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噤みの森(つぐみのもり)  作者: べにさし
夜行

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75/222

01

 緑の光りが明《あか》らめたのは、コズヒメノグサの植え込みの外にひろがる林であった。

 疎《まば》らな木間《このま》を進んでやがて柵沿いに南へ折れ、果樹園の東の裏側に当たる森のなかを歩く。

 泥濘《ぬかる》みがところどころに見られたが、足元は明瞭で、踏まぬよう気をつけていれば問題ない。

 しばらくすると柵がふつりと途切れ、吊り鐘に似た花弁も遠ざかり、敷地との境がわからなくなったところで、唐突に小道に出た。

 視界は翠《みどり》一色ながら、木々に挟まれ一人しか通れない道幅には憶えがあった。

 風呂場との行き来で通った森の細道である。

 ゆるやかな降《くだ》りのその道を、川に向かって一列になって進む。

 煌々(こうこう)と夜を照らすセナ魔法使いを先頭に、サリアタ氏が続き、最後尾はアラム少年。

 六日前と同じ場所を通っているわけだが、あのときは結界の内側で、今は外側だった。

 なんだか不思議な感覚であった。


 すぐ前を歩く氏が、かぶっている毛織帽子のだんだら模様は、間近で見るとゆがんでいた。

 伸びて形が崩れしまっているのではなく、編み込みそのものがゆがんでいるようだった。

 不慣れな手製の帽子らしい。

 その背が負う段袋《だんぶくろ》の中には、坊っちゃんが作ってくれた握り飯の弁当が入っている。

 宛まで半日。

 小休止を小刻みに、月が天頂にのぼった頃に長めの休憩をとると聞いていた。


 囂然《ごうぜん》たる流れの音が次第に大きくなって、このまま川原《かわら》へ出るのかと思いきや、その手前でセナ魔法使いは歩頭を転じ、右手側の森のなかへ――南へと小道を外れた。

 われわれは東に向かっているので、どこかで川を越えるはずだが、風呂場の近くは確かに流れが荒っぽい。

 渡河《とか》に適当なところがきっと下流にあるのだろう。

 川原を除いた両岸はどこもかしこも巨石の散らばる岩場であった。

 重々しい水音を左に聞きながら、黙々と、川沿いの森を降《くだ》ってゆく。


 この足の向く先に、まもなくおれは気がついた。

 一行は、隠れ家を頂《いただ》く小山の南側を、まっすぐに降《くだ》っているのだった。

 方向感覚に間違いがなければ、いずれ森が途切れるのは、姫様と渡ったあの渓谷――。

 あの洞窟の付近である。


 おれはまだ、そこで目にした鉄製の蒸気機関について、サリアタ氏に問うていなかった。

 疑問のなかで唯一、おれ自身にうしろめたい事実があったからだ。

 ルイメレクの過去を紐解きはじめた氏ご自身も、今のところ触れていない。

 あれは未だ、謎のままだった。


 無断詮索と器物損壊。

 どうしてだろうと、あらためて思う。

 なんでおれは、分別《ふんべつ》ある大人《おとな》らしく、好奇心を抑えることができないのだろう。

 おのれの無思慮な行為を、これまで何度、反省したかわからない。

 考えても答えが出なければ確かめるほか仕様がないと、ひらきなおって夢中になるたび、スベラルタヤに襟首をつかまれ、こっぴどく叱られたものだった。

 それでも治らなかったのだから、たぶん死んでも治るまい。


 ご先祖が、紀元の前にも後にも、蒸気機関を構築した記録はない。

 関連資料がわずかに残っているだけで、実際に造られることはなかった。

 宇宙船の放棄を決断した当時の世相を鑑《かんが》みても、機械的労働力への希求理由は見いだせない。

 洞窟の底で朽ち果てていたあの蒸気機関は、やはり、八十年前の黎明《れいめい》期に製造された初期型の遺物と思われる。

 古語解読者となってのちのルイメレクは再現実験を行っていたが、聞くかぎり内容は至極妥当なものであり、その事実とあの蒸気機関とは、おそらく直接的には関係ないだろう。

 発電機の稼働を試みていたようなので、動力源としては使っていたかもしれないが、そもそも鉄造のあの構成は、個人で扱える範囲を超えているのだった。

 例えば現在、素封家《そほうか》として知られるオルギ商会のご当主殿が私財を投じても、同仕様の蒸気機関を造るのは無理であろう。

 あれだけの量の鉄を確保するには、流通を統括的に制御する立場の主導がなければ、不可能に近い。

 それは黎明期の往時でも、変わりなかったはずである。

 つまり。


 鋼鉄製の圧力容器を備えた高性能の蒸気機関が、ホズ・レインジ山麓の大森林に存在する。

 まるごと鉄で造られた理由、配備の目的、役目を終えても貴金属の塊《かたまり》が撤去されなかった訳《わけ》。

 諸々(もろもろ)皆目不明ながら、その背後に確かに垣間見えるのは、ロヴリアンス――中央議会だった。

 現時点で、政庁と樹海の魔法使いとの明確なつながりは、鉄鎌《てつがま》の賃借契約だけだったが、先代のミラチエーゲ・ルイメレクとは、元々何者であったのか。

 その人物の住処《すみか》と、その直下の洞窟。

 距離感からして、まったくの無関係とするには不自然だった。

 魔法使いの弟子は、当事者であり、その辺りの事情について、知らないはずがない。

 しかし、蒸気機関への言及は、一切なかった。

 もしかすると、それに関しても。

 手帳の現存とその内容が、絡んでいるのかもしれなかった。

 だから、この方角は、絶好の機会ではないかと思った。

 謝罪のついでに、推理すら受けつけなかった不可解な機械の素性について、目の前が真っ暗だった。

 あれ。


「フロリダス先生。どこ行くの?」


 アラム少年の呼びかけにあわてて振り返ると、緑の光りは右手側へ少し離れた森にあった。

 その中心で足をとめたセナ魔法使いが、木々の狭間で訝《いぶか》しげな目を覗かせている。

 サリアタ氏も同様。

 どうやら、左折に気づかず一人で直進してしまったようだ。


「この近くに、根返りを起こした倒木がある。橋を架ける。川を渡って東に向かうぞ」


 おれはただちに謝って、そそくさと列に戻った。

 ここで川を渡り、東へ向かう。

 と、いうことは……。


 そういうことだった。

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