第122話 日光天然かき氷と中日本奪還計画
作者はつい最近まで知らなかった……かき氷がなんと平安時代から存在していた事に!!こんな事ならもっと前から売ってればよかった><
ちなみに本編とは関係あるような無いような内容の独り言ですw
天正3年(1575年)7月。
足利義輝将軍率いる後足利幕府、通称「東側幕府」の拠点である武蔵松山城。
俺達はま家一行が到着した時にはすでに、大広間には主だった将が居並び評定が始まるのを待っていた。
「おう、寿四郎殿♪ようやく安芸より戻られたか。こたびの毛利訪問でなんぞ新たな美味なる物は食されてきたかな?」
漆塗りのお椀に盛られた山盛りの氷と、ピューレ状になった桃を木のヘラでかき込みながら北条氏政が言う。この時代にかき氷なんてあったのかよ! と突っ込みそうになったが補佐役の氏照によると、かき氷って実は平安時代から貴族の間では食べられていたらしい。
その話と日光の水が良い事、冬になると気温が下がって湧水が凍る事に目を付けた氏政が、何度も人を派遣して研究に研究を重ね、天然氷と氷室を完成させてようやくこちらでもかき氷を食べられるようになったのだとか。あいかわらずコイツの食べ物に対する探究心というか執念はすさまじいな。
「氏政殿……寿四郎殿は、我ら後足利幕府と毛利が手を結ぶ為の【使者】の役目として安芸に参られたのですぞ。物見遊山ではないのですから」
「そ、そうであったな。ぐぬぅ」
楽しみにしていたお土産話(主に食レポ)を朝倉に釘を刺され、うなだれる北条氏政。そりゃ言われるのは当たり前だ。
まあ確かに久々に食った洋食は確かに美味かったし、アレを関東でどう再現するかとか、かき氷を安定供給させて普及させる話し合いとかの方が俺も良かったけどさ。残念ながら今回はそういう他愛のない集まりではないんだぜ。
一方、場を取り仕切る役割を与えられた元越前国主・朝倉義景は活き活きとしていて元気そうだ。義昭側に付いた家臣たちの裏切りと織田軍の度重なる攻撃の前に越前の大半を奪われて数年、今では再び越前国主に返り咲く事は諦めて、元々仲の良かった義輝将軍の補佐役として腕を振るっている。
広間にはその2人以外にも義輝将軍に味方する出羽(山形)の最上義光、磐城(福島)の蘆名盛興、常陸(茨城)の佐竹義重といった俺と同じ年代の国主が並び、越後からは長尾輝虎に代わって俺の前世弟・長尾景信がこの場に参加していた。それから駿河の隣国である戦友の遠江国主・朝比奈信置もいる。
「皆の者、よくぞ集まってくれた。まずは礼を申す」
そして広間の上座に将軍・足利義輝は姿を現すと、頭を下げた格好の俺達に対して自分も礼を述べて頭を下げる。威厳を示す為には簡単に頭を下げたりせずに尊大に構えてた方が良さそうな気はするが、俺はこういう人柄が嫌いじゃない。戦国の大将としてはちょっとメンタル弱めだけど。
「さて、こたび我が弟の義昭がついにあの信長めと、袂を分かち戦を構えるゆえ我らにも味方せよ! と越後長尾家・ならびに遠江朝比奈家・甲斐駿河はま家に申してきた。私はこれを受けて北条殿と話し合い、この東国からも信長征伐の為の軍を差し向けようと思う」
義輝が高らかに宣言すると義景と氏政の二人は同意するように声をあげる。だが……
「お待ちくだされ。義昭将軍からの書状を受け取ったのは、あくまで越後の長尾殿と甲斐のはま殿、遠江朝の比奈殿だけでございましょう?」
異議アリの声を挙げたのは常陸の佐竹義重。主張としては至極まっとうで『義昭側に呼応するかどうかの判断は書状を受け取った各自が判断すればいい』というものだ。だが義輝はその反論を覆して言葉を続ける。
「確かに私が書状を受け取ったわけではないし、あの弟の事だ。私に頭を下げて力を貸してくれなどとは書状とはいえ口が裂けても言えないだろう。だが弟が困っているのを見れば、請われなくとも黙って力を差し出してやるのが兄というものでは無いかと私は思っている」
どことな~く弟の力に全然なれてない俺を地味にディスってんのか、という発言にも聞こえるがそんな俺の状況は知るわけも無いし気のせいだろう。でもなんか……グサッとくるなぁ。
「そういう事じゃ。ワシにとっても甲斐の寿四郎殿は我が妹・光の夫で、言うなれば我が弟。その弟が信長に取られた美濃を取り返せずに苦戦してるとあれば兄として力を貸すは当然の事。ついでに海からも三河・尾張へ攻め入り、3方向から織田・徳川に取られた土地を奪い返してくれようという作戦じゃ」
得意のドヤ顔で言葉を注ぐ関東の主・北条氏政。たしかに京の内乱に信長が釘付けにされるこの機会を狙って東側幕府の総力結集で中日本に詰め寄せれば近畿の手前、尾張・美濃・越前までを制圧する事も不可能ではないかもしれない。しかし……
「中部攻めの為にこの関東を空にすれば【将軍様の威光に従わぬ輩】にとっては、攻め上がって来る機会を与える事にもなりませぬか?」
そうなのだ。北条氏康が関東統一を宣言し、後足利幕府が成立した直後ならば織田・徳川を除いた東側の大名のほぼ全てがこの義輝将軍に賛同しているような状況だった。だが北条氏康・武田信玄という英傑を立て続けに失い、美濃・越前を織田に奪われた今ではその威光も薄れ、態度を改める大名もちらほら出てきている。
その中でも出羽北部(秋田)の安東愛季は数年前からずっと敦賀に船を出して信長に贈り物を続けているというし、奥州(宮城)の伊達輝宗はあろうことか、元服する時に義輝将軍から貰った一字を破棄し、信長から一字を取って伊達「長」宗と名前を変えて名乗っているらしい。
「今回そなたらにも集まってもらったのはその為だ、佐竹義重。そなたと蘆名盛興は伊達の動きを、最上義光は安東の動きを警戒し、その者らに何か動きがあれば三家で連携して食い止めてもらいたい」
「御意!」
佐竹義重が我が意を得たりという顔で返答をする。コイツは確か義輝将軍に従ったとはいえ、それまで北条家と争っていたからな。中部攻めで北条家の軍団と一緒に戦うなんて出来れば避けたかったんだろう。
それに警戒する相手も信長に贈り物をしたり名前を変えたってだけで、完全にこちらの敵対勢力と決まったわけでは無いから、警戒するだけで実際に衝突さえ起らなければ無駄な兵力の消耗もない。そっちを選ぶのは当然の反応だ。俺個人の印象としては『いけ好かない相手だな』ってイメージになったけど。
こうして俺達は義輝将軍&北条勢と共に美濃を奪還するべく、出陣する事となった。




