03
用の終わった一つの地図と、四つの駒と二つの測器具。
残したままの板間に、暖かな陽だまりをつくる午後の窓から通りすがりの人の声。
卓上で、われらは茶碗を傾けていた。
「ああ、それでかい。さっき門の前で突っ立ってたんは」
左手側の斜向かいに坐るサリアタ様がそう言って、合点したように頷いた顔へ、おれは苦笑を浮かべて見せた。
「はい。メソルデさんの発言と、重なったものですから」
答えると、右手側の斜向かいに坐る長老が、ご自身の右手側の斜向かい――おれの対面に坐る村長に言った。
「あれ建て替えたのって、ナグジが童子の頃だったよな?」
「そうですね。四十年くらい前。ようく憶えてます」
「なんで建て替えたんだっけ?」
「門柱の接着剤の隙間に宿蟻が巣食ったんです。中の心棒もやられてたら危ないからって」
「ああ。そうだったそうだった」
「その折り、長だった伯父に、むりやり作業の手伝いをさせられましてね。砂の運搬、嫌々やったの憶えてます」
「あとで小遣い結構くれたろうが」
「ええ。もらった憶えありますけど。……嫌だったんです」
当時の不服を当時の村長に当代の村長が口にする。
その様子に、くすり微笑んだ。
「そういやわしが童子ん頃も、あんな形だったような気がすんなあ。師とドレスンが、ここを訪ねておった頃からさ。前代が建て直す前と今と、門構え、変わっとらんよな?」
「はい変わっておりません。わたしの子供時分も同様でございました。建て替えてもそこは変わらず」
おれが訊ねる。
「門構えを変えなかったのにはなにか理由があるんですか」
「いやあ、とくに理由と言える理由は、ないのですよ」
そのとき裏戸が突然ひらき、五歳くらいの男の子が縁側の上に大と立つ身体を慌てて抱きあげたご婦人の低頭のあと、ふたたび閉まった。
「強いて申しあげるなら、変える理由がなかったから、でしょうか。昔ながらの門の造りを、あたりまえのように踏襲しただけでございまして。はい」
「つうことは、いつからあの形になったんかわからんのか」
長老が村長に聞いた。
「御大の日記にも、そこらは書かれとらんな?」
「書かれてないですね。蔵にも、当村の門に関する記録は、たぶん、ないです。目にした憶えがありません。ですので門の形状について、その謂れなどは、わたくしどもにも」
「なるほどのう。大火以前からの門構えかも知れんわけか。婆さんが生きとった頃はどうだったんだろうな。ちと聞いてみたいが、まだ、つかまらん。雲隠れしたまんまでよ」
苦笑し、こちらを見やる。
「確かに似てるっちゃ似てるよね。禁足地の記号とさ」
長老もこちらへ顔を向け。
「そこのところ先生は、いかにお考えでございましょう」
否定に落ち着いたことを申し述べた。
その判断に至った重要参考に『倉持さおり』の意思表示を挙げると、サリアタ様が同意の頷き。
「そうなんだよな。なんつっても地下道での指差しよな」
「加えて、門構えの形状が例え、記号由来だったとしてもです。その相似が、禁足地の所在地を示す意味をも含むとは限りません。似せて造っただけの可能性も充分。灯台もと暗しの線は、薄いように思います」
うむ、と座が、喉で唸る。
卓の中央に置かれてあった守護様との対話の三枚を、長老が取り寄せて見る。
「ご先祖様も、随分な曰くを残されましたな」
「もうさ、いっそのことさ、サオリちゃんに聞いちゃうか。禁足地の場所どこですかって。行きかた教えてって」
面倒くさそうな口調でそんなことを言い出す老魔法使い。
無論それが叶えば簡単だったが、もとより教える気があるのなら、彼女の手引きも明示的となったはず。
「……教えてくれますかね?」
「教えてくれないだろうね」
即座に応え、くすくす笑う。
「これまでの振る舞いからしてな。冗談冗談」
笑んだ目線が、長老の手元に留まった。
「御陰様のお見立てだと、先生のことを禁足地に連れて行きたがっとるようなんだけどもね。王道を歩きはじめたオキナツ・サワダの魂が来るのを、どうやらそこで待っておる気配なんだが。なんとなくなあ」
ずずっと啜った茶碗を置いて。
「未来の星の王様が、星の姫神との待ち合わせ場所に辿り着くまでの過程も、サオリ・クラモチ自身、大事と思っとるような気がするよね。そんくらい、やばいとこなんだろうよ」
そう聞いて、ふと思い出したのだった。
初めて夢に、森の姫様が現れたときのことを。
「今も天秤皿に載ってるのかな」
「んん? 天秤皿?」
思わずこぼれた呟きを聞き返され、おれは答えた。
「わたしが、サリアタ様の里に辿り着くことができたのは、森の姫様のお導きがあったからでした。御神木の聳えるあの場所で、眠りに就いたわたしの夢に、少女の声が響き、案内すると言われた。目覚めたあと、目の前に立つ存在が、何者なのか、夢の中で告げられた言葉も、信じてよいのかどうか、わたしは疑いました。しかし、夢に響いた幼い声には、奥深い精神性が感じられ、気づいたんです。信じてよい相手かどうか、秤にかけられたのはわたしのほうだと。神様のその天秤皿に、今も、載っているのかなと」
「なるほどな」
微笑みおれの左肩を、ぽんぽん、と叩く。
村長が、対面からまっすぐにおれを見つめて言った。
「ゾミナ様が仰っておられました。現在ビルヴァにお越しのお客様は、近い将来、この星の人類の舵取り役に就かれるお方だと。そのお方のご有智とお人柄を知るわたしに異論のあろうはずもなく。ごもっともと頷くのみでした」
長老もそこで、まったくもって同感でございましたと。
「わたくしどもビルヴァは、フロリダス先生の大義に控える所存でございます。万事、なんなりとお申しつけください」
当代村長と前代村長……現下における書庫の番人。
昨晩ゾミナ様からいただいたお言葉に続き、お二人からも篤い言辞を頂戴し、恐縮の限りであった。
「荷が重いか?」
にやり、サリアタ様が笑って言った。
「どうでしょうか。迷いがないことだけは、確かです」
「さっきちょっと思い出しておったんだがね」
両腕を胸元で組み。
「ルイメレクの指示で、ここの地下洞窟を覗いたときのこと。そんときわしが、着眼点の当てに使った手書きの地図があってさ。調査で立ち入った際に、師が歩きながら描いておった大雑把なやつなんだけども。正直うろ憶えだから確かとは言えんのだが。神の子がお出ましになった分岐点から、バレストランドが指差した方向。水没しとった天然洞窟が延びとる方角ね。どうも北っぽいんだよな」
……北なんだよ、と。
「サオリ・クラモチが、オキナツ・サワダに教えた方角」
おれは頷いた。
「この村から見てどちらも以北です」
「わしらの答え、どうか当たってますように」
村屋の壁に貼り出してある暦によると、次の雨日は十日後で、あした明後日は晴れの模様。
それを書かせたぬしは只今、雲隠れの真っ最中だった。
メソルデが魔法を使えるようになったことを村の方々に周知する段取りについて、ゾミナ様との相談内容を話す村長の傍ら、長老は、会話に相槌を打ちつつも、目線はちらちら手元の三紙に落ちていた。
思案げな、なにか言いたげな様子もたびたび窺え、気になっておれも声がけの間を坐卓に窺っていた時である。
不意にサリアタ様が裏戸のほうへ目を向けた。
その目がすぐにこちらを見、言ったのだった。
「ようやっと帰ってきよった。祠におる」
オズカラガス様が戻られた。
なれば、ビルヴァの魔女にこそ確かめたいことがあった。
あの団子の作り方を知り得た経緯。
「ん? 重いってなにが。ああん? わしは知らんよ」
もう、うっさいな……と腰をあげる。
「帰ってくるなり婆さん、屋根が重い重いって喚いとるんだが、なんだかわかるか?」
村長も腰を浮かせた。
「屋根が重いとは?」
「目の前も真っ暗なんだと」
「ナグジ。庭向こうの喇叭草の木かもしれん。垂れた枝が、祠に覆いかぶさってるんじゃないかい」
「……それだわ」
苦笑い。
「ちょっと待ってろ。いま除けるから。つうかあんた今までどこに隠れとったよ。え? ……ホトトギス? なんそれ」
ぶつぶつ言いながらサリアタ様が村長とともに裏口へ。
坐卓には、長老とおれの二人が残る。
ひらかれた裏口に覗く庭の木々と老魔法使いの話し声に揃って耳目を傾けたあと、間つなぎも兼ね、言った。
「ご長老様。なにか気になることでもございましたか」
その手元を示す。
「なにかお有りのように、お見受けしましたもので」
問うと長老は、いやあ、と丸刈り頭を掻き。
「この件と、関係あるかどうかわからんのですよ」
やはり引っ掛かりがあったようだ。
「もちろん構いません。お聞かせ願えませんか」
「偶々だとは思うんですが、実は、柱が、気になりました」
「……柱?」
はい、と頷く。
「井戸の裏手に、古い溜め池がございましてね。そこに一本、石造の柱が立っておるんです。一メートルかそこらの」
昨夕、ゾミナ様のお宅から村屋へ戻る近道の途中。
人工池に架かる石橋の上で見た、あの柱か。
「立てられた理由は不明ながら、池の施工と同時期の、二百年前に造られた供養碑であろうと考えておりまして。その石碑のことなんですが、正三角柱の形をしとるんです」
聞いてゆっくり背筋が伸びた。
「その柱もですね。正三角形なのですよ」




