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噤みの森(つぐみのもり)  作者: べにさし
その夜空に架かる月

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49/216

03

「アポニ・ドレスンなる人物」


 やがて口をひらいた。


「わしは存じあげぬ。ルイメレク本人も、知らぬはずだ」


 やはり――。

 先生とルイメレクとは、面識がない。

 ならば、どうして先生は。


「だが、ドレスンという名字には、心当たりが。少しばかり見知った男の名字と、同じなのだ。ただ、百年ちかくも前のことでな。一つどうかね?」


 卓上に残る一個の卵を指し示した。

 空腹ではあったが、遠慮した。


「名字は、しかと憶えておったのだが、名前がな。あの男の名前はなんだったか、思い出せん。完全に失念してしまった。しかし、同じドレスンの姓と、ルイメレクの名を知っていた事実からして、間違いなかろう。おまえさんの恩師であるアポニ氏は、わしの知るドレスンの血縁者だ。年齢や状況を考えると、息子だな」


 ルイメレクと面識があったのは、先生の――お父上様?


「なんぞ聞いてはおらんかね。自身の父親のことを。職業など」


 ただちに記憶をめぐらせたが、そのような会話をした覚えはなかった。


「いえ。お父上様のことまでは、なにも」


「そうか。そのドレスンもな、やつは魔法使いではないのだが、わしら師弟と一緒に、しばらくここで寝起きしていたことがあるのだよ。あの男が森を去って、以後の消息は、まったく知らんかったが、どうやらラステゴマへ行ったようだな。そこでおそらく結婚し、子をもうけた。その一人の(せがれ)が、のちに学者となり、おまえさんの師となった。大方そんなところだろう。アポニ氏は、父親から聞いたのだ。ドレスンも、わが子にだけは話したか」


 沁々(しみじみ)とそう言って、サリアタ氏は口を閉じた。

 先生が亡くなられたあと、残されたお言葉の深意を知るために、ご昵懇(じっこん)であった方々に過去を訊ねてまわったが、樹海につながる情報は得られなかった。

 おれは、調査対象を間違えていた。

 当たるべきは先生ご本人の過去ではなく、先生のお父上様の過去であったか。

 しかし。

 先生のお父上様が、当地に滞在していた?

 どういうことなのか。


 ふたたび口が(ひら)くのを、おれは待ったが、ひび割れた茹卵(ゆでたまご)の殻を腐心に剥きはじめていて、言葉は続かなかった。

 話しはどうやら、それで仕舞いのようだった。

 詳細を確かめようとしたが、先に声が掛かった。


「支度が終わったな。フロリダス殿。今日は、もう休みなさい。とりあえずでも、負った重荷は、おろせたはずだ」


 言われてなお、問いを重ねるのは気が引けた。

 彼方の暗中に(とも)(あか)りが、ちらちらと(またた)いた。


「あ、そうそう。畠のなかに襤褸屋(ぼろや)が建っとるだろ。あれが便所だ。そのそばにな、肥壺(こえつぼ)があるから、踏み抜かぬよう気をつけてな。(くそ)まみれのまま川まで歩く羽目(はめ)になるぞ。遠くはないが、結構つらいぞ」


「――気をつけます」


 就寝の挨拶をし、おれはサリアタ氏の居宅を辞した。




 あてがわれた西の家屋に通じる(みち)は、ここまで拾った畠の北東側の沿道のほかにもう一本、便所と言われた掘っ立て小屋と鶏たちの(とや)の前を通過する畦道(あぜみち)があった。

 緑の光りは植え込みから消えていたが、ついでに用を足そうと思い、畦道に入った。


 角灯を捧げながら、畠の夜の狭間を歩く。


 よもや先生のお父上様が、百年前。

 この場所に、滞在していたとは。


 おそらくはその顛末が、ルイメレクの名を先生に、賢者と言わしめた。


 だが、そうであったとしても、なぜだろう。

 偉大なる先祖学者が、その人生の幕引きを前にして。

 お父上様から聞いた昔話を、思い出したのは。

 それを教え子のおれにだけ、伝えたのは。


 (けぶ)るような星空を見あげた。


 今はまだ、(おぼろ)げな糸ではあったが。

 先生と、樹海の魔法使いと、おれ自身とを。

 微かながらに結んでいるのは。


 地球――。


 宵の風に、外套(がいとう)の頭巾をかぶった。

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