5-10
バダスタウンの朝は早い。
外では既に、冒険者達の足音や、店からの活気の良い声で溢れていた。
朝日が窓から差し込んで、ベッドで眠るローズの顔に当たる。
「んん……」
ローズは日光を避けるように、寝返りを打つ。
顔を向けた先では、ネーロが座っていた。
「お〜い。朝だぞローズ。いつまで寝てんだ」
ネーロが声を掛けるが、ローズは目を開けない。
旅の疲れが溜まっていたのか、それとも、そもそも起きるのが面倒なのか。
ローズは呑気に寝息を立てている。
ネーロは溜息を吐くと、後ろを向く。
そして尻尾で、ローズの鼻をくすぐった。
「んっ……はあっ………ぐしゅっ!」
くしゃみ共に、ローズは目を覚ました。
目前に居るのは、いたずらっぽく笑うネーロだった。
「よお。やっとお目覚めかぁ」
「んん…。おはようネーロ」
「おはよーさん。ローズ」
ローズは未だ眠そうに目を擦る。
そしてベッドから立つと、窓を空けた。
温かい日差しと心地良い風をいっぱいに浴びて、目を細める。
町の喧騒が、ローズの体のスイッチを入れた。
「いい天気」
「おぅ。絶好の旅立ち日和だなぁ」
後ろでネーロが同意する。
2人は、今日このバダスタウンを経つ。
何日か過ごしたこの町が名残惜しいのか、ローズはしばらく町の様子を眺めていた。
“ぐ〜〜〜〜〜〜”
ローズの腹から気の抜けた音が鳴ったのは、そんな時だった。
「腹減ったか」
「…うん」
「まずは腹ごしらえだな」
「うん」
完全に目が覚めたからなのか、それとも食事が楽しみなのか。
部屋から出るローズの足取りは、寝起きの時より軽やかだった。
ドラゴン・マンティスとの戦いから、1週間が経った。
あの後何事もなく生還したローズは、ギルド併設の病院で火傷の治療を受けた。
旅には危険が付きものだ。
火傷したままの右手では、凶暴なモンスターと戦い抜くことはできない。
そのため、完治するまでバダスタウンの宿で過ごすこととなった。
オウルベアの骨や毛皮を売っていたことで、幸い金には余裕がある。
傷が癒えるまで、ローズはバダスタウンで好きに過ごしていた。
そうこうあって5日目。
ここまで続いていた火傷の痛みが無くなっていた。
包帯を解いてみると、焼けた皮膚がほとんど治っていた。
この時点だと元の色より黒かったが、1週間経った今では、すっかり元通りになっていた。
「ローズ様ぁああ!!おはようございまぁあああああす!!」
ローズが食堂で朝食を摂っていると、フィリップが元気よく挨拶をしてきた。
「右手ももうすっかり元通りですね!」
「おはようフィリップ」
「そのキモい喋り方どうにかなんねーのかよ」
ネーロが指摘した通り、フィリップの話し方は変わった。
ドラゴン・マンティスを討伐してから、ローズのことを様付けで呼び、敬語で話し始めたのだ。
ここ1週間、フィリップはこの調子でローズとネーロに付き纏っていた。
この話し方に、ローズは最初は嫌がったものの、今はもう受け入れつつある。
「少女1人を崇拝し、連日に渡って付き纏う…。国が国なら牢獄行きだぞ」
「何を言うんだネーロ君!ローズ様の、自らの命を顧みず、誰かを想いやれる心!それを目の前にして、僕は己の小ささを思い知らされた!そしてあの時、ドラゴン・マンティスを斬って降りてきたあの姿!まさに戦女神!それを見て確信したんだ!僕は、ローズ様に尽くすために生まれてきたんだって!!」
「それは言い過ぎだと思う……」
「父への憧れどこいった?」
フィリップの異常な熱量に、ローズとネーロは相当引き気味になっている。
何か言葉を紡ごうとするローズの目に映ったのは、手元のサンドイッチだった。
「フィリップ、朝ごはん食べる?奢るよ」
「いいんですか!?ご馳走になりますぅ!」
「おいローズ…。甘やかしちまったらまた……」
「いいよネーロ。今日でもう最後だから」
「えっ…?」
ローズの何気ない一言に、フィリップは固まる。
「最後って、どういう……」
「あっ…言ってなかったね……」
「言う隙が無かったもんな」
ここまでローズと一緒に居る時、フィリップはとにかく喋りまくっていた。
ローズは元々物静かな性質。
話し相手が騒がしい場合、ずっと聞き手に回ってしまう。
故に町を出る日を話すタイミングを見失っていた。
「私達ね、今日この後町を出るの。旅を続けなくちゃいけないから」
「そっ…そうだったんですね」
「フィリップはもう、私が居なくても大丈夫だと思う。だから冒険者、頑張って」
「あっ……あぁ…はい……」
フィリップはどうにか相槌を打つ。
しかし、どこか上の空だ。
会話を寝そべって聞いていたネーロが、それを見抜く。
「なんだよ?ずっとこの町に居るとでも思ってたのか?」
「えっ…あぁ、そうだね」
我に返ったフィリップが、気恥ずかしそうに頬を掻く。
「やっぱりダメだなぁ僕は。自分のことで精一杯。2人のこととか、よく知らずに話してた…。ローズ様、旅人だったんですね」
「うん。この町に来たのも、旅の一環」
「そうでしたか…。ローズ様、やはり凄いですね。その歳で猫1匹と旅をするなんて…。本当、尊敬します…。僕は自分1人じゃ、ほとんど何もできないのに……」
ローズがバダスタウンを離れると聞いから、フィリップはどこかネガティブになっていた。
歳下の少女と自身を比べ、差を思い知らされ、その度に落ち込む。
その様を見せられて、ローズは逆に不安になっていた。
『もう自分が居なくても大丈夫』と思っていたが、『やっぱりまだ居た方がいいかも』と、思い直しそうになる。
だが直前で、フィリップが頭を上げる。
決意を固めたような顔をしていた。
「ローズ様!出発の時間はいつでしょうか!?」
「えっ?…えぇと……」
ローズは壁に掛けられた時計を見る。
「…あと1時間後くらい、かな」
「解りました!!でしたらどうか、バダスタウンの入り口で待っていてくれますでしょうか!!それまでにまた来ますので!!」
「へ?…えぇと……」
「それでは!!」
ローズが答える隙を与えず、フィリップはその場から走り出す。
「あっ…フィリップ。朝食……」
ローズが呼び止めようとした頃には、フィリップはもう食堂から出ていた。
行き場を失った手を、ゆっくり下ろす。
ネーロは呆れたように、何度目かの溜息を吐いた。
宿を出たローズはリュックを背負ったまま、ネーロと共にバダスタウンの入り口に立っていた。
「ロ、ローズ様ぁああああああ!!!」
少し待っていると、フィリップが全速力でこちらに走ってきた。
何故か、ローズのものより少し大きめのリュックを背負っている。
それなりに重いようで、フィリップの息は既に切れていた。
ヘロヘロになりながらも、ローズの目の前に着く。
「お、お待たせしました…」
「フィリップ、大丈夫?」
「いろいろ言いてぇが、まずその荷物何だ?」
ネーロの目を惹くのは、フィリップに背負われているリュック。
フィリップは息を整えると、よくぞ聞いてくれた言わんばかりに胸を張った。
「これはですね…、旅の道具です!」
「旅の道具だぁ?」
「フィリップ、旅に出るの?」
「はい!ローズ様と共に!」
「えっ…?私?」
「はい!!」
ついていけてないローズの前で、なんとフィリップが跪いた。
「お願いしますローズ様!!どうかこのフィリップも、共に連れていっては頂けないでしょうか!?」
「えっ?えぇ……?」
フィリップは額を地面に擦り付け、そう懇願した。
戸惑う少女に対し、土下座をする青年。
その異様過ぎる光景に、周囲を行き交う冒険者達は目を離せない。
「おい、話くらいならとりあえず聞いてやるから頭上げろ!目立つ!」
「いいえ!無理を承知でお供を申し出ているのです!何の価値もない頭ですが、どうか下げさせてください!」
「聞いてやるから上げろっつってんだよ!!」
ネーロが怒鳴るも、フィリップが頭を上げる気配は無い。
ヒソヒソと話しながら、少女と青年の関係を詮索する者まで現れ始めた。
見かねたローズが、フィリップの前に出る。
「フィリップ」
「はい!何でしょう!?」
「やめて」
「はい!!」
ローズに言われた瞬間、フィリップが頭を上げた。
それでも立ち上がることはなく、正座のような体勢になっている。
「ローズの言うことは聞くのかよ……」
苛立ちに満ちた表情で、ネーロは呟く。
口元は吊り上がっているが、顔から血管が浮かび上がりそうになっていた。
結局ローズとネーロはバダスタウンを出ることはなく、寧ろ戻ることになった。
町の一角にある噴水広場のベンチに、ローズとフィリップは腰掛けた。
ネーロはローズの膝の上に座る。
ローズはネーロの背中を撫でながら、フィリップに目を合わせた。
「えぇと…。フィリップは、私達についていきたいの?」
「マジで言ってんのか?」
「はい!」
フィリップの顔は真剣そのもの。
返事1つにも力が籠もっていた。
「今朝もお伝えしましたが、僕はローズ様の強さや人柄に惹かれました!僕の人生全てを賭けても良い!ローズ様のために尽くしたいのです!お願いします!お供させてください!」
「ここまで来ると気持ちわりぃな……」
ネーロは腫れ物でも見るような目で、フィリップを見ていた。
ベンチに座りながらも、頭を下げるフィリップ。
熱意は未だ冷めていない。
「あのなぁフィリップ。旅ってのは危険が付き物だ。ぶっちゃけた話、ローズだからここまで生き残れたってのもある。下手すりゃ冒険者やるより厳しいぞ」
「うっ……」
ネーロはフィリップの覚悟を見定める。
冒険者の仕事にも危険が伴うが、町という帰る場所があり、食堂や病院といった施設も充実している。
対して旅人は、それらの施設を安定して利用できない。
町や国が見つからなければ、大自然の中、テント生活だ。
広大な砂漠や森林で、食料が底を付く可能性もある。
モンスターとの戦いで傷を負っても、近くに医療施設なんて無い。
ローズについていくなら、当然そんな生活を送ることになる。
死亡率だけ見れば、冒険者よりも高いだろう。
その事実は、フィリップの意志を僅かに揺るがす。
だが、それだけに留まった。
「ローズ様が居なければ、とっくに無くなっていた命です!覚悟は、できてます!共に歩ませてください!!」
フィリップは三度頭を下げる。
多少怖気づいたが、折れてはいない。
それを見せつけられたネーロは、これ以上追求することはなかった。
「……どうする?ローズ」
ネーロは最後、ローズに委ねることにした。
「……」
ローズは顎に指を当て、少しだけ考える。
そして改めて、フィリップに向き直った。
「フィリップ、顔を上げて」
「はい!」
ローズに言われ、フィリップは即顔を上げた。
この反応の速さから、忠誠心の強さが覗える。
「私には2つ、目標があるの」
「目標…ですか」
「うん」
フィリップの決意はよく解った。
ならばと、ローズは自身が追い求めているものを話すことにした。
「1つは、ここまで私を育ててくれた先生を見つけること。そしてもう1つは、私が何者なのかを知ること」
フィリップは、かける言葉に迷っていた。
ローズが掲げる2つの目標。
受け入れるよりも先に、詳細が気になってくる。
とはいえ、背景に相応のドラマがあったことは想像できた。
「フィリップ。ネーロが言った通り、とても危ない旅になると思う。…それでも、手伝ってくれる?」
「はい!勿論です!」
フィリップにはもう、迷いなんて無かった。
曇り無き瞳で、ローズを見つめ返す。
「あなたに助けられてから、全てを捧げると決めました!!是非とも手伝わせてください!!」
「フィリップ……」
「……決まりだな」
フィリップの言葉を聞いて、ネーロがニッと笑った。
ローズも頷く。
そしてフィリップに手を差し出した。
「フィリップ、これからよろしくね」
「ローズ様のお傍に置いてもらえて感激です!こちらこそ、よろしくお願いします!」
フィリップは手を握り返し、ブンブンと縦に振った。
ローズの頬が微かに緩む。
こうして、信仰心が高い新たな仲間が加わったのだった。




