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03

 湯上がりの村屋むらやには、すでに明かりがともっていた。

 暮れはじめた日の陰りを早々、坐卓から遠ざけていた。

 寝間着に着替えたサリアタ様とおれとが並んで坐り、同じく寝間着姿の対面へ語る、午後に起こった一部始終。

 蝋缶ろうかんの火に照り映え紫()かって見える黒髪を背に流したポハンカ・セナが、丁寧に手櫛てぐしを入れている洗い髪は、ゾミナ様の長い白髪はくはつだった。


「憶えてるわ。カユあなた、何日か寝込んだわよね」


「ああ。精根尽き果てるなんてざまは、あんときだけだわ」


 坐卓の横でアラマルグとメソルデが遊戯札トランプに興じている。

 歳近い二人はすっかり打ち解けていた。


「でも寝込んだ甲斐かいあったじゃないの。その経験がなかったら、魔法陣がきもだなんて思いつかなかったでしょうよ」


「まあな。お陰でご先祖様が描いた絵、全体像が見えてきたからのう。ほんとこの世には、無駄なことなんていっこもねえんだな。そんときは無駄に思えてもよ。バレストランド、今おまえの老師が大事なこと言ったぞ。憶えておきなさい」


「……え? ぜんぜん聞いてなかった。もっかい言って」


「そんときは無駄に思えても」


「なら先生」


 ゾミナ様が言う。


「ビルヴァの由緒のお話し。内容、変わってくるのかしら」


「そうですね。わたしのその仮説は異端者たちの潜伏拠点が、地下に築かれたことを前提としています。魔法陣による隠蔽が事実となった場合、前提の崩れる可能性が」


「地球国は地上にあるかもしれないと」


「はい。サリアタ様その点いかがですか」


「そこは正直わしにもわからん」


 少年の手札を覗き込んでいた顔が振り向く。


「見立てどおりなら張り手は神様。なんでも有りよ」


 うむと唸り、両腕を組んだ。


「ただ、実際に張り切った経験からかろうじて推し量れんのは、効果そのものは普通の結界とおんなじだったってとこ。魔法陣つっても空間は内も外も変わんない。わしが使う結界とおんなじで、気づく気づかないの話しだった。息抜きを暴く鍵になりそうだと考えたんは、そこんとこでね。そこんところが、ご眷属様の魔法陣にも通用するとしたらばよ。引っかかるんが内陣うちじんの規模。ちと、でかいんだよね」


 内陣うちじん――結界包囲線の内側すなわち地球国の領土。


「なるほど。確かに総面積、三百平方キロ近くありました」


「その規模の土地にだよ。末代まつだいまで隠し切るつもりの大風呂敷をひろげることを考えっと、千年前の当時ここが、なんもない辺境だったとしてもよ。地下に巨大洞窟がひろがっとれば、無難にそっちを使うじゃねえかなあ、とは思う」


「あなたは地下と見込んでるのね」


「そう思うけれども。わかりません。どっちもあり得る」


 そこでセナ魔法使いが、ゾミナ様の背後から。


「地上にあって当然なのは出入り口よね」


 ちらと顔を覗かせ、そう言った。


 ……鍵穴。

 隣のサリアタ様と頷き合う。

 おれが応えた。


「ええ。そこは期待できます」


「書庫も籠堂こもりどうも地上にあっからな」


「行き来していたことが窺えますよね。とくに籠堂こもりどう


「鍵穴も、なんかしら体裁ていさいを整えた建造物のような気がするよ。そんで上手に隠されとるはず。同じ要領だったら地中に埋まってっかもな。そいつを探り当てられるかどうか」


「わたしも一緒に探しに行くわ。里の近くなのよね」


「あ、ぼくもっ。ぼくも行くっ」


「おまえはだめだ。完全に縄張りん中だから留守番」


「えええっ喧嘩しないよっ。大丈夫っ」


「おまえは大丈夫でも猫どもが大丈夫じゃない」


 湿った白髪はくはつにご自身で手ぬぐいを当てながら。


「もし地球国が地上にあったら……そうよねえ。山麓の地崩れは、こことは関係ないかもしれないわけだものね」


 現在のビルヴァの村が、この土地にひらかれた経緯。

 パガン台地の東の果てへ、命からがら辿り着いた生存者たちの足跡の元は……地球文明の国家組織。

 おれは坐卓の傍らへ目をやった。

 楽しげに遊戯札トランプで遊ぶメソルデ・クランチがそこに居た。

 ……思い出す。


つどいし亡者もうじゃたち。かつての祭神さいじんの風に触れ、目覚めましたか。死してなお争い合う、悲しき魂たち。あわれなり)


(気づきなさい。争いは、とうに終わっているのです。恨みつらみにしがみつくのはおやめなさい。あなた方の居るべき場所は、ここではありません。風に乗ってあがりなさい)


(違います。国家元首ではありません。それは誤解なのです。あなた方の地球国は、もうないのですよ)


 ゾミナ様に向き直った。


「ビルヴァの発祥につきましても、その経緯、差し替わる可能性があります。潜伏拠点が仮に地下にあったとしても、放棄された原因は地盤沈下ではない筋道が、わたしの守護様の発言から浮上したんです。その筋道とは……戦争です」


 湖のようなあおい瞳がわずかに細まった。

 サリアタ様が膝を叩いた。


「そうそう、言うてなあ。メソルデにいたときな」


 おれは頷いた。


「かつて地球国の領内で、武力衝突が発生したようなんです。旧墓地に現れた謎の霊団は、その戦没者たちと解釈できる内容でした。守護様のあの発言」


 言いながら横へ顔を向ける。


「それ以外の意味には読み取れませんよね」


「読み取れんなあ。あの言い振りからすっと、おのれの死に気づいとらんもんがたくさんおったようだ。そうなっちまうような激しい殺し合いを、生前やらかしたってこったろう」


「なんだか物騒な話しになってきたわね」


「その武力衝突が、地球国の瓦解がかい原因なのかどうか、ビルヴァの発祥につながるかどうかはわからないのですが、異端者たちの潜伏拠点が現在は放棄されているとみた点。そこに符合する事案として、看過できない情報なんです」


「村のおこりは天災じゃなく人災だったかもしれないわけね」


 そう応えた背後で、セナ魔法使いが黒髪を傾けた。


「それっていつ起こったの?」


「わかりません。ただ、わたしの守護様はビルヴァの歴史に関しては一切、情報を持ってない様子でした。その点を考慮しますと、ここが成立する以前の出来事。そう見込めます」


「われらがご先祖様はよう、地球でおっぱじまった戦争から逃れるために、この星へ引っ越して来たんじゃねえんかい」


 顔をしかめた。


「その星で、今度は自分らが戦争をおっぱじめたってか」


「はい」


 不意にゾミナ様……の後ろのひとが手を挙げた。

 サリアタ様が指差す。


「そこの魔女さん」


「わたし今、ぴんときちゃったんだけど」


 黒髪をふたたび傾かせ、そんなことを言う。


「なによ。なにがぴんときちゃったの」


 振り返った老魔女の肩越しに、おれを見た。


「あなたの御陰おかげ様がお爺ちゃんに言ってたこと。旧墓地に出たお化けの団体様は、悪気はないけど、マテワト・フロリダスの魂を欲しがってるって。勘違いしてるって」


「ああ、それな。連中どうも先生のこと自分らの頭領だと思い込んじまったみてえだな。なんでかは知らんが」


「確かに。そこも謎ですよね。なぜ、わたしを国家元首と」


 見返した魔女のその表情。

 あごをわずかに上げ、つんと澄まして微笑を湛えている。

 それは彼女が時おり見せる、会心の表情だった。


「わたし、わかっちゃったんだあ、その理由」


 ポハンカ・セナの発言は傾聴に値する。

 賢者ルイメレクが御神体と断じ神聖視されていた先史遺物の手鏡を、女の普段使いの小間物と判じ、持ち主がいたはずと訴えていた彼女の勘こそが正解だったのだ。

 思わず身を乗り出した。


「フロリダス先生の魂が、地球国を作った人の魂だからよ」


 それは無い。


「オキナツ・サワダ殿の正体は、ビルヴァレスだと?」


「だから団体様になっちゃったのよ。おれたちのビルヴァレスがやってきたぞ、みんな集まれって。きっとそう」


「待て待てポハンカ。連中がいつの時代のもんかわからん」


「じゃあ先生を頭領だって勘違いしたのはどうしてよ」


「そこんところがわからんって話しだろ」


 ゾミナ様が背後を返り見た。


「言われてみれば先生の過去生が生きてた時代は、ビルヴァレスが生きた時代と重なってるわよね」


 沢田沖夏の存命年代は倉持さおりとの生前の親交から、紀元前であることはもはや疑いなかった。

 そしてビルヴァレスの存命年代も同じく紀元前が濃厚であり、それは籠堂こもりどうに安置されたウニク所有の手鏡が放棄前の宇宙船から持ち出された事実によって、ほぼ確実。

 両者が同時代人なのは間違いないと、おれも思うが。


「そうなのよ。地球国を作った人なんだから、最初にその世界のいちばん偉い椅子に座るのは自然じゃなくて?」


 不確定の情報がいくつも置きどころなく漂っている現段階では、情報の組み合わせの不自然さに気づきにくい。

 縦のつながりは合致しても横のつながりが一致しないなど、そうした整合性への注意をおれ自身、怠っていないつもりだが、それでも気づいていない矛盾点がこれまでにした推理のなかにひそんでいたとしてもおかしくはなかった。

 しかし、セナ魔法使いのその推理に関しては。


「オキナツ・サワダと書いて、ビルヴァレスって読むのよ」


 それ……まだ諦めてなかったんだ。

 ふと視線を感じ、坐卓の脇へ顔を向けると、遊戯札トランプ遊びの手をとめてこちらを見ていたメソルデと目が合った。

 なにやら驚いている心情が窺えるのはおそらくその同一人物説が事実だったらビルヴァレスはウニクの父親と推定されることから過去生においておれとメソルデが、親子になってしまうからだろう。

 わたしのお父さん? みたいな顔しないでおくれ。

 十中八九、違うから。


「お待ちください。現時点では、セナ様のそのお見立て、わたしには判断できません。論理的に判断可能な情報が一つもないので、肯定も否定もできない。ただし、それを事実とした場合、不自然になる点が、一つあります」


「どこがよう。どう不自然なのよう」


 魔女が唇を尖らせる。


おっしゃるとおり、初代の国家元首に建国者が就くことは自然な流れだとわたしも思います。ビルヴァレスは、地球国の第一代大頭領(だいとうりょう)だった可能性が高いでしょう。だからこそ、その初代元首の存在と、戦没者の出現とが、噛み合いません」


 反体制側の独立は周到な準備のもとに行われている。

 議会の復古主義的な思想に真っ向から反対し、一国をちあげたその指導者が、みずからかかげた地球文明の旗を、むざむざ戦火で燃やすとは考えにくい。


「旧墓地に彷徨さまよい出た霊団の素性とは無関係であると信じたい。彼の目が黒いうちは断固、暴力は許されなかったと。地球国における武力行使は、絶対的な指導者が失われてのちに妥当となる事案のように思えます」


「うむ。揉め事が起こるとしたらビルヴァレスの死後よな」


「それも彼の存在感が、遠い過去となった時代。建国者の名前は伝説として語り継がれていても、理念は書物の中でしか語られなくなった時代。そこに至って初めて、地球文明の旗が、人間のさがを顕在化させた可能性が、無理のない、自然な流れとして考慮される気がします」


「そう考えっと、霊どもの勘違いを根拠にすんのは弱いな」


「彼が成し遂げた事績からすれば、初代元首の任期は終身だった可能性が高いです。そしてその第一代大頭領(だいとうりょう)とオキナツ・サワダは同時代人が濃厚。両者の死亡時期も、そう離れてはいないはずです」


 ゾミナ様が振り返る。


「ポハンカ。残念だけど先生はビルヴァレスじゃなさそう」


「……つまんない」


 ふくれっつらで隠れた背後に向かって言う。


「セナ様のご指摘もっともです。あの場で奇妙な誤解があったのは事実。なぜ彼らは、わたしを国家元首と決めつけたのか。そこは今後あきらかにできればと留意しております」


「あとでこの子と遊戯札トランプで遊んであげて先生。言ったら構ってほしいだけなのよ。理屈なんかどうでもいいの」


「違いますけど?」


「まあ、いずれにしてもよ」


 サリアタ様がくすくす笑いながら。


「地球国の行く末をおびやかしちまうような、派手な内輪揉めをやらかしたってところは、間違いなかろ」


「いったいなにがあったのかしらね」


 さてなあ、と夫人に応え、おれの肩をかるくつかんだ。


「そこらの真相も、目ん玉で確かめることになりそうだな」


 夕食までの黄昏時たそがれどき

 窓から射し込む斜陽の光りが、ひろびろとした板間いたのまの中央を明々(あかあか)と染めあげていた。

 長い白髪はくはつをくるむ木綿と、手伝う背後の細い指。

 少年少女の笑い声の傍らで、茶碗を傾け、すす静音しずおと

 紛れもないその時代ときひたりながら、おれは口をひらいた。


「地球人たちが抱え込んだ負の連鎖を、移住先のこの星で断ち切ろうとしたご先祖が、クライレ・ユゲ・モンデス」


 皆こちらを見た。


「その人物は千年前、実験的な施策を敢行しました。地球においては不可逆である文明水準を、この星にて巻き戻したのです。多くの移住者たちが平和を志向する戦災難民であったことが、それを可能にしたとわれています。そして彼が設計したその社会では、千年後の現在に至るまで、戦争と呼ばれるほどの大きな争いは起こっておりません。その意味では、モンデス卿の決断は正しかったと言えるでしょう」


 サリアタ様が苦笑した。


「争いの火種を残したビルヴァレスは、間違いかね?」


「いいえ。見極めるだけの価値がありますから」


 即答するとゾミナ様が。


「間違いかどうかを?」


「と言いますか。争いの火種になりるかどうかをです」


 メソルデが背筋を伸ばし、おれの話しを聞いていた。

 空気を読んでかアラマルグも、ふだのうごきを止めていた。


「ビルヴァのご先祖様が残された書物群は、地球人であるモンデス卿の目には、忌避すべき知識と映ったもののようです。しかし、この星で生まれ育ったわたしの目には、違うなにかが見えるかもしれない。それを見極めてみたいのです。皮肉にも、卿ご自身、こんな言葉を公文書館に残されてます。……そこに生まれ、そこで見る者を、わたしは信じる」


「わたしも信じる」


 ゾミナ様が、にっこり微笑んだ。


「書庫のことは、もう先生に丸投げです。煮るなり焼くなり、どうぞご随意ずいいになさってください。いかなるご判断であろうと、わたくしどもビルヴァは従うことをお約束します」




 ポトス湖でれた魚のすり身に生姜を混ぜた魚肉団子が、とりわけ美味であった。

 それは煮込みと焼きとで供され、夕餉ゆうげの坐卓に並べられた大皿小皿の主菜にふさわしく、うまい旨いと言いながら丸ごと口に放り込むサリアタ様とアラマルグ……ポハンカ・セナも、手元で小さく切りわけつつ何度も舌にのせていた。


 こたびの滞在では、これが最後となる晩餐だった。

 献立と調理を仕切ったのは村長のナグジャーイ・クランチ氏であり、自身も囲んだ食卓にとても満足げ、次男坊のチャルもゾミナ様に呼ばれてやってきて、給仕に入ったメソルデもお師匠様の指示で途中から座に加わっていた。

 長老も呼ばれたのだったが声がけしたチャルいわく、すでに寝床が敷かれてあったとのことである。

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