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噤みの森(つぐみのもり)  作者: べにさし
古老の見解
189/205

01

 ビルヴァの村の北端に構え立つ、出入りの正門。

 帰り着いた獣車ししぐるまを降りて早々、目に入ったそれを門前から少し離れてつくづくと、あらためておれは眺めていた。


 左右に開け放たれている木造の大扉と、上部に設置されている紋様の彫り込まれた木製の装飾看板は、除き。

 夜間照明の角灯が掛かる門柱は堅牢な石積みで、高さはおおよそ四メートル、門柱と門柱の間の幅はだいたい三メートルくらいあり、その幅よりも少し長い横木よこぎが門柱の上端で上下二本、看板を挟んで水平に差し渡されていた。

 籠堂こもりどうの天井に浮かびあがった一つの記号。


(メソルデさんはなんだと思います? 真ん中の謎の絵柄)


(三匹のココちゃんが、村を守ってるふうに見えます)


(村を守る?)


(この絵、門みたく見えるから。村にも門が立ってます)


 なるほど……彼女が、そう解釈したのも頷ける。

 暗い床に細い指が描いたその全形と比べると、ビルヴァの門は横に間延びした感じだったが、二本の直線を縦横に組む構造は同じと言ってよかった。

 形状のこの似通にかより、偶然だろうか。


「ねえお爺ちゃん。さっきの話しだけど、もう一泊?」


 四頭の兎馬うさぎうまたちを門前に残してチャルは先に地図をと言って、自宅へ向かった。


「里帰りを急ぐ理由ができたからのう。もうひと晩、身体を休めたほうがいいだろう。て言うか、わしが休みたい」


「だってさメソルデ。今晩一緒に寝よっか。村屋むらやにくる?」


 彼女のその解釈を、しかし、まま受け取ると、われわれが目指すべき座標は、ほかでもないビルヴァの村。

 そういうことになってしまうのだった。

 謎の記号が黙して語るところは、禁足地なのだ。


「帰りがてら、わしの祈祷場に寄るからよ。丘から森に入ったほうがいくらか楽だろう。明日チャルが近場まで乗っけてってくれるっつうから、お言葉に甘えましょう」


 その禁足地を語ったおれの守護様は、応答から察するにどうやらこのビルヴァとの距離感が、千年ほど遠い。

 双方のはなはだしい隔世かくせいが、この相似に触れてなにを語るかは定かならずも昨朝、地下道に現れたサオリ・クラモチ。

 対峙したアラマルグが真似た人差し指。

 導かれたような天然洞窟は確かにくだりのみちだったが、わが仮説が示した当ては、果てのみぎわの彼方であった。


 メソルデの解釈すなわち、灯台もと暗しの可能性。

 ……否定に傾いた。

 謎の記号を門とたのは単なる印象に過ぎず、そもそも門という建造物の機能自体、こうした形状を要求する。

 門構えのたたずまいに、神域と仮定した記号との相似を見て取っても、偶然でないとは言い切れないだろう。

 考えすぎのこじつけとも言えるのだった。


「どしたい。そんなとこ突っ立って。行こう先生」


 村の北端に構え立つ、ビルヴァの正門。

 四人のあとに続き、くぐって敷地に入った。


 太陽は天心に近づいて、正午になりつつあった。

 雨上がりのこの村も、方々(ほうぼう)つゆきらめいていた。

 道端からの声がけに応えながら往還を進むうち、まっすぐに延びる二本のわだちの彼方から、走り寄ってくる人物が。

 白髪しらがまじりの長めの髪を小綺麗に束ねたナグジャーイ・クランチ氏が、もはやビルヴァ村長の制服なのかと思えてくる馴染んだ割烹着かっぽうぎ姿で、出迎えに来られた。


「お帰りなさいませ」


 なつこい表情はいくぶん固く、挨拶も非常に丁重だった。

 その目線がちらりちらりとメソルデへ流れている。

 出先で、われらになにが起こったか。

 すでに知ってる様子だった。


「ゾミナ様から伺いました。伯父おじも村屋に参っております」


「そうかい。ゾミナもおるな?」


「はい。昨日お聞きしたフロリダス様のお話し……村の由緒のあらましを、先ほど、わたしも含めて三人で、しばらく」


「爺様なんて言うとった」


「ただただ唸っておりました」


「ふふん。その話しな。いよいよ現実味を帯びてきたぞ」


 歩き出す。


「そんでよナグジ。チャルにもう頼んであるんだが、おまえさんが持っとる地方の地図。ちと借りたいんだわ。もう一つのビルヴァがどこらへんに眠っとるか。当たりをつけたい」


「……見つかりそうなんですか?」


「見つかるかもしれん道理が見つかった。実在は濃厚だよ」


「やはりフロリダス様のお見立て。事実だったんですね」


 高揚した口調で村長が、おれに向かって頷いた。


「まだ、なんとも言えませんが……」


「答え合わせは里に帰ってからになるけども。その下見をな。帰る前に、地図を使ってちょっくらやってみたいんだ。仔細は村屋で話そう。爺様をまじえてよ」


「わかりました。おちは明日と、ゾミナ様から」


「うむ。ひとまずこれが最後の延泊だ。すまんのう」


「ご遠慮はご無用に願います。ならば昼食のほうは、いかがいたしましょう。皆様のお食事、もうまもなく整いますが」


「ああ頃合いよな。台所の都合のいいようにしておくれ」


「承知しました。では、わたしはいったん炊事場に戻ります。手伝いの娘らに火加減を預けたままでして」


 苦笑い。


「整い次第、配膳を」


 辞儀するなりせわしげに走り去った。

 遠ざかっていく後ろ姿を老魔法使いは見やりながら。


「なんだか割烹着が、ここの村長むらおさの正装みたいだの」


 ビルヴァの村の中心部――円形広場に玄関を向ける集会所の表戸おもてどは閉まってあり、われらの仮床かりどことなっているその大きな切妻きりづま屋根の軒下に到着すると、サリアタ様が戸をひらき屋内へ向かって帰還を告げた。

 入ると裏戸も閉じてあったが窓は全開、ひろびろとした板間いたのま目映まばゆく照り返す昼明かりのなか、それまで坐卓に着いておられたらしいゾミナ様のこちらへいざる姿。

 長老も座布団から腰をあげられ、揃って玄関へ。

 村屋には、ほかには誰も居ず。

 ふたりのビルヴァ古老から慰労を受けた。


「お帰りなさい。話しは、あらかた。大変だったわねえ」


 老魔女は貫頭衣かんとういの腰帯を巻かないゆったりとした着流し姿で、長い白髪はくはつはいつものように三つ編みだった。


「まこと、ご無事でなにより。お疲れさまでございました」


 丸刈り頭を傾けられた長老も、いつものように羽織を引っ掛けておられたが本日のそれは質素な意匠であった。


「まったく大番狂わせもいいとこだよ。……よっからせ」


 上がり口に腰かけながら、メソルデおいでと手招いた。

 われらの後ろに控えていた少女は呼ばれて前に進み出ると、うつ向き加減にサリアタ様の傍らへ。


「どうなることかと気を揉んだがなあ。ひいては、ゾミナ」


 少女の片腕を優しく引き、奥様の面前に立たせた。


「おまえの愛弟子が、立派な魔女になって帰ってきたぞ」


 姿勢正しく師匠と向かい合ったメソルデの表情はおれの位置からでは見えなかったが、その面と向かったゾミナ様の表情は……思いのほか厳しかった。

 けれどもあおい瞳には幾分、潤みが。


「わたしの当初の予定より、だいぶん早まったわね」


 吐息まじりにそう言うと、膝元の床を軽く叩いた。

 メソルデは急いで靴を脱ぎ、対面に着座した。


「とうとう、その日が来てしまったわ。魔法使いが肝に銘じるべき心得を、あなたの心地ここちに植えつけていく、その時がね。ちからを扱えるようになったからには、ことそれに関しては、甘えは許されません。叩き込みます。わたしも気持ちを、締めなおさなければ。甘やかさないようにしないとね」


 ふふっと自嘲の笑みを浮かべ、目線をサリアタ様へ。


「うむ。無論だが、育てをくことはない。涵養かんようせい」


「皆様、ささ、おあがりくだされ」


 長老からの声がけに、師弟の様子を見守っていたセナ魔法使いとアラマルグと、揃って靴を脱ぐ。

 坐卓には着かず上がり口(ばた)の床板に皆、腰をおろした。


「さてもさてもだ。こたびの立役者も、メソルデよ。……前代ぜんだい。このビルヴァの由緒の話し。パガン台地の地下に築かれたご先祖たちの隠れみのな。発見できるかもしれんぞ」


「なんと」


 感嘆の声をあげ膝を詰めた。


「フロリダス様が説かれた、もう一つのビルヴァの村を?」


「今となっちゃ無人の廃墟のようなんだがな。どうも立ち入り可能な状態で、ありそうなんだわ。そう見込んだ道理の中身はめし食いながら話すが、その道理に至った手がかりを、わしらにもたらしてくれたんが、この子なんよ。なあ先生」


「ええ。メソルデさんの同行がなかったら、ここまでの話しには間違いなく、なっておりません。大手柄でした」


「ゾミナ。おのれを律するのも追い追いだ。メソルデは今日、頑張った。たっぷり褒めてやってくれ」


 そこでセナ魔法使いが、金髪の後頭部を撫で。


そばにいないんだから。心細くないわけないじゃない」


 添えた言葉に、ゾミナ様が微笑み返す。

 そうして見つめた正面に向かい、諸手もろてをひろげた。

 すると、ひらいたふところに勢いよく。

 ひしと抱き着き、顔をうずめる十二歳の愛弟子へ。


「お帰りメソルデ。上出来です。よくやりました」


 慈愛に満ちた声で師匠が、優しくその背を包み込んだ。




 はしに語られた昼食が終わり、食器を下げるご婦人方が村屋を去るとゾミナ様はいったん自宅へ戻られた。

 出先でメソルデになにがあったのか、本人の口から聞きたいと二人の魔法使いも連れ立って行かれたのだった。

 昼刻ひるどきにも関わらずチャルが探して持ってきてくれた古色に滲む一枚繋ぎの大きな地図が、あかるい広間の中央に。

 縮尺率、百万分の一の表記を見る、ネルテサス地方全域を収めたその地図を、昼下がりの板間いたのまに坐って囲んだのは、サリアタ様と、長老と、村長と、おれの四人であった。

 手元に竹製の直線定規、木製の半円分度器があった。

 そして老魔法使いの手元にはゆうべの勝負の名残りが。

 双六すごろくの箱から取り出された四つの駒が、転がっている。

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