01
ごとごとがたんと揺れた身体に驚いて、はっと瞼をひらくと、もたれていた背後の水桶の中で、ちゃぷちゃぷ跳ねる音がした。
草原の丘を通る赤茶色をした煉瓦の道が、彼方に聳える高峰に向かってどんどん流れ、道脇に点々と立つこんもりとした木々が、一本また一本と、遠ざかっていく。
その景色の傍らに、荷台の後部に腰をかけ、両足をぶらぶら揺らしている銀髪の少年の背中があった。
視野の端に、横坐りの白い足元がちらりと見えた。
いつのまにか、寝てしまっていたようで。
獣車の震動を尻に感じながら、日除けの頭巾をかぶったままで、しばらくぼんやり微睡んでいると――。
「油断するからだよ」
「うるさいわねえ」
アラム少年の言葉に、不機嫌そうに応えるセナ魔法使いの小声が。
「しかたないでしょ」
「だってさあ」
「しつこい」
「どう考えてもだよ。あいつ」
「サリアタ様は手を出すなと。構わないでいい」
「わかってるけどさあ。油断するから痛えっ」
「お黙り」
「杖は反則……」
少しの間があった。
「やっぱり、やったのあいつだよ。だんだん剥き出しになってきてる」
「それならそれで好都合。放っておきましょ。今はね」
会話がやんだ。
魔女の最後の一言が、なんだか少し怖かったので、顔をもたげ声をかけた。
「あのう。なにか、あったんですか?」
するとアラム少年が振り返った。
「あ。先生、起きてたんだ」
今起きたと答えると、ぐっすりだったねと微笑まれた。
頭巾をおろしつつ、太陽の位置を確認して、驚いた。
ほんの寸分と思ったのだが、三時間ちかく眠っていたようだった。
寝心地のよろしくない環境ながらも、熟睡であった。
涎は垂らしていないようであり、安心した。
メイバドルまで、往路はおよそ五時間と聞いていたので、もうしばらく、車上の人となる。
「ぼくらのあとをね。ついてきてるお化けがいるんだよ。森からずっと」
「森から?」
横で、か細い吐息がした。
バレストランド魔法使いが川沿いで見た幽霊。
セナ魔法使いを追いかけてきた男の幽霊が、まだ、ついてきている?
訊ねてみると、少年が顔を左右に振った。
「ううん、別のお化け。川にいたお化けは、ほんとにただの通りすがりの人。追い払うのは面倒だったけどさ」
「二週間くらい前に、里にきた魔法使いよ」
裾で足首を隠しながら、つまらなそうに言う。
「とても感じのいい人で。わたしも姿を出して、気軽に接してたの。そしたら先日、そろそろ昇がりたいからって、サオリの御神木の場所を聞かれてね。こまかく教えてあげて……。その日のうちに里から居なくなってたから、てっきり昇がったものと思ってた」
「それが昇がってなかったんだ。森にうじゃうじゃいるお化けたちの存在感に、紛れ込んでた。たぶん、昇がるのやめて、里まで戻ってきたんだと思う。ポハンカが見つからなくて、まわりの森をうろうろしながら、さがしてたみたい」
「セナ様を捜す?」
「うん。ポハンカは普段、化粧の魔法をかぶってて、お化けの目には偽物の姿が映ってる。ポハンカが心をひらかないと、ほんとうの姿は見えないんだ。それで、居どころがわからなくなって、さがしまわってるうちに気持ちがどんどんふくらんで、こじれてったみたいで……。嫌らしいお化け迷子になっちゃってた。ポハンカのことしか頭にない感じ」
なんと答えたら、よいのやら。
「そいつが、サリアタ様のちからを辿って追ってきていたことに、さっき気づいたんだ。ポハンカの居場所が、やつにばれてた」
「どうして?」
「森で、川を渡ったとき」
うーん、とおれは唸ってしまった。
「倒木がなくなってたのは、やつの仕業だよ」
「網を張ったと?」
「どうかしらね。偶々だとは思うけど」
「油断するから」
「うるさい」
「それで、どうするんですか?」
問うとセナ魔法使いが、おれの外套に手を伸ばし、袖の汚れをそっと払った。
「今のところは、どうもしないわ。ついてきているだけだから。サリアタ様のご判断待ちよ」
「ひさしぶりに、町へ遊びに行くのにさあ」
言いながらアラム少年が、短弓を握って斜に構え、過ぎてゆく道の彼方へ向け、弦をききっと絞ってみせた。
「お化け迷子の危ない魔女には、お引きとり願おう」
え?
「魔女っ?」
思わず声高になって聞き返すと、二人が同時に頷いた。
「女の人なんですかっ?」
「そうよ。だからわたしも、姿を見せて接したの」
「ポハンカはよそ者の男とはほとんど話ししない。顔は、絶対に見せないよね。ぼくにはすぐ見せたけど」
「あんたは例外。子供だったからね」
セナ魔法使いに執着している幽霊は、女性なのか。
同性にも、つきまとわれてしまうとは、いやはや。
「じゃあ……。フロリダス先生のときは?」
不意の沈黙。
「サリアタ様がびっくりしてたよ。あっさり顔面を見せよったって。なんで? 先生はなんの例外?」
興味深げに問いを重ねる少年を、じろりと後目にかけつつも、ぞんざいな口調の答えが、横から聞こえた。
「同じよ。子供だったから」
がたんと荷台が揺れ、ころころころと長杖が転がり、おれの腰にとんと当たった。
訪問客の精神年齢を、見抜いた、ということなのだろう。
その返答に、納得しかけていたところで。
アラム少年が、同情するような優しい眼差しで、おれを見た。




