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噤みの森(つぐみのもり)  作者: べにさし
百年後の点景
87/205

03

 駐車場から市場を抜けて時計塔の真下に出ると、そこは土産物屋みやげものやの集まる広場であった。

 町の中心部であり、住人にとっても生活上の動線であるので、さすがに往来が多い。

 石畳いしだたみの広場の南端に兀然ごつぜんとそそり立つ、木造の高層建築物をちらちら見上げながら、歩み寄る。

 そのたもとには格子こうし状の柵が張り巡らされてあって、近づけないようになっていた。


「中は、見学できないのかな。ぜひとも見たいが」


「だめだと思うよ。よそ者は立ち入り禁止だよ」


 入れるのは鐘を鳴らす係の人だけだと言う。

 鐘が鳴るのは何時いつか訊ねてみると、たしか朝とお昼と夕方の三回との返事であった。


 柵の北側に町の案内板が立っていて、観光地図の紹介文に見たような由緒と、大きな鳥瞰図ちょうかんずが貼られてあった。

 時計塔をかなめに、扇形おうぎがたをした広場の外縁がいえんから放射状に直線が五本、市街区へ延びており、東北東の線に日の出通り、北東の線に上がり道、真北の線にお昼通り、北西の線に下がり道、西北西の線に日暮れ通りと記されてあった。

 それらの街路は春と秋の日中、塔の影の落ちる方角と時刻とに対応し、もっとも長い影道かげみちが日の出通りと日暮れ通りで、もっとも短い影道がお昼通りだった。

 面白いのは、町割りがつくりだすその五本の影道を、鳥が翼をひろげている姿に見立て、重ね合わせて描いており、塔の部分が鳥の頭になっていた。

 この町の名称はメイバドルだが、時計塔と影道のみを指す場合は、マルギト・ホトトギスとも呼ばれると書かれてあった。

 なんだか少し、おれの名前と音が似ている。


 夏の太陽を背負った時計塔が、広場の北面に巨大な影を長々と落としていた。

 真北に向かって一筋ひとすじに走るお昼通りの石畳は、すでに右半分、日陰になっていた。

 もうじき正午だ。

 アラム少年に促され、先に銘菓店があると言うそのお昼通りに入っていくと、軒並みは平家ひらやだったり二階家にかいやだったり折れたくしの歯のごとく凸凹でこぼことしていたが、いずれも石敷きの街路に沿って整然と建ち並んでいた。

 あちらこちらから煙りが白々(しらじら)と立ちのぼっていて、横目にする店舗の暖簾のれんは飲食店のものが多かった。

 時間も時間であり、行き交う人々は皆、腹具合と相談するような面持ちで、店先に立つ看板娘たちの呼び声が、かまびすしい。


 通りに入ってまもなく、細い路地と交差する十字路の角に小洒落こじゃれ茶店ちゃみせがあり、そこの立て看板が目に入った。

 いらっしゃいませの躍る文字と、日替わり定食の献立と値段が書かれてあった。

 通りしな見るとその看板は、辻脇に立つ小さな石板せきばんに立てかけられており、なんとなく石碑せきひのように感じたので、気になって近づいた。

 やめなよ先生と言われながら看板を路地にどかし、灰色の正面にかがんで確かめる。

 思ったとおりそれは石碑であった。

 しかし、かなり古いものらしく、碑文の痕跡がうっすら認められるのみで、刻字こくじの一つも読み取れない。

 茶店から店員らしい年配の女性が出てきて、怒られたついでに由来を訊ねてみたが、知らないようだった。

 謝りながら指図どおりに看板を戻しているあいだ、アラム少年の姿は遠かった。


 かんかんかんかんかんかんかんがあん……。


 背後の頭上から突然、金属を連打するせわしげな音が鳴り響いた。

 驚いて咄嗟とっさに時計塔を仰ぐと、最上部の屋根の下で、吊り鐘がゆらりゆらりと揺れているのがわずかに見えた。


「ずいぶんと乱暴な時鐘じしょうだな」


 苦笑しながら石畳へ目線を移した。

 ところが、その左半分には、まだ日影が残っていた。

 お昼通りの影道は太陽の南中なんちゅうを示しておらず、往来の人たちもいぶかしげな顔を浮かべている。


「正午の鐘には、ちょっと早かったようだね。鳴らし方といい、係の人も結構、雑だなあ」


 戻ってきた少年に笑いかけると、彼は、時計塔をまっすぐに見あげていた。

 その表情を見て、おやと思った。

 両目を細め、睨みつけるような眼差しだった。


「先生ちがう」


 ぼそりと応え、塔のてっぺんを指差したので、ふたたび吊り鐘へ視線を投げた。

 が、様子の変わったところはなく――。

 ふと周囲の喧騒に気づいて通りに目を向けると、飲食店の店員らしき割烹着かっぽうぎを着た男女が何人も往来に出てきていて、時計塔を気にしながら互いに顔を見交わし、首をひねっていた。


「あいつだよ。今、鐘を鳴らしたの」


「あいつ? あいつって。まさか」


 塔を見たまま頷いた。


「サリアタ様のちからが消えて、ポハンカの居どころがわからなくなって、いらいらしてるみたい。目の色が変わってる。きょろきょろしてるよ」


「君は、魔法使いかい?」


 不意に背後で男の声がし、振り返ると、三十絡みの男性が一人、こちらを見ながら歩いてくる。

 油の染みた前掛けを付け、頭に布巾ふきんを巻いて、銅製の枠の細い眼鏡をかけていた。

 飲食店の店員のようだが、なかなかの美男である。


「塔の上に、なにか見える? 霊?」


 問われ、アラム少年が、小さく頷いた。

 すると男も頷いて、時計塔に目をやった。


「ここ最近は、なかったんですがね。たまに、やられるんですよ。今みたいに鐘を。霊が、鐘を鳴らすんです。なぜだと思います?」


 端整な面立ちの魅力的な目元が、おれを見た。

 わからなかったので、わかりませんと答えると、男は眼鏡を示した。


「町中の視線を、自分に集めるためなんですよ。不自然に鐘が鳴れば、多くの人が塔を見上げるでしょ。その大勢の視線のなかから、特定の人物の視線を、探し出す。隠れている人をあぶり出すために、わざと鳴らすんです」


 聞いて、唖然となった。


悪賢わるがしこいやり方ですよ。自己肯定感の強い霊は、相手の迷惑なんか、眼中にないですからね。自分の都合しか考えてない。しかし、人捜しに、塔の鐘を使うのは有効な手段なんです。目当ての人物が見つかるまで、鳴らす気ですよ、霊は。どうします?」


 そう言って、アラム少年に微笑みかけると、男はおれに礼をし離れ、天ぷら屋の暖簾のれんをくぐった。

 物言いに、少し違和感を覚えたが、それどころではなかった。


「やな感じ」


 男の消えた店先を見つめながら少年が言う。


「女の人の念がたくさんいてた。それがあたりまえって感じだった。なんかむかつく」


「それよりも、どうする?」


 聞いた話しが事実なら、まずい状況なのではと思った。


「セナ様も、駐車場から鐘を見たはず」


 うん、と応じて振り返り、吊り鐘に目をやった。


「今ので、あいつはもう、衛者えいじゃの敵になった。ちからはまだ、どこからも感じないけど、攻撃されるまえに、こっちでとめなくちゃ」


 逆光に黒々とそびえる塔を見あげたまま、沈黙した。

 やがて、こくんと頷いた。


「ぼくが射つ」


「いったん戻る?」


 彼は今、短弓を持っていなかった。

 後尾の荷車に置いたままだった。


「平気」


 言うなり、すっと半身はんみに構えた。


「どかすだけなら、無くてもやれる」


 そうして伸ばした左腕を斜め上に持ちあげると、右腕のひじを斜め下へ突き出した。

 時計塔の頂部ちょうぶに向かって、透明の弓矢を引きしぼるような格好になった。

 往来の人々がじろじろ見ながら過ぎていくが、仕方ない。


「ポハンカは、嫌いになったとは、言ってなかったよ」


 左手の人差し指が――やじりのような狙い目が、彼方をじっと見据える。


「でも、これ以上、邪魔をするなら、わかんない。あのお姉ちゃんを怒らせると、めちゃくちゃ怖いよ。魔法の杖でぶたれるよ。ぼくの矢よりも、きっと痛い」


 そこで右手の指が、ぱっとひらいた。

 瞬間――時計塔のてっぺんで、きん、とかすれたような金属音が鳴ったと同時に、ぎゃっと言う短い悲鳴が聞こえた。

 ような気がした。


「どうなった?」


 すぐに問うと、射撃の体勢を崩しつつゆっくりと頷いて、人通りを返り見た。


「気絶した。これでしばらくは、おとなしくなると思う。けど、今、誰か……」


 ばっとおれを見た。


「ごめん先生。ぼく戻るね。お菓子のお店は、この道をまっすぐだから。ふゆの近くで売ってるからあ」


「え?」


 訊ね返すいとまもなく、少年はたちまち広場の雑踏に消えた。


「ふゆ? ふゆの近く?」


 その時だった。


 かん、かん、かかかあん……。


 美しい響きの鐘のが、頭上から降ってきた。


 かん、かん、かかかあん……。

 かん、かん、かかかあん、あん、あん、あん……。


 余韻の響きを耳にしながら視線を転じたお昼通りは、漏れなく日陰になっていた。

 正午になった。

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