01
緑の光りが明らめたのは、コズヒメノグサの植え込みの外にひろがる林であった。
疎らな木間を進んでやがて柵沿いに南へ折れ、果樹園の東の裏側に当たる森のなかを歩く。
泥濘みがところどころに見られたが、足元は明瞭で、踏まぬよう気をつけていれば問題ない。
しばらくすると柵がふつりと途切れ、吊り鐘に似た花弁も遠ざかり、敷地との境がわからなくなったところで、唐突に小道に出た。
視界は翠一色ながら、木々に挟まれ一人しか通れない道幅には憶えがあった。
風呂場との行き来で通った森の細道である。
ゆるやかな降りのその道を、川に向かって一列になって進む。
煌々と夜を照らすセナ魔法使いを先頭に、サリアタ氏が続き、最後尾はアラム少年。
六日前と同じ場所を通っているわけだが、あのときは結界の内側で、今は外側だった。
なんだか不思議な感覚であった。
すぐ前を歩く氏が、かぶっている毛織帽子のだんだら模様は、間近で見るとゆがんでいた。
伸びて形が崩れしまっているのではなく、編み込みそのものがゆがんでいるようだった。
不慣れな手製の帽子らしい。
その背が負う段袋の中には、坊っちゃんが作ってくれた握り飯の弁当が入っている。
宛まで半日。
小休止を小刻みに、月が天頂にのぼった頃に長めの休憩をとると聞いていた。
囂然たる流れの音が次第に大きくなって、このまま川原へ出るのかと思いきや、その手前でセナ魔法使いは歩頭を転じ、右手側の森のなかへ――南へと小道を外れた。
われわれは東に向かっているので、どこかで川を越えるはずだが、風呂場の近くは確かに流れが荒っぽい。
渡河に適当なところがきっと下流にあるのだろう。
川原を除いた両岸はどこもかしこも巨石の散らばる岩場であった。
重々しい水音を左に聞きながら、黙々と、川沿いの森を降ってゆく。
この足の向く先に、まもなくおれは気がついた。
一行は、隠れ家を頂く小山の南側を、まっすぐに降っているのだった。
方向感覚に間違いがなければ、いずれ森が途切れるのは、姫様と渡ったあの渓谷――。
あの洞窟の付近である。
おれはまだ、そこで目にした鉄製の蒸気機関について、サリアタ氏に問うていなかった。
疑問のなかで唯一、おれ自身にうしろめたい事実があったからだ。
ルイメレクの過去を紐解きはじめた氏ご自身も、今のところ触れていない。
あれは未だ、謎のままだった。
無断詮索と器物損壊。
どうしてだろうと、あらためて思う。
なんでおれは、分別ある大人らしく、好奇心を抑えることができないのだろう。
おのれの無思慮な行為を、これまで何度、反省したかわからない。
考えても答えが出なければ確かめるほか仕様がないと、ひらきなおって夢中になるたび、スベラルタヤに襟首をつかまれ、こっぴどく叱られたものだった。
それでも治らなかったのだから、たぶん死んでも治るまい。
ご先祖が、紀元の前にも後にも、蒸気機関を構築した記録はない。
関連資料がわずかに残っているだけで、実際に造られることはなかった。
宇宙船の放棄を決断した当時の世相を鑑みても、機械的労働力への希求理由は見いだせない。
洞窟の底で朽ち果てていたあの蒸気機関は、やはり、八十年前の黎明期に製造された初期型の遺物と思われる。
古語解読者となってのちのルイメレクは再現実験を行っていたが、聞くかぎり内容は至極妥当なものであり、その事実とあの蒸気機関とは、おそらく直接的には関係ないだろう。
発電機の稼働を試みていたようなので、動力源としては使っていたかもしれないが、そもそも鉄造のあの構成は、個人で扱える範囲を超えているのだった。
例えば現在、素封家として知られるオルギ商会のご当主殿が私財を投じても、同仕様の蒸気機関を造るのは無理であろう。
あれだけの量の鉄を確保するには、流通を統括的に制御する立場の主導がなければ、不可能に近い。
それは黎明期の往時でも、変わりなかったはずである。
つまり。
鋼鉄製の圧力容器を備えた高性能の蒸気機関が、ホズ・レインジ山麓の大森林に存在する。
まるごと鉄で造られた理由、配備の目的、役目を終えても貴金属の塊が撤去されなかった訳。
諸々皆目不明ながら、その背後に確かに垣間見えるのは、ロヴリアンス――中央議会だった。
現時点で、政庁と樹海の魔法使いとの明確なつながりは、鉄鎌の賃借契約だけだったが、先代のミラチエーゲ・ルイメレクとは、元々何者であったのか。
その人物の住処と、その直下の洞窟。
距離感からして、まったくの無関係とするには不自然だった。
魔法使いの弟子は、当事者であり、その辺りの事情について、知らないはずがない。
しかし、蒸気機関への言及は、一切なかった。
もしかすると、それに関しても。
手帳の現存とその内容が、絡んでいるのかもしれなかった。
だから、この方角は、絶好の機会ではないかと思った。
謝罪のついでに、推理すら受けつけなかった不可解な機械の素性について、目の前が真っ暗だった。
あれ。
「フロリダス先生。どこ行くの?」
アラム少年の呼びかけにあわてて振り返ると、緑の光りは右手側へ少し離れた森にあった。
その中心で足をとめたセナ魔法使いが、木々の狭間で訝しげな目を覗かせている。
サリアタ氏も同様。
どうやら、左折に気づかず一人で直進してしまったようだ。
「この近くに、根返りを起こした倒木がある。橋を架ける。川を渡って東に向かうぞ」
おれはただちに謝って、そそくさと列に戻った。
ここで川を渡り、東へ向かう。
と、いうことは……。
そういうことだった。




