02
橋詰の路肩に停まるわれわれの横を、何台もの獣車が手を振りながら通り過ぎていく。
象擬たちの休憩はこれが最後で、走り出したら次の停車は、メイバドルだ。
遥か北の連峰から潺々と流れる小川に架かる橋は堅牢な石組みであり、雑木林のなかを抜ける煉瓦道の赤茶色が、そこだけ灰色に浮かんでいた。
憂いを後顧にひかえるセナ魔法使いのご機嫌が、少しだけよろしくなったのは、チャルが気を利かせてくれて、売り物の甘い果実を一個もらったからである。
手放しで喜ばないところが、らしいと言えたが、両手で持って一口、食べるたびに頬に笑みがひらりと咲いて、満足そうな表情をするのだった。
そんな素直な笑顔を目にしたのは、ポハンカ・セナと初めて会った、あの宵以来ではなかろうか。
世の理の真髄を知る魔法使いたちにとって、生死は、関係なかった。
生きていようが死んでいようが、相手を『存在』としてあたりまえに接する価値観を彼らはもっている。
セナ魔法使いの過去を推し量れば、男性の目を避けようとする判断は、無難である。
女性に対することも少なからずの逡巡はあったろうが、同性まで排除してしまったら、彼女は孤立し、社会性の立て直しが困難になるかもしれない。
よってこの事態は、どうしようもないことだ。
サリアタ氏は、手を出すなと指示したようだった。
樹海の魔法使いのちからを辿り、セナ魔法使いを追ってきているというこの状況は、とりもなおさず追跡者が、森から引き離されているとも言えるだろう。
氏の意図は、その点にあるのではないだろうか。
闇に落ちかけている魂を、純粋ゆえに残酷な神の化身から、遠ざけようとしているのではないか。
慈悲深いサリアタ魔法使いであれば。
事のついでかもしれないが、おれには、そう思えた。
ゾミナ夫人がご所望の銘菓を売る店を訊ねたら、アラム少年が知っていた。
案内してくれると言う。
かねがねマルセマルスカス氏をはじめ、二人の魔法使いにもなにか礼をしたいと思っていたので丁度よかった。
残る物より腹に消えてしまうほうが後始末もない。
ただ少々、値が張るそうである。
いったん停まった獣車の重い車輪を回す時、手綱を握ったのはサリアタ氏で、チャルと二人で脇から押した。
もっとも、車輪が応えたのはどう考えても、彼の膂力であったが。
暇の潰しに少年から、なにか話しをと望まれた。
そうだなあと考えて、ふと思い出したのは、いつかの日に、学生たちに語った話しだった。
おれは車に揺られながら、こんな話しをした。
メイバドルの象徴は、観光地図に明記されていたとおり、時計塔である。
多くの回遊客が目当てとする、世界的に有名な文化名所だが、地方最古のその町にはもう一つ、知る人ぞ知る、謂れがあった。
今からおよそ六百年前――先祖学者ギイ・ドナサルハーマが、われわれの文明史において初めて、二点間の太陽高度からこの星の全周長を実測した。
その際に必要な二点間の距離を測定するため、彼が率いた測量隊が基点として発ったのが、メイバドル。
終点は、現在は失われてしまっているが、南へ約一〇〇〇キロの位置にあった岩塩の村ネイセンであった。
彼が旅中に書き記した日記が残されており、当時はまだ未開であったその行路は非常な難儀を要したようだが、一行は無事に目的地へ到達、この星の円周を割り出した。
その数値は、ご先祖が残した簡単な諸元表に記載されている数値と、ほぼ同じであった。
有史以前に衛星軌道上の宇宙船から観測したと伝わる高精度の数値であり、日記によるとその確定情報はすでに承知であったようで、なおかつ信じてもいたようだ。
にも関わらず先祖学者は、おのれの足で、星の大きさを確かめたのだった。
その行動に、なんの意味があるのか。
答えは二つ見いだせる。
わかりきった事実でも、自分で動いて調べてみる。
その体験は、新たな知恵を得る扶けに、きっとなるだろう。
ドナサルハーマは、どんな思いで、星を測ることを考えたか。
どんな思いで、メイバドルを発ったのか。
わくわくしていたに違いない。
浪漫。
それだけでも、男が旅立つ理由としては、充分だ。
満面に笑みを輝かせ、少年は話しを聞いてくれた。
呆れたような苦笑いを、魔女は美貌に浮かべていた。
街道沿いに整然と並ぶ落葉樹の植え込み端に、出歩く人の姿が目につきはじめた頃だった。
不意に御者台から、フロリダス様、と声がかかった。
「左手側をご覧ください」
従って荷台から顔を出すと、北東の方角――並木の彼方に緑々と横たわる森が見え、そこから細長い影が、垂直に青空へ突き出ていた。
「見えましたか? 時計塔です」
一度は訪れてみたいと思っていた町。
おれにとっては、遠い遠い町だった。
「まもなく到着します」
高さ五十メートルの塔の頂部が、地上の障害物の彼方に見通せる距離感。
残すところ、およそ二キロ。




