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噤みの森(つぐみのもり)  作者: べにさし
古老の見解
195/205

07

 初めて聞く言葉であった。

 村道そんどうの端の泥濘ぬかるみに描かれた天井絵。

 傍らにおれはかがみ込んだ。


「……なんですか、それ」


「簡単に言うとね。でっかい結界のこと」


 応え、眼下を見つめる。


「一個の結界を、一個の支柱として扱うの。そいつを複数おっ立てると、単体の結界よりも守備範囲の広い大結界ができあがる。なんもかもが桁外けたはずれな包囲結界。誰が呼んだか、それが魔法陣。老シタヒンゼいわくね」


 意強いづよい眼差しがこちらを向いた。


「さっき先生が言ったご眷属様を絡めた構造体ってやつ。それで、ぴんときた。龍神様のおちからえが見込めるなら、理論上の魔法陣も、この規模で張り切れるはず」


「理論上?」


「規模が問題なんよ。要は支柱と支柱との間隔ね」


 正三角形の二つの頂点を指し示す。


「その間隔に応じた結界を張り切るちからと、それらを維持するちからには当然、限界があるからさ。そこんとこは単体の結界を張る場合でも同じだから、すじはわかるんだが魔法陣の場合だと、どういうわけだか間隔が離れれば離れるほど、一個の支柱にかかる負荷が倍々に大きくなってくんよ。ちからの消耗が異常なくらい増えてくの。中間の距離に支柱を置いてもそこは変わんない。余計な手間が増えるだけでね」


 説明が主体的だった。


「実際に作られたことがあるんですか?」


「ある。老が、お元気だった頃にね。話しの流れは忘れちまったが魔法陣ってもんを初めて聞いてさ。その構築は理論上の話しだっつうから理由を訊ねたら、自分でやってみろって言われたの。サリアタほどのちから持ちなら張れるだろう、張れば理由がわかるだろうってそそのかされたんよ」


 くすくすと苦笑い。


「じゃあいっちょやってみますかと。魔法陣の柱立はしらだての作法を教わって、里に帰って張ってみたわけ。いちばんでっかく張り切ったんが一辺せいぜい五十メートルかそこら……で、やめた。正直に言えば、ぶっ倒れました。理由は、いま説明したとおり。五十メートルでそのざまだからそれ以上は推して知るべし。こりゃだめだって思ったね。そもそもその程度の寸法なら単体の結界で間に合う。魔法陣は老がおっしゃったように、現実には使えねえってことがわかった」


「なるほど……」


 サリアタ様ですら無理と断じた莫大なちからの消費量。


「……幾何きか級数きゅうすう的に増求ぞうきゅうされる労働力をまかなえさえすれば」


「そういうこと。例えばそのまかないを、龍の神通力で」


 ご眷属様をかなめとする構造体。


「それが望めるなら理論上の魔法陣もこの天下に出現する」


 おれは地面を見おろした。

 新解釈だった。

 大門主神オオカドヌシノカミ様がお示しくださったこの天井絵。

 禁足地の在処ありかをあらわす配置図……と言うより、禁足地を封印している魔法陣の構成図。

 籠堂こもりどうと書庫と鍵穴の三か所は、正三角形の頂点にて結界の包囲線を結ぶ位置取りすなわち、ビルヴァに伝わる三つの秘密は、魔法陣を形成する支柱でもあるとの解釈だった。


 ホズ・レインジ南麓一帯に展開された――大結界。


 ぶわっと満身が総毛立った。

 肌のこの粟立ちが、なにを意味するか。

 サリアタ様の経験値が導き出したその目算。


「正答のお見積りは」


「そうだねえ。八割ってとこかな」


「かなり高いですね」


「引っかかることがあんのよ」


 おれを見た。


「猫どもの言い伝えだ。舞台は書庫の真ん前なおかつ滝壺のぬしは龍。真偽はさておき、そのものずばりよな。それと、もういっこ。昨日ちょっと話したと思うが、ご先祖の書庫ね。発見した当時から、結界が張れんのよ。張ってもしばらくすっと崩れっちまうんだ。原因はいまだにわかっとらん。もとよりそこは地球人たちの遺物だし。土地との相性なんかもあるんかなあ、と片づけておったんだが。こうなってくるとさ」


「確かに。重なりますね。その疑惑を足しての八割ですか」


 老魔法使いは頷いた。

 そうして枝先で、正三角形の頂点の一つをくるっと囲み。


「あとの二割が、どっちに転ぶか」


「鍵穴? それが浮動の二割?」


「うむ。昼前に車んなかで先生が、鍵穴の本義について言っておったような……オオカドヌシノカミ様が締めた固結びのほころびともなりかねん……ことなんだけどね。その如何いかんで、魔法陣との見立ては限りなく十割に近づく」


「確定ですか。どういうことです?」


「結界ってのはさ。魂をさえぎる効果があるんよな」


 頂点から頂点へ辺線を引きながら。


「古今東西そこは、おんなじ。死んどるお化けは無論のこと、生きとるもんでも、身体は抜けても魂がはじかれっから、通れんの。その効果は外からだけでなく内からも働くんで、完全に閉めきっちまうと、場合によっちゃあ支障が出るわけよ。その良い例も、里の結界でね。わしらがそこを自由に出入りできるんは、そのための穴っぽこを、こっそりけてあるから。息抜きってわしは呼んでおるんだが」


 里の北端に立つ柵にもうけられていた簡素な枝折戸しおりど

 おれは目を見張った。


「鍵穴とは……結界の息抜きのこと?」


「どことなく通じないか。言葉の意味合い。あとの二割がそっちに転べば、もう間違いないんだわ」


 魔法陣の目的を、先ほどサリアタ様は地球国を隠蔽するためと言われたが、厳密にはその推理に至った過程を考慮しての表現は、倉持さおりの役目のため。


「おっ、可愛いねえ。お孫さんかい?」


 ご眷属様の存在が魔法陣を構成する要点ならば、その対象は禁足地が適当であり、そしてウニク・ビルヴァレスがご眷属様と密接に関わっていたならば、倉持さおりが担った役目は禁足地とつながっているとの仮定が成り立つ。


「風呂がもうすぐ沸きますから。お使いになってください」


 三才くらいの女児をおぶった老婦人が辞儀をする。

 背をあやしながら離れていく。

 日盛ひざかりの太陽が、まぶしかった。


「新解釈でも禁足地と鍵穴は、独立したまま調和します。オオカドヌシノカミ様の大神殿は、当初にもくした記号の神域。サオリ・クラモチが守る御神体は禁足地に……地球国に安置されている可能性。ウニクの役目とも矛盾しません」


「魔法陣の柱立はしらだてを龍神様がやっておったら、わしには感受できんのだがよ。隠しとる場所が場所だ。今現在も活きておる見込みは高い。そんでもってサオリちゃんはそんなかで、先生が来るのを待っておる。八方塞がりじゃねえはずだ」


 地面をならした枝を放り捨て、村屋むらやへと歩き出す。

 難解だった知恵の輪が、見事に外れた気分だった。


「当たりだと思います」


「そう見込んでうごいてみっか。残り一つの頂点どっちか」


「はい。鍵穴が、禁足地に通じる唯一の扉」


「ど真ん中の記号の底をどんだけ穿ほじくっても、地球国には辿り着けんだろうな。魔法陣の通用門を暴き出さんと」


「里で言うところの、北端の枝折戸しおりどを」


「あれはバレストランドが勝手にこしらえたんよ。息抜きをけた秘密の場所に、いつのまにか戸が出来ててびっくりした」


 千年前。

 禁書復元を企図した異端者たちが、その目的地にこのネルテサスを選んだ理由をおれは地形に見いだした。

 世界有数の山であるホズ・レインジと、世界最大の湖であるポトス湖とを、パガン台地の地中にひろがる巨大洞窟に築いた潜伏拠点の擬似餌ぎじえに使ったと考えた。

 しかし、新解釈が事実となれば、異端者たちは裏切りの暗部に迷彩をかける方策を、地形に頼る必要がない。

 地下にもぐる必要すら、なかったかもしれない。

 そこでふと思い出された記憶があった。

 おれが里に到着したときのこと。

 森の姫様のお言葉。


(サリアタが、みずから張ったこもりの魔法だ。魂の気づきを、あざむくためだ。魂が気づかねば、それは無きも同然だからな。うつつのおまえの盲目は、それが仕業よ)


 もう一つのビルヴァの村あらため地球国の所在地。


(この星の地上を、表としたなら裏と、言える世界です)


 わが守護様は、地下とは明言していなかった。

 パガン台地の洞窟内に築かれた潜伏拠点という基本仮説が、根底からくつがえる可能性も有り得る状況となった。


「ただねえ」


 思案げな声に顔を向ける。


「いざ、現場にのぞんだら、わしは役に立たんだろうな」


 サリアタ様ご自身、書庫そして籠堂こもりどうとに幾度も足を運んでいるが、いずれも結界を感知したことは一度もなく、新解釈が事実だった場合その理由は、神と人との隔絶とのこと。


「龍神様が張り切った結界なんざ、魔法の小手業こてわざで、どうこうできるもんじゃないからさ。ちからでは看破みやぶれん」


 カユ・サリアタの全力をもってしても魔法陣の探知は至難、息抜きの探知に至ってはもはや不可能との判断をはっきり聞いて、おれは一瞬、路頭に迷いかけたのだが。


「だから、一か八か、出たとこ勝負になるけども。旧墓地で起こった出来事は、結果を期待させるに充分だ」


「なにか妙案が?」


「そうじゃない」


 裏庭の枝折戸しおりどを開けつつ言う。


「神様が仕込んだ秘密の息抜きを、照らし出せるやもしれん灯りを、今のおまえさんは持っとるんだよ。その灯りとは」


 われわれが、魔法陣の展開を疑っていること。

 禁足地を隠している手段に対する……気づきだった。


「大きな門のあるじの神様が、籠堂こもりどうの天井に照らし出した正三角形。門番みずから、合鍵をくれたようなもんだろ」


 そう答えておれをちらと見、にやり、笑ったのだった。

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