第2話 ハローヴィラン
異形のヴィランエルフの登場回です
午後7時。マンハッタンの高層ビル群から長く濃い影が落ちる。
ハドソン川の向こうへと沈みゆく夕日が、摩天楼のガラス窓をギラギラとした血のような赤と黄金色に染め上げている。
遥か眼下のストリートからは、一日中熱を吸い込んだアスファルトの匂い、排気ガスの焦げた臭い、そして絶え間ないクラクションが織りなす大都市特有のひりつくような空気。
パークアベニューに聳え立つ超高層ビルの最上階――その会議室は、下界の喧騒から完全に切り離された別世界だった。
部屋を満たすのは、冷たく濾過された空調の微風と、ほのかに香る合成樹脂の匂い。
磨き上げられたウォールナットの小さな机、高級な革張りの椅子。
部屋はスライド発表のため照明が落とされ、遮光スクリーンの降りたーの窓の隙間から、傾いた夕日の鋭い光の帯が、刃のように差し込んでいる。
その薄暗く重厚な空間に、世界の血流を裏側から操る、選び抜かれた数十名のVIP投資家たちが極秘裏に集められていた。
「世紀の発表がある」だたそれだけの情報で集められた。これだけの投資家が集まるのは、その情報筋は高い信用があることが伺い知れる。
彼らは、息をすることすら躊躇われるほどの緊迫感の中、彼らは目前の巨大スクリーンで行われている『世紀の発表』を、ただ固唾をのんで見据えていた。
正面の巨大スクリーンに映し出されているのは、CGではない。
どこかのラボで撮影された、生々しい「実映像」だ。
それは一頭の羊。……正確には羊と定義すべきなのだろうか。
それほどまでに歪にゆがめられた「生命」がそこにあった。
眼球も、耳も、角もない。頭部があるべき場所には、複雑なチューブが数本突き刺さったピンク色の肉塊が、不気味に拍動している。大脳皮質を遺伝子操作で完全に欠損させられたその個体は、意識を持つことなく、ただ心肺を機械的に動かす悪趣味な肉人形として画面の中で時折蹄をピクつかせていた。
「……ギヨ博士。これは、あまりにも悪趣味では」
最前列に座る中年の女性投資家が、吐き気を堪えるように口元を押さえながら非難する。
「わざわざ足を運んでみれば、こんな三流のフリークスショー(見世物小屋)を見せられるだなんて」
その言葉に同意するように、重苦しい嫌悪と非難の空気が、窓のない会議室全体を支配する。誰もが、スクリーンの横、深い闇の中に沈黙して佇む「発表者」を睨みつけていた。
だが、闇からの弁明はない。焦りの気配すらない。
投影機の影でよく見えないその発表者は、壇上で目を見開いて露骨に首をかしげているシルエット、長く垂れ下がった髪型が分かる。
――トントントン、トン。硬質な爪先が演台に置かれたマイクを「四回」叩く音が響く。
「う〜ん 難しかったかなぁ?」
這い寄る毒蛇のように甘ったらしく、それでいて不遜な女の声がした。
闇から一歩、演台の薄明かりの中へ、その姿がにじみ出るように現れる。
最初に光を反射したのは、濡れたヘビ皮を思わせる艶やかな真っ黒な高級ロングコート。次いで、毒鳥のそれを思わせる逆立った派手な羽飾りの襟。
そして、左胸が不自然に開き、そこから覗く鈍色の金属質の何らかの人工臓器のようなものが薄暗い会議室で光を反射し、異様な存在感を放っていた。
「シシシシ フリークス・・・よく言われるのよねぇ」
歯の隙間から風を吹くような、悪趣味な笑い声。
女は、顔の左目にミラーコートのモノクルを、しなやかな指先でずらして会場を見下ろす。
モノクルの鏡面には、スクリーンに映る頭のない羊の肉塊が、歪に反射している。
その薄明かりに照らされた彼女の耳は、人間のそれとは異なり、鋭く上方へと引き伸ばされていた。
この神をも恐れぬ発表を行う人物こそ、ラゼベル・ギヨデルタという人物。遺伝学や発生学の世界で、倫理を徹底的に無視し、合理性の名の下に研究を進める、再生医療の悪魔。
――彼女は長寿と気高さの象徴である……はずの「エルフ」だった。
肌はやや褐色。ツンと尖った鼻、整いすぎたボディライン、両耳には、数字の「4」をあしらったデザインのピアスが釣り針のような尖ったフックで耳にぶら下がる。意地悪そうな笑い方も相まってマッドサイエンティストと呼ぶには十分すぎる風貌。
「この偉業 わかんないかぁ〜 悪趣味? フリークス? 神をも恐れない? なんて低俗な評価・・・ほかにする人いるのぉ? これだから短命のTACOは困るんだなぁ。あのね、これは羊でも動物でもないの。ただの工業用リアクターなんだよ よぉく見なさい」
ギヨは壇上のマイクを再度尖った爪先で四回叩いて注意を集める。
「はい、ここで話を整理しましょう! 脳がなければ痛みは無い、痛みがなければ苦痛は無い。さにあれば倫理的問題など起こりようがない。そうだろう? 一体どこに 何に めくじら立てて怒ってるのか? もっかいちゃんと足りない頭で考えてみな」
そんな嫌悪感に満ちたヒリついた雰囲気の中、拍手しながら「素晴らしい」と立ち上がる男がいた。
理解者然とした態度で声をかけたのは、白髪の初老の男、名をハンス アイビー テトラクライン。
複数の巨大製薬会社が合体・巨大化した、世界最大の多国籍製薬メガコンソーシアムの会長であり、その傍らバイオビジネス界隈で急進的に注目を集めているQuatre Essence DesignのCEOを務める。バイオ産業界の帝王である。
「みなさん、見た目だけで判断してはいけませんよ。これは我々総合医療会社が抱える根本的問題、倫理的障壁を完全に取り払い、そして臓器供給の完全な規格化へと繋がる基幹技術です」
男はさらに声のトーンを上げ熱心に話を盛り上げる。
「ギヨ博士、貴方が提示しているのは、単なるバイオビジネスではない。生命という現象を、工業製品へと変換する本物の革命だ。素晴らしい、本当に素晴らしい」
帝王の静かだが力強い拍手が、薄暗い部屋に異様に響き渡る。
その言葉に、会場の空気は凍りついた。最初の声に釣られて同調し、倫理的な非難の声を上げようとしていた投資家たちも、「バイオビジネスの帝王」の絶対的な肯定を前に口を噤む。
彼らは冷酷な算盤を弾くプロフェッショナルだ。
フリークスショーを見せられたという生物学的な嫌悪(初期衝動)は、脳内で瞬時に「損得勘定」という天秤にかけられ、猛烈な勢いで再計算されていく。
――拒絶反応のないクローン臓器が、工場で無菌的に大量生産できる?
――ドナー待ちの患者リストがそのまま収益に繋がる?
――そしてなにより、厄介な法規制も訴訟リスクも回避できるのではないか?
高級な革張りの椅子が微かに軋む音が連鎖した。投資家たちの目の色が変わっていく。先ほどまで吐き気を堪えるように口元をハンカチで押さえていた女性投資家でさえ、スクリーンを凝視したまま、手元のタブレットで無意識に市場規模の計算を始めていた。
その絶妙なタイミングを突くように、ギヨがコンソールを叩き、背後のスクリーンを切り替える。
投影されたのは、醜悪な肉塊の映像から一転、無機質で洗練された『利益試算グラフ』と『市場独占のロードマップ』だった。
「特許による完全独占」「ドナー調達コスト・ゼロ」「人権団体の訴訟リスク・排除」――そして、右肩上がりに跳ね上がり続ける天文学的な利益率の数字。
一時の忌避感や高尚な倫理観など、圧倒的な数字の暴力の前では朝露のように霧散した。
「……我がファンドは、初期の設備投資として5億ドル出そう」
沈黙を破ったのは、欧州の巨大ヘッジファンドを束ねる男だった。
それを皮切りに、重苦しく冷え切っていた会議室の空気は一気に沸点へと達した。
「待て! うちは北米の独占供給権を条件に10億だ!」
「アジアの医療流通網は我が社が握っている。共同出資の特別枠を寄越していただきたい!」
先を争うように、上品なスーツを着たVIPたちが身を乗り出し、怒号のような出資の申し出が飛び交う。窓の隙間から差し込む夕日の赤い光が、欲望を剥き出しにした彼らの顔をギラギラと照らし出していた。
彼らの目に、画面の向こうで蠢く管だらけの肉塊は、もはや不気味な怪物などではなくなっていた。
それは、倫理という足枷を完全に外された、無尽蔵の金鉱脈。醜悪であればあるほど、彼らの欲望をかき立てる金の卵を産む雌鶏として、投資家たちの濁った瞳に映り込んでいた。
*
狂乱怒濤の商談を終え一時間後。
熱病のような出資の喧騒が去り、会議室には冷酷な静寂だけが残されていた。大人数の熱気にあわせて設定されていた空調が少し寒く感じる。テーブルの上には、手をつけることすら忘れられたグラスの結露が、投資家たちの残した強欲の痕跡のように光っていた。
「この……クローン臓器製造ビジネス。あなたの技術は、世界中の富裕層が真に欲しがるもので、世界をまた塗り替えますよ」
静寂を破ったのは、ハンス・アイビー・テトラクラインだった。秘書から受け取った商談結果をまとめた内容をタブレットで確認する。それを見て、手元の手帳に万年筆でいくつかメモを取る。
彼は興奮の冷めやらぬ声で、闇の奥に立つギヨ博士へと語りかける。
「腎臓、肝臓、心筋、角膜、膵島(ランゲルハンス島)細胞。最初はあえて適応を絞り、希少疾患向けとして条件付き承認を狙う。表向きは慈善事業としてコンパッショネート使用(未承認薬の人道的使用)の皮を被せれば、あとは勝手に市場がこじ開けられるでしょう」
「シシシシシ……」
這い寄るような笑い声が応えた。ギヨはバーカウンターの裏から淹れたエスプレッソのカップを片手に、羽飾りの襟を揺らしてゆっくりと歩み出てきた。熱い湯気が、彼女の冷え切った爬虫類のような笑みを不気味に縁取っている。
「ハンスくん。キミに初めて会ったのは、何時だったかしらね」
「三十年前です、ギヨ博士。貴方に師事したからこそ、今の私がある」
「そうねえ。キミは私が教えた学生の中でも、とりわけ科学の才能がない、愚鈍な方だったねえ。……でもでも、打算と計算だけは誰よりも得意だったわねえ。そうかそうか、もう三十年も経つのか。シシシシ」
侮蔑を含んだ言葉にも、ハンスは顔色一つ変えない。
「私の科学的鈍さは、会計と法、そして先生の一番不得意な『ロビー活動』で補ってきましたから……しかし、これだけ業界を牽引してきた私でさえ、未だに先生の研究の終着点が見えない」
「もちろん、あんな肉塊はゴールではないわ。ほんの通過点に過ぎないの」
「先生の欲望は、莫大な金になります」
「私はね」
ギヨの声が一段低く沈み、部屋の温度がさらに下がったように感じられた。
「人間は、発生学的リスクから解放されるべきだと思うの」
ハンスの表情が、わずかに硬直した。
「人工子宮……ですか?」
「その先よ。脳も意識も持たない、生体リアクターのヒトモデルを作る。今は羊で実証したけれど、ヒトの素体でももう可能よ。脳がなければ人格もない。人格がなければ権利主体は存在しない。権利主体がなければ、そもそも『人権侵害』という概念すら存在しないでしょう?」
「……先生は相変わらず、倫理委員会が卒倒するような話を仰る。して、そのヒトモデルの生体リアクターで、何を製造するのですか?」
「子供よ」
ギヨは、エスプレッソをすするのと同じくらい軽薄な調子で言った。
「現在も、金持ちの国が貧乏な国の女を代理母として買っているわよね。そんなんじゃダメよ、もっと安全に、もっと確実な工業プロセスに持っていきたいの。そう、作るのよ。――完璧な子供製造工場を」
「こ、子供製造……工場、ですか……」
流石のハンスも、その言葉の持つ途方もない倫理的質量に圧倒され、手元に置いた高級万年筆を握る指に白く力が入った。生物の性能維持という莫大な市場価値を冷酷に見通す彼でさえ、ギヨの思考の深淵はあまりに暗く、その底を見ることが叶わない。
「だが、ハンスくん。この完璧な工場を稼働させるには、どうしても最後のピースが足りないの」
ギヨの指先が、カップの縁を苛立たしげに叩く。
「どれほど精巧なリアクターを作ろうとも、何千回、何万回とエラーを起こさずに分裂し続け、あらゆる組織へと分化する『無欠の母体細胞』が必要不可欠なのよ。通常のヒト幹細胞なんて、ヘイフリック限界という名の、神が仕込んだくだらないバグのせいで使い捨てのゴミになる。……さらに、あの老害……アイツが、私の研究資材の調達をことごとく邪魔をするせいで……」
ギヨの口調から、先ほどまでの甘ったるい嘲笑が完全に消え失せ、冷徹な敵意が漏れはじめた。
「……アレン・エーバーハルト博士ですか」
「忌々しい……私の前で、その名前を口にしないでちょうだい」
「いやいや、欧州エルフ学術評議会顧問であり、遺伝学と再生医療の最高権威。先生と同じ悠久の時間を生きる、知の巨人、彼を抜きに再生医療は語れません」
「あの偽善めいた腰抜けエルフ!」
ギヨが吐き捨てるように叫んだ。
「国際倫理委員会の壇上から、私の研究を『生命への冒涜』だと弾弾し、あの手この手で私の予算と承認を握り潰してきた男! あいつの掲げる高尚な『倫理』とやらのおかげで、人類の進化がどれほど遅れていることか!」
「でも、先生の計画を前に進めるためには、アレン博士との衝突は避けられません」
「もちろん、その対策も考えてあるわ」
そう言って、ギヨはエスプレッソのカップをドンと置き、自らの左目に手をやった。
顔の半分を覆うミラーコートのモノクルを外し、懐から取り出したクロスでゆっくりと拭き直す。
鏡面レンズで隠されていた、彼女の左目があらわになる。
その眼球は、まるで分裂途中の細胞のように水平に二つ並んで配置されていた。右目と合わせ、合計「三つの瞳」が、薄暗い会議室の闇の中で不気味な光を放つ。
ギヨは三つの目を細めた。
その口調は再び穏やかなものへと戻っていたが、孕んでいる殺意は先ほどよりも遥かに濃かった。
「高貴な倫理か、それとも完璧な合理性か。――どちらが正しいかは、いずれ分かることよ」
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ギヨのピアス エルフは再生力が高いためピアスは基本的にしない 気にせず穴をあけて付けることは可能
次回はエルフのヒストリーとヒーローの登場です




