02
「先生ーっ」
こっちに来たと訴えながらこっちに来るアラマルグへわれらも小走りに歩み寄り、まもなく間近に迫った彼がおれの前で足をとめ、息も切らせず。
「さっきこっちに来たんだよっ。先生のおかげさまがっ」
そう言ったのだった。
「え? 御陰様?」
「そう。先生の後ろに憑いてる守護様。さっき車に来たの」
「わたしの……守護様が? え? 車に?」
「そうなんだよ。ちょっとのあいだだったけど」
「どういうことだ」
問うと少年は、おれの隣に立つ少女を見やり。
「先生の御陰様が、メソルデの身体に入ったんだよ。君のちからで魔法を使ったのは、フロリダス先生の御陰様」
「なんだってっ?」
唖然――。
すぐさま隣へ目をやると、彼女もおれを見あげてきた。
見合わせたその幼い顔も、唖然としていた。
「アラマルグ。それは確かなのか」
「うん。サリアタ様が、先生の御陰様と話した。メソルデのちからを借りるから、手を出すなって言われたって」
「どうして、そんな」
「先生たちが行ってすぐサリアタ様が旧墓地のほうにお化けがたくさん湧き出たことに気づいたんだ。そのお化けが全員、先生の魂を欲しがってることにも気がついて、こりゃいかんて呼び戻そうとしたら、ぶわあって現れたんだよ。ぼくには声はぜんぜん聞こえなかったけど、顔は女の人だった」
「それで、手を出すなと?」
「そう。余計なことすんなって。そのあとで、取り憑いた。メソルデの身体が奪われたのにサリアタ様がなにもしなかったのは、取り憑いたのが先生の御陰様だったから」
非常事態でも連絡がなかったのは、そういうことか。
「でも凄いねメソルデ。使えるようになった魔法。ぼくのちからとちょっと似てる。遠くのものをぶっ飛ばすちから。これからたくさん色んなものをぶっ飛ばせるね。凄いよっ」
「う、うん……」
だと、すると。
あの憑依現象の疑いがあった人物は、少なくとも。
「……ウニクさんじゃ、なかったんだ」
おれの隣で、ぼそり呟く。
当事者が主張したその可能性は、完全に除かれる。
ウニク・ビルヴァレスの魂は彼女が内に宿して在るのだ。
「筋が、通ってましたからね。そう思うのも無理なかった」
土砂降りの雨の中。
メソルデに憑依したのは、おれの守護様。
守護様が、メソルデのちからを糸吊って、あの魔法を。
進路の先で待ち構えているおれの危険を排除したのか。
だが、そうなるとそれは……メソルデがみた夢の続き。
このまま進んだら危ない。
オキナツ・サワダ邸を思わせる室内で、円卓に向かって座っていた彼女が、堪らず立ちあがり、彫刻装飾の扉へ。
その扉をひらくと目の前に真っ白い光りが広がって、その光りの中に、見知らぬ成人女性が立っていた。
ちからが伝わり、魔法使いだとわかったと言う。
喋った言葉はわからない、だが聞いて安心したと言う。
(ならば……消えなさい)
凄まじい魔法の行使を目の当たりにしたのだった。
つまり、メソルデの夢に登場したのは……。
その成人女性の魔法使いはおれの守護様?
(あなた方の地球国は、もうないのですよ)
おれの守護様……いったい誰なんだ。
「サリアタ様が話したと言ったな。素性はわかったのか?」
「ううん。そこは教えてくれなかったって。ぼくにわかったのは、黒い髪の女の人で、ポハンカに似てた」
チャルが呟く。
「なら絶世の美女ですね」
「素性は……わからずとも魔法使いなのは、確かだな」
「それが、そこもよくわかんないみたい。メソルデに憑いて魔法を使ったのは先生の御陰様。そこは間違いないんだけど。ちからが感じられなかったんだって。隠してるふうでもなかったから魔法使いじゃないのかもって」
……魔法使いじゃない?
ああ、もう、頭がこんがらがってきた。
「いまサリアタ様は?」
「車で寝てる。爆睡中」
「爆睡中?」
「御陰様とした話しを忘れないようにって、さっきまで紙に書いてたんだ。ポハンカがサリアタ様の記憶をみながら喋って、サリアタ様が聞きながら書いてた。何度も何度も」
「え」
何度も何度も?
「終わったあとぐったりしてた」
緑の色づく木々の間に立つ魔女の姿を彼方に見る。
セナ魔法使いの……あの記憶透視を……何度も?
「だだだ大丈夫なのかっ」
「うん。でも書き終わって、先生を呼び戻さなきゃってメソルデに連絡してすぐ鼾かいて寝ちゃった」
「そ、そうか。わかった。ともかく」
力尽きたサリアタ様のその覚悟……見届けねば。
「車に戻ろう」
踏み出した。
まっすぐに延びる林道の上の空の青。
「ねえねえメソルデの魔法さ、ぼくの魔法とちからの出方が似てるんだ。空き地で見せてよ。ポハンカも見たがってた」
「うん、いいよ。上手にできないと思うけど」
覚醒した巫女の守護様であり、正体不明の幼い古霊。
その手引きの先におられた古代ビルヴァの御祭神。
そして、誰でもないおれ自身の御陰様。
知覚の及ばぬところでなにかの輪郭に沿って動く気配。
「そういやメソルデ、魔法もう一つあったろ。雨を脇へ流したやつ。あれは、できないのか?」
「あっちのが難しい。ずっと操ってないといけないから」
「でもあれ便利だよな。雨ふったとき、傘いらないもんな」
「……なにが言いたいの」
「なあ、あっちの魔法も練習したらどうだ? おまえも使えるようになったら、雨の日すごい助かる」
歩きながらメソルデが、チャルの尻を引っ叩いた。
半日に満たぬわずかな時の間、多くのことが起こった。
昨日の夜、差し向かいとなった暗がりで、仰っていた。
この一件に進展があるとすれば、明日だろうと。
言ったご本人も、ここまでとは思ってなかったろうな。
雪崩が如く押し寄せた情報量に埋もれそうな気分だった。
ぞくり、背筋が粟立つ。
「なによその顔。喜び勇んで帰ってくるかと思ったら」
胸元で組んでいた両腕を解きながら、そう言った。
「セナ様……」
針金細工の花を戴く魔女の対面で立ちどまる。
風色をした貫頭衣を纏った細身の姿。
晴れたからか、星色の外套は羽織っていなかった。
「聞いた? 御陰様のこと」
「驚きました」
「三人がここを出て早々よ。暇どころじゃなかったわ」
「サリアタ様は、まだ」
「寝てる」
くすり苦笑し、道脇に空く駐車帯の口へ目をやった。
その視線が、おれの横で足をとめたメソルデに移ろった。
そうして少女の前に歩み寄ると、自身の貫頭衣の後ろの裾を押さえながらその場に屈み、小さな手を引き寄せて、生まれたての魔女を抱き締めたのだった。
一瞬メソルデは目を見ひらいて固まったが、ポハンカ・セナから二言三言なにかを耳打ちされ、おれの顔を一瞥すると嬉しげに頷いて、恥ずかしそうに抱擁を受けたのだった。
どんな言葉を囁かれたのか。
やがて腰をあげたセナ魔法使いが、少女の手を握り。
「覚えた魔法わたしにも見せてね。 ……チャルさん、木箱の中にあった帳面なんですけど。白紙のところを三枚、勝手に使っちゃったの。しかも千切っちゃった。ごめんなさい」
「あっああ、いえいえ構いません。ただの記録帳なんで」
「正確に書き起こせたはず」
おれに向き直った。
「長椅子に置いてあるから。お爺ちゃんの遺言だと思って」
「……拝見させてもらいます」
「まあでも。あなたの御陰様だからねえ。ある意味、納得」
「素性は、わからなかったそうですね」
「うん。あなたと縁深い者としかお答えくださらなかったようよ。わたしにはそもそも、お姿しか見えなかった」
「ぼくも。車の後ろんとこに立ったんだよ。ぶわわあって」
「とっても綺麗な方だった」
「ポハンカに似てたよね」
「似てないわよ」
駐車帯へ共に入った彼らと分かれ、ひとり空き地の奥へ。
そこに停車している四頭立ての獣車へ足を向ける。
雨避けに張られた天幕の下で行儀よく待つ兎馬たちのところへ近づくにつれ……大きな鼾が聞こえてきた。




