることができるのだろう。
何度目かの馬との遭遇の時、何を思ったのか、男性が私を庇ってくれた。
「こうなったら、君だけでも生きてくれ!」
私を抱きしめ衝撃に耐えてくれた。その甲斐あって、多少の傷はあったが、私はまだ生きていた。
「そんな…私だけなんて」
今までお互い15秒間の戦いを潜り抜けてきた、言わば戦友だ。そんな彼が馬に蹴られて、ひっくり返っている。
そんな彼の元に向かおうとしたとき、
「…ヒヒン…」
小さく、馬の声が聞こえた。
何度も我々を殺してきた馬か。思わず声の方を睨みつけた、が。
馬も、傷ついていた。勢いよく室内に飛び込み、奥の壁に激突したのだ。馬車も衝撃で斜めになっているが、馬はいまだに馬車に括り付けられているため、体がだらりと吊り下げられたような状態になっていた。血を流して、彼ももう、ダメなようだ。
「お前も被害者だったのね」
馬ごめん。そう思い、近寄ろうとしたとき、
『ああ、またダメなの?死なないで!』
どこからか、女性の声が聞こえた。近くで叫んでいるというより、頭の中で響いたと言ったほうが正しいか。
「誰?」
声の主を探そうとあたりを見回した途端、ギシッと何かが軋む音がした。馬が体を振るわせ、その振動で馬車が倒れてくる音だった。
私がいる方向へ。
「まさか、やめてよー!」
ぷち。
**
「あれはないわ!」
「だーっ、また戻ってる。犠牲も意味ないのか!」
「さっきはありがとう!それでわかったことがあるの!」
「何?」
「馬よ!」
「殺人馬か?」
「さっき見たのよ。馬も被害者なんだわ。それに…」
はい、15秒。
**
「死なないでって、声が聞こえたの。でも、私達に言っているんじゃない。あれは、馬に向かってよ!」
「それじゃあ、俺達を助けるために何かの力が働いているんじゃなくって」
「そう!馬を救うためよ!」
15秒〜。
**
そんなやり取りを後20回ほど繰り返して、我々は一つの結論に至った。
馬を、救おう。そして、我々も助かろう。
そこから、暴走する馬車に飛び乗って、馬を止めるという大技に挑むことになった。
無理でしょ?
「いや、不可能じゃない!俺達は、もう何度もこの動きを見ている。あとは飛ぶだけだ」
「ジャンプしても届かないわよ!」
「足場を作ろう!」
テンションが上げ上げになっていた私達は、足場になりそうなもの、それを15秒で組み立て飛び乗ることに全力を注いだ。
周りの人達は、驚いていることだろう。いきなり靴を脱いだ女性と男性が、椅子を寄せてその上に飛び乗り、
「「来いやー!!」」
と、叫んでいる姿をみて。
そしてその後、馬が馬車ごと突っ込んでくるのだ。
もう、度肝抜いちゃう。
だが。
「はあはあ、何度やってもタイミングが合わない」
「負けるな、俺達」
虚しく15秒。
**
どうしてもうまく飛び乗れないのだ。そりゃ、普通の人間が暴走する馬車に飛び乗るのは不可能でしょ。
「どうすればいいの。もうダメ…」
『何を言ってるの。頑張りなさい!』
また、頭の中に声が聞こえてきた。
その途端、私達は、違う場所にいた。何もない、薄暗くて広い空間。
「ここは…」
『ちょっと、真面目にやりなさいよ。早く馬を止めるのよ』
今度は横から聞こえた声の方を、ゆっくり振り返った。そこには桃色の豊かな髪を床にまで伸ばした、美しい女性がいた。白いドレスを見に纏ったその姿は、輝きを放っている。
「もしや貴方様は」
『そう、私は”愛の女神”。早く私の馬を止めて!』
「え、あれは女神様の馬なんですか?」
『私の推し馬よ!それがあんな風に死んじゃうなんて、そんなの絶対認めないわ。さあ、早く戻って、あの子を止めて!』
「いやいやいや、神様。無理ですって。どうやっても馬車に飛び乗れないんです」
「そうです。神様のお力で、馬を止めればいいんじゃありませんか」
我々の心からの意見に、神様はしゅんと俯く。
『私もそうしたいのはやまやまなんだけど。私は馬の神に嫌われているの。馬に手を出しちゃダメって』
「まさかの出禁」
「それで、私達に止めてと?」
『そう、頼れるのは2人だけなのよ。さー、戻った戻った』
「「無理無理むりー」」
私達は全力で右手を振った。
『そう、仕方ないわね。それじゃあ、天国へはこっちの道を右に曲がって…』
「いや、殺さないでくださいよ!」
「ここまで来たんだから、助けてください!」
『わがままねえ』
「「全力で言われたくないっ」」
なんかどーっと疲れが出てきた。
神様は、ため息をつくと、右手のひらを上にむけた。そこから光の玉が現れ、私達の前に浮かんだ。
『仕方ない。少し勉強させてあげる。そしたら、飛べるでしょ』
「え?」
「そういうことじゃなーい!」
私達は光に包まれ、消えた。
明日後編を投稿する予定です。
よろしくお願いします。




