01
村屋の裏庭の枝折戸を、サリアタ様が開け放った。
戸の軸は、かいづる竹垣の端と、紐で結ばれていた。
(案ずるな。今やおまえはあれに気づいた。現に醒めても、まるで見えるであろう。あの門。あれが一つなる間道だ)
あとに続いて通過する。
(よいか。あれを通って進むのだ。よいな?)
後ろ手に戸を閉めた。
これはもう間違いないと思った。
倉持さおりの指差しから始まったこの一件。
あのとき彼女が暗示したのは魔法陣の間道に違いない。
新解釈に基づいて、今後の段取りを詰め直そうと揃って近づく裏戸は閉め切ってあり、その手前の縁側に……見憶えのある柄杓が一本、置かれてあった。
察し、庭の陽当たりの隅へ目を向ける。
そこでぽつんとたたずむ石造りの小さな切妻屋根は、竹垣の向こう側に立つ喬木の枝が刈り取られ、よく見えた。
「ああ、そうだ先生。やっぱり婆さん言わなんだわ」
おれは祠へ歩み寄った。
「例の、禁じ手の出どころさ。捏ね繰りまわした団子のこと、さっき問い詰めたんだがよ。知らぬ存ぜぬの一点張り」
「そうですか」
応えて屈み、三十センチほどの間口の奥に雑然と並ぶ空の茶碗の中から、白塗り茶碗を選び取り、立ちあがる。
「それでもです。情報源である疑いは、かなり濃くなりましたよね。昨晩、セナ魔法使いが言っていたとおり」
「まあな。なんつったって神様だからのう」
言いながら縁側に腰をかけ、おれに柄杓を手渡した。
「しかもオズカラガスの婆さんってさ、地縛霊なんだよな。心残りでこの土地に縛られてんの。団子の作り方を学んだんが死後だったら、行動範囲が限られるなかでの、あの代物ってことになるんよな。入れ知恵って筋が、妥当だろうね」
並々注いだ白塗り茶碗を祠に上げて戻った村屋は、広間の地図とにらめっこする老魔法使いの姿のみであった。
戻る途中でチャルと会い、さっき炊事場に来たメソルデに風呂の沸き具合を伝えたと聞いたので、そろそろ皆こっちに来るはずですと言って、向かいの板間に腰をおろした。
「ああそう。じゃあ、バレストランドが来たら、行くか」
われわれの目標は、魔法陣の息抜きと推測された鍵穴。
正三角形の頂点その南北二か所に定まった。
(北) (東)
パガン台地の南西平原の一点
コガヤシ牧場
書庫――推定二十六キロ――籠堂
サリアタ様の祈祷場
里から約十キロ北上の山麓の一点
(西) (南)
北側の正三角形が示す鍵穴の候補地点は、村から北北東へ六十キロほど離れたパガン台地の平野部の一画。
南側の候補地点は、村から北西へ三十キロほど離れた山麓南東部の森林地帯の一画だった。
「今さ、ちと試しに眼を飛ばしてみたんだが。着眼点の絞り込みが、いかに大事かを思い知っただけでした」
その二か所の鍵穴候補を、里に帰って千里眼にて遠視、座標を精査したのち、実際に現地へ赴く流れ。
そこのところは、これまでと変わりなかったが。
「わしらの見立てが当たりならよ。ウニクに託されたお役目は、サオリ・クラモチのお役目を助けるために、底無し同然のちからを借りることって解釈になるわけよな」
「そうなりますね。サオリ・クラモチが守る母神の御神体が禁足地に存在するならば、そこに魔法陣を展開する必然性が見いだせますし、その展開にご眷属様のおちからが必須となれば、無尽蔵の動力源と通じる旧墓地の籠堂は、魔法陣を稼動させるための機関室と見なせます」
「龍の落とし子が任されたお役目、めちゃくちゃ重大よな」
「守護様のお話しによりますとウニク・ビルヴァレスは、巫女としての役目を果たすために産まれたとのこと。その役目にふさわしいちからを偶々、持って生まれてきたわけではないようです。ウニクの誕生には作為が窺えます。計画的です。やもすれば、サオリ・クラモチも」
「確かにな。いかにも。つうことはご先祖様は、魔法陣の張り切りを、はなから考えとったってことか」
「可能性は高そうです。ウニクの出生は、地球だそうですから。異端者たちとモンデス卿との思想対立は、地球上から引きずってきたことだったのかもしれません」
「故郷の水面下で、すでにうごいておったんか」
「仮に、それを事実とすると。当地に及んだ異端者たちの目的。捉え方が、ちょっと変わってきますよね」
そう言うと、目線がもちあがり。
「……地球国か」
おれは頷いた。
「例えば、モンデス卿が断行した地球史の改竄は、きっかけに過ぎなかった。公文書館から除かれた禁書を異端者たちが復元したことは、副次的な行動だった。遥々ネルテサスへ足を運んだ彼らの真の目的は、独立国家の建国だった」
「本を拵えることと、国を拵えること。どっちが重いか。ふふん。考えるまでもないわな」
「ただ、そう仮定した場合、反体制だった異端者たちの隠密行動に関してのもともとの疑問が、より深まります。彼らが、どんな策を講じてロヴリアンスを離脱したのか。その点は知る由もないので保留してましたが、独立国家を建てるとなると、相応の人数がうごいたことが予想されます。その人口変動に体制側が気づかないはずがありません。気づいたようなうごきもない。より不自然になるんです」
「そこんとこはさ、わしが思うに……ちょっとずつ移動してったんじゃないかねえ。一時にうごいたらばれちまうから、年数をかけてさ。ちょっとずつ、ちょっとずつ居なくなってけば、誤魔化しようがあったんじゃねえかな。それを繰り返てりゃ始まりは少人数でも、いずれ大所帯になるっしょ」
「ええ。一つの方法です」
「モンデス卿とやらの御仁の強硬手段が、水面下のその計画を、実行に移す決定打となった気がするね。地球の歴史をいじくるたぁ、ふざけんな、もう付き合ってらんねえってよ」
「その辺りの心境が手帳に綴られてありました」
おれは立ちあがり、坐卓へ。
卓の下から背嚢を引っ張り出し、木箱を取って戻る。
坐り木箱の蓋を開け、ご先祖の手帳をひらいた。
『■が、作業が■■うち、自分のしているこ■に疑問をいだく者が■■なった。当然で■■』
『■文書館のうそ。■■■■のうそ。くそったれ■』
『どうし■も納得できない。■■■■の決断■過去と未来に対する冒涜■■る』
その三つの記述を、公用語に訳しながら音読した。
「うむ。やっぱりビルヴァのご先祖様……ぶちぎれとるな」
「それでも葛藤はあったようです」
判読可能な最後の頁をひらく。
『どちらが正しい? 私か? ■ン■スか?』
その時ぱっと閃いたのは林道の奥での不思議な体験。
(おまえは子孫を信じられないのか)
オキナツ・サワダ邸の円卓で交わされた会話だった。
(信じてないのはあんたのほうだろう、子孫にだって自分の生きる世界を選ぶ権利はあるんだぜ。すべては愛する者を守るためだ。おれも同じだよ、帰らせてもらう。勝手にしろ、だがビルヴァレス、わたしの子供たちがようやく眠りに就いたところだ、寝た子は起こすな、静かに帰れ)
どちらが正しい? 私か? モンデスか?
「サリアタ様。あるいは、こうも考えられませんか。モンデス卿のほうこそが、強い葛藤をかかえていた。宇宙船の放棄、公文書館の改竄、本当に正しい判断なのかどうか。だけれども先史時代の価値観を排除しなければ、自身が推し進める原始社会の構想は片手落ちになる。それがために、反体制側の暗躍を……黙認した」
「黙認?」
「異端者たちの独立は、地球文明の保存を意味するからです。議会の決断の担保になるからです」
「ロヴリアンスのお偉いさんは地球国を知っておったと?」
「そう考えたなら、人口変動の不自然は、どうとでもなります。彼らの目的は確かに極秘事項だった。但し、それは議会の主幹勢力に対してではなく、モンデス卿が敷いた原始社会の住人に対してだった。そんな解釈です。どう思います?」
「わしが唱えたちょっとずつ移動説よりも、有力だと思う」
「いや、民衆が相手であればそのやり方も有効でしょう」
細部は依然、不明ながら、大筋としての脈絡は通る。
(だがビルヴァレス、わたしの子供たちがようやく眠りに就いたところだ、寝た子は起こすな、静かに帰れ)
クライレ・ユゲ・モンデスは承知していた可能性。
自身が眠らせた価値観が、この星で息づいていることを。
地球文明の引き継がれた世界が僻地に存在することを。




